32:俺のケーキ


「クリスマスもバレンタインも、俺だけ食ってない……」


 二人で拓海の家に帰っている途中で、拓海がぼそりと呟いた。


「夏帆さんの作った、俺の・・ケーキやったんに……」


 激情に流される夏帆と違い、拓海は取り乱すとズンと落ち込んでしまうようだ。クリスマスの夜も、冷静に見えてはいても、もしかしたらかなり焦っていたのかもしれない。


 手を繋ぎ、並んで歩くのは久しぶりだ。

 クリスマスよりも前から、初恋に戸惑いすぎた夏帆が手を繋がなくなっていたためだ。


「ごめんね。どっちもあの、逃げちゃって……」

「なんで逃げられたのかも、どっちもわかってないんやけど」


 先ほどまでちょっと拗ねていた拓海だが、もう苦笑を浮かべ、いつもの余裕を取り戻していた。


「なんで逃げたん?」

「……えっと」

「俺は、なんで逃げられてたん?」

「うんと」

「もうこれからは絶対、全部ちゃんと聞くから」


 強い意志を秘めた拓海の言葉に、夏帆は眉を下げた。

 言えなかったのは、彼を責める言葉になるからだ。けれど、自分の中で消化出来なかった時点で、確かにきちんと話しておくべきだった。


 夏帆は一人ではなく「ふたり!」だったのだから。


 先に勇気を出してくれた拓海に、夏帆は「あのね」と言った。


「クリスマスの夜は、本当に、酷い言い方しちゃって、ごめんなさい」

「いいよ」

「……あれはね」

「ん」

「――……私、聞いてたの。拓海君とコタロー君がしゃべってたのを」

「ん?」

「それで……拓海君が、嘘ついてるんだって思い込んじゃって」

「ん??」

「……拓海君は、私に嫌なところが、あるんよね?」

「は?」


 拓海は足を止めて、夏帆を見下ろした。

 そしてもう一度「……ん?」と眉根を寄せて、首を傾げる。


「え? なん? 俺が、夏帆さんの嫌なところを琥太に話してたってこと?」

「うん」

「……え? まじで記憶にないんだけど。俺、どんな風に言ってた?」

「……」


 夏帆はぐっと顔に力を入れた。こんなに優しい声で、夏帆を気遣ってくれる拓海に、あんな言葉を言わせたのが自分かと思うと、苦しくて仕方がない。


「ごめん、夏帆さん」


 夏帆の表情を見て慌てた拓海が、握っている手を摩る。


「一回でいいから言って。でも絶対夏帆さんの勘違いやから。それだけは絶対やから」

「そんなん、わからんやん」

「いや、絶対。俺夏帆さんのこと、全部可愛いって思ってるから」


 断言する拓海に、夏帆は頬を赤らめた。涙で潤み始めていた目で、拓海を上目遣いに睨み付ける。


「じゃあ絶対『勘違いさせた、ごめん』って言って」

「わかった。言う」


 拓海が真顔で頷いたので、夏帆はすっと息を吸った。

 そして口を開くも、唇が震えて言葉が出ない。

 そんな夏帆を勇気づけるように、拓海が夏帆の手をぎゅっと握りしめる。


 拓海と夏帆の目線は、ほとんど同じだった。それは拓海がいつも、夏帆のために身をかがめてくれるから。


 すぐ近くの拓海を見つめながら、夏帆はもう一度口を開いた。


「……私の悪い癖を我慢出来ないから、早くこの期間が終わって欲しいって。でも、クリスマスまでは我慢するって」


「………………――なるほど。俺、クソか……」


 拓海が夏帆の手を引っ張る。道路の端に寄ると、再び泣きそうになっている夏帆を、ぎゅうううと強く抱き締めた。


「それじゃ勘違いするよな。本当にごめん」


 強く抱き締めたまま、拓海は夏帆の頭を撫でた。言わせてしまった言葉だが、言葉の隅々にまで気持ちが乗っているのは、きちんと伝わってきた。ポンポンという手つきに心底ほっとして、夏帆は肩の力を抜く。


「それ聞いてからずっと、拓海君に会うのドタキャンされて……あー、もうこのまま別れようとしてるんだな。って……」


「そんなわけない。マジごめん」


 しおしおと元気のない拓海の声は、後悔に濡れていた。


「説明しやすいところからさせて。――この期間終わって欲しい、っていうのは、早くお試し期間終わらせて、夏帆さんの本当の彼氏にしてほしかっただけ。クリスマスまでは我慢っていうのは――まあ、その。お試しの彼氏じゃ、手ぇ出せんから……」


 頬を赤らめる拓海の説明を、夏帆は一拍遅れで理解した。そして、一気に首まで真っ赤に染め上げる。


 付き合い出してすぐの頃。

 拓海が望むなら処女ぐらいあげてもいいやなんて、夏帆は簡単に思っていた。


 けれど実際、心情と熱量を伴った意思を向けられると、喜びよりも、半熟の卵のように無防備な自分がひどく心許なく感じる。正直に言えば、怖じ気づいた。


「それでこれが、ちょっと説明しにくいことなんやけど……夏帆さんの、癖について」

悪い・・癖、ね」

「うん、まあ、はい。悪いっていうのは、俺にとって都合が悪いっていう意味なんですけど……」


 観念したような声で、拓海はため息交じりに言葉を吐き出した。


「――夏帆さん、エロいんよね」


 ――夏帆さん、エロいんよね。


 夏帆さん、エロいんよね。


 エロいんよね。


「……え?」


 拓海の言葉が何重ものエコーとなって、夏帆の脳内に響く。


「自覚なさそうやから言わんかったけど、夏帆さん、割と常にしゃべることがエロい。しかもそんな優等生な顔してるから、更にエロい」


「……え??」


 想像もしていなかった言葉に、夏帆は呆然と拓海を見上げる。


「ほらね。絶対無意識と思ってた。まあそれも夏帆さんの個性やとは思うけど……彼氏の立場から言わせてもらうと、やっぱ危ないし、他の男の前では気をつけてほしい……でも、無意識なことって、人に言われたって急に直せんやん?」


「そっ、そうやね?」


「気にしちゃうと可哀想やし、夏帆さんには言う必要ないかなって。だからまあ、なんていうか……つまり――実地でっ、理解、してもらってっ! 羞恥心でカバーしてもらえればって――」


「ま、待って。よくわかんない。そんな……ちゃんと気をつけなきゃいけないほど……その、ええと――私って、ひどいの?」


「童貞と一緒の部屋に夏帆さん入れたら、一時間で孕まされるレベルだと個人的には思ってる」


「は、はらっ……??」


「いや、ほんとに。一々全部指摘するわけにもいかんし、わからんもん直したほうがいいとか、可哀想すぎて言えんし。やっぱまじでそういう知識を夏帆さんに入れるしかないと思うんよ」


「え、うん、え?」


「俺も初めてやからあれやけど――夏帆さんに伝わるまでその、色々俺も頑張るので……」


「へ、へえ……」


 へえ? と首を傾げる夏帆の頭を、拓海がポンポンと叩く。夏帆が全くついていけてないことを、拓海は察しているだろう。


 また手を繋いで、拓海の家に向かって歩き始める。


「冬休み前に、俺と距離とりだしたのは、これが原因?」

「えっ?」

「ちょっと俺のこと避けてたやろ? 俺は、コンビニで我慢出来んで夏帆さんに触ったせいかな、って思ってたんやけど」


 夏帆は繋いだ手を見て、拓海を見あげて、頬を真っ赤に染めた。


「ん?」

「それは、あってるかも……あの日に、拓海君のこと……」


 ごにょごにょと口の中で言っていると、拓海が腰をかがめて耳を寄せてくる。


「なんて?」


 夏帆は繋いだままの手も使って、自分の顔を両手で覆った。


「……あの日に、拓海君が好きなんやなって、気付いたから」


 拓海が長い間黙っているので不安になり、夏帆は両手を顔から外した。拓海は真顔で、眉根を寄せていた。


「……拓海君?」

「夏帆さんまじ可愛いな……」

「えっ」

あの・・夏帆さんが、それでそんなことなんの?」

「あのってなにっ?!」

「平然と人の背中に胸押し付けてきてたくせに……意味わからん可愛い……」

「む、胸って、ちが、ていうか可愛いって、待って。なんか、ちょっと。久々だし、今日拓海君強火で厳しい」

「わかった。ちゃっちゃと家行こ」


 何かがわかったらしい拓海に強引に手を引かれ、かなり早歩きで残りの道を歩いた。

 拓海の住んでいるマンションは学校からさほど離れていなかった。ここら辺の土地は明るくないのでわからないが、多分バイト先のカラオケ店とも近いのだろう。

 三階にある拓海の家まで、階段を上る。


「家、誰かおるん?」

「――いんや」

「よかった。挨拶せんとかなって、緊張してた」

「――――…………ん」


 どこか引っかかるような返事をした拓海が、玄関の鍵を開ける。家に入ると、拓海は壁に片手をつき、背を曲げて靴を脱いだ。その仕草が男の子という感じがして、勝手にドキドキしてしまう。


「適当でいいよ。こっち」

 夏帆がしゃがみこんで脱いだ靴を揃えていると、リビングから顔を出した拓海に呼ばれる。夏帆はたたきの隅っこに靴を寄せ、拓海がいる方へ向かった。


「そこ座ってて」


 指さされたのはキッチンカウンターのすぐそばにある、ダイニングチェアだった。四人がけのダイニングテーブルの一つに、ちょこんと腰掛ける。鞄は足下に置いた。


 拓海はキッチンに引っ込み、冷蔵庫を開けた。そして、紙の箱を取り出す。


 夏帆は「まさか」と呟いて腰を浮かせた。夏帆が動いたことに気付いた拓海が「大丈夫。多分なんとかなるから」と、夏帆を座らせる。


 椅子に腰を落としたものの、そわそわと体が揺れた。拓海の手元が見たくて、出来る限り首を伸ばしてしまう。


 拓海が白い四角い箱をキッチンカウンターに乗せ、中身をゆっくりと引き出した。ケーキボックスの中から出て来たのは――チョコレートクリームのケーキだった。


「うそぉ……」


「夏帆さんも作ってくれてれるとか思ってもなかったから、今度は俺からと思って……学校終わったら、夏帆さん家まで持ってくつもりやった」


 照れくさそうな顔をして、拓海がチョコレートケーキを土台ごとテーブルの上に持ってくる。

 苺が載りきれないほど載っていて、クリームが薄付きの場所からスポンジが透けて見えている。到底店では買えない不格好なケーキを見て、夏帆は両手を顔で覆った。


「私の彼氏……ほんっとうに最高っ……!!」


「わー……それ久々に聞いた。……めっちゃ嬉しいわ」


 拓海も肘の裏で顔を隠しながら、取り分け用の皿を持ってきた。


「待って、先に写真撮らせて……」

「そんな上手く出来んかったけど」

「一生待ち受けにする」

「責任が重い」


 正面、横、斜め上から思う存分撮って満足した夏帆は、包丁を入れさせてもらい、それぞれに切り分けた。


「嬉しい……ありがとう……まさか私がチョコレート貰えるなんて思ってもなかったし、拓海君が作ってくれるとも、本気で思ってなかった……」


 ぐす、と鼻を啜りつつ、チョコレートケーキを食べる。味が雑多でまとまりがなくて、不器用な拓海の愛情を舌で感じる。最高に美味しかった。


「俺料理とか初めてやし、嘉一に大分手伝ってもらったけど」

「廣井君もありがとうー! 心の胃袋から攻めるとか策士ですかとか思っててごめんなさいー!」

「あ、やっぱ皆そう思うよな……」


 美味しい、美味しい。と泣きながら食べる夏帆に、拓海がボックスティッシュを差し出す。夏帆は涙と鼻水をティッシュで拭き取りつつ、またケーキを頬張った。




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