23:甘くてしょっぱいケーキ
梨央奈の家からの帰り道、スーパーマーケットに寄ってケーキの材料を買った。
拓海はこちらに来ると言っていたが、バイト終わりの疲れた拓海を電車に乗せるのは忍びない。夏帆から出向くつもりだ。
持ち運ぶ事を考えると、生クリームは使っていないもののほうがいいだろう。スマホでよさげなレシピを検索する。ナッツがたっぷり入った、パウンドケーキにすることにした。
自分の詰めの甘さと、洋菓子レシピとの相性の悪さはしっかりと把握しているため、ケーキは二個分の材料を買った。
ケーキは失敗が怖かったので、二十四日に焼いた。リビングに付きっぱなしのテレビからは、クリスマス特集ばかりが流れてくる。
家族に冷やかされながら夜遅くまでかけて焼いたケーキに、クリスマスらしくアイシングやアラザンで飾り付けをして冷蔵庫にしまう。
翌朝確認したケーキは、アイシングはべちゃりと下まで垂れ下がり、アラザンは固まって積もっている。デコレーションが苦手なことを全世界に暴露しているような、雑な仕上がりだった。
ケーキを冷蔵庫から出し、保冷ボックスに保冷剤と一緒に詰める。どこかで簡単に食べられるように、コンビニでもらった使い捨てのフォークも二つ忍ばせた。
普段より気合いを入れて化粧を施すと、この日のためにお年玉を崩して買っておいた服に着替える。
髪はポニーテールにまとめて、少しだけ巻く。参考にした動画通りにはいかなかったが、なかなかの出来映えだ。
鏡を見て、うんと頷く。
散々デートをキャンセルされ、クリスマスデートさえドタキャンされた彼女にしては、頑張っている方に違いない。
例の件について、拓海にどう聞くのかも脳内で何度もシミュレーションした。責めない。慌てない。泣かない。
『夏帆さんに、最近ちょっと困ってる』
困ってることがあるなら、直せないか聞いてみよう。そして、拓海のことが好きだから、出来ればお付き合いを続けたいことを伝えよう。
(嫌われてまでなければ、ちゃんと付き合ってって、言う)
三時には全ての用意が終わってしまっていた夏帆は、手持ち無沙汰感と、家族の生温かい視線に耐えきれず、家を出た。
学校までの電車は乗り慣れている。駅で降りると、夏帆はぶらぶらと歩いた。拓海のバイト先には一度行ったことがある。ここから、歩いて二十分ほどだ。
時計を見ると、まだ四時にもなっていなかった。なのにどことなく不安になるほどには、薄暗い。
(あと一時間)
例の件があるため、ドキドキよりもソワソワが勝る。それでもやっぱり、ドキドキした。早く拓海に会いたかった。
拓海のバイト先の近くに公園があったことを思い出し、そこまで歩いておくことにした。そうすれば、五時になればすぐに落ち合える。
高めのヒールで歩くと、いつもより目線が高い。文字通り背伸びして、少しだけ大人になった気分だ。
行き交う人の顔ぶれは様々だった。カップルはいつもより多く感じたが、部活帰りの学生もいたし、おばあちゃんと歩く小学生もいた。
公園に辿り着く。クリスマスでも関係なく、子ども達が大声を上げて遊んでいた。せっかくの真っ白いコートを汚したくなくて、ベンチの上の砂を手で払ってから座った。
――ピロロロリン ピロロロリン
座ったタイミングで着信が鳴り、夏帆はポケットからスマホを取り出した。液晶画面には、拓海の名前。
(もしかして)
早く上がれるようになったのかと期待して、夏帆は通話ボタンを押した。
「はい! もしもし?」
{――夏帆さん}
人の話し声と、店内放送と、大音量のBGM。そして、覇気のない拓海の声に、夏帆はこれが何の電話かを悟った。
{……ごめん、今日なんだけど}
「うん……」
{五時から来るやつが、インフル移ってたらしくて……}
「……うん」
予想通りの展開に、相槌意外の言葉が出なかった。
(これ、もしかして。――このままもう終わらせようとしてる?)
会って振るのが気まずいから、会う時間を減らして、LINEする時間を減らして、通話する時間を減らして、最後のデートさえ見送って――フェイドアウトしようとしているのではないかと、不安が一瞬夏帆の頭を過ぎった。
{ギリギリまで店長に粘ったんやけど、ちょっとどうにもなりそうになくて……}
しかし、続いた拓海の沈痛な声に、そんなわけがないと思い直す。拓海はそんな人間ではない。
「そっかぁ」
と呟いた。
その声が想像の何倍も暗かったことに、拓海が息を呑んだ音で気付く。
{っ――ほんとごめん}
「ううん! 拓海君こそ! お休みなしで……お疲れ様」
{いや……ん、うん。あんがと。……あのさ}
「うん」
{今日、本当は話したいことがあって――}
『早くこの期間終わらんかなって、ずっと考えてる』
『とりあえず、クリスマスまでは、どうにか耐えるわ』
心臓が、ヒュッと縮んだ。
「そ、の話は、また。今度にしない?」
{え? ……ん。そうやね。電話で話すようなことやないし}
雑音に紛れて、電話の向こうから聞こえてくる拓海の声からは、声色を感じ取れない。がっかりしているのか、喜んでいるのかも、わからない。
{――――あっ、はーい! 今行きますんで! ごめん夏帆さん}
「うん。頑張ってね」
{ありがと――}
余程急いでいたのだろう。「う」の音が聞こえる前に、通話は切られた。
夏帆はスマホを鞄にしまうと、保冷ボックスを開けた。ケーキを入れていた箱を開き、フォークをビニールから取り出す。
積雪を見立てて飾り立てたアイシングの上に、フォークをブスリと差し込んだ。
パリパリとアイシングが剥がれる。パウンドケーキを一口切り取ると、そのまま掬って口に運んだ。特別美味しくもない。ただの高校生が作った、パサパサのケーキ。
けれど、二人で食べるはずだった。きっと喜んで貰えると、思っていた。
ケーキを頬張ると、その分目から涙が溢れた。涙を流していることに気付きたくなくて、またケーキをフォークで掬う。
気合いを入れた化粧、頑張って巻いた髪、新しく買った服。そんなものでコーティングして、なんとかここまで持ち運んできた覚悟は、ボロボロに崩れ去っていた。
二人で望んで約束したクリスマスを、心待ちにしていたのは夏帆だけだった。
(たった一言。俺も会いたかったのにって、言ってもらえてたら……)
きっと夏帆は、「しょうがないよ」と笑って送り出せた。
けれど「ごめん」と、何度も繰り返された謝罪の言葉は、夏帆の機嫌をとるためのものでしかないように響いた。夏帆との仲を穏便に終わらすための、かたちだけの言葉。
(好き。会いたい)
だが、拓海にとっては、最初にした約束を果たすための義務でしかなかったら?
今日、泣いて縋って、クリスマス以降の恋人の約束を取り付けたとしても……これから先も、こういう日々が待っているのだ。
(悔しい。可愛くしたのに。頑張ったのに)
着飾って、プレゼントまで用意して、会ってもらえる時をただ待ち続ける日々。突然キャンセルされても、文句は言えない。惚れているのは、こちらだから。
(困ってるって言ってたの、こういうところだったのかな)
重かったのかもしれない。今日だって、きっと喜ぶだろうなんて勝手に自惚れて、こんなとこまで押しかけてきた。もしかしたらこういうところをうざいと思っていて、けれど、優しさ故に言えなかったのかもしれない。
(ありえそう。……でも、こういうのうざいって言われたら、立ち直れないかも)
直せるかもしれないが、きっとこれは夏帆の根幹だ。ここが合わなければ、夏帆と拓海の相性は悪いと断言できる。無理して互いに合わせるよりも、お試し期間で終了したいと思われてしまっても無理はない。
(こんなの作っちゃって、馬鹿みたい)
いつの間にか、公園で遊んでいた子ども達はいなくなっていた。薄暗さは増し、街灯に電気がついている。
膝の上のケーキは半分ほどなくなっていた。公園にゴミ箱などないし、家に持って帰るわけにもいかない。
かなり胸焼けしていたが、残り半分をなんとか食べきってしまおうとフォークを持ち直した夏帆に、後ろから声が掛かった。
「――あれ? 何してるの?」
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