24:通りすがりのメリークリスマス

「――あれ? 何してるの?」


 声をかけられ、振り返る。公園の柵の向こうには、男女合わせて四人の人間がいた。


「早川さんだよね?」

「うわっ……」


 琥太郎と嘉一が、ボロボロに泣いている夏帆を見て目を見開く。琥太郎は心配そうな表情を浮かべているが、隣にいる嘉一はドン引きしていることを隠しもしない。


「なん? 知り合い?」

「嘉一、失礼なことしない。琥太君。これ持ってってあげて」


 嘉一の隣からお姫様のように可愛い女の子がひょこりと顔を出す。その隣にいるお洒落で大人な女性が嘉一の頭を一度叩くと、琥太郎にハンカチを差し出した。


 琥太郎が小走りで公園の中にやってきて、夏帆の前にしゃがんだ。


「早川さん、どうしたの。大丈夫?」


 これ、と遠慮がちに差し出されたハンカチを、恐る恐る受け取る。


「っう……ん。ありがとう」

「タクは?」

「バ、バイト……」


 夏帆の答えと、膝の上の崩れたケーキで察したのか、琥太郎が困った表情で微笑む。


「だから、俺がドン引く前から泣いてたやろ! 俺のせいじゃねえって!」

「おだまり。女の子には五十億倍優しくしろって赤ちゃんの頃から言ってんのに――ほんとあんたはわからんちんやね」

「あっはっは。クリスマスにボロ泣きしてるとか、映画やん。間近で見たい」

「ひー、やめろやめろ。所構わず火を着けるな」


 ゆっくりと歩いて来た三人に視線を動かす。

 嘉一よりも背の低い美女と、嘉一よりも背の高い女性の間に挟まれた嘉一が、不機嫌な表情で夏帆を睨む。


「琥太も気付いてんじゃねえよ。素通りしろよ」

「そういうわけにもいかんでしょ」

「こういうのは見ない振りするもんなんだよ!」

「気付いちゃったんだから仕方ないでしょ――早川さん。この人がさゆちゃん。そんで、嘉一のお姉ちゃんのひーちゃん」


「あ、お噂はかねがね……」


 ケーキを横のベンチに置き、立ち上がって頭を下げる。琥太郎は「ひーちゃん」には嘉一の姉と言ったくせに「さゆちゃん」には俺の姉とつけなかった。


「噂されてるの?」

 さゆちゃんが「あはっ」と笑うので、夏帆は琥太郎に恩を売っておこうと大きく頷いた。


「コタロー君から、とっても素敵な女性だって聞いてます」

「学校でまで言ってんの? もー全く、琥太君はさゆちゃんが大好きなんだから」


 早雪さゆきがよしよしと琥太郎の頭を撫でる。琥太郎は今にもとろけそうな笑みを浮かべ、大人しくしている。


「それで、琥太君の彼女?」


 夏帆は絶句して早雪を見た。

 今の今まで目の前のモテメンから、恋した男のとろける視線を向けられていたというのに、なんにも気付いていない早雪に唖然としたのだ。


 ぎこちなく琥太郎を見ると、琥太郎は慣れた顔で肩をすくめた。どうやらよくあることらしい。凄い。よく心が折れないな、と琥太郎に尊敬の目を向けてしまう。


「タクの彼女だよ」

「へえー。あのしょうゆ顔、彼女出来てたんだ」

 嘉一の姉、一二美ひふみが物珍しそうに夏帆を見た。


「んで、なんでこんなとこでケーキ食ってんの?」


 一二美が綺麗な爪で口元を隠し、くすくすと笑う。夏帆は公共の場で人目も憚らず号泣しながらケーキを食べていたことが、今更ながらに恥ずかしくなって俯く。


「全部食べる気やったん? 無理くない?」

「えっと……」

「手伝ってあーっげよ」


 え。と思った時には、一二美はベンチの前にしゃがみ込み、夏帆の使っていたフォークでケーキをパクリと食べていた。


「こら、ひー」

「え? 心優しい私がなんでさゆに怒られてんの? もしかしてこの食べさし、今から彼氏んところに持ってくつもりだった? そんなわけないよね?」


 え、あ、はい。と気迫に押されている間に、嘉一もベンチの前にしゃがみ込んだ。そして目ざとくもう一本のフォークを見つけ出し、封を開ける。


「ちょっと早川。俺も一口食ってい?」

「え? はい、どうぞ」

「どうしたの、嘉一?」

 琥太郎が驚いて声をかける。嘉一はケーキにフォークを入れ、断面を見た。


「こいつが文句も言わんで食うとか……どんな味か気になる」

「私だって他人が作ったものにまで文句言わんわ。さゆも食べなよ」

「ええ……。んー、早川さん? いい?」

「あっ。はい。勿論。食べて頂けると嬉しいです」

「じゃあ遠慮なく」


 最終的に琥太郎まで巻き込んで、二本のフォークで次々にケーキを崩してくれた。最後の一口を譲らなかったところを見ると、一二美は普通に気に入って食べてくれたのだろう。


「ご馳走様でした」

「こ、こちらこそっ。お粗末様でした」


 空になったケーキボックスを潰し、保冷ボックスにしまう夏帆に、一二美が完璧に美しい笑みを浮かべる。


「早川ちゃん。今度うち来る時このケーキね。こき使っていいから嘉一と付き合いな」

「やめろ。何もかもが迷惑」


 一二美のとんでもない発言に、嘉一がげんなりとした顔をする。まさか「友達といい感じだし、こんなに怖い人、絶対に無理です」と言うわけにもいかず、夏帆は「ははは」と笑うしかない。


「これからタクに会うの?」

「いえ、帰ろうかと……」

 早雪の質問に答えると、一二美は「ほらね」とばかりに頷いた。


「それじゃ、琥太君と嘉一。送ってってあげて。女の子一人じゃ危ないから」

「駄目。さゆちゃんとひーちゃん二人で帰らせれない。嘉一は二人と一緒に帰って。早川さんは俺が駅まで送るから」


 途中から会話に混じらず、若者らしくスマホをいじっていた琥太郎が嘉一に言うと、嘉一は力なく「おー」と返事をした。


「え!? 大丈夫だよ。帰るだけだし――」

「早川ちゃん、その前にこっち」

「あ! お姉さん。ハンカチ汚してしまって……」

「いいっていいって。ちょっとごめんね」

 夏帆を呼び止めた早雪は、笑ってハンカチを受け取る。そして夏帆の顎に軽く手を添えると、夏帆の頬や目の周りをハンカチで何度か擦った。泣いたせいで落ちてしまったアイシャドウでハンカチが真っ黒に汚れ、申し訳なさが増す。


「すみませ……!」

「いいのいいの。ファンデ持ってる?」

「あ。家に……」

「そかそか」

 早雪は鞄からあぶらとり紙とパウダーを取り出すと、テキパキと夏帆の顔を整えていった。人にしなれている手つきで、ものの数分で化粧直しが終わる。


「うんよし。可愛い。可愛い琥太君を横に添えたら最高の出来。るんるん気分で送ってってもらいんしゃい」


 メリークリスマス。とにっこりと笑った早雪に、公園から送り出される。


 四人とも、確実に夏帆に何かあったと気付いていただろうに、何も聞かずにいてくれたことに公園を出てから気付く。


「噂のさゆちゃん、見ちゃった」

「ナイスアシストだったね」

「へへっ。コタロー君、学校でも優しいんだなって思ってたけど……学校とじゃ、全然違うんだね」

「めちゃくちゃ特別扱いしてるでしょ」

「ね。いいなあ」


 思わず呟いた声に、琥太郎は片眉を上げた。


「タクもしてるじゃん」

「意地悪だなぁ」


(拓海君が私に優しい理由を、知ってるくせに)


 琥太郎が早雪へするように、優しくしたくて優しくしてもらっているわけじゃない。夏帆が彼女・・だから、優しくしてくれているのだ。


 そしてそれも、今日までのこと。


「タクに会いに来たんでしょ? ちらりとも会わなくていいの?」


 辺りはもう真っ暗だ。等間隔に置かれた街灯が淡く照らす道を、駅に向かって並んで歩く。


「忙しそうだし……それに」

「うん」

「なんか。ちょっと怖くなっちゃって」


 巻いていた髪は、ケープのつけ具合が甘かったのか、だいぶカールが落ちていた。化粧も剥がれ、ケーキもなくなり、ハリボテの勇気まで無くしたようでしょげる。

 毛先を指で掴んで言う夏帆に、琥太郎が静かな声で言う。


「怖いって、正直にタクに話しなよ」

「ええっ。なんか今日は、ちょっと意地悪だね」


 笑って流そうとする夏帆に、琥太郎は重ねて言った。


「二人のことは、ちゃんと二人が話さないと」


 突きつけられる正論に、夏帆は乾いた笑いを浮かべる。


(話し合うことなんて、簡単だった)


 やりたいことだっていくつも言えたし、感情を表に出すのも難しくなかった。


(けど、今は……なにも出来ない。嫌われないように、呆れられないように、嫌がられないように、不安で。怖くて……情けない)


「っ――夏帆さん!」


 聞こえてきた声に、ピタリと夏帆の足が止まる。驚いて振り返った先には、拓海がいた。


 灰色のシャツに黒いベストを着ただけの、十二月の寒空には不似合いな格好だった。にもかかわらず、二の腕で顔を拭く仕草から、汗をかいているのだとわかる。


「え……なんで」

「俺が呼んどいた。じゃあ俺は、さゆちゃんとこに帰るから」


 そう言われては、引き留めることも出来ない。

 今来た道を帰ろうと身を翻した琥太郎が、途方に暮れていた夏帆に笑顔を向ける。


「早川さんなら頑張れるよ。頑張って」


 さゆちゃん・・・・・だけを特別扱いする男のどこまでも無責任な応援に、夏帆の笑みが引きつった。





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