20:葡萄色の衝動


「それは半分こしないの?」

「しない。これは二つとも私のものだ」


 コンビニで買ったばかりの雪見アイスを胸に抱えた夏帆は、拓海の視線から守る。必死な夏帆を見て、拓海が目元を和らげる。


(あ、またこの顔)


 いつも無表情というわけではないが、拓海は基本的な言動が落ち着いているため、笑うとレアな気がして嬉しくなる。


 そして気のせいでなければ、近頃笑顔の質が変わった。ふとした拍子に拓海の視線から、甘さを感じる。それも、何故笑ったのか夏帆がわからないタイミングの時は、特に甘い。


(……これって、好かれてるのかな)


 自惚れだろうか。こちらへの好意は多分、隠されていない。自意識の高さには定評があるため、そうなのではと思っていても、中々確信が持てない。


(でも絶対、嫌われてはない)


 拓海から触れてくることは少ないが、頭を撫でられることは増えた。夏帆の髪を傷つけないよう、夏帆が痛くないよう、丁寧に優しく表面だけを撫でる拓海の指先が、夏帆は大好きだった。


 ――お試し期間も順調に過ぎ、クリスマスまで残すところ一週間ちょっと。


 完全に、お試し期間がクリスマスまでということを忘れていた夏帆は、拓海に期限を教えられて驚いてしまったくらい、この関係を自然なものに感じていた。


 次の週明けにはすぐに終業式がある。拓海とこうして学校帰りにコンビニに寄るなんていう機会も、残すところあと僅かだ。


(でも、このままなら……クリスマスの後も、付き合っていけるよね?)


 夏帆は勿論、この関係を続けたかった。冬はクリスマス以外にも、沢山のイベントがある。家族で過ごすであろう大晦日は無理でも、初詣なら一緒に行けるかもしれない。それに、何といっても恋人の一大イベント、バレンタインデーも控えている。是非ともこのまま、順調なお付き合いをお願いしたい。


「俺のは? 食う?」

「いいの? 神様では?」

「いいえ。彼氏様です」


 そうでした。と大きく笑って、拓海が差し出したアイスを受け取る。拓海が買ったアイスは葡萄味のアイスバーだ。


「触っただけでこんなになっちゃった」


 拓海の指を避けて棒を掴んだら、掴む箇所が上すぎたため、指先がべたべたとする。手を拭くために拓海にアイスを返すと、ハンカチで指先を拭いながら口を開ける。


「拓海君、舐めさせて」


 あーんと口を開いた夏帆を見て、拓海はゴクリと生唾を飲んだ。


 和やかだった時間が突然ぴりつく。

 真顔の拓海の視線の熱さに夏帆はぱちりと瞬きをした。


 拓海がアイスを突き出す。唇に、ひやりと冷たいアイスが触れる。


「――んっ、うう。待っ、おっきいからっ……」


 横幅の大きなアイスバーは、夏帆の小さな口では一気に含めない。

 髪がべたりとアイスにつかないよう、指先で耳にかける。首を反らしてアイスから距離を取ると、舌を出して先端を舐める。


「……あ。先っぽの方なら」


 もたもたしている間に、角が随分と柔らかくなっていた。歯で噛みつくとキンとしそうで怖かったので、唇で噛んで端っこの方を囓り取る。

 口の中に広がる葡萄の香りを楽しんでいると、つと口の端からアイスが垂れた。


「こぼれちゃってた……」


 垂れたアイスを舌で舐め取ろうとすると、拓海の手が近付いてきた。硬く太い親指が夏帆の唇の端に触れ、アイスを拭う。


 食べこぼしを拭いてもらう幼児のようで恥ずかしい。

 頬を赤く染め、拓海を上目遣いで見上げると、拓海は真剣な顔でこちらを見下ろしていた。


 息が詰まる。


 これまで身に受けたことがないような、圧迫感だった。すぐ目の前に立つ大きな体が、異性だと強く感じる。


 拓海の瞳から熱が立ちのぼり、濡れたように揺れていた。その意味がわからず、夏帆はぽかんと口を半開きにして、拓海を見つめ返す。


 見つめられる視線の熱さに、呼吸が浅くなる。上手く息を吸えない。暑くて、苦しい。


 拓海の親指が動いた。先程よりもずっと存在感を放つ親指が動く。虫が這うような感覚に、ズクリと体の芯が震えた。


 その間も、拓海の視線が剥がれることはない。逸らすことさえ許されないような目で真っ直ぐに見つめられ、夏帆はただ立っていることさえ難しくなっていた。


 拓海の指が夏帆の口の方へ動く。乾燥した夏帆の唇を、拓海の親指がなぞる。

 唇の形がふにゃりと変わる。拓海の親指についていたアイスは互いの温度で温かくなっている。ぬるつくアイスのせいで、かさついた唇の上でも、指は簡単に滑った。


「んっ……」


 唇の柔らかい箇所に拓海の爪が当たった。くすぐったい。じんと、電気のような痺れが夏帆を襲う。

 声を出した拍子に動いた舌が親指に当たり、拓海は弾かれたように夏帆の顔から手を離した。


「――っごめん!」

「う、うん」


 激しい運動をしたわけでもないのに、息が乱れた。気付けば全身にじっとりと汗を掻いている。混乱と羞恥から首を両手で覆う。

 しかし拓海は、夏帆以上に狼狽していた。顔を真っ赤にして俯いた夏帆を、腰を曲げて覗き込んでくる。


「悪い。ほんと――」

「大丈夫――だけど! 拓海君!」

「うぁっ、はい!」

「アイス! 垂れてる!」

「へ? あ、わっ――」


 普段落ち着いている拓海がこれほどテンパっているのが珍しくて、夏帆は逆に冷静になってきた。棒から落ちそうなアイスを、拓海は出来る限り口に頬張って処理しようとしている。笑いながら、水筒の水でハンカチを濡らし、拓海に差し出す。


「よくそんな大きいの、口に入ったね」

「無理矢理ねじ込んだ――ハンカチはいいよ。汚す」

「気にしないで」

「駄目駄目。それ、すげえ可愛いのに。色ついたら落ちんやろ」


 夏帆のハンカチを頑なに固辞して、拓海は自身の口元も指先で拭った。あの指がさっきまで自分の唇を撫でていたのかと思うと、せっかく落ち着いていた体がまたそわそわとし始める。


 骨張った大きな手だ。夏帆を見ないようにしているのか、逸らした顔はほんのりと赤い。伸ばした首筋は骨が浮き出ていて、自分のそれとは全く違う。


(男子だ)


 けれど、意識しているのは最早、性別だけじゃないことには気付いていた。


 夏帆が出来無かったことをいとも簡単にやり遂げた男子の――拓海の大きな口に、唇をなぞった指に、夏帆の持ち物さえ大事にしてくれる拓海に、どうしようもなく、惹かれていた。



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