14:誤解とヤキモチとカブトムシ
「あ、待って! そこの二年生! これ持って行き!」
配膳口で二人分の食事を受け取った拓海は、食堂のおばちゃんに呼び止められた。
おばちゃんが指さしたのは籠に入った飴だった。どうやら先日の文化祭関連のなんやかんやで、商店街の駄菓子屋が生徒に配っているらしい。
「おばちゃん。七人で食ってるから、七個貰ってっていー?」
「はいはーい。どうぞ〜」
拓海が個数を数えながら飴を取っていくと、一つ足りなかった。
康久の食事を持ってくれていた夏帆と共に、拓海はテーブルに戻った。そして皆に一つずつ飴を配る。
「あれ。拓海君のは?」
君付けで呼ぶことにしたらしい夏帆が、驚いて拓海を見る。
「一個足りんかったから」
「えっ! じゃあこれ」
「いい、いい。夏帆さん食べて」
本当に飴なんかどうだってよかった。しかし夏帆はそうは思わないようで眉を下げている。
「ええかっこしい」
嘉一が拓海に言った。拓海は心の前に広げられたお重に「どっちが」という視線を送ると、夏帆を見た。
「ええかっこさして」
たかだか飴一つで格好良く見られるのなら、安いものだ。夏帆は「わかった」と笑って飴を弁当の横に置く。
拓海と夏帆が席に座ると、梨央奈が夏帆をにまにま見ていた。
拓海も、琥太郎ににこにこと見られる。名前の呼び方が変わったことに気付かれたのだろう。意味ありげな視線だけで、この場ではそれ以上はからかってこないのが幸いだった。
全員が席に着き、食事を取る。
全員でだったり、隣の者とだったり、数人でだったり。それぞれ会話をしつつ箸を進めていると、夏帆がじっと心の前のお重を覗き込んだ。
「すごい。煮卵まで入ってる……」
「美味しーよぉ。一個食べる?」
「食べたい! 廣井君もらってもいい? 心がめちゃくちゃ美味しそうに食べてるから、さっきからずっと美味しそうで……!」
嘉一がどうぞと手振りで示す。半分に切られた煮卵を、心が綺麗な箸使いで夏帆の口に運ぶ。
もぐもぐと煮卵を食べる夏帆に「美味しー?」と心が嬉しそうに尋ねる。その表情からは、もう答えを知っているようだった。
「美味しい!」
「えーいいな」
「じゃー梨央奈ちゃんにも、何か一個あげる。一個だけね。何がい~?」
「私はねー」
きゃっきゃと女子が重箱を覗き込む。女子が目の前で楽しそうに弁当を食べている光景に、拓海と康久の心は一つになった。この瞬間を永遠に刻みたい。
「嘉一。どんくらい早起きしたの?」
琥太郎が尋ねると、嘉一は鼻の上に皺を寄せた。
「あ? 別に。朝から手間かけたのなんかそんなねえよ」
「ていうか、かいっちゃん家。よく家に重箱なんかあったね」
「はぁ? 重箱のない家なんかあるのかよ」
「うちないよ」
「俺んちも見たことない」
「嘘だろ?」
女子とは別の方面で弁当に盛り上がっていると、夏帆のとんでもない声が耳に飛び込んできた。
「――ってるもんね。やっぱり私は生がいい」
思春期の男子四人の箸がピタリと止まる。
そんな男達に気付かず、梨央奈と夏帆と心は普通通りに話をしている。
「そう?」
「うん。行儀悪いけど、チュって吸った時に、口にドロンと入ってくるやん。あれ大好きなんよね」
「あー……それはわかるかも」
「飲み込んだ後のねっとり――」
「夏帆さん!!」
堪えきれずに叫ぶと、夏帆はきょとんとした顔を向けた。
「どうしたの? 拓海君」
嘉一と琥太郎と康久が、ほのかに頬を赤らめてこちらを見る。
女子があまりにも普通に話していたため、自分が気にしすぎかと若干思っていたのだが、やはり健康的な男子には刺激が強すぎる。
(男子とは上手く話せないって夏帆さん言ってたもんな……だから今まで誰も伝えてなかったのか……)
「……何の話をしてたか、聞いてもいい?」
「? 卵かけご飯?」
「卵かけご飯かー……」
遠い目をして繰り返す拓海を、同情的な目で友人らが見つめる。
「梨央奈はレンチンで温玉にしてから、卵かけご飯にするんやって」
「流行ってるよね」
どんな扇情的な卵かけご飯なら、あんな単語を選択して許されるのか、全く以て拓海に――そして、おそらく他の三人にも――わからなかった。
この四人でつるむようになってそこそこ長いが、これまで感じたことがないほどの一体感だった。
「大きな声出してごめん……夏帆さんの肩に虫がいて、慌てた」
なんとか言い訳をした拓海を、康久と嘉一が援護する。
「いた。もうそりゃカブトムシぐらいでっかい虫が」
「ヘラクレスくらいでかかった」
あまりに下手な康久と嘉一のフォローに顔を青ざめさせる夏帆に、琥太郎が苦笑して「大丈夫。ただのハエだったよ」と嘘をついた。
***
話しながらずっと食事を続けている心が、どの程度食べたのか気になって拓海は彼女の弁当箱を覗き込んだ。おかずは均等に量が減っている。
「橘さん、口にあって良かったな」
「うん! 美味しぃー!」
ほにゃっとした笑顔で心が拓海に喜びを表す。自分の隣に座る嘉一の弁当の中を覗くと、重箱の中身とほぼ一緒だった。違うところは、嘉一の弁当には切れ端や形の不揃いなものを詰め込んでいるところくらいだ。
「おい、見ろよあれ」
「嘘だろ」
「全部食う気? ありえねー」
もぐもぐと美味しそうに食べていた心の箸がぴたりと止まる。気付けば、心の広げた重箱を見に、野次馬が出来ていた。夏帆と梨央奈が食事の手を止め、冷たい視線を向ける。
心がどんどんと俯いていくのを見て、隣に座っていた梨央奈が口を開こうとした。しかし、梨央奈が何かを言う前に、嘉一が口を開いていた。
「俺の作った弁当に、なんか文句あります?」
強い悪態は、心をかばった言葉ではない。
だが、弁当を作った嘉一だからこそ言える言葉だった。
人相の悪い嘉一が、より一層目つきを悪くして野次馬を睨み付ける。男子らも面倒事にまでするつもりはなかったらしく「行こう」と言って立ち去っていく。
嘉一の顔を見て、集まっていた生徒達も散っていく。
肘をついた嘉一がふんと鼻を鳴らす。不機嫌丸出しの顔つきで、俯いている心を睨んだ。
「おい、橘」
「は、はい」
「なんで食わねえの」
「えっとぉ……」
「俺の作った飯が食えねえの?」
(パワハラだ)
周りに座っていた生徒全員が同じ気持ちだったに違いない。
しかし心はお重を見て、嘉一を見ると、ふふっと小さく笑って箸をまた動かし始めた。
「……美味しぃ」
「あ、そう」
嘉一は頬杖をついたまま、口の中に食べ物を運ぶ心を見ていた。
「ご馳走様でした」
と重箱を空にした心が手を合わせたのは、昼休みが終わる
空になった重箱を、拓海と康久はまじまじと見た。割と信じられなかった。ほんわかして、ふわふわとした女子代表みたいな心が、バキュームカーのように重箱いっぱいの料理を平らげてしまったのだ。
「美味しそうだったね」
「美味しかったから~!」
にこにこと笑顔を向ける琥太郎に、心がふふふと笑う。
お重を重ねようとする心の手を「待った」と嘉一が止めた。
「どれが一番美味かった?」
「んー……全部美味しかったけど、あえて言うならここにあったのかなぁ」
仕切りで四つに仕切られた重箱の右上のスペースを指さした心に、嘉一は真顔で質問を続けた。
「次は?」
「これとー、これ」
「食えんのあった?」
「ううん。全部美味しかったし、私何でも食べる」
「今日ので腹一杯? 足りない?」
「丁度良かったよ~」
拓海はかなり驚きながら二人を見ていた。嘉一があんな風に穏やかに女子と話しているのを見るのは、初めてだ。
(珍しいこともあるもんだな)
水を飲んでいると、嘉一が真面目な顔つきで言う。
「橘」
「なあに?」
「週に一回でいいから、俺に弁当作らせてくんない?」
拓海は危うく水を吹き出すところだった。隣の康久は、口につけたペットボトルから水を零している。
「……なんで?」
肩につきそうなほど首を傾げた心が、真っ当な質問をした。
「俺の飯、美味そうに食ってもらえるから」
それがどうした、と思わず突っ込みたくなる理由だったが、嘉一の隣に座っていた琥太郎は「あー」と頷いた。
「
「あのクソ女、俺の作った飯にマヨネーズぶっかけるし、文句しか言わねぇ」
まじで作りたくねえ。と心にした提案とは真逆なことを言う嘉一に、心は恐る恐る尋ねた。
「私、食レポとか出来ないと思うけど、いーの……?」
「は? そんなんいらんけど」
「じゃあ、料理の改善点を見つけてほしーとか?」
「橘って料理すんの?」
ブンブン、と大きく首を横に振る心に「じゃ、いらね」と嘉一が言う。
「別になんかしてほしいとかないから。自分が作りたいもの好きなだけ作って、美味そうに食ってもらいたいだけ」
なるほど、確かにその欲求を叶えるのは嘉一の姉では無理だろう。
「橘は今日みたいに食ってくれりゃそれでいいんやけど。食ってくれんの? 食ってくれねえの?」
一応頼んでいる立場の嘉一だが、非常に偉そうだ。心は若干気圧されつつも、満面の笑みで答える。
「……食べる!」
「よし。じゃ、材料代の相談やけど――」
「金取るんかい」
すかさず康久がつっこむと、嘉一は胡乱な目をする。
「当たり前やろ。あの量、無償で毎回作れっかよ。だから頼んでんだろ」
それから嘉一は心と弁当代の話をつけた。毎週月曜日をお弁当の日にするらしく、カレー二杯とうどん一杯の合計額を心は支払うことになった。
弁当関連のやりとりをするためにと、嘉一と心の間でスムーズに連絡先の交換が行われる。更に、食堂でお重を広げるとまた心が嫌な思いをするかもしれないからと、二人はどこか違う場所で食べるところまで、嘉一は約束を取り付けた。
「すげえ……。これが十七年間、
スムーズすぎるあまりの早業に、拓海と康久は震えが止まらなかった。
***
「なんで橘さん、嘉一にOKしたんやと思う?」
バイトを終えた拓海は自宅にいた。机の上には教科書と、ペンスタンドに立てかけられたスマホ。
スマホの画面の中には、ラフな格好に着替えた夏帆がいた。
テキストから顔を上げた夏帆が、シャーペンを顎に当てる。
{ご飯、美味しかったからかな?}
「身も蓋もなかった」
拓海はふはっと笑った。確かに、嘉一の作る料理は美味い。
夏帆と拓海は週明けにある期末考査に向けて、試験勉強中だった。
“恋人とやりたいことリスト”の次の項目「一緒に勉強してみたい」をこなしている最中だ。
今日はそれぞれバイトの日だったため、夜中に時間を合わせてビデオ通話をしている。
{……あと、多分。廣井君が、からかわなかったからかも}
「?」
カレー一杯でいいのかなど、十分にからかっていた気がする。
{なんて言うか――ココが沢山食べることを、廣井君はいいとか悪いとか言わんかったんよね。『歌がうまい子』とか『足が遅い子』みたいな感じで、廣井君はココのことを『いっぱい食べる子』として、ただ普通にしゃべってたんだと思う}
『お前らが気にしすぎなんだよ。カレーの後にうどん食ってまたカレー食うとか、普通聞くだろ。気になんねえ奴の方が頭おかしんじゃねえの』
嘉一が言っていた言葉を思い出し、そういうことかと拓海は納得した。
「じゃあ俺、気ぃ使いすぎたかも」
{そんなことないよ。こういうのって人それぞれだし。拓海君の優しさも、ココは嬉しかったと思う}
夏帆はそう言うと、両手でほっぺを持ち上げた。その顔は、何故か気まずそうだ。
{ごめん嘘ついた}
「えっ」
やっぱり気を使いすぎていたのかとドキリとした拓海に、夏帆は照れ笑いを浮かべる。
{私が、嬉しかった。……拓海君が、ココに優しくしてくれて}
へへへ、と笑った夏帆はちょっと俯いたあと「さっ、勉強しよ!」と仕切り直すように、努めて明るく言った。拓海は「あ、うん」と気が抜けたコーラのような、しょうもない返事しか出来ず、シャーペンを持つ手とは反対の手で、緩む口元を覆った。
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