13:需要と供給
週明けからは、試験勉強が始まる。
だがその前に――約束していたランチ集会である。
「へえ? 大食い? ゴリラなん?」
「嘉一。絶対に口滑らすなよ」
「へぇへぇ」
昼休み。学食に向かう廊下で、拓海は夏帆の友人について琥太郎らに伝えた。
夏帆がわざわざ言ってきたということは、友人自身が大食いなことを気にしているのだろう。琥太郎らに伝えることを夏帆に言うと礼を言われたので、自分の判断は間違っていないはずだ。
――と思っていたのだが。
「よく食うんだろ。カレー一つで足りんの?」
「嘉一」
拓海は額に青筋を浮かべた。
場所は昼時の食堂。
混雑しているテーブルの一角に座るのは、三人の女子と四人の男子。
拓海と夏帆に加え、夏帆の友人――
嘉一の前に座ったのが件の友人だった。嘉一は自分で作った弁当を大きな口を開けて食べながら、心がぱくぱくとカレーを食べる姿を見ている。
「うん~。これ食べ終わったら、おうどん買いに行くよぉ」
「一個ずつ? あー、テーブル狭いしな」
間延びしたしゃべり方をする心に、嘉一は納得したように頷いた。嘉一の隣で、琥太郎が苦笑を浮かべている。
「橘はいっつもどんくらい食うの?」
拓海など気にせず、嘉一はぐいぐいと心に質問を続ける。
冷や汗を流しながら拓海が夏帆を見ると、夏帆は食事の手を止め、見たこともないような研ぎ澄まされた顔をして嘉一を見ていた。
「うーん。おうどんの後に、もっかいカレー食べるくらいかなぁ」
「は? またカレー? 好きなん?」
「好き~。けど、それよりも安いんだよねぇ、おうどんとカレー。お昼ご飯代、馬鹿にならんから~」
「はー。なるほどね。まぁそんだけ食えば金もかかるわなー。腹は足りてんの?」
「うーん。腹七部が丁度いーって思うことにしてる……」
弁当の中に入っていたレンコンの煮物をしゃくりと噛んだ嘉一の頭を、拓海がぺしんと叩く。
「ってえ。んだよタク! レンコン、鼻に入るだろ」
「カレー! カレーにうどんな! どっちも美味しいよなあ!」
ぶつくさ文句を言う嘉一の無神経さをフォローするように、康久がうどんとカレーを持ち上げる。
「橘さん、ごめんね」
「大丈夫だよぉ」
謝る琥太郎に、心は笑顔を向ける。
「かいっちゃん、女の子に何言ってんだよ!」
「お前らが気にしすぎなんだよ。カレーの後にうどん食ってまたカレー食うとか、普通に聞くだろ。気になんねえ奴の方が頭おかしんじゃねえの」
嘉一の言い分を聞いても、心はにこにことしていた。
クラスメイトの女子と話すよりは十億倍口調が優しいが、元々口が悪すぎる。クラスの女子達ならこんな嘉一に慣れているだろうが、大人しい三組の女子が引いていないか、拓海は不安だった。
梨央奈と夏帆は男子を止めることはなかった。ただ、値踏みはされた気がする。みぞおちの辺りがキリキリする。
嘉一の言動も、わからないでもない。だが、デリケートな問題に無遠慮に踏み込むのと、親交を深めるのは違うだろう。紙一重過ぎる。初対面ですることではない。
せっかく夏帆の友人を紹介してもらっていたというのに、拓海は全く食事にも、会話にも集中出来なかった。
更に――
「なあ。明日、あんたに弁当作ってきてもいい?」
何てことを、帰り際に嘉一が言い出したから、余計に。
***
――翌日、嘉一は本当に弁当を作ってきた。
二日連続で七人で食べることになるとは思っていなかった拓海は頭を抱える。
昨日夏帆は、「皆と食べれて楽しかったね」とは言ってくれたが、嘉一のことについて特別何かを言うことはなかった。
掘り返すべきかわからず、拓海も自ら話題に触れることはなかったが――食堂のテーブルの上にどんと置かれた、悪意の塊のようなでかい弁当らしき物体を見て、低い声で唸る。
「……嘉一」
「かいっちゃん、あれ冗談やなかったん?!」
何やってんのもー! と康久が慌てる。嘉一の首に腕を回し「ごめんね、心ちゃん!」と叫んでいる。
食券を買いに行こうとしていた心は、夏帆と梨央奈の隣から離れ、すーっとこちらに近付いてきた。その目線はずっと、弁当に定められている。
「これ、私が貰っちゃっていーの?」
周りの心配をよそに、心の目はキラキラとしていた。それはもう、潤んでいるといってしまってもいいほどに。
「おう」
嘉一の返事を聞くと、心は弁当に手を伸ばし風呂敷を広げる。あらわになった三段重ねの重箱を見た心は、顔をぱぁああっと輝かせた。拓海と康久は、突然の女子の笑顔とオーラにびびって逃げ腰になる。
心は顔面をキラキラさせたまま重箱の蓋を開けた。いつの間にか心の後ろから、夏帆と梨央奈も重箱を覗き込んでいる。
重箱の中身を見た瞬間、心の顔が更に輝いた。獲物を狙う鷹のような真剣な目で、忙しなくお弁当の具材を検分している。
四つに区切られた一段目には、みじん切りにされた野菜が混ぜ込まれた、オムレツのような卵焼き。ブロッコリーとベーコンとジャガイモの炒め物。ゴボウや里芋の入った煮物。鳥の照り焼きが入っていた。
「これ作ったってマジ? 売りもんじゃん……えっぐ」
「っわああ、わああっ……!」
見事な弁当の出来映えに、梨央奈が引いている。夏帆は何故か口を引き結び、だらだらと汗を流していた。そんな二人の前で、心は大喜びしている。
二段目の半分はおにぎりだった。味海苔の貼り方が違うため、中身が違うのかも知れない。もう半分には白ご飯が敷き詰められ、ネギと炒めた鶏そぼろがかけられている。鶏そぼろの上には煮卵が飾られていた。
三段目は、大きな玉葱やピーマンやベーコンがごろりと入っているナポリタンだった。箱一杯に敷き詰められている。
女子は出来映えに引き、男子はその圧倒的な量を心配した。嘉一は教師に目の前で作文を読まれているような神妙な顔で心を見ている。
「た、食べていーの!? 全部、私が食べてもいーの?!」
「おう。食えんかったら残して」
嘉一の返答に、心が慌てて椅子に滑り込む。嘉一も動作を合わせたように彼女の正面に座った。
「あっお箸!」
「ほら」
「わぁ。ありがとぉ~!」
笑顔で嘉一から割り箸を受け取った心は、両手を合わせて「いただきまぁす!」と大きな声で宣言した。
「美味しーっ……美味しーぃ!」
一口食べた瞬間に、心の周りに花が飛ぶ。ほにゃあ、とほっぺを押さえて微笑む心に、嘉一は自分の弁当も後回しにして、お重の中身を指さした。
「これは低温で煮込んだあと、冷まして味を染み込ませて――」
「そうなんだ。美味しーねえ!」
「こっちのは昨日の夜から漬け込んで――」
「だからこんなに美味しーんだ」
「これは、親鳥のミンチが売られてる時に大量に買って、冷凍しておいたのを――」
「親鳥? へえ。そっちのほーがいーんやねえ。美味しーねぇ!」
淡々と料理の解説をする嘉一と、大喜びの心のテンションはちぐはぐだが、絶妙に噛み合った会話が繰り広げられる。心は満面の笑みで、一口一口味わって食べている。どの料理を食べても、心は全力で美味しそうだ。
「三浦君、食券買いに行く?」
「あ、あぁ……そうやね」
夏帆が近付いてきた。「んじゃ行こ」と券売機に連れて行かれる。夏帆はお弁当を持ってきているが、拓海に付き合うつもりなのだろう。
「ひゃーびびった。びびった」
券売機でメニューを選んでいると、弁当を持ってきていない康久も慌てて追いかけてくる。
「なあ、かいっちゃんのあれ。なんだと思う?」
「いや……わからん。嘉一、面倒見はいいけど、自分から女子に関わりにいく方やないし……」
困惑している拓海と康久に、夏帆が「そうなんだ」と瞬きをした。
「女子とはかかわりたくないオーラ出してるよな」
「そうな。男子にも、べたべたはせんけど……」
「あれかな……かいっちゃん。心ちゃんに一目惚れとか……」
康久も自分の食券を買いながら、恐る恐るといった風に言った。まさか友達の色恋沙汰を目の前で見ることになるとは思わず、拓海はぽかんとした。
「……え? そうなん?」
「そうやなかったら、むしろこの状況なんなん??」
拓海、康久、夏帆はテーブルを振り返った。琥太郎と梨央奈が見守る中、嘉一と心が重箱を挟んで楽しそうに食事をしている。その様子は甘い恋人同士の空気というより、餌を配る飼育員と、水族館でショーを終えたアシカという風体だ。
「……ゴリラやないし、あり得るかも」
「ゴリラ?」
夏帆が驚いた顔をする。拓海は慌てて「なんでもない」と首を横に振った。
「夏帆ちゃん、ゴリラってのはね――」
フォローに入ろうとした康久に、拓海は眉根を寄せた。
「は? ヤス。なんで早川さんのこと名前で呼んでんの」
思っていたよりも低い声が出る。
「教えて貰ったんやからいいやろ!」
「へぇ。ヤスは名前知ってる女子、全員名前で呼んでんだ? 知らんかったわー」
しらーっとした拓海に、夏帆が慌てて取りなす。
「かまわんよー。男子に名前で呼んで貰うのとか初めてやから、ちょっと緊張するけど」
照れたように頭を掻く夏帆に、拓海は何故か息苦しくなった。
(なんでちょっと嬉しそうなん)
拓海はムッとした。しかしすぐに、湧いてきた自分の感情に呆れる。
(――自分じゃなんもしてないくせに、かっこ悪)
拓海は気を取り直して、隣に立つ夏帆を見下ろした。
「俺も、呼びたいんやけど」
「お、どうぞどうぞ」
「なんて呼ぼっか」
「なんでもかまいませんぜ」
「んー……早川さんって、早川さんっぽいよね」
拓海は夏帆のことを「早川さん」と呼ぶことが、割合気に入っていた。
「それたまに言われる」
「んー、じゃあ。夏帆さんは?」
「おばあちゃんみたい。可愛い。採用!」
「おばあちゃんみたいで可愛いって何」
くしゃりと笑う拓海を見て、康久がぎょっとする。康久がいることを忘れていた拓海は、頬が赤くなるのを片手で隠した。
「ヤス、先戻っとけば。俺持ってくから」
「そうすっかな」
空気を読んだ康久が、手を振ってテーブルの方へと向かった。男友達の前で彼女といる自分を出すのは、中々に恥ずかしいことを知る。
「んじゃ、三浦君は拓海さん?」
そんなこと、気付いてもいないらしい夏帆が「どう?」とどや顔で聞いてくる。途端におかしくなって、拓海はまた笑った。
「おじいちゃんじゃん。俺は可愛くなくていいよ。拓海にして」
「私も、夏帆でいいからね?」
「おばあちゃんみたいで可愛いから夏帆さんにする」
夏帆はふへっと笑ったあと大きく頷いた。
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