12:たぴたぴとぽこぽこ
ランチを食べ終え――結局自分がほとんど食べたからとパニーニの代金を支払うと言い出した拓海との一悶着を店員さんににこにこと見守られながら――会計を済ますと、夏帆と拓海はぷらぷらと歩き出した。
食事でお腹いっぱいになってしまったため、すぐにタピオカを飲める気がしない。テイクアウトもやっているというので、この辺りで時間を潰し、三時頃にまた行こうという話になった。
道を歩く時、手を繋ぐ。彼氏と彼女なのだから当然だ。街を歩くカップルのほとんどは手を繋いでいる。
大きな手は、女子の手と全然違う。節榑立っていて、長くて、握りにくい。拓海の骨張った指に、自分の指を絡めると隙間だらけだ。いつか、ぴったりと馴染む日がくるのだろうか。
拓海と並んで歩く。拓海と歩くのは、とても歩きやすかった。
夏帆が少し興味を引かれて店に目を向けると、手の振動でわかるのか拓海も足を止めてくれる。そして夏帆がまた歩き出すまで、じっと待ってくれている。
夏帆は興味がある店を手当たり次第覗き込んだ。
服やアクセサリーを見ている時にどれが似合うか聞いても、拓海は「ようわからん」と首を横に振って意見を言ってくれなかったが、二択に絞れば選んでくれた。それに、夏帆が時間をかけて悩むことに対して、絶対に嫌な顔をしなかった。
そうこうしているとおやつの時間が近づいてきたため、再びお昼のカフェに戻った。
何を買うかはお昼ご飯を食べながら決めていたため、今度はメニューに悩むこともなかった。夏帆は抹茶ラテ。拓海は黒糖ミルクティーを頼んだ。もちろん、タピオカ入りだ。
「さっきバレンタインはケーキがいいって言ってたし、甘いもの好きなんやね」
「好き。試験勉強中とか、つい夜中に甘いの飲み過ぎて太る」
予定通り、拓海が会計を済ませる。夏帆は口元に手を添えて体をくねらせた。
「三浦君、ありがとう」
「え、なん。どうかした?」
「奢ってよかったって思ってもらうため、心を込めて可愛こぶりました」
「なる。可愛い可愛い」
気のない「可愛い」を二回もらった夏帆は、タピオカ、ミルク、抹茶ラテ、生クリーム――と四層に分かれたドリンクを店員から受け取る。
タピオカ、ミルク、黒糖ラテ、生クリームと、同じく四層に分かれたドリンクを拓海も受け取り、二人はカフェを離れた。
人の通行の邪魔にならない場所まで歩き、建物の壁に背を当てる。夏帆は神妙な顔つきで、ドリンクを両手で包み込んでいた。
「そんな怖い?」
既に拓海はちゅーっと、太いストローからタピオカドリンクを飲んでいた。
「えっ?! 三浦君、もしや経験者?」
「まあ」
片方の頬を膨らませ、もぐもぐしている。
(た、タピってる……!)
これは噂に聞くタピタイムである。もぐもぐしている拓海を、至近距離で穴があきそうなほど見つめる。
「……飲みたいんすか?」
「待って。まだ自分のもやっつけてないのに……」
「戦いやったん……」
夏帆は両手で包んだタピオカドリンクを睨み付ける。
「これは混ぜてから飲むものですか?」
「そうせんとただのミルクだけ飲んだ後、抹茶だけを飲むことになるよな」
「ですよね。振ります」
「振るのは待とうか。早川さん、絶対零す」
「信用がない!」
「なんでやろね。しっかりしてそうに見えるのに、不安しかない」
「不安がられた……」
夏帆は大人しくストローを持って、くるくると回した。十字に切れたストローの差し込み口からピシャッピシャッと中身がこぼれ、拓海に「言わんこっちゃない」という顔をされる。
「もう……顔にかかっちゃった……」
夏帆は雑に手の甲で拭うと、タピオカに向き合った。
「ちゃんと硬いままなんやね」
ホットにしたら、タピオカの表面がドロドロになると聞いていたので、もう十一月だったがアイスにしてみたのだ。
「私、初めてなんやし、優しくしてほしい……」
タピオカに頼むが、きっとタピオカは聞いてもいない。抹茶ラテの中、我が物顔で沈んでいる。
タピオカデビューに緊張しつつ、夏帆がカップの中をストローで突く。
「中に入っ……!」
「早川さんっ!!」
意図していないタピオカのストロー侵入にきょどっていると、拓海が大きく首を横に振った。
「外だから」
「外、ですね……?」
知っている事実を諭され、夏帆は首を傾げた。拓海が大声を出したせいで、周りの人がこちらを見ているではないか。
「よし、飲もう。さあ抹茶ラテを飲もう」
有無を言わせぬ声に夏帆は頷くと、ストローを咥えた。
そして、離す。
「どのぐらいの勢いで吸えばいいん?」
「……え?」
「あと、どのタイミングで噛めばいいんかな」
「どのタイミング……」
「液体を飲み込む前? 液体を飲み込んだ後?」
「……ちょっと待っててくれる?」
夏帆の質問に一瞬考え込んだ拓海は、ストローを咥えてちゅーっと吸った。そしてもぐもぐと口を動かし、ごくんと飲み込む。
「液体と一緒に、噛む」
「わかった」
夏帆はまた神妙な顔をして、タピオカドリンクに向き合った。心なしか、拓海も緊張の面持ちで見守っている。
夏帆はちゅっと吸った。口に入ったものを微妙な顔で飲み込むと、隣の拓海を見た。
「……タピオカ来んかった」
「怖がりすぎ」
「怖いに決まってんじゃん~~! もうやだ。スプーンで掬いたい」
「応援してるから」
こんなしょうもないことも応援してくれる極上の彼氏に背を押され、夏帆はもう一度吸った。
「っふぉっげふぉっ!」
今度は強く吸い過ぎた。口の中で暴れたタピオカにむせる。吐き出すわけにもいかず、ひと噛みもせずに飲み込んでしまった。
「ああっ、ほら……」
カフェで貰っていた紙ナプキンを拓海に差し出され、夏帆は咳き込みながら受け取った。ナプキンで鼻から口まで覆う。完全に鼻から抹茶が出た気がする。初デートで鼻から緑色の液体を垂らすなんて、こんな出来の悪い彼女も珍しいに違いない。
「コンビニでなんか買って、スプーン貰って来ようか?」
夏帆の情けない姿に失望したのかと不安になって拓海を見る。
「まさかここまでとは思ってなかった。舐めたこと言ってごめん」
「悔しいんですけど!?」
謝られてはいるが、完全に、単純に、見下されている。元気のいい夏帆の返事に、拓海は肩を震わせた。
「だってまさか吸うことも出来ないなんて……ふはっ……」
「絶対勝ってやる。指を咥えて待っていろ」
「ストロー咥えて待っとくわ」
余裕の顔で言われ、少しだけドキッとする。
遠慮のない笑い方は、いつも夏帆を女子扱いする拓海らしくない。もしかしたら、
女子扱いされるのも嬉しいが、こんな風に屈託なく――親しみを持って接してもらえるのも、嬉しい。
「じゃあ、いくからね」
「待って」
貸して、と手を出されるので、言われるままにタピオカを渡した。そして拓海が口の端を持ち上げる。
「念のため、鞄からハンカチ出してたほうがいいんやない?」
上手くいかないこと前提の提案に、夏帆は顔中に皺を寄せながらも、従った。
結論から言うと、タピオカは噛めた。
噛むと甘くてもちもちで、皆が好きになるのもわかる美味しさだった。
夏帆の隣で、とっくの昔に自分の分を飲み終えた拓海がお腹を曲げて突っ伏している。スウェットを着た背中が、小刻みに揺れていた。
「……三浦君」
「だって、あんな、大見得きって」
拓海の声は震えている。
「結局、先に全部飲まなきゃ、タピオカ食えないとか、思わんやん」
掠れた笑い声を混ぜながら、拓海はようやく紡ぎ出した。
夏帆の持っていたドリンクカップの底には、タピオカのみがぎっしりと残っている。結局ストローをスプーンのように使って、一つずつ口に入れるしかなかった。
体を起こしつつ、目尻の涙を指で掬っていた拓海が、夏帆のカップの中のタピオカオンリー地帯を見てまた笑う。
「俺、笑いすぎて泣いたのとか初めてなんやけど」
「わあい。三浦君の初めて貰うの、夏帆だぁい好き」
やけくそで言う夏帆に、拓海はまたお腹を押さえて震え出した。
拓海の笑いが落ち着くまで、夏帆はタピオカをもぐもぐしていた。かなりタピオカの数が減った頃、拓海の笑いがようやく収まった。
「ごめん、めっちゃ笑って」
「光栄でーす」
笑わせたのではなく、笑われていたのはわかっていたが、それも含めて、別に嫌な気はしなかった。拓海が自分と一緒にいて笑ってくれるなら、タピオカを避けつつ抹茶ラテを必死に飲んだ甲斐があるというものだ。
「むしろ私こそごめん。たったこれ飲むだけなのに、一時間くらいかかっちゃった」
時計を確認して、かなり長い間タピオカと遊んでいたことに気付く。電車で一時間もかかるため、そろそろ駅に向かわなければならない頃だ。
「そんな経った?」
「三浦君の行きたいところとか、行けんかった」
「早川さんのタピオカショーより面白いもん多分なかったろうし、全然いいよ」
夏帆は抗議の意味を込めて、隣に座る拓海にドンッと体当たりした。「おっと」と揺れたものの、特によろけることもなかった拓海に、もう二回ほど体当たりをする。
「あはは、何」
その笑顔に反抗心も引っ込む。夏帆は体当たりした姿勢のんまま、拓海に寄りかかった。力を抜いて、こてんと拓海の肩に頭を乗せる。
「うぇっ」
拓海が固まった。夏帆はぺたりとくっついたまま、タピオカをストローでおびき寄せる。
「今日は背中にぎゅって出来てなかったから」
「……なる」
拓海はそれ以上何も言わず、黙って前を向いた。硬直は徐々に溶けていき、夏帆も寄りかかりやすくなる。
(デートがこんなに楽しいだなんて知らなかった)
茜色になり始めた街をぼんやりと見ながら、今日のことを思い出していた。
友達の中には、初めてのデートで喧嘩して帰ってきた子も沢山いた。
夏帆が前日に心配していたように、些細なことでプライドを傷つけてしまい、始終ふて腐れていたなんて友達の彼氏の話も聞いたことがある。互いのペースや価値観を上手くすりあわせられず、初デートが別れの原因になってしまった友達も。
初めてのデートは楽しみで仕方がなかったが、それとは別の冷静な頭で、喧嘩の一回ぐらいはするだろうと覚悟をしていた。
なのに一度も、嫌な空気になることさえなかった上に、ずーっと楽しかった。それは拓海がずっと、夏帆に気を配ってくれていたからだ。
「三浦君はなんでそんな、優しい人なんやろうねえ」
「……昼もそれ言ってたけどさ」
夏帆に寄りかかられたままの拓海が、難しい顔をして言った。
「言ったやろ。優しくするって。俺、早川さんにはちゃんと優しくしようと思って、優しくしてるし。……別に、元々俺が優しい人なわけやないよ」
言葉を選ぶように少しの間、沈黙する。
「それに――俺が早川さんに優しく出来るんは、早川さんが優しくしてくれるからやし」
夏帆は拓海の肩から頭を持ち上げた。
「つまり、恩返し? 彼氏彼女の制度すごいな……法律で義務化すればいいのに……」
「いや、相手が早川さんやなかったら、こんな上手くいかんわ」
それは、今まで拓海から聞いたどんな言葉よりも夏帆の心を動かした。
だが拓海はそんな夏帆に気付いていないようで、自分の思考を言葉にしようと難しい顔をして唸っている。
「んー、なんていうか。恩返し要素がないとは言わんけど……そうやなくて。んー……」
拓海は言葉を探していた。言いにくいのか、言いたいことをまとめているのか。
次第に拓海の表情の険しさが取れていく。そして、観念したように肩の力を抜いて、拓海がこちらを見た。
「――早川さんになら、優しくしてもいいんやろ?」
夏帆は首を傾げた。
「早川さんは、俺が優しくしても『こいつ痛い』とか思わんでくれるやろ?」
夏帆は傾げていた首を瞬時に戻して、縦にぶんぶんと振った。勢いよく振られる首を見て、拓海が息を吐くように「ふはっ」と笑う。
「だから俺、早川さんには優しくしたい」
拓海は言い終えると、腕で口元を覆った。
「……あんま見らんで」
頬を赤くした拓海が視線を遮るように、空のドリンクカップを顔の前に持って行く。じっと見つめたままの夏帆から逃げるように、顔を逸らした。
拓海の首筋がうっすらと赤くなっているのを見て、夏帆は胸がまたぽこぽことなっているのを感じた。
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