15:肉まんあんまんピザまん


「打ち上げを所望する」


 期末考査が無事に終わった水曜日。カレンダーでは、一年の最後の月であることを自慢するように、十二という数字が堂々と佇んでいた。


 いつものように空き教室でコンビニ弁当をつついていた拓海が、夏帆に尋ねる。


「どこ行きたいん?」

「コンビニ!」


 夏帆は元気いっぱいに言った。

 次の“恋人とやりたいことリスト”の項目、「コンビニで肉まん半分こにしてみたい」と「放課後デートをしてみたい」を一挙にこなすことが出来ると説明する夏帆を、拓海が穏やかな目で見下ろす。


「帰り、迎え行くね」

「俺が行こうか?」

「でも普通に六組の方が階段近いし」

「そんくらい気にせんけど」

「わかった。じゃあ待って」


 夏帆はスマホを操作する。


【 KAHO / 彼氏の教室まで迎えに行ってみたい 】


 “恋人とやりたいことリスト”に新たに追加された項目に、拓海はまた笑いながら「ん」と答えた。




***




 放課後、夏帆は六組に拓海を迎えに行った。

 六組は三組に比べて賑やかな生徒が多い。女子はみんなおしゃれで、男子はみんな陽キャに見える。放課後になっても、ほぼ全ての生徒が教室に残り、集まって会話をしていた。


 夏帆は扉からひょこりと覗き込んだ。違うクラスに行くのは緊張するが、「三浦拓海の彼女」という大義名分があるため、ドキドキはしてもヒヤヒヤはしない。

 前回、こうして呼び出した時はまだ付き合っていなかった。あれからたったの二週間しか経っていないのに、もうずっと前のことのように思えた。


「あれ? 誰さん?」


 教室を覗く夏帆に気付いたのは六組の女子、樋口だった。制服を着崩し、指定外のリボンを付け、先生に怒られない程度に化粧をしていている。やはり、とても可愛い女の子だ。


「三組の早川です。三浦君いるかな?」

「あー、前も来たね。ちょっと待ってて」

 覚えられていた事が少し恥ずかしくて、「うん」と小さく頷いた。


「ねえ、三組なん?」


 樋口のそばにいた小堀が、夏帆に話しかけてきた。小堀は夏帆を上から下まで眺める。


「最近コタロー達と仲良くしてるのって、自分?」

「そう、かな?」


 夏帆が仲良くしているのは拓海だが、拓海と仲が良い琥太郎とも、話す機会は多くなった。結果的には仲良くなっている。


(コタロー君は「え、仲良くないよ」とか言う人やないと思うし……!)


 もしかして、モテる琥太郎絡みのいざこざに巻き込まれるのだろうかと表情を強張らせていると、小堀の視線がスッと冷たくなった。


「廣井が迷惑かけてるみたいでごめんねー。なんか弁当押しつけてるんやって? あいつってほら、強引やろ? 言い方きついし、人の気持ちわかんないとこあるからさぁ」


 何故琥太郎の話から嘉一の話に飛んだかわからなくて、夏帆は「えっ?」と小さな声を出した。


「めんどかったらうちから言っとくからー」


 その視線の強さに夏帆は怯む。


(これは、噂に聞いたことがあるマウントでは……??)


 しかも相手はモテる琥太郎でも、彼氏の拓海でもない。


(廣井君ってモテるんだ……? いや、この子が好きなだけ……?)


 どちらにしろ、彼女は三組の女子というくくりで、心と自分を勘違いしているのだろう。かといって、人違いを指摘すれば、今度は心がこんな風に言われるかもしれない。


「気にかけてくれてありがとう」


 ひとまず言えることはそのぐらいだ。しゃしゃり出て喧嘩を買えば、心と嘉一に迷惑がかかるかもしれない。


「いや、ありがとうやなくて――」


「夏帆さん?」


 小堀が更に言い募ろうとした時、拓海が現れた。夏帆はホッとして拓海を見る。


「ごめん。待たせた?」

 拓海は夏帆とクラスメイトを「知り合いだった?」とでもいう風に見比べる。夏帆は小さく首を横に振った。


「大丈夫。すぐ気付いてもらえたから」

「あたしだよーん」

 拓海の後ろから、先ほどの樋口が顔を出す。その手は拓海の背中と二の腕に触れていた。


(えっ、近っ)


 拓海はぎょっとした顔をして樋口を見ている。


(払いのけろ! 払いのけろ!)


 夏帆が心の中で拳を振るう。拓海は少し身を捩ったが、その分樋口がしなだれる面積が増えただけだった。


「ねーねー。早川ちゃんって、三浦の彼女なんでしょ?」

「うん」

 夏帆が頷くと、嘉一のことで突っかかってきていた小堀が驚いたようにこちらを見た。そしてばつが悪そうな表情を浮かべる。夏帆は気付かなかった振りをした。


「あはっ。見えなーい」

「えっ」

「こんな可愛い子が三浦の彼女とか、笑えるー」

「はは……」

 体裁的にはこちらが持ち上げられているが、実際に似合わないと笑われているのは自分のような気がした。


「三浦、どんな悪いことして落としたん?」

「すごい悪いこと」

「悪ぶってる。三浦かわいー。てか彼女ちゃん、今からうちらクラスでカラオケ行くんやけど、一緒行く?」

「いや行かんて。俺断ったやん」

「三浦の意見なんか聞いてませーん」

 ケラケラと笑う樋口に諦めたように、拓海がため息をつく。


「てか近い」

「は? 誠実アピール? ウケんね」

「さすが彼女持ちは違うやん。三浦かっこいー」


 笑いながら、拓海の反応を楽しんでいる樋口と小堀を、周りにいる女子も笑う。六組の女子と男子の力関係がなんとなく伝わってきて、夏帆は控えめに笑った。


「今日、久々のデートやから、拓海君譲ってもらってもい? ごめんね」


 樋口は笑顔を浮かべて「えー」と言ったが、目を細めてはいても笑ってはいなかった。怒らせたな、と内心冷や汗をかいていると、拓海が樋口の体を押し返した。


「次は行くから」

「ざけんなし。あんた来んとコタローも来んやろー」

「ごめんて」

「彼女出来た途端はしゃぎ過ぎ、三浦。痛い」

「痛くていいです」

「クラスも大事にしろし」

「してます」


 樋口から離れた拓海は夏帆の手を取ると、さっさと教室を後にした。


「ごめんね夏帆さん」

 困り果てた様子の拓海と共に、階段を下りる。


「いっつもあんな感じなん?」

「いやー。大体こんな絡まれ方されるんは嘉一。今は嘉一おらんかったからかな。琥太誘っても駄目な時は、俺らに来んだよ」

「そうなん? 六組賑やかやし、うわっ私の彼氏、カースト高すぎ……?! とか思っちゃった」

「やめれ。そんな人間は誰でもいいから彼女欲しいとか言わん」

 げんなりとした言い方に夏帆は笑う。


「拓海君、好かれてるんやないの?」

「ないない。見たやろ。さっきの小馬鹿にした感じ」

 靴箱で一度分かれ、昇降口で合流する。


「てか、何持ってんの?」

 夏帆の荷物に気付いた拓海が手を差し出した。

 夏帆は文化祭の時に書道部に貸し出していた三つの書を丸めて、大きなトートバッグに突っ込んでいた。重くはないが、長細い筒状の書はかさばる。


 差し出された手の意図はわかったが、すんなり持って貰うのも気が引ける。夏帆は拓海の手のひらをじっと見つめた後、自分の手のひらを重ねた。対面で握手する。


「これだと歩きにくい」

 ふはっと笑った後、拓海が手を離す。そしてトートバッグをひったくられると、隣に並んで手を繋がれた。


(この人もう、ちゃんと「彼氏」だなぁ……)


 二週間前とは別人のようなスマートさである。繋ぐ手は随分と馴染んだ。お互い、どの形に指を曲げるといいか、どの高さで繋ぐと楽かがわかってきている。


「意外だったなぁ」

「ん?」


 こんなに早く立派な彼氏になる人だとは、思っていなかった。

 そう言うのはさすがに馬鹿にしていると思われそうで、夏帆は違う話題をひねり出した。


「私と同じで、自意識と思春期こじらせまくって女子となんかしゃべれない人なんだ――って思ってたのに。ふっつーにしゃべってたから」

「あーまあ。そりゃ小学生じゃないんで、しゃべるくらいは」

「それは、私が小学生だって言いたい??」

「ははっ」

 いかれる夏帆の手を取った拓海が引っ張る。


「コンビニ行くんやろ」

「行く」

 大勢の生徒の波に乗って校門を出る。駅に行く途中にあるコンビニを二人で目指した。


「何食うんやっけ」

「肉まん! 半分こしよう」

「俺あんまんの方が好きやなー」

「それ言うなら、私、ピザまんの方が好き……」

「ピザまんとあんまん半分こじゃいかんの?」

「いいと思う」

「だよなー」


 コンビニに入り、夏帆と拓海はピザまんとあんまんを一つずつ買った。店先に出て、駐車場の隅っこにある車止めのアーチに腰掛けた。

 夏帆のトートバッグは肩にかけたまま、自分のバッグを乱暴に地面に放る。


「バッグ置いてもいいよ」

「ん」

 夏帆の言葉に、拓海はトートバッグを肩からずらした。そして、すごくゆっくりと丁寧に、拓海のバッグの上に置く。


(自分のバッグは、ドサッて置いたのに……)


 夏帆は心がむずむずした。丸くほかほかしたピザまんを半分に割って、差し出す。拓海は自分もあんまんを半分に割ると、夏帆のピザまんを受け取った。


「拓海君とのお付き合い、やりたいって思ってたことと実際にやること、ちょっとズレてる気がする」


 もぐもぐもぐ、と半分こずつにしたあんまんとピザまんを食べつつ、夏帆は言った。


「……え。ごめん?」

「でもそれが、嫌じゃあないんですなぁ」


 理想は肉まんだったのに、しかも半分余分に食べているのに、これが全く嫌ではない。


(なんか、いいな)


 夏帆の思い描いていた理想通りに進まないのは、夏帆一人ではなく、拓海と二人で歩いているからだ。


 自然に、拓海から大事にされているのがわかる。

 自分のことを大事にしてくれる人がいるというのは、これほど心が穏やかになるものなのか。


(いつまで続くか、わかんないけど)


 この期間のことを、きっとおばあちゃんになっても忘れないのだろう。


 二人で並んで、湯気の立つピザまんをはふはふと食べる。


(あ、隣に座れば良かった)


 それぞれ、違うアーチに腰掛けているため、拓海とはかなり距離がある。同じアーチに座っていれば、簡単に寄りかかることができたはずだ。


 夏帆はアーチから立ち上がり、拓海の隣に立つ。拓海は片方の頬を膨らませてこちらを見上げると、首を傾げた。




***




「もっとそっち寄って」

「? ん」


 訝しみながらも、拓海は従順に腰をずらした。空いたスペースに、夏帆が寄りかかる。


 体の側面がピタリとくっついた。拓海は動揺を表に出さないよう、ピザまんをはむりと咥えて表情を隠す。


 夏帆と手を繋ぐことはだいぶ慣れたし、「一日一ぎゅっ」も欠かすことなく継続されている。女子との接触にも大分慣れてきたはずなのに、拓海は未だに一々ドキドキとしていた。


(夏帆さんのこと、普通に可愛いと思ってたけど……全然普通じゃない気がする)


 めちゃくちゃに可愛い女子だったんじゃないだろうか。自分が知らなかっただけで、実は可愛いことで有名だったと言われても、拓海は何の疑問も持たずに信じただろう。そのくらい、夏帆が日々可愛く感じていく。


「やー。せっかくなら一緒に座ったらよかったんにって思っちゃって」


(近い)


 意識すればするだけ、夏帆と接触している自分の左半分が熱くなっていく。


「思い立ったが吉日って言うやん?」


(近い)


 夏帆の汗と制汗剤の匂いを敏感に嗅ぎ取った鼻のせいで、ピザまんの濃い味さえわからなくなっていた。


「そいや、吉日って厳密に言うとなんなんやろね?」


(近い)


 無心に食べていたピザまんが既に手の中からなくなっていることにも気付かずに、拓海は必死にもぐもぐと口を動かし続ける。


「知ってる?」


(近い)


「おーーーい!」


 夏帆がぐんと体を曲げて、拓海を覗き込んだ。仰け反らないように我慢するので精一杯だった。拓海は口の中の物を飲み込んで、小さく「ん」と返事をした。


「まだ噛んでたんだごめん」

「いいよ」

「吉日の意味わかる?」

「わからん。持っといてやるし、調べたら」

「ありがと」


 夏帆は食べかけのピザまんを拓海に手渡すと、スマホで調べ始めた。そして「そのまんまの意味だったー。縁起がいい日のことだって」と拍子抜けした顔で笑う。


「ありがとう」

「ん」


(かわいいな)


 ピザまんを渡しながら考える。


(この人、初めて付き合うんが俺で、マジで良かったんやないの)


 普通の男なら、こんな風に可愛くくっつかれて、こんな可愛い顔で笑われてしまったら、キスの一つくらい当然もらっている。絶えることなく出ているOKサインに、部屋まで押しかける男がいたっておかしくはない。


 自分にそんな意気地がないことは棚に上げ、「彼女」を大事にしている点にだけ焦点を当てた拓海は、夏帆を見下ろした。


(……クリスマスで終わったら、他の男とこんなこと、またするんかな)


 自分以外の男とピザまんを――もしくは、彼女の理想通り肉まんを――半分こにする夏帆を想像した瞬間、鎖骨の下辺りが痛んだ。周囲の血管が一斉に萎んだような、ぎゅっとした痛みだった。


「ぎゃっ」

 夏帆の悲鳴を聞き、驚いて夏帆を見ると、夏帆も驚いた顔で拓海を見ていた。


「どしたん」

「あ、あんまんが」

「?」


 夏帆が差した指の先を視線で追う。そこには、白い紙の中で餡をこぼしつつ、ぐにゃりとひしゃげた自分の分のあんまんがあった。


(たかだかあんまんも上手に食べれんとか……格好悪さに目眩する)


「拭くのもらって来よっか」

「いや。大丈夫やから」


 立ち上がろうとする夏帆を拓海が止める。これ以上情けない姿は晒したくない。


「交換する?」

「俺、おはぎも好き」

「それをおはぎと言い張るんは、さすがに無理ない?」


 皮の隙間から飛び出たあんこを口で拾っていると、ピザまんをぱくっと咥えて片手を自由にした夏帆が、スカートのポケットからハンカチを取り出した。拓海の口すれすれの頬を、タオル地のハンカチが撫でる。


 乾いた素肌を撫でるハンカチの感触に、ぞわりと震えが走った。瞠目した拓海に気付いていない様子で、夏帆はパッパッとハンカチを振って、ついていたあんこを地面に落としている。


(……くそっ。平然としやがって)


 なぜだかもの凄く悪態を付きたくなった拓海は、夏帆を見るのを止めて前を向いた。

 夏帆のハンカチで撫でられた口の端が、ずっと熱を持ったように痺れていた。





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