10:不慣れで楽しいデート


「三浦君、明日どんな格好で来る?」


 タピオカデートを明日に控えた金曜日の放課後。

 付き合い出してから毎日駅まで送ってくれる拓海と歩きつつ、夏帆は明日の予定を立てていた。


「どんな……どんなとは?」

「カジュアルとか、綺麗めとか」

「え。ごめん。わからん。普通に家にある服で行こうと思ってた。駄目?」

 不安げに見下ろす拓海に、夏帆はぶんぶんと顔を横に振った。


「駄目じゃない! コートとかジャケット着る?」

「んー、歩くと暑くなりそうやから着らんかも」

「あ、そっか。街中やし、いっぱい歩くよね。んじゃ靴はスニーカー?」

「うん」

「私もスニーカー履いてこ」


 忘れないように、脳内にメモをとる。普通に、去年の冬に買ってもらったヒールの高いブーツを履いていくつもりだった。


「三浦君、女の子の服に好きな系統ある?」

「全くわからん」

「今日って時間ある?」

「六時からバイトやから、五時過ぎくらいまでなら」

「おっけおっけ! ちょっとだけ時間ちょうだいよ。どんなんが好きか教えて。三浦君の好きな雰囲気に合わせていくから」

「俺の彼女最高かよ」

「まっかせとけ」


 繋ぐようになった手を引いて、道の端に寄る。

 いつも心と「この服ほしい」「これ可愛いよね」などと送り合う、ファッションコーディネートアプリをスマホで開いた。

 夏帆と同じ年頃の女の子が、その日の自分のコーディネイト写真を、着ている服のブランド名や値段を書いて投稿するアプリだ。


 夏帆の手元を、拓海が恐る恐る覗き込む。


「開いてくページの中で、どれが一番好きか教えてって」

「ん」


 随分と聞き慣れてきた「ん」だったが、今の「ん」には困惑した響きがあった。もしかしたら、こういうのは苦手なのかもしれない。

 かもしれないとはいったが、得意でないのは確定だろう。自分の服に興味がないのに、女子の服なんてそれ以上に興味がなくて当たり前だ。


 なのに「出来ない」と言わず、ひとまずやろうとしてくれる拓海の姿勢に胸がぽこぽことした。なんだか体もむずむずうずうずとして、無性に落ち着かない。

 そわそわを拓海に悟られぬよう、夏帆はスマホに意識を向けた。


「このページでは?」

「……これ」

「ここだと?」

「これ」

「この中では?」

「……ちょっと待って」


 全部同じに見える、と小さな弱音を吐く拓海に「がんばれっ」と小声で声援を送る。


 何度かクエスチョン&チョイスを繰り返していく内に、拓海の好みの傾向が見えてきた。


(なるほど。わかりやすくスカートだな)


 それも膝が隠れるぐらいのスカートがお好みらしい。もしかしたら、ミニスカートは遠慮して好きだと言いにくかったのかもしれない。

 ワンピースも同票ほど入っていたが、パンツスタイルは一つも選ばれなかった。マキシ丈も同様だ。


「ありがと三浦君。大体わかったよ」

「すげ。女子ってみんなこんなこと出来んの?」


 こんなことがどんなことかはわからなかったが、夏帆が服を悩んだのは全部拓海のためだった。


 拓海がラフな格好なのに夏帆がピシッとしすぎていたり、逆に拓海がジャケットを羽織っているのに夏帆がフリースを着ていたりしては、互いに気まずくなってしまっただろう。

 特に拓海は男子なため、初デートが失敗したとプライドを傷つけてしまうかもしれない。回避できる衝突は、出来れば回避しておきたい。


 それから、いつも夏帆のいい彼氏でいてくれる拓海に、ちょっとでもかわいい彼女だと思われたい。


「楽しみだねー。明日」


 るんるん気分でそう言うと、夏帆を見下ろした拓海が「俺も」と言ってくれた。




***




「せっかくここまで来たんやから、好きなん頼みよ。残ったら俺食うし」


 デート当日。カフェのイートインスペースでメニューと頭を抱えていた夏帆に、拓海が言う。


 目の前に座る拓海の服は、スウェットにジーンズだった。

 濃いグレーのだぼっとしたスウェット生地のトップスに、ジーンズ。黒いリュックと大きめのスニーカーは気取っておらず、普段から使っているものだとわかる。背が高い拓海にとても似合っていた。自然体なところが、何よりも拓海のスタイルの良さを際立たせている。


 夏帆が着ているのは、ゆるっとしたフード付きのワンピースだ。タイツを履くか迷ったが、拓海の好みを考慮して素足にした。前日のお手入れはバッチリだ。

 足下は拓海に揃えて少しごつめのスニーカーを選んだ。


 カフェでメニュー表と睨めっこしていた夏帆は、顔を上げる。


「……え? 優しすぎでは?」


 思いもがけない提案に、夏帆は完全にきょどっていた。

 そんなこと、生まれてこの方父親くらいにしか言ってもらったことはない。


「あ、勿論早川さんが嫌なら無理にとは」

「申し訳なさはあるけど、むちゃくちゃ嬉しいよ!!」


 ボリュームは抑えたが、声にはそのはち切れんばかりの喜びをたんまり詰め込んだ。付き合っているとはいえ、さすがに恋愛感情のない彼女の食べ残しを始末させるのは、忍びない。


 夏帆はお昼ご飯に何を頼むか、めちゃくちゃに悩んでいた。

 拓海が調べてくれたカフェは、タピオカ以外のフードメニューも大変魅力的だったからだ。


 初めて訪れる大人っぽくてお洒落なカフェは、見たこともないメニューがいっぱいだ。その中でも特に美味しそうなのが、エビとアボガドのパンケーキと、自家製フォカッチャのサーモンパニーニの二つで、先ほどから夏帆は頭から湯気が立ちそうなほど悩んでいる。


「どれとどれなんだっけ」

「これとね、これ」

 メニュー表をテーブルの上に広げる。時間が掛かりすぎて怒ってやしないだろうかと、今更ながらに冷や冷やして拓海を盗み見る。

 ところが拓海は――夏帆の願望でなければ――全く気にしていなさそう……どころか、どこか嬉しそうに見える。


「早川さんって別に小食とかじゃなかったよな」

「うん。普通に食べる」

「ならこっちの、パニーニ? のほう。切ってもらおう。早川さんは食えるだけ食えばいいやん」


 またしても夏帆の心を軽くする提案に、テーブルに突っ伏したくなった。


「三浦君……至上・・の彼氏よ……っ」

「語彙また増えとるやん。てか、早川さんのチョロさが心配になってくる」

 飯食うだけで褒めてくれるんやから。と拓海は呆れたように言うが、その目は柔らかく細められていた。


 その後、二人で緊張しつつ、言い慣れないカタカナの大人っぽいメニューを店員さんに告げる。

 お付き合いも初めて同士な上、こういうお洒落な場所が不慣れなことも互いに打ち明けているので、変に片意地張らずに済んだ。慣れている雰囲気を出そうと、拓海が格好を付けたりしたら、笑うのを堪えられなかったかもしれない。


(でもそんな三浦君も、ちょっと見たかったかも)


 そんな風に見栄を張る拓海は、可愛かったに違いない。格好悪い拓海を見ずに済んで安堵したのに、格好悪いところも見たいと思った自分が少し不思議だった。


「カフェ探してくれたり、教材運ぶの手伝ってくれたり、友達と会ってくれるって言ってくれたり……三浦君が優しすぎる……」


 望んでなってもらった彼氏だが、望み以上の成果が返ってきてしまい、申し訳ないというか――拓海はこんな彼女でいいのだろうかと、不安になる。


「そんな、大金あげたとかやないんやから。大げさやろ」

「どんな優しさなん、それ。むしろ怖い」


 ここもちゃんと、それぞれで払おうねと店に入る前から言ってある。

 大人っぽいメニュー名に負けない大人っぽい値段に驚いたが、互いにバイトをしているので、びびり散らかすほどではない。だが、二人分まとめて支払うとなれば、かなりの出費だ。


 元々、拓海が夏帆にタピオカを奢るという名目でやってきたため、タピオカだけは奢って貰うつもりでいる――が、男だからと頑張られて食事まで奢られていたら、夏帆はパニーニを注文できなかっただろう。


「見て見て。ジュレとか杏仁豆腐もドリンクメニューにある」

 液体の中の個体は怖いが、どろっとしているものは好きだ。とろろも卵も、生の方が好き。


「そっちのが気になるなら、そっち飲み」

「え! 大丈夫! 目的忘れてないよ!」

 今日の目的はあくまでタピである。タピタピってなんぼである。力む夏帆に、拓海はあっさりと言う。


「今日飲めんくても、また来たらいいだけなんやから」


 夏帆は、困ってしまった。


(どうしよう。本当に、優しい)


 夏帆にとって男性の基準となるのは、家族の中で唯一の男である父だった。


 父だったら、ここで夏帆がタピオカを頼まなければ「なんのために連れてきたと思っとるんか」と怒るに違いない。

 メニューをずっと決められない夏帆にも、怒るまではいかずとも不機嫌にはなるのは間違い無い。

 それを言うのなら、カフェに入る際に店の外で少し待ったことさえ、父ならいい顔をしなかっただろう。


 なのに拓海はなんてことのない顔で、昨日見つけたという面白い動画を見せてくれた。待っている時間に気を遣わずに済んだし、全く苦痛じゃなかった。

 今だって怒るどころか、また一緒に来てくれるという。


 拓海との「お付き合い」はあまりに――夏帆の想像と違った。


(どうしよう。なんか、どうしよう)


 どうしていいのかわからなくなって、夏帆は眉毛を下げながら、グラスについている水滴を指でなぞった。





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