08:カメラから友情
{えー! 何それ。じゃあ、恋愛じゃないってこと?}
{きゃ~。ただれてるぅ}
「うん。あ、でもお互い尊重はしあえてるよ!」
自室のテーブルにスマホを置き、ベッドに寄りかかった姿勢で夏帆はビデオ通話をしていた。画面の中には夏帆と同じく部屋着に着替えた梨央奈と心がいる。心はもこもこのぬいぐるみを抱いた格好で、梨央奈は眉毛をピンセットで抜きながら会話をしていた。
{当然すぎる。その関係で敬意がなかったら、やばさしかない}
しっかりものの梨央奈が手を休め、眉根を寄せる。
(そりゃま、確かに)
今更ながらに、勢いだけで突っ走った事を感じる。相手が拓海で本当に良かった。
{大丈夫なの? エッチさせてとか言われてない?}
さすがにそこまでは考えていなかった。夏帆は手をふりふりする。
「ないない」
{本当に気をつけなよ。男子ってそういうこと言ってくるって聞くよ!}
「うーん。むしろ言ったの、私かも」
{エッチさせてって?!}
「ううん。背中にぎゅってさせてって」
{きゃ~! ていうことはぁ。夏帆ちゃん、背中にぎゅ〜ってしたのぉ?}
大きなぬいぐるみを口元に押しつけた心が叫ぶ。
「した」
手を腰に当て胸を張りどや顔で言うと、今まで不服そうにしていた梨央奈が「ど、どうだった?」と尋ねてきた。好奇心に負けたらしい。
「あのね……凄かった」
{すごいんだぁ……}
「大きくて、硬くて……凄くて凄い……!」
{そんなに……}
夏帆は記憶を反芻し、ベッドから枕を引きずり下ろしてぎゅっと抱き締めた。
ここしばらくの夏帆は、常々彼氏が欲しいと思っていた。
しかし、最初からこの感情を言語化できていたわけではない。何かわからない焦燥感のようなものがずっと胸でくすぶっていた。そんな激情が何かを理解したのは、廊下を友人と歩く男子生徒の背中を見た時だった。
(やばい、ぎゅってしたい)
どこの誰とも知らない男子の背中の皺を見てそう思った時、夏帆は自分の中に異性への欲が生まれていることを感じた。
それからはただひたすらに、彼氏が欲しかった。彼氏が出来たら、絶対に背中に抱きつくのだと決心した。
しかし、こじらせた思春期から性差を意識しすぎて男子とろくに話せもしない夏帆に、そんなチャンスが訪れることはついぞなかった――昨日までは。
「明日からは一日一ぎゅっをノルマにさせてもらいたい。へへ」
{夏帆ちゃんが、エロ親父みたいな顔してる~}
{気をつけてよ。油断させるために、興味ない顔してるだけかもしれんのやから}
そこまでして、特別可愛いわけでもない自分とえっちをしたがる男がいるとは思えなかったが、梨央奈の懸念通り、万が一拓海に言われた時の事を考えてみた。
(……嫌、ではないかな)
男子と同じで、女子だって処女を早く捨てたい人はいる。夏帆は自発的に捨てようと努力はしていないが、もらってくれるのならさっさとあげてしまいたい派だ。
今日、直に拓海と接してみて生理的嫌悪はなかった。むしろかなり好印象が続いた。会話も弾んだし、触れ合いも楽しかった。見た目も全然嫌いじゃない。
特に帰り道では、こちらのことを考えてくれる優しい人だなとまで思った。
(そんな三浦君がもらってくれるって言うなら、私としては万々歳なんだけどな)
そんなことを言っては、友達思いの梨央奈が烈火の如く怒りそうだったため、夏帆は素直に「はーい」と返事をしておく。
{でもでもぉ。好き同士じゃないなら、お付き合いって何するの~?}
心に尋ねられ、夏帆は胸を張った。
「今度タピオカ吸いに行く!」
{へ?}
{夏帆ちゃん、タピオカびびってたもんねぇ}
既に初タピを済ませている梨央奈と心に、この嬉しさはわかりまい。
「今度の土曜、街まで飲みに連れてってくれるんだって」
街というのは、ここから電車で一時間ほど先にある都市を差す。近隣の学生は大抵、この街へ遊びに行く。
「期末もうすぐだし、試験勉強始まる前にちゃっと行ってくる」
{なんだ。割と普通に恋人じゃん}
安心したように梨央奈が言う。夏帆は「へへ」と笑った。
{そういえばさ、今日夏帆を見に来てた男子の中に……コタロー君いたよね}
{あ。いたいた~}
そこから、拓海の友人の話題に移行していった。夏帆は爪やすりを持ってきて、爪を磨き始める。
{コタロー君、かっこよかったねぇ}
{え!?}
「ココ、ついに男に興味出て来たん?」
{わははっ。かっこいーって言っただけだよ~。彼氏はまだいーかなぁ}
「そっかー」
{まだ恋とかわかんないしねぇ……あ、でも~夏帆ちゃんの彼氏やし、三浦君とは話してみたいなぁ}
{あ、私も}
「んじゃ、皆で話せんか聞いてみる」
夏帆は心と梨央奈が映っていたスマホの画面を指で撫で、拓海にLINEを送った。
【 KAHO / 今日は送ってくれてありがとう 】
すぐに既読がついて、返事が来る。
【 拓海 / こっちこそ 】
【 拓海 / 明日も送る 】
【 KAHO / 至高の彼氏 】
【 拓海 / 早速調べてるやん 】
【 拓海 / 偉い偉い 】
へへっ! と柴犬が照れているスタンプを夏帆が送ると、すかさず目玉焼きのお化けが温泉に浸かってだるんとしているスタンプが送られてきた。
【 KAHO / ちょっと相談なんですけど 】
【 拓海 / ん? 】
【 KAHO / 今度みんなで会えないかな? 】
【 KAHO / 私の友達が三浦君と話したいって 】
【 拓海 / いいよ 】
【 KAHO / そっちのお友達の都合もあるやろうし、日はまた改めて 】
【 拓海 / うるさいし、あいつらはいらんのやない? 】
【 KAHO / いる 】
【 拓海 / いらん 】
ガーンとショックを受けた柴犬を、険しい顔をした目玉焼きのお化けがライフルで狙う。
【 KAHO / その場合、三浦君は女三人に囲まれることになるけど 】
【 拓海 / 連れてくわ 】
【 拓海 / 学食で一緒食お 】
夏帆がふふっと笑うと、梨央奈に「いちゃついてる」とつっこまれる。インカメラでばっちり見られていたようだ。
ビデオ通話を続けていたことを忘れていた夏帆は、これ見よがしに表情を引き締めた。
「ちょっと、今プライベートなんで。見るなら事務所通してください」
{見せてるくせに}
「三浦君、今度、皆で一緒にご飯食べよって」
{お! やったね!}
{ご飯かぁ}
心が少し不安そうに、ぽつりと言った。夏帆はビデオ通話に画面を切り替えて心を見る。
{夏帆ちゃん。三浦君に私の事、伝えといてくれないかなぁ?}
「わかった。今から言っとくね」
{おねが〜い}
大丈夫だよとか、心配いらないよとか。何か心の不安が晴れる、気の利いた言葉を言ってやりたかった。しかし、夏帆はまだ拓海のことも満足に知らない。その友人のことなど、もっと知らない。心を安心させるために、調子のいいことは言えない。
ひとまず、心の希望を叶えるために、夏帆はLINEのトーク画面を開いた。「ふたり!」部屋のメッセージ欄に、ポチポチと打っては消して、打っては消してを繰り返す。
【 KAHO / あのね 】
【 拓海 / ん? 】
【 KAHO / 私の友達なんだけど 】
【 拓海 / ん 】
どう打てばいいのかわからず、夏帆はまた打っては消してを繰り返した。胸が嫌な鼓動を刻む。
【 KAHO / すっごくよく食べる子がいるの 】
【 拓海 / そうなん 】
【 KAHO / うん 】
【 拓海 / え? 】
【 拓海 / 俺なんて言えばいい? 】
【 KAHO / うんと 】
夏帆は戸惑った。
本音を言えば、からかったり引いたりしないでほしい。
心はほっそりとした見た目に反して、かなりの大食いだ。大食いのテレビ番組に出てくる料理と同じ量をぺろりと食べてしまう。
小学校から一緒の夏帆は、心が大食いなことをからかわれる姿を何度も見てきた。
『出た! 大食い女』
『そんなに食べられたら親は大変ね、ってうちのお母さん言ってたよ』
『普通はこんなに食べれんやろ』
『女じゃねえよ』
『え! まだ食べるん?!』
『どっかおかしいんやない? 病院行ったことある?』
投げつけられる言葉全てが悪辣なわけではないが、だからといって傷つかないわけではない。
なんてことない顔をして流しているが、本当は気にしていることを夏帆は知っている。そして夏帆は、沢山食べる心に、心ゆくまで沢山食べてほしい。
【 KAHO / 知っておいて欲しくて 】
【 拓海 / ん 】
【 拓海 / あいつらにも、変に驚かんよう先に言っとく 】
夏帆の言いたいことを汲み取った拓海の返信に、夏帆は大きなため息をついて背面のベッドに沈み込んだ。
{どしたのー夏帆ちゃん~}
「あ! ごめんごめん。三浦君、わかったって。友達にも言っといてくれるって!」
{おっ}
「三浦君、全然驚いてなかったよ」
{……そっかぁ。よかったぁ}
ほっとした心の声を聞いて、夏帆の心がぎゅっとする。
(本当に、よかった)
実を言えば、夏帆も心配だった。
もし拓海が心をからかうようなことを言ったら――それが冗談だとはわかってはいても――許せる自信がなかった。
拓海にとっては、よくわからない会話内容だったに違いない。けれど、先んじて言った夏帆の行動に、何かを感じ取ってくれた。そして自分がどうすればいいのかを考えて、しっかり言葉にしてくれた。
(嬉しいな)
夏帆のことを考えてくれたこと。
夏帆の大事な友達を、大事にしてくれたこと。
体を反転させて、ベッドの縁に顔を埋める。綿のシーツが頬を擦る。
今、自分がどんな表情をしているかわからなくて、とてもじゃないけれど、梨央奈と心には見せられなかった。
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