07:スピーカーから友情


{本当に付き合ったんだ?}


 スマホのスピーカーから、琥太郎の声がする。

 帰宅した拓海は、自室で制服のYシャツを脱ぎながら返事をした。


「だってあの人、履歴書持ってきたんよ」

{え? 履歴書?}

「履歴書」


 脱いだワイシャツを手に持ったまま、拓海は口元に拳を当てて「くっくっく」と笑う。


「面白すぎやろ」


 よほど楽しそうに笑ったのか、拓海を見た琥太郎が眉を上げる。


 昼休みに怒濤の展開を迎えてから、琥太郎は一切拓海に質問しなかった。そのお礼も兼ねて、事情を知る琥太郎には夏帆のことを説明しておこうと電話したのだ。


{そういえば言ってたね。面接に行くとかなんとか}

「ん。それで履歴書書いて、持ってきてくれた」


 持ち帰ってきた履歴書を鞄から取り出す。これを読み込むだけで、夏帆についてかなり詳しくなれそうだった。


{あんな絡み方してきたから、軽い子かなって思ってたけど}

「俺にはお前ほど選択肢ないし、別に軽くってもいいよ」

{お互い好きじゃなくても?}


 琥太郎はモテるが、高校デビューなので根は真面目だ。今まで一度も付き合ったことがないと言っていた。ちなみに高校デビューを琥太郎は隠してはいないので、皆普通に知っている。


「問題ないな。それに、早川さんでよかったなとは思ってるよ。楽しい」


 思わず漏れた本音に「楽しい?」と意外そうに琥太郎が繰り返す。


 成長するにつれ、自分の感情を素直に表現できなくなっていた拓海は失言に焦る。特に男友達には、プライドが邪魔をすることも多く、自分の気持ちを素直に言葉にすることなど、ほとんどなかった。


「俺も誰でもいいから、彼女になってくれんもんかね」と言ったのだって――本心が微塵も混じっていなかったわけではないが――その場のノリでしかなかった。


 だが、一度言った「楽しい」という言葉を否定するのがなんとなく嫌で、拓海は観念して言った。


「楽しいよ。あんな人、中々おらんやろ」

{そうなんだ。いい子だとは思ったけど}

「いや、早川さんの面白いところは――」


 変な行動力がありすぎるところ。

 なのに、張り切る自分を引かれたくないと焦るところ。

 男子と上手く話せないというくせに、男女交際に興味があると言い切るところ。

 寝不足になるほど丁寧に、彼氏のために履歴書を書くところ。

 恋人だからと無邪気に体を触れ合わせてくるところ。

 ――そして、壊滅的なワードチョイス。


 今日一日で見てきた夏帆を伝えようとしたが、こんなことを男友達に細かく説明するのは、さすがに据わりが悪い。


「や、いいや」

{何その聞いてくれと言わんばかりの}

「んや、ほんとにいい」

{わかった}


 苦笑した気配が声から聞き取れた。着替えを終えた拓海はベッドに腰掛けて履歴書を見返す。貼られたプリクラには女子が三人載っていて、夏帆は右端にいた。

 女子の撮ったプリクラをじっくり見る機会などなかったが、プリクラの中の彼女は、実際よりも肌が白く、目が大きい。


(まあ、本物のほうが可愛いな)


 今日拓海は、初めて女子の二の腕を触った。

 二の腕の柔らかさは、おっぱいの柔らかさと同じだと、いつだかどこかで聞いたことがある。


 そんなものに頼らずとも、拓海は本日、本物のおっぱいの柔らかさを背中に感じた――はずなのだが、テンパっていた上に、絶対に果たさねばならない使命があったため、ろくにその感触を味わう余裕もなく、記憶は曖昧だ。


 だが、二の腕の柔らかさは鮮明に覚えている。


(そんで、細かった)


 掴んで引っ張った夏帆の腕は、驚くほど細くて軽かった。


 掴んだ二の腕を放せと指示する指先に嫌悪感は見られなかったが、逆に言えば、夏帆は自分の意思で振りほどくことが出来なかったとも言える。


(“恋人とやりたいことリスト”に馬鹿なこと書かんくて、本当によかった)


 背中に抱きつかれたり、手を繋いだり、至近距離に座ってスマホを一緒に覗いたり――そんな夏帆に慣れる前に気付けた自分を褒めてやりたい。


 自分からは絶対に、肉体的な接触を望んではいけない。


 もし夏帆が拒否出来ずに土壇場で怖じ気づいた場合、男の力を前にした彼女には逃げ道がないのだ。それは絶対に、あってはいけない。


「今度サユチャン・・・・・がいる時、家行かせて。女子の好きそうな店知りたい」


{駄目}


 普段の人当たりのいい雰囲気を取っ払い、これ以上ないほどバッサリと琥太郎が断る。


{絶対会わせない。二人のなれそめとか聞いたら、さゆちゃん、絶対にタクの面倒見ようとするから}


 あの人が面倒見るのは俺だけで十分、と独占欲丸出しの声で琥太郎が一刀両断する。


 さゆちゃん・・・・・こと西にし 早雪さゆきは琥太郎の姉だ。しかし血の繋がりはなく、二年前に親の再婚で家族になった義理の姉である。

 琥太郎の高校デビューをプロデュースしたのは、当時美容専門学生だった早雪である。


 琥太郎はもりゃあもう、盲目的に早雪を慕っている。というか、好いている。


 高校に入ってすぐの頃、琥太郎の家に遊びに行った拓海は、早雪に対するあからさますぎる琥太郎の態度にドン引いた。


 クラスの女子が琥太郎の特別になりたがっているのを目にする度に、その特別はあの姉だけのものなのだろうと哀れむほどだ。


 そもそも、琥太郎が女子に優しくしているのも、早雪の言いつけと言うのだから、その心酔具合も推し量れるというもの。


「んじゃいいよ。嘉一の姉ちゃんに聞くから」

{ひーちゃんも駄目。さゆちゃんに話が行くから}

「サユチャンのことになると、途端にめんどいーなーお前は」


 嘉一とその姉一二美ひふみと早雪の三人は家が隣同士で、生まれた時から一緒の幼馴染みだ。

 中学を卒業してすぐ早雪の家に住むことになった琥太郎も、現在は嘉一とお隣さんである。


{まぁ、嘉一には黙っときなよ}

「ん?」

{早川さんとの始まり方}

「あー」

{実際には俺なんかよりよっぽど、嘉一の方が女の子を大事にしてるから}


 一二美はかなり我が儘で、弟を下僕としか思っていない姉である。美人だが傍若無人の姫と、隣家の年上の幼馴染みに鍛えられた嘉一は、振り回され慣れている上に、辛抱強い。そして無意識に女の子・・・を守って当たり前だと思っている。


 そんな嘉一が拓海と夏帆の出会い方を知れば、いい感情を抱かないのはわかりきっていることだ。「筋は通せ」と言われるに違いない。


{まあ、ヤスにバレても面倒か。早川さんに、『俺も彼氏にして』とか言いに行きそう}

「どっちにも、わざわざ言わんて」


 自分が惚れて、夏帆に告白したことにしておけばいいだけの話である。そもそも、クリスマス以降どうなるかもわからないのだから、大げさに広める必要もない。


「琥太も人に言うなよ」

{どうしよっかな}

 からかうような琥太郎の口調に、笑いが漏れる。


{なんで笑うの}

「思ってもないこと言ってるから」


 笑って言えば、スピーカーから苦笑いが聞こえた。


 素直じゃないのは拓海だけじゃない。

 お互いに素直な気持ちは差し出せなくても、なんとなく相手の本心くらいわかる。


 それが多分、友達ってものなのだろう。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る