06:てくてくとぽこぽこ


「ごめん。クラスの奴に捕まってた――変な話してないやろうな」

「したに決まってんだろ」

「お前らまじふざけんなよ」


 顔を歪める拓海に、嘉一と康久がにまにまと笑う。夏帆には素っ気なさ過ぎる応酬に聞こえるが、彼らにとっては普通のことなのだろう。


「早川さん帰ろ」

「うん。ちょっと待って」


 夏帆も梨央奈と心のもとに戻ると、鞄を手にする。こちらを見ていた二人は流れを把握してるのだろう。カーディガンの隙間から、指をひらひらと振る。


「夜電話するね」

「はーい」

「待ってるねぇ」


 二人に手を振り返し、拓海と並んで昇降口に向かう。


 隣を歩くと、拓海の背の高さがよくわかる。体つきも、夏帆と比べるまでもなくがっしりとしていた。隣をしげしげと観察していると、視線に気が付いたようで、拓海が夏帆を見る。


「どしたん?」

「背が高い……」

「早川さんは……嘉一ぐらいか」

 先ほど見た時、あまり背が高くないと思っていたが、どうやら夏帆と同じぐらいの身長らしい。ならば夏帆よりはよっぽど、この身長差に慣れているはずだ。


「早川さん電車やったよな。駅まで送る」

「三浦君のお家、この辺りなんよね? 方向あってる?」

「違うけど、送らせてよ」

「……! すごい……! 彼氏だ……!」

「ドウモ。彼氏です」

 澄ました顔で拓海が言う。


「昼に言ってたやりたいこと、もう書いた?」

「あ。まだメモしてるだけで、書き込んでない」


 ついでだし、今投稿しておくかとスマホを取り出す。歩きながらスマホを操作していると、拓海に二の腕を掴まれ、ぐんと引かれた。

 驚いている夏帆の隣を、自転車がすごい速さで通り過ぎる。下校中の生徒だった。


「あぶなっ。早川さん歩きスマホ禁止」

「面目ない」

「ちょっとあっこ座ろ」

 二の腕を掴んだまま拓海が夏帆を引っ張る。


「待って待って」

 夏帆が拓海の手をとんとんと叩くと、拓海は慌てて手を放した。


「え? ああっ、ごめ――」

「こっちこっち」


 夏帆がスマホを左手に持ち替えて右手を差し出すと、拓海は一瞬固まった。そして、夏帆の手をじっと見つめて、そっと手を伸ばす。力の全く籠もっていない拓海の指先を、夏帆がぎゅっと握る。


「……うわ、やべ。女子と手握ってる……」

 あんまこっち見らんで。と肘の裏で顔を隠した拓海が、夏帆を引っ張っていく。


 夏帆も初めて握った男子の手を歩きながら堪能する。拓海の指は、夏帆の指と違い太く長い。

 二人とも手繋ぎ初心者だったため、咄嗟に上手く握り合えず、夏帆が拓海の指先を握るような形になっていた。だが、だからといって、ここから一度解いて繋ぎ直そうと提案するのも初心者には少々難易度が高い。


 郵便局とスーパーマーケットの間に立つブロック塀に、拓海がゆるりと腰掛ける。夏帆も手を繋いだまま、隣に立つ。夏帆が座るには少しばかり積まれたブロックの高さが高かったため、夏帆は寄りかかるだけに留めた。


「スマホどうぞ」

「うん」


 右手が繋がれたままだったので、左手で操作する。握った手をちょっと引っ張って「見て」と拓海に体を寄せた。


 夏帆の液晶画面にはメモアプリが開かれていて、“恋人とやりたいことリスト”が表示されている。

 短い親指でなんとか全体を選択し、コピーして、LINEのノートに貼り付けて投稿する。


「すごいあんね」

 投稿された記事を見ながら拓海が呟く。感心したような声に気をよくして、夏帆はにこっと笑った。


「溜まってたみたい。いっぱい出せたね」

「え? あ、うん」


 同意しただけなのに、何故か拓海は身を強張らせた。そしてぎこちなく頷く。


「初めてなんに、こんなに出るなんて凄くない?」


「……うん、そうだな。うん」


「私もっと頑張るから、三浦君も恥ずかしがらんで、いっぱい出してね」


「早川さん!!」


 気もそぞろに返事をしていた拓海が、突然名前を呼んだ。何故か顔を赤くして、顔中に皺が寄るほど力を入れている。


「ど、どうしました?」

「……俺が汚れてる? 俺が……俺が悪い?」

「え?? 三浦君が悪いとこなんて、今のところ一つもないけど??」


 きょどる夏帆の隣で、拓海が脱力した。長い足を真っ直ぐ伸ばし、「ワードチョイスが……」と項垂れている。


「――早川さんはあんまり、男と会話せんほうがいいと思う」

「えっ」


 突然人類半分との断絶を勧められ驚いていると、拓海が身を寄せてきた。夏帆のスマホを覗き込む。


「ごめん、続きどーぞ」


 釈然としない気持ちだったが、夏帆はいそいそと一覧を見せた。昼休みから今までで、すでにリストには十個以上、恋人とやりたいことが書き連ねられていた。


 その内の三つは、実はもう叶ってしまっている。


「背中に抱きついてみたい、と。男子と手を繋いでみたい、と。彼氏と一緒に帰ってみたい――がもう叶っちゃった」

「上三つやね。なら、上から順にやってくか」

 拓海がリストを読む。


「タピオカを飲んでみたい……え? 飲んだら?」

 勝手に一人で。という響きを感じ取り、夏帆はガーンとした。


「いやごめん。え? なんでこれ彼氏とやりたいの?」

 本気でわからん、と困惑する拓海に、夏帆は少し唇を尖らせる。


「だって……勇気ない」

「?」

「あれを口の中に入れてみようって勇気が、ずっと出なかったの」

「……まあ、確かに。見た目、グロくはある」

「それに、液体に固体が入ってるのもハードル高い。吸い込む強さとか、噛むタイミングとか、色々考えちゃって……。そうこうしてると流行も終わって、機会がなくなってって……」

「うん」

「一人じゃ怖いから、一緒に挑戦してほしい」

「友達じゃ駄目やったん?」

「彼氏ぐらいすごくないと、勇気の底上げ出来ない……!」


 夏帆の言い方があまりにも真に迫っていたからか、拓海は顔をくしゃっとさせて笑った。


「早川さん、ほんとに彼氏欲しかったんやね」

「引いた?!」

「いんや」

「よかった。お願いだから本当に、引く前に言ってね。頑張って自重するから」

「ん、わかった。でも面白いから、これからも引かんのやない?」


 何でもないように言った拓海に、なんだか心の中が跳ねる。


 胸がぽこぽこする夏帆に気付かず、拓海はポケットからスマホを取り出して片手で操作し始めた。

 夏帆が片手でスマホを扱おうとすると、どうしても上の方に親指が届かないのに、拓海は何の問題もないようだった。先ほどまで伸ばしていた脚を曲げると、自分の太股に置いて、気だるげな顔ですいすいと指を動かしている。


 見ていたノートの記事に、コメントが追加される。


【 拓海 / 彼女にタピオカ奢りたい 】


 書き込まれたコメントを見て、夏帆は息を呑んだ。


「……え? 三浦君、こんな優しいのに、なんで彼女おらんかったん??」

「今おるやん」

「そうやった! 私、こんな優しい男子の彼女!」

 テンション高めに叫んだ夏帆はもう一度コメントを見た。


 先ほど夏帆が拓海にも案を出してくれと頼んだから、こういう形にしてくれたのだろうか。それとも、夏帆のタピオカを飲みたいという望みを叶えるために?


(どっちにしたって、私のためやん……)


 もしかしたら恋人・・とは、夏帆が当初考えていたよりも、もっとずっと、心が伴うものなのかもしれない。


沢山提案をし、この関係を引っ張っていっているつもりの夏帆だったが、ただ形式を象ろうとしていただけの夏帆よりもよほど、拓海は恋人・・の意義を考えてくれているような気がした。


「三浦君。私、最強の彼女になるからね……!」

「目指すとこ強さなん?」

 拓海がふはっと息を吐いて笑う。


「なあ。タピオカってどこで飲めんの?」

 田舎なため、タピオカのみを売る店というものは、ブームの間でさえ存在しなかった。冷静に問われ、夏帆は真剣に考える。


「……コンビニ?」

「そんなんでいーの??」

「……」

 いいか悪いか問われれば、全くよくはない。


「……っは! こないだファミレスで見た」

「ファミレスかー」


 拓海がスマホを操作する。タピオカを売っているファミレスでも検索しているのかと思ったら、「こういうとこは?」とInstagramに投稿されていたらしい写真を見せてきた。

英語のロゴがついたカフェ看板の手前には、可愛くてお洒落なカップに入ったタピオカドリンクがある。


「か、可愛い」


「……今度、街まで出てみる?」


 拓海の提案に、夏帆は目を見開く。


「……そ、それってまさか!」

「デートです」

「デートですか! いいですね! 張り切りますよ!」


 既に張り切っている夏帆がキラキラの瞳で見つめると、拓海が笑う。


「なら俺も張り切るわ」


 夏帆は、拓海と繋いでいる手を両手で握った。


「三浦君……! 君は最高の彼氏……!」

「最高の彼氏のハードル低すぎん? そんなんでこれから大丈夫? 俺もっと頑張るつもりやけど。最高以上の語彙、今から集めといた方がいいよ」

「まじっすか。凄い。わかった。辞書引いとく」


 任せといて、と夏帆が親指を立てると、拓海はけらけらと笑った。




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