05:報告――三組にて

 ホームルームを終え、クラスメイト達が教室を出て行く。第一陣が去ったあとの三組の教室には、まだ半数近くが残っていた。


 かくいう夏帆も、友人の吉岡よしおか 梨央奈りおなと、たちばな こころと共に、教室の一角にまだ残っている。


 昨日の突拍子もない自分の提案から本日の昼休みに至るまでを、どう二人に説明しようか考えていると、ガラガラッと勢いよく廊下側の窓が開く音がする。


「早川さーん!」


 男子の声に名前を呼ばれ、驚いた夏帆は慌てて振り向く。

 窓から身を乗り出して教室を覗き込んでいるのは、知らない男子二人だった。


 一人は背の低い男子で、顔つきは整っているものの目つきが鋭い。夏帆は絶対に自分からは近づけない人種の気配がした。

 もう一人は、笑顔を浮かべる明るい髪色の男子だった。もう十一月だというのにYシャツの前も閉めず、中に着ている黒いアンダーシャツを覗かせている。


「ちょ、夏帆。呼ばれてるけど……」

「なんかしたの?」

「え、なんにも……」


 していないはずだ。教室の外から、知らない男子に呼び出されるような真似は。


 残っていたクラスメイト達が、夏帆と男子を見比べている。日頃男子と接触のない夏帆に、男子が会いに来るのが余程珍しいのだろう。


 夏帆自身も戸惑いながら彼らを見ていると、全速力で走って来た男子が「ふざけんなよお前らっ!」と、窓にいた男子を小突いた。


「あ」


 なるほど。誰の知り合いかわかった夏帆は、心と梨央奈に顔を向ける。


「梨央奈、ココ」

「なん?」

「どーしたの?」


「私ね、彼氏出来た」

「はあ?!!」


 梨央奈が目を見開く。一緒に聞いていた心は「わあ~」と小さな歓声を上げた。


「誰?! っていうか、この流れからアレの中? どれ?!」

「後ろ。最後に来た」

 驚愕する梨央奈が廊下の男子を見るのに合わせて、夏帆もそちらを向いた。いつの間にか四人目の男子も合流していて、廊下でわちゃわちゃとしている。


「うわっ、コタロー君やん……え? コタロー君なん??」

「まさかっ!」


 梨央奈が驚きに満ちた顔でこちらを見る。夏帆はブンブンと顔を横に振った。

 まず間違い無く、琥太郎はこの学校で一番モテる男子だ。そんな男子を彼氏になんて、滅相もなさ過ぎる。


「最後ってことは……じゃあ、あの背ぇ高い、黒いの?」

「うん」

「いつ!?」

「昼休み」

「わはっ。さっきやん~」

 慌てふためく梨央奈と違い、のんびり屋の心はきゃらきゃらと笑っている。


「だから昼休み、お弁当持ってったんかー……」

「ごめん。今からゆっくり話そうと思ってたんやけど……」

 ゆっくり話す前に、慌てて話さなければならない事態になってしまったことを視線だけで告げると、梨央奈が呆れ顔で頷く。


「ねぇーねぇー彼氏くん。夏帆ちゃんのことー迎えに来たんやなーい?」

「ちょっと違う気もするけど……うん。行ってみる」


 教室中の視線に居心地の悪さを感じつつも、夏帆は窓に向かった。緊張のせいで、男子らに向ける表情はかなり硬い。


「早川です」


 夏帆が告げると、拓海と琥太郎によって、事件の犯人のように床に押さえ付けられていた二人の男子が目を見開く。


「実在した……」

「すげえ……本当にちゃんと女子だった……」


 実在もする上に、正真正銘の女子である。戸惑った夏帆が拓海に視線を送ると、拓海のお尻を背中に乗せた明るい髪の男子が、自分の顔を両手で覆う。


「アイコンタクトしてる! 信じらんねぇ! そんな恋人みたいなことやってる! タクが!」

「はーあ。見せつけやがって。もう仲良しアピールかよ」

「ごめん早川さん、うるさくて。すぐ連れて帰るから」

 面倒臭そうに、拓海が明るい髪色の頭をペシンとはたく。


「あ。やっぱそっちなんだ」

「?」

「一緒に帰ろ、って誘いに来てくれたんなら、嬉しいのになーって思ってたから」


 へへへ、と笑う夏帆に、男子四人が固まって目を見開く。

 最初に動いたのは、床に伏せていた背の低い目つきの悪い男子だった。


「ゴリラやなかった……ありえん……」

「おまっ……信じられん……! めちゃくちゃいい子やん!!」

 噎び泣く男子の上に座っていた琥太郎が、夏帆に向かってにこりと微笑む。


「どうぞどうぞ。持ってってください」

「お前らまじでうざい……」


 げんなりとして言う拓海に、夏帆はびっくりした。昼休み、夏帆に対してはこういう態度を微塵も見せなかったからだ。

 素は――というか、男子に対しては、拓海はこういう態度を取るのだろう。


「早川さん、一緒帰れるん?」

「帰れますとも」

 サムズアップして言うと、拓海はふっと笑って立ち上がった。尻に敷いていた男子ものろのろと立ち上がる。


「なら鞄持ってくる。待ってて」

「承知」


「お前らも帰んよ」

 拓海が言うも、男子達は不満げだ。


「えー! もうちょっと早川ちゃんとおしゃべり……」

「きもいこと言ってんなよ。びびってるやろ」

「彼氏面うぜー。早々に独占欲全開ですかー? こりゃすぐ振られますなー?」

「お前、自分だけ……! 俺らにも女子を分け与えてよくない??」

「彼女を分け与えるのんは、どう考えてもおかしいわ」


 にべもなく断る拓海に、夏帆はそっと話しかける。


「大丈夫だよ。三浦君が鞄持ってくる間、みんなでおしゃべりして待ってる」

「え? 大丈夫なん?」

「三浦君のお友達なら、多分」


 きっと夏帆が昼休みに男子と上手く話せないと言っていたために、心配してくれたのだろう。サムズアップしたままの手をぐいっと押し付けるように伸ばす。


「ほらー。早川ちゃん優しい!」

「……」

 拓海に無言で睨まれた明るい髪の男子が、きゃっと怖がるふりをする。


「ほら。急ぎなよ彼氏」

「ダッシュしろ彼氏! 全速力!」

「うっせえ!」


 友達にせっつかれた拓海は、彼らを説得するよりも鞄を持ってくるほうが早いと考えたのか、夏帆を一瞬だけ見た後、廊下を走って自分の教室に向かった。


「なあなあ早川ちゃん。早川何ちゃん?」

「あ、夏帆です」

「夏帆ちゃんね。俺、康久」


 髪色の明るい賑やかな子――康久はそう言うと、目つきの悪い男子の名前が廣井嘉一だと教えてくれた。

 琥太郎に関しては説明は不要だった。女子の間で、頻繁に名前が出てくるからだ。


「なあ、拓海から告白したんやろ?」

「なんで付き合おうって思ったん??」


 嘉一と康久の質問に、夏帆は焦った。

 口裏を合わせるために拓海がその情報を教えてくれてはいたが、昨日一緒にいた琥太郎は、確実に真実を知っている。


 先ほどとは違う視線で、夏帆がちらりと琥太郎を見る。嘉一と康久の後ろにいた琥太郎は、夏帆の視線に気付くとにこりと微笑んだ。


(あ、黙っててくれるんだ……)


 夏帆は特段、「この関係を内緒にしなければ!」と思っていたわけではないのだが、拓海の意思に反したことはしたくなかったため、琥太郎の対応は助かった。


(いい友達が、いるんだな)


 それを知れただけで、拓海の評価がぐんと上がった。

 夏帆は琥太郎に微笑み返して、嘉一達を見る。


「私、文化祭で書道の作品を展示したんやけど――」


 ――つい十日ほど前に、二日にかけて行われた文化祭。


 夏帆は書道部に所属してはいないが、書道部の顧問に請われていくつかの作品を貸し出した。書道部の顧問の森山先生は、夏帆のバイト先の先生の息子だ。高校に入学した際に書道部にも誘われてはいたが、当時既に先生からバイトの話をもらっていたため、入部には至らなかった。


 そんな森山先生にお願いされ、夏帆は三作品を文化祭用に用意した。

 とはいえ書道部員ではないので、展示されたのは教室の隅の隅だった。

 数合わせの作品として展示されることは最初から承知していたので特に気にしていなかったが、夏帆の書を夏帆よりも気にかけてくれた人がいた。


『なんでこれ、こんな隅っこにあんの。一番いいやん』


 たまたま自由時間に通った展示スペース。夏帆が通り過ぎ際に、ぽつりと横にいる男子に向かって言った拓海の声が、夏帆の中にずっと残っていた。


 そんな風に人が――それも男子が――言ってくれるだなんて夢にも思っていなかった夏帆は、その言葉がもの凄く嬉しかった。どこの誰かは知らないが、自分が打ち込んできたものを、一人の男の子が高く評価してくれた事実は、夏帆に喜びと自信を生んだ。


「その時三浦君が、私の書いた物を褒めてくれて……。いいなって思ったん」


 勿論、付き合うまでにはそこからメインの一山があるのだが、事実には違いない。


「……えー……。ほんとに、めっちゃいい子……」

「くそっ……タクのくせにっ……」

「そっかー、早川さん。タク、いい奴だからよろしくね」


 夏帆の説明を聞いた康久は打ち震え、嘉一は沈み、琥太郎は先ほどよりもずっと柔らかく笑った。


「こちらこそ」

 と夏帆が頭を深々と下げたところで、拓海が鞄を持って帰ってきた。





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