03:"そういうの"


「あっ、そうだ。出来れば、やりたいこととかを優先的にしていきたいなって思うんやけど。どう?」


 この世に生まれて十七年。

 その間女っ気など皆無だったというのに、どういうわけだかトントン拍子に話が進み、奇跡的にも出来てしまった恋人が、拓海に言った。


「やりたいことって?」

 座面に対し横向きに座って足を伸ばしていた拓海は、お弁当をもぐもぐと食べる夏帆に顔を向ける。


 新しく出来たばかりの彼女――早川夏帆は、拓海にとって想像もつかないことばかりを言い出す相手だった。


 友人の琥太郎こたろうと話していたしょうもない冗談に、突如女子が割り込んできた時は何事かと思った。突然水飲み場から現れた夏帆のはきはきとした口調や表情はからかいを含むものではなかったが、内容が内容なため、到底信じる気にもなれなかった。


 というのに、夏帆に言われた『本当に誰でもいい? 私でも?』という言葉が頭にこびりついていて、昨夜はろくに眠れなかった。


 なので――昼休みのチャイムが鳴った途端、六組の教室にやってきた夏帆を見て、拓海は全身に緊張が走った。


(あれ、マジだったんだ)


 同じく緊張を滲ませた夏帆は、少しの秘密を共有するいたずらっ子みたいな目をして拓海を呼びつけた。拓海はその瞬間、もし彼女にからかわれているのだとしても、提案されたら受け入れようと決めた。


 そんな夏帆が思いがけず持ってきた履歴書と、クリスマスまでのお試し交際という結果に、拓海は大いに満足していた。


「彼女ほしいって言ってたから。彼女とやりたいこととか、あったんやないん?」


(それは)


 椅子の背も肘をついた拓海は、真顔で夏帆を見た。


(いわゆる、そういうの・・・・・も含まれるんですか?)


 一瞬固まった後、拓海は「なるほど」と呟いて口元を隠した。何がなるほどなのかは、自分が一番わかってなかった。


「彼女とヤりたいこと」なんて言われて健全な男子が真っ先に思い浮かぶ内容は、どぎついピンク色と柔らかい肌色に占められていて当然である。


 拓海とて、どうしても今すぐヤりたいわけではないが、今後こんなチャンスがいつ訪れるとも知れない。

 出来るなら、この機会に是非童貞卒業の免許は取っておきたい。


 セックスまでいければ大変ありがたい話だが、手を繋いだりキスをしたり抱き締めたり――そういうのも、勿論興味がある。正直言ってヤらせていただけるなら、いけるところまでいきたい。


 しかし、この履歴書を介した関係で、どこまで夏帆に望んでいいのかわからない。全く駄目な可能性のほうが高い。


 とにかく、初日からそんな話をしては、さすがに引かれる。

 特に女子にとってはセンシティブな問題に違いない。警戒されてこの和やかな空気が消えてしまうのも困る。


(クリスマスまでの間に、話し合いの場を設ける方向でひとつ)


 心の中でそう結論づけ、拓海は夏帆に質問を投げ返すことにした。


「早川さんはあんの? 彼氏とヤりたいこと」

「ある! めっちゃある」

 夏帆は顔をキラキラと輝かせて、操作していたスマホの画面をこちらに向けた。


「一覧にして、わかりやすくトークのノートに書いておこうかなって今いじってたんだけど……プレッシャーになっちゃう?」

「俺、女子の喜ぶことしてやれる自信全くないから、書いといてくれたほうが助かる」


 琥太郎に聞かれたら「怠慢。駄目だよ」とにこりと微笑まれそうな事を言っても、夏帆は嬉しそうに「んじゃ、お言葉に甘えさせてもらうね」と笑った。

 夏帆がどういう人物かはまだよくわかっていないが、今のところ波長は合うようだ。


「三浦君も思いついたことあったら書いてね」

「ん」


 小さく頷く拓海を、夏帆はまだ笑顔で見ていた。


「……なん?」

「喜ばせてくれる気なんだなあ、って嬉しくって。いい人だね。三浦君」


 直球で褒められて、拓海は頬を赤くした。出来る限り指を伸ばして、片手で顔を覆う。


「早川さん、めっちゃ褒めてくる……」

「せっかくの機会やもん。こんな関係でもないと、堂々と男子褒めたり出来んし。嫌?」

「恥ずいけど、まあ、めっちゃ嬉しいっすね……」


 男同士でつるんでいて互いを褒め合うことなど、まずない。冗談でもそんなことは言わないし、たとえ言ったとしても、「何きもいこと言ってんの」と笑い飛ばされて終わりだ。

 自分がもし言われたとしても、何か裏があるのではと疑うに決まっている。


 クラスにも女子はいるが、女子とは名ばかりの屈強な戦士ばかりなため、女子が気軽に褒めてくる環境になど身を置いていない。


 そんな中、普通に可愛い女子に笑顔で褒められて、悪い気などするはずもない。


「自己肯定感バリクソ上がるやん……」

 片手では隠しきれなくなった顔を両手で覆うと「へへっ」と向かいの席から照れたような笑い声が届く。


「んじゃ、今後もそんな感じでいきますね」

「……ん。なら、俺も……頑張る……」

「あ、無理せず。無理すると続かんと思うし。私はむしろ言っちゃいたい方なんで」

「なる」

「お互い気を遣うだろうけど……なんかこう、マイペースに。うちららしさを探せるとも思うし。疲れないようにやってきましょう」

 ぺこり、と夏帆に頭を下げられて、拓海も釣られて頭を下げる。


「んでさ、さっきのやりたいこと」

「ああ。ヤりたいこと」

「初日やし、いっせーの、で一個ずつ言わん?」

「考えるからちょい待って」

「んじゃLINEで送り合おうよ」

「ん」


 夏帆は悩む事なく指を動かしているが、拓海は眉根を寄せて考え込んでいた。突然の指令に、すぐに答えが用意できない。


(女子はこういうの、ポンポン思い浮かぶよな……)


 拓海と言えば全く思い浮かばない。いや、正確に言えば、出来て数分の彼女に伝えて良さそうなものが、全く思い浮かばない。


 素早く操作し終え、既にスマホを机の上に置いた夏帆に焦りつつ、必死に考える。

 夏帆はお弁当の続きを食べ出したようで、拓海を急かすこともない。垂れ下がってきた髪を、夏帆が箸を持つ手とは反対の手で掻き上げた。


「出来た」

 なんとか捻り出した拓海は、一仕事終えた気分でそう言った。


「おっ。んじゃ、いっせーのでね。いっーせーっの」

「せっ」



【 拓海 / ポニーテールにしてほしい 】


【 KAHO / 背中にぎゅってしてみたい 】



(――そういうの・・・・・


「含まれてたっ……!!」


 喜びから、思わず叫んでしまった拓海は衝撃から体を揺らし、机の脚で自分の足を打ちつける。


「え?」

「んや、なんでもない」


 なんでもない、ともう一度伝え、拓海はLINEにぽこんと浮かんでいる白色の吹き出しを再度見た。


(え。てか、なん? 背中?)


 初日からこんなご褒美をもらっていいのか。拓海はスマホの画面を見てゴクリと生唾を飲んだ。夏帆の顔は、ちょっと見られそうにない。


「三浦君はポニテ? ポニテ好きなん? あ、もしかして、やりたいこと、思い浮かばんかったとか?」


(やらしいのなら、死ぬほど思い浮かんだわ)

 だが正直に打ち明けることも出来ず、もごもごと口を開く。


「いや、うん。まあ、あんまり、得意やないかも。でも、ポニテは好き」


「なるる。今日はゴム持ってきてないからなぁ……あ。お弁当のこれでいっか。ちょっと待って」


 夏帆は弁当箱の蓋を束ねていたゴムに手を入れると、胸まである髪を両手で掴んだ。首を動かしながら、長い髪を両手で拾い集めていく。顔が左右に揺れる動きが色っぽく、拓海は予想していなかった展開に「う゛っ」とたじろいだ。


「じゃーん! 出来ました」

 髪を後頭部でまとめた夏帆が、ポニーテールをお披露目するように体を捻る。夏帆が動く度に髪の束が揺れる。ゴムがヘアゴムではなかったためか、沢山の後れ毛が出ているのもなんだかすごく女子っぽくて、拓海は小さく拍手を送った。


「すげえ……女子が、俺がしてって言ったからポニテしてくれた……」

「このくらいなら、普通にクラスメイトに頼めるやつだったよ」

「いや、ない。絶対きもいって言われる」


 拓海の属する六組は、学年一女子が凶暴と有名だ。カーストのてっぺんにヤンキー座りしながら「カリカリくん買って来いよ」とガンつけてくるような女子達に、そんなこと言えるはずもない。


「私、もし言われたら普通にしたげるけどなー」

「それは早川さんが優しいんやろ」

「そう。優しい早川さん。へっへん」


 人のことは褒めるくせに、褒められ慣れていないらしい。照れを誤魔化すように鼻の下を指で擦る夏帆の仕草は、笑ってしまうほどに古い。


「三浦君の好みの髪型をした、優しい彼女の希望は叶えてくれる?」

「そりゃ勿論……ってか、なんで背中?」

「え?! 男子の背中、めっちゃ良くない!?」

「それは俺にはない感覚過ぎてどうにも」


 これまでの人生で、男の背中に抱きつきたいと思ったことがただの一度もない拓海は困惑して答えた。


「マ? 女子の背中は? 可愛くない?」

「普通に前の方が可愛くない?」

「意見の決裂やね。でも恋人やし、森とたたらばで遠距離恋愛しよ」

「俺森でいいよ」

「えー! 優しいー! さすが彼氏ー!」


 喜ぶ夏帆に微笑を浮かべ、拓海は立ち上がると、くるりと背を向けた。


「なら、ん。どうぞ」

「失礼致します」

「職員室かよ」

「へへっ……」


 夏帆が席を立ち、トトトと足音を立てて拓海の後ろにやってくる。


(しまった。もうちょい後で背中見せりゃよかった)


 今、夏帆が何をしているのか、音でしか把握できない。次にどう動くのか予測が出来なくて、神経が過敏になる。


 肩甲骨の下あたりに、トンと軽く何かが触れた。それは夏帆の指先だったようで、遠慮がちに背を押している。


「凄い……ハリがある……硬い……」

「……」


 感動したらしく、夏帆は感嘆の吐息を漏らした。視覚的要素が一切ないため、吐息混じりの声だけを聞くと、かなり艶っぽい。


(率直にエロい)


 そういう意図がないことはわかっているが、エロいもんはエロい。夏帆は手のひらを拓海の背に滑らせながら、強く押したり撫でたりする。


「わあ……大きい……」

「……」

「触っちゃった……」

「……」

「……気持ちいい」


「早川さん! 黙ってぎゅっとして!」


「何!? 少女漫画の彼女さんみたいなこと言い出して?! 三浦君は彼氏くんだよ!?」


「いいから!」


 我慢出来ずに拓海は叫んだ。先ほどから、夏帆の発言はあまりにも刺激が強すぎる。

 先ほどとは真逆で、後ろを向いていて良かったと思うほど、拓海の顔は真っ赤になっていた。


 夏帆は拓海の言った通りに、ぎゅっと抱きついてきた。勢いよく飛びつかれたが、来るとわかっていたので、拓海の体がよろめくことはなかった。


「わあああ……すっごい……。こんなの初め――」

「お静かに!」

「はい」


 拓海は両手で顔を覆った。


(早川さんのワードチョイス、わざとやないなら酷過ぎる)


 わざとでも酷いが、夏帆の様子からきっと、わざとではないのだろう。


 夏帆が身じろぎをした。離れようとしていると察した拓海が「ちょい待って」と夏帆の腕を掴む。


「もう少しこのまま」

「あ、怒っては、ない?」

「怒ってない。ごめん。恥ずかしかっただけ。でもちょっとこのままでいて」

「はーい」


 夏帆は大きく頷くと、拓海の背中を堪能することにしたらしく、顔を左右に振って顔をぐりぐりと押しつけてきた。


 夏帆の体が触れる背中は温かいし――柔らかい。

 なのに正直なところ、背中に女体がくっついている事実を、これほど楽しめないとは思っていなかった。


(静まりたまえ……)


 先ほどの夏帆のワードチョイスのおかげもあって、反応しかけている自身を、背中に女体をくっつけたまま、なんとしても沈静させなければならない。健全な男子高生の拓海は、かつてないほどに必死だった。

 今夏帆が離れてしまえば、きたしている拓海を目に入れる可能性がある。それだけは絶対に避けたい。


 しばらくして落ち着きを取り戻した拓海は、夏帆の腕を解放した。夏帆も拓海の胴に回していた腕を放す。


「これはいいものだったなー。お願いしてよかったなー。本当にありがとう」


 両手で拝む夏帆に、なんとも言えない表情を向けて、拓海も両手を合わせた。


 ちなみに、勝手におかずのレパートリーに加えてしまうだろう未来に対する、謝罪の合掌だった。




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