五の三

 もはや、当初の計画などはどうでもよくなっている。ただ、この眼の前の、好いた女のために父親を説得しようとする意志も度胸もたない息子の、腐った性根を叩きなおしてやることしか頭にない。

「おい、そこの若造」清九郎は声音を低くして云った。

「な、なんだあんた」真之介が声をふるわせて云った。

「さっきから聞いていれば、なんだ、情けない。父親ひとり説得する度胸もないくせに、その女を娶ろうなどとは、ずいぶん虫がいい話だ。この怯懦な小人め」

「あ、あ、あんたには関係ないだろう」

「関係あろうとなかろうと、お前は気にいらん」

 清九郎はひゅっと刀を鞘走らせた。

「ゆえに、お前を斬る」

「はあっ、なんだあんた、どこをどう展開すれば話がそうなるんだ、頭だいじょうぶか、わけのわからない辻斬りめ」

 盗賊のつもりだったのに辻斬りにされてしまったようだ。

「お待ちください」と和が清九郎の前にたちふさがった。「この人を斬るなら、まず私を斬ってください」

「ま、待て、馬鹿。こんないかれた奴、本当に斬られるぞ」

 そう云って真之介は、和の帯をひっぱって後ろにかばうようにすると、刀を抜いた。正眼といえば正眼の構えだが、切っ先は小刻みに震えているし、膝はがくがくと落ち着かないし、腰は完全に引けてしまっていた。

「斬られはしない、俺は斬られはしない」

 歯の根の合わない顎でそうつぶやいて、自分自身を鼓舞しているのだった。

 それでも好いた女の前だからよいところを見せたいのか、はたまた正義感から目の前にたちふさがる辻斬りを成敗するつもりなのか、真之介は全身震えながらも刀を突き出した。

 猫とたわむれる子供が差し出す猫じゃらしのように迫る、ゆらゆらとした刃の軌道を清九郎は眼で追って、まったく無造作に、その刀の峰をこつりと上から叩いた。

 真之介はよろめいて、まるで肩が抜けてしまったように腕をさげたが、なんとか刀だけは落とさなかった。

 だがよろめいた拍子に、清九郎の前にその後ろ首を無様にさらした。

 清九郎は上段に刀を振りあげた。

 もとより、息子を手にかけるつもりなど毛の先ほどもない。ただ峰打ちで昏倒させてやるくらいが、この優柔不断な息子にあたえるちょうどよい薬だくらいには考えた。

 刀を返して振りおろそうとしたところへ、真之介の背に覆いかぶさるように和が飛び込んできた。

 真之介はつんのめって桟橋に這いつくばるし、和は想い人のその背にしがみついたままの姿勢で、気丈にも顔を振り仰いで清九郎を睨みつけた。

 彼女の瞳には、心底から好いた男を守ろうとする決意が満ちていて、清九郎はその鋭い視線に背筋がぞっとして、ちょっとたじろいだくらいであった。

 数瞬、清九郎は月明かりをうけて勁烈なまでの光を放つ和のその目をみつめた。

 そして、振りあげた腕を、すっとおろした。

「ふん、娘の気概に負けたわ」

 清九郎は、声をぐっと低く落として云った。

「その娘をけっして離すでないぞ」

 そう云ってくるりと振り返って歩き出した。

 その背には、あっけにとられたような顔で視線をそそぐふたりの眼があったであろうが、清九郎は振り返らない。

 桟橋から道にでて、柳の枝をかきわけるようにして歩き、行燈の明かりが届かないところまでくると、清九郎はだっと走り出した。

 ――なんということだ、なんということだ。

 頭巾のなかのその顔は、走り出す前からもう真っ赤に染まっていた。

 ――まるで三文芝居ではないか。

 その娘をけっして離すでないぞ、と云った自分の声が、からみつくように耳に残っていた。

 ――今時、田舎まわりの旅芝居一座でも、あんなせりふは云いやしない。

 ふたりに気づかれてはおるまいな、あのおかしな辻斬りが俺だと見抜かれてはおるまいな、大丈夫だろうな、ほんとうに大丈夫だろうな……。

 そんな不安と羞恥心に追い立てられるように、清九郎は走った。

 娘の気概に負けたわ――、その娘をけっして離すでないぞ――。

 耳の奥でその低く気取った作り声が、さいなむように、何度も何度もこだまするのだった。

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