五の二
「俺はほら真ん中っ子だろう」
真之介は唐突に話はじめた。
「兄は両親からすこぶる期待をかけられていたし、妹は溺愛されていたし、けど俺はまったく相手にされなかったわけだ。いつもほうっておかれてさ」
和は、対岸の景色から眼をそらさずに真之介の話を聞いていた。
「でもあの家はちがったんだ。父方のほうでひいきにされている兄は佐野ではいつも他人行儀だし、妹はお転婆で手がかかるし、俺はその間でちょうどよかったんだろう。あの家に遊びに行くと、亡くなった祖父や祖母がずいぶんかわいがってくれてね。父も……、当時は伯父だったけど、干し柿なんかもってきてさ、無愛想に、食うか(ちょっと清九郎のまねをした)、なんて云うんだ」
清九郎の場所までは、川音にまぎれて話がとぎれとぎれにしか聞こえなかったが、我が家の話をしているのがわかって、耳を寄せて聞き耳をたてた。
「家にはそれぞれ独特の匂いのようなものがあるだろう。住んでいる人の匂いとか、たきしめている香の匂いとか、そんなのがしみついている匂いさ。佐野の家の香と同じ匂いをどこかでかいだりすると、ふっとあの家のことを思い出したりするんだ。楽しかった思い出も、いたずらをして叱られた思い出も、いろいろと……。伯父は結婚してないもんだから、たぶん小森の家から誰かが養子にいくんだろうとは思ってたんだけど、話が持ちあがったとき、俺はひやひやどきどきしたもんさ。佐野のほうがちょっと家禄が高いもんだから、強引に兄を持っていくんじゃないかとか、俺を跳びこして妹を養子にして婿をとって跡をつがせるんじゃないかとかさ。俺が養子になると決まったときは、内心やったと思ったもんだ」
とおくびをひとつもらして、真之介は続けた。
「俺は、実の父親と喧嘩なんかしたことがなかったんだ。まるで相手にされなくってね。だから、佐野の父と最初に口喧嘩した時は、うれしかったな。いまだにそうだ。つい尖ったことをいって、父をあおったりして、無駄に口論しちゃうんだ。父が頑固に主張して、俺がむきになって云いかえして、そんなどこの家庭でもみられるような日々の親子の云い争いさえ、なんだか楽しいんだ」
またひとつ、真之介がおくびをだした。そうして、
「酔ってる、俺は酔っている。何が云いたいんだったか、まるでわからない」
そんなことを云って、なにかをぬぐうように、和の肩に顔をこすりつけた。
清九郎は、自分の気持ちがどんどん冷めてくるのを感じた。今のいままで、息子をとっちめてやろうと意気込んでいた気持ちが、足早に遠のいていくようだった。
「そうだ、その親父だ。親父が難問だ」
真之介が頭に手をやって、あきれたように首をふりふりして云った。
「なにがです」
「俺たちのことだ」
「難問なものですか。あなたが真摯にお話ししてくだされば」
「だめだだめだ、あれはだめだ、臍が曲がりすぎてとぐろを巻いているような人だ、変に膝を詰めて談判なんてしようものなら、かえってふたりの仲が遠のいてしまう」
「そんなことあるものですか。それはあなたの真剣さがたりないからです。もっと本気でお父様と話し合ってごらんなさいな」
「こればかりはいつもの冗談半分の喧嘩口論とはわけが違うからな。いくら真剣になってみても、あのわからず屋はどうにもならない。今までだって何度も云い出そうとこころみた。しかし、はなっから受け付けようとしないんだ。侍の相手は侍の娘でなくてはならない。そう
清九郎はかっと頭に血がのぼるのを感じた。曲がりすぎてとぐろを巻いている臍がうごめきだしたようだ。
柳の陰から飛びだし、桟橋を踏み鳴らし、ふたりの二間ばかりのところで立ち止まった。
ふたりはぎょっとして振り返った。月明かりでもわかるほど、目をまるくしてこちらを見ている。
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