五の一
真之介と和の入った料理茶屋はその楽田町の北の端にあって、町の喧騒からは少し遠ざかってあんがい静寂な場所だった。空からは十三夜の月が冴え冴えとした光を落としているし、石垣の土手にそって柳と灯籠が交互に配置されていて、点々とともるほのかな火影が幽雅ですらあった。
真之介と和のふたりはずいぶん安い酒を出しそうなうらさびれた茶屋に入っていった。それからもう半刻ほどもたつ。
清九郎は懐手をして船着き場の桟橋のたもとにある柳に肩をもたれさせて、茶屋から出てくるふたりを待った。
げんに、いま目の前を通り過ぎる酔っぱらいが、清九郎をみとめると酔いもさめんばかりに驚いて、道の端によけてふらふらと歩き去っていった。
夜の空気は、もう肌に刺さるような冷たさであったし、いっそのこと彼自身も茶屋に入って過ごそうかとも考えたが、こういう茶屋にひとりで入る気にもなれず、部屋にこもっていてはふたりをとり逃すおそれもあったから、結果、背中を丸め、ひとり夜気のなかで寂然と待ち続けることとなった。
さらに四半刻ほどしても、いっこうに出てくる気配がなく、もう今日は計画を断念しようかという考えが、何度も頭をよぎった。
――もうあと五十だけかぞえよう。それで出てこなかったら、今夜は帰ろう。
そう思い決めて胸のなかで、それでも待った時間に未練を残すように、ゆっくりと二十五まで数えたときだった。
茶屋の玄関で店の者が客を送り出すようすがして、すぐに門から真之介と和が出てくるのが見えた。
真之介はぐでんぐでんに酔っていて、足どりもおぼつかない調子で、和がそれを支えるようにして歩いている。
――なんということだ。
清九郎はあきれかえって、それから頭巾のなかの顔を、つよくしかめた。
なんというみっともない姿だ。まるで侍としての自覚がないではないか。しかも女に……、それも町娘にささえられて歩くなどと、なんたる醜態か――。
衝動的に飛び出して怒鳴りつけようとする自分を、清九郎は必死に抑えた。
男が女にもたれかかった、正視するにたえられないみじめな状態のまま、ふたりは川べりをこちらに向かってきたが、真之介が和の袖を引っ張って、桟橋のほうへとそれていった。
桟橋の端から端を、今にも川に落ちそうにふらふらとしながら、ふたりは先端まで行って立ち止まった。
そうして対岸の夜景をみながら、しばらくぼそぼそとなにか語り合っていたが、突然真之介が声音を高くして、
「俺は情けない。情けない男だ。和よ、俺は情けない」
息子は女の肩に顔をうずめるようにして話すのだった。
「なんですか、男の愚痴なんて聞きたくありませんよ」
「いや、聞け、聞いてもらう」
「さっきまで……、お茶屋ではむっつりとして、ほとんど喋らなかったくせに」
「ああ、隣の店でどこぞの旦那が宴会をしていただろう。芸者のへたくそな三味線を高らかにかなで幇間が騒いで、ぎゃあぎゃあ笑い、どたばたと歌い踊り、塀をへだてたこっちまで聞こえるほどの大盛りあがりだ。まったく、風情もなにもあったもんじゃない」
「愚痴を云うのに、風情がいりますか」
「ああ、いるよ、愚痴ひとつ云うのにも風情は大切だよ、お前」
「今日はどうかしてるんじゃないですか。普段はそんな気の細やかなことを云うひとじゃないでしょう。隣の店どころか、隣の座敷がうるさくったって、愚痴も悪口も平気でおっしゃるじゃあないの。どうかしてますよ」
「どうもしやあしないよ。どうもしやしない」
「じゃ、ここならいいでしょう。お話しなさいな」
「あ、いや、そうせかされても、困る。さて、なにを云いたかったんだかな」
清九郎は聞いていて、頭をかかえたくなってきた。実際頭に手をやって、あきれたように首をふりふりしながら、ふたりのようすをうかがった。
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