二の二

 その日、朝からチビをつれて、小森家をたずねることにした。実の母である敏江としえならなにか知っているかもしれない。

 組屋敷の低い塀のうえから庭をのぞくと、ちょうど妹の敏江が洗濯物をほしていたので、門をくぐっておうと声をかけ、そのまま縁側に腰かけた。

 真之介がこれこれだ、と清九郎が話すのを、敏江はたすき掛けの袖からみえる太い腕を休めるでもなく、聞いている。妹は昔から肉付きのよい身体をしていたが、この間までは、はちきれそうなほど肌に張りがあった印象だったのに、今日ふと気がつけば、もうずいぶん肉がたるんでいて、洗濯物をはたいたりひっぱったりするたびにふるふると揺れている。

「ああ、あの子、どこかの茶屋の娘とお付き合いしているそうですよ、もう二年くらいになりますかしらね」

 清九郎はまったく意外な言葉を耳にしたという顔で、

「知らんぞ、わしはそんな話、聞いたこともない」

「そりゃあそうでしょうよ。頑固な兄上に知られたら、無理矢理なかを引き裂かれてしまいかねませんからね」

「そんなことはせんが……、どこの娘だ」

「ええっと、なんて云ったかしら。私も雪乃ゆきのから、もうずいぶん前に聞いたきりですから」

 そこへ、その末娘の雪乃が、厠にでも行っていたのだろう、ふらりと奥からあらわれ、

「あら伯父さまいらっしゃい」

 とちょっと足をとめて、チビ太ったんじゃないかしら、とぞんざいな口調で云って居間に入っていく。

 清九郎は渋面でその姿を見送った。もう十六になったはずなのに、まるで幼童のままのような、礼儀をわきまえない態度であった。

 ――まったく、この家の子供たちはどうなっているのだ。

 まともなのは、生真面目な父親とその性質をうけついだ長男だけで、真之介も雪乃もまるで武家としての自覚がない。母親そっくりに成長してしまっておる。とすると……、なんということだ。真之介がああなのは、わが家の血筋ということになるではないか――。

 渋い顔をさらに渋くしてそんなことを考えていると、敏江が、

「雪乃、真之介が付き合っているとかいう、茶屋の娘さんはなんていったかしらねえ」

「え、かずさんのこと?」

 どこのお茶屋だったかしら、とさらに問う母親に、

「ほら、山下町のお不動さんの門前の……、はなやだか、はたやだか、たしかそんな名前だったわね。店のそとに毛氈を敷いた床几が並べてあるから、行けばわかるわ」

 自分だけ茶をいれてうまそうに飲みながら、雪乃が云うのだった。まるで町娘のような口調であった。

「あ、いけない、これ真兄さまから口止めされてたんだわ。私に聞いたなんておっしゃらないでね、伯父さん」

 母親にはもうずいぶん前に喋っておいて、いまさらながらに念をおすのだった。

「けしからん茶屋ではなかろうな」気色ばむ清九郎に、

「ううん、そんなことないですよ。普通の、お茶とかお団子とかを出すだけのお茶屋ですよ」今度はせんべいを割りながら雪乃が答えた。

「ふうむ」

 チビがもの欲し気な顔で顎を縁側のへりにのせて、雪乃の手のせんべいを眺めている。

「べつにいいじゃないですか」と敏江が話に割って入って、「真之介がいいって云うのなら添い遂げさせてあげれば。長い歴史をひもとけば、武家と町人が夫婦になった先例が、この藩にないわけでもないでしょう」

 と他人事のように云って、

「いえ、ひもとくまでもないわね、私達のお祖母さんが商家の出でしたわね、おほほ」

 そうなのだ、と清九郎は思う。だからこそ身分ちがいの婚姻などは不幸しか生まないとわかるのだ。清九郎自身、祖母が商家の出だからというだけで、子供のころからずいぶん嘲弄されてきたし、城勤めをはじめてからも中傷のまとにされたり、ときにはあからさまな侮蔑を云われたりしたのだ。孫の清九郎ですらそうだったのだから、亡父はもっと悲惨な思いのなかで生きていたのかもしれない。

 清九郎は苦りきって眉をぐっとしかめた。

 居間からせんべいを噛みくだく音が響き渡ってくる。

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