三の一

 行けばわかる、と雪乃は簡単そうに云ったが、ざっと見渡してみただけでも、毛氈を敷いた床几を並べている茶屋が参道に沿って三、四軒もあって、これを一軒ずつのぞいてみねばならんのかと、清九郎はいささかおっくうな気持ちになった。

ともかく、溜め息をつきながら、最近とみに視力の落ちた眼を凝らして参道の一番手前にある茶屋の暖簾をみる。

と、さいわいここが「はなや」であった。

 ――一番端にあるならあると教えてくれてもよさそうなものだ。

 清九郎は姪の気のきかなさに、ちょっと腹が立った。

 さて、と清九郎は途方に暮れる思いだった。和という娘がいったいどんな娘なのか気になってわざわざ足を運んでみたものの、じゃあその娘に会ってどうするか、ということまでは考えがおよんでいなかった。

 参道と大通りの交差する場所で立地がよいせいか、他の店にくらべて客の入りは多いようだ。店の前に四脚並べられた長床几には、ふたりの老婆がすわって茶をすすっているし、数人の町娘がぺちゃくちゃとよもやま話に花を咲かせていて、さらに店内には座敷もあるようで、甲高い笑い声や話し声が騒々しいくらいにぎやかに清九郎の立つ参道まで聞こえてきた。

 チビは、道を行きかう人たちの人いきれにあてられたようで、落ちつかなげに脚にまとわりついてきて、大量の抜け毛が着物の裾になにかの模様みたいにくっついてしまっていた。

 考えてみれば清九郎はいままでこのような店にはまるで無縁で、誰かと連れ立ってでもこのような店に入ったおぼえがない。見るかぎり、男の客は皆無で、はたして清九郎のような男が、しかも侍の男がひとりで入ってよい店なのか、茫然とした様子で店をながめながら、思い惑っていた。

 すると、紺色の暖簾をはらい、なかから出てきた女中があった。

 彼女は黄八丈の着物に白い前掛けを付けて、にっこりと微笑んでこちらをみた。

 清九郎はあっけにとられた。知り合いに見られたらずいぶんみっともないくらいの顔をして、その娘の顔を食い入るように見つめた。

 ――川原の娘ではないか……。

 娘は清九郎のところまで小走りによってきて、

「あらご隠居さまいらっしゃいまし。どうぞおかけになってくださいませ」

 愛想よく、歯切れよく、ほがらかな声音で招いてくるのだった。

 先日の、化粧けのなかった地味な印象の顔ではなく、薄くではあったが紅、おしろいを全体にほどこして、ふっくらとした赤い唇はつややかにきらめいていたし、細い印象だった眼も、心なしひとまわりくらい大きくなっているようにさえ感じられた。

 同時に、これが真之介と恋仲の娘にちがいない、と直感した。だがそれではあまりにできすぎた話だ、そんな偶然があるだろうか。

 彼女は茫然としている清九郎をにこやかな面持ちで見つめている。

「さあ、どうぞどうぞ」

 その清々しい笑みで誘われるとなんだかあらがいがたい気持ちになってきた。あふれでている愛嬌になんとはなしに引き寄せられるようで、ああいや、などと口のなかでもごもごいいながら一番端の床几のふちに、ちょっと申し訳なさそうに腰かけたのだった。

「あ、やっぱり」と女中が謎が解けたようなすっきりした顔で云った。「ご隠居さま、ときどき川でお会いしますね。いつもそのワンちゃんを連れておいでで」

「うん、ああ」

 どう返していいかわからず、喉からしぼりだすように、やっとそう答えた。

「何になさいます」

「いや、こういうところははじめてでの。わしのような武家がはいってよいのかな」

「ええ、けっこうお侍さまもお見えになりますよ」

「そうか。何があるね」

「はい、おだんごに、お茶に、ぜんざいに甘酒、あと五平餅などもございますが」

「ううん、そうだな、なにか、お前さんのおすすめのものをたのむよ」

「では、お茶に五平餅をお持ちいたしましょう」

「うん、それでたのむよ」

 はい、と透きとおる声音で返事をして、むこうをむいた彼女のその背中に、

「お前さん、名はなんと云うね」

 清九郎は思いきって問いかけた。

 女中は、はじかれるように振りかえって、

「かず、といいます」

 こういう仕事をしていると名前を訊かれることなど、よくあることなのだろう、不審な顔もせずに答えて店のなかへはいっていった。

 やっぱりあの娘だったか、と清九郎は思った。彼が川原で時々見かけた娘と息子の付き合っている娘が、同一であったとは。

 ――そんなできすぎた偶然もあるのだな。

 偶然の不思議さにちょっとした感動を覚えつつ、清九郎は空をみあげた。

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