第39話
スイッチのことを、僕らはまだ知らなかった。
この世界には、天候を左右できるほどの何らかのきっかけが存在する。だが、それが何なのかはわかっていない。
「科学的な何か」という漠然としたもので理解したつもりになってしまうのは、人間に顕著に見られる悪癖だ。いや、ロボットだってそうだったのかもしれない。
気になっていることがあった。かつて見た「族長の墓」、そして「魂」だ。彼らは死なないはずだ。とすれば、あれは何だったのか。確かに風は、何かに操られるように吹いているのを感じた。これらを説明するには?
雨の中、僕は出かけた。体が芯から冷えてくる。
「どこへ行くんですか」
村を出たところで、追い付いてくる足音が聞こえた。
「止めるのですか」
「いいや、俺も行きます。その道は、俺の方が詳しいだろうし」
振り向いて見たヘトの顔は、これまでになく勇敢だった。
「いいんですか」
「俺が決めることです」
二人は、いつかのように無言で歩き続けた。けれども、決して二人の関係は緊張していなかった。
道は、途切れていることもあった。降り続く雨は大地を侵食し、その形を変えてしまっている。いずれ水底に沈み、もっと形を変えてしまうことだろう。
道が途切れていても、ヘトはひるむことなく進んでいった。僕もそのあとについていった。疲れもあったが、気にならなかった。この状態に近いのはランナーズハイというものらしいが、どこか違う。どこかしら、単純な充実感。
夜になり、大きな洞窟の入り口に着いた。光を差し入れると、蝙蝠が数羽飛び出してきた。
「先日確かめましたが、ここの魂も盗まれていました」
「やはりそうですか」
水の溜まっていない場所を探し、腰を下ろした。水と食料を少し口にする。
「ここから先は一度しか行ったことがありません」
ヘトは何か細かいものを噛んでいた。人間は特殊な植物によって意識を酩酊させることがあるようだが、それだろうか。
「そのときはどうでした」
「共に行った三人は死にました。険しい道のりでしたが、それだけではありませんでした。おそらく……呪われたのではないかと」
「……呪われた」
気が付くと、ヘトは寝息を立てていた。僕も、少し眠った。
朝、光に照らされて目が覚めた。光?
洞窟の外に出ると、太陽を見上げるヘトの姿があった。
「これは……」
「晴れていますね……直線上に」
嘘のようだが、幅百メートルほど、まっすぐに雲が割れている。まるで、僕らを導いているかのように。
「思うんですが……いや、やめましょう」
僕は、出かかった言葉を飲み込んだ。あまりにもばかばかしい見解だったからだ。
「ヴィーレには、いろいろなことが見えているんでしょうね」
「そんなことはないですよ。見方が特殊なだけです」
僕らは、再び歩みを進めた。道はまだ濡れていたが、晴れている分かなり歩きやすくなったと感じる。
上空をコンドルが飛んで行った。一瞬思った、あれは、本当に鳥?
僕の中に染み込んだ異質な部分が、共鳴し始めているのが分かる。
「もうすぐです」
ヘトの体が左右に揺れ始めた。足取りも重そうだ。
「大丈夫ですか」
「そうですね……むしろヴィーレは、なぜ大丈夫なんですか」
「ヘト、まさか呪いが……」
「誰しもかかるものだと思っていました。やはり、ヴィーレは特別ですね」
急な山道を登り、夜になっても歩き続けた。「一度眠ってしまうと、起き上がれないですから」とヘトは言った。一人で来るべきだった、と後悔し始めた。
「もうすぐです」
二度目のその言葉を聞いた時には、僕には目的地がとらえられていた。人間が住むにはあまりにも高すぎるところに、それはある。
「ああ……」
谷を一つ隔てた斜め上、朝の光に照らされて、それは姿を現した。斜面にこびりつくような建造物と、一番高い所にある細長い何か。草や苔にまみれて得体の知れない動物のようにさえ見える。
「空中都市……」
ヘトのそれは、説明なのか、感想なのか、名称なのか。しかしいずれにしろ、言う通りだと思った。わざわざこれほど不便な所に街を造ったのは、「空中都市」というイメージが先にあったからだとさえ思えてくる。
しかし実際には、全く異なる理由だろう。
前方から、背の高い兵士が歩いてきた。顔つきは穏やかだった。ヘトは剣の柄に手をかけたが、今の様子では争いになれば負けるだろう。
「待っていた。二人とも、案内する」
谷全体に響き渡るような声だった。敵意は微塵も感じられなかった。
「待っていたとはどういうことですか」
「アイネ様はお前たちが来るだろうとおっしゃっていた。そのために光の道を作っておいた」
「そうでしたか」
予想はしていたことだ。アイネは、天候を操れるようになっている。ならば、雨をやませることもできるかもしれない。
「さあ、どうぞ」
僕らは、兵士の後をついていった。空中都市が、眼前に迫ってくる。
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