第14話
起動音がない代わりに、自然と右手が目をこする。人間は通常状態になるまでに結構な時間を要するようだ。
僕は、自分の家にいた。フューレンが運んでくれたのだろうか。
鏡を見ようと思ったが、そんなものはなかった。水道もない。電気もない。なんという不便な世界だ。
ただ、空気だけはずいぶんといい。この世界の自然はまだほとんど誰にも汚されていないのだ。実際にはこの仮想世界自体が僕らの世界にあるわけだから、なんとも妙な話だが。
外に出て、背伸びをする。これも体が勝手にすることだが、起動の一環だろうか。首を回す。小さくジャンプする。ここまでくるとミットライトの悪ふざけとしか思えない。
だが、だんだんと気分がよくなってきた。人間というのは不思議な生き物だ、と思ったが、あくまでこれはミットライトがインプットしたデータであって、本来の人間が同じであったかは不明だ。まあ、一緒だったろうと思っておく。
「遅いぞ。お前の育ったところでは男は働かないのか」
フューレンの声だった。昨夜の様子からは想像できないぐらい、ちゃんと起動した顔をしている。
「いえ、もちろん働きますよ。ただ、もっと日の短いところだったので」
言い訳というばかりでもない。計算結果によるとどうやらここは夜が短いらしい。
「年中短いところがあるものか。まあいい、お前に仕事を教える。ついてこい」
今日は縄はつけられていない。フューレンは無防備に背中を向けている。銃という武器が、絶対的な有利を信じ込ませているのだろう。僕らが人間に対しても信じていたように。
険しい山道、道と呼べないような場所も、フューレンは颯爽と進んでいく。まだ人間の体に慣れていないのか、そういう体力の設定なのか、僕はすぐに息が切れてしまう。
「おい、お前本当に旅してきたのか、イェ」
「そうですけど……」
「まったく。そんなんじゃ先が思いやられるな」
ひょっとしたらエネルギーが切れかけているのかと思ったが、メインブレインは何の異常も知らせてこない。ということは、しっかりと充電できているのだ。相変わらず通信はできないが、ミットライトは僕の面倒を見ているらしい。
二時間もたった頃だろうか、ごつごつした岩場に来て、フューレンは立ち止まった。
「いいか、お前のような部外者を見つけるのが仕事だ。特にこの付近は多い」
「何をしにくるんですか」
「本気で言っているのか、イェ。不思議なやつだな、お前は」
言いつつ、フューレンは銃を取り出した。
「私たちの村は、多くの技術を受け継いでいる。盟約によりそれらは最低限の使用に留められているが、それを破り、技術を奪おうとするものが現れているのだ」
「僕もそれで捕らえられたんですね」
「そうだ。族長が許さなければすぐに殺すか、罠に使うかだった」
フューレンの目は、時折獲物を狙う狼(という動物が昔はいたらしい。知識としては知っている)のものになる。目的と手段とをはっきりさせ、ただ貫徹する。昨晩僕に体を預けたあのときは、とてもおとなしいものに思えたのだけれど。
「悪いが、この地に足を踏み入れた以上、お前を簡単に旅に戻すわけにはいかない。もしどうしても行くなら、私たち全てを敵にまわす覚悟をしておけ」
僕は苦しげに頷いたが、それは演技だった。技術があるとわかった現在、彼らのそばにいることこそが大事だ。リードは僕の目論見など看破してしまいそうだが、それでも許してくれるのではないか、という期待がある。問題は人々の方だ。部外者に対する警戒心はなかなか解けないだろう。そんな彼らに、技術を見せる気にさせるすべを考えなくてはならない。
「もちろんです。その土地の法に従うのが旅の心得ですから」
「よし。まあ、たいしたことができる顔もしていないしな」
作り物の顔を褒められても何も思わなかったが、少しやわらかくなった目つきに、安心した。
「いいか、奴等はほとんどは歩いてこない。まあ、当然だな」
「そうなんですか」
「徒歩で私たちから逃げ切るのは不可能だ。お前もここまで来たのならばわかるだろう」
「うーん」
とにかく現地人が言うならばそうなのだろう、と納得するしかなかった。確かにこの険しい土地を逃げ切るとなれば大変だろうが、見つけるほうも大変だとも思うが。
「いいか、風が知らせてくれる。この土地の風は、私たちの味方だ」
「風が?」
「はるか昔より、だ。族長がここに来たときから」
「族長が来たのが、はるか昔なんですか」
「そうだ。詳しくは教えてはくれないが、千年以上は昔だろう」
「千年……」
「万年かもしれない。あのお方は、私たちの先祖が生まれるずっと以前よりこの土地にいるとのことだ」
「長生きなんですねえ」
「そうだな。長生きだ」
謎の多い存在だ。まあ、そのうちなんやかんやわかってくるだろう。
一人で頷いていたそのとき突然、風が強く吹きぬけた。頬から耳の後ろを通り、後ろ髪を少し引っ張った。
「伏せろ」
フューレンに頭を押さえ込まれた。二人で地べたに這い蹲るような格好になる。
「獣たちを追っている連中がいる」
銃口が崖の下に向けられた。僕のセンサーではまだ何も捕えることができていない。それでもフューレンのこわばった顔は、何かが来るという確信を物語っていた。
「獣ってなんですか」
「龍だよ」
訳し間違いかと思ったが、どうやらそうとも言い切れないようだった。こちらに向かってくる大群が探知されたが、それらは長い首や鋭い牙を持ち、猛スピードで移動している。僕らの言葉で言えば「恐竜」だが、この世界の人々にしてみれば「龍」ということだろう。
「何のために追っているんですか」
「奴等は龍を操ろうとしている。禁じられたことなのに」
風が次々と吹き抜けていく。そして、龍たちの足音が辺りに響き渡る。温かい塊が、崖の下をどんどんと通り過ぎていった。その数百は越えるだろうか。
「追っ手は?」
「あれだ」
最初、フューレンがそちらを指差していることに気がつかなかった。一所懸命に地面ばかりを見ていたからだ。よくよく見れば、彼女の人差し指は空中を指し示しており、その先には確かに追っ手の姿があった。
「な……」
しかし、まさかそこまでとは思わなかった。いくらむちゃくちゃな世界だとはいえ、飛行機まであるなんて。
銀色のボディを持ったそれは、さすがにジェット機というわけではないが、何らかの動力で二つのプロペラが高速回転をしている。僕らの視線よりも少し低いところを、安定しながらまっすぐに飛んでいる。
「させるか!」
怒声とともにフューレンは引き金を引いた。当たるとも思えないし、当たったとしてもどれほどの効果があるだろうか。
ズドン!
大きな爆発音とともに、機体が大きく傾き始めた。どういう原理かはわからないが、着弾と同時に爆発が起こったのである。
「今のは……」
「うまく当たった。いくぞ」
僕の疑問には答えることなく、フューレンは走り始めた。こんなところに置いていかれてはたまらないので、仕方なく僕もそれを追った。
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