潜行

第10話

 自律システムをいったん停止し、外部コントロール機能をオンにする。頭の中から重たいものが飛んでいったみたいになる。自己完結していた「僕」が、メインブレインとつながれ、曖昧な枠組みの中に浸透し始める。連結されていく回路を、一つ一つ意味付けしていく。プログラム自体は全てミットライトが組んだものなので、どういう原理でなされていくか分からない作業が、何分間か続いた。僕の中に、流入してくるデータがある。仮想世界で実像となる、虚像としての「僕」だ。二十台半ばの青年で、名前はヴィーレ・ドライ。所属していた部族が壊滅し、一人放浪しているという設定らしい。なぜか初恋や嫌いな食べ物まで決められている。ミットライトはどうにも凝り性だ。

 視界が二つに分かれる。現実を見つめる通常の目と、データへとつながる仮想の目。理論上そう難しいことではないが、実際にやってみると妙な感じだ。しかし次第にそれも慣れてくる。きちんと作られたソフトから生まれたものは、きっちりとハードに適応するものだ。

「いいかい、ヴィーレ。つなぐよ」

「はい」

 第二の視野に、光が差し込んできた。同時に、現実の視野がやや暗くなる。実際には、ヴァーチャルにメモリを割くために、リアル側の仕事を軽減化したのである。普段はほぼ普通の人間並みの視力が、0.5ほどまで落とされ、ミットライトの顔が少しぼやけて見える。代わりに、ヴァーチャル側の視力は3.0に設定してある

 マザータウンの電源が入る。頭全体がうなりをあげるようだった。手足の感覚までが薄れていく。ミットライトがうなずくのが見えた。目の前に広がる、青い星。僕は今、仮想世界を外側から眺めている。どこか感慨深い。

 一瞬、二つの視界が真っ暗になった。そして、再び光を取り戻したヴァーチャル・ヴュー。シフトが完全に仮想世界側に切り替えられたようだ。

 光、といってもそれほどの強さはない。むしろ、薄暗いといったほうがいい。頭上には木の枝が生い茂り、折り重なるようにして天井を作っている。足元には冷たい腐葉土。

「冷たい?」

 思わず眉がしかめられた。僕は靴を履いていなかった。

 思わず天を仰がされた。完璧に用意したはずが、思わぬところに落とし穴があった。

《ミットライト、今からでも修正は利きますか?》

 通信を使って問いかけた。

 ……応答がない。

 暫時、意味が分からなかった。

 僕がこうして仮想世界にデータとして存在する以上、マザータウンとの回線は開いている。また、ミットライトがメインブレインとの回路を閉じるとは考えにくい。

 試しに、メインブレインそのものに通信を試みた。しかし、やはり応答がない。

 体を動かしてみる。何の障害もない。

 ここから考えられることは二つ。ひとつは、ヴァーチャル・ダイヴソフトに不備があり、仮想世界からの通信に障害が起きている、というもの。もうひとつは、意図的に、開発段階においてミットライトがこちらからの通信を遮断する手続きをとっていた、というものだ。

 後者であるとは考えたくないが、どちらにしろ「遮断されている」事実に変わりはない。このままでは、最悪こちらの世界に閉じ込められてしまう。もしも……もしもミットライトが何もしてくれなければ、一日半で僕のエネルギーは枯渇してしまう。

 頭の中に地図を展開する。なんとか、マザータウン内のフォルダには支障なくアクセスできるようだ。頭の中に辺り一帯の立体地形データが広がる。ちゃんと予定地点に着地している。

 サーモグラフィを発動。半径3メートルの生体反応調査をマザータウンに依頼。特に異常なし。天候、快晴。健康、良好。

 当座の問題は、靴がないことだった。舗装されていないどころか、自然のまま、道もない場所を裸足で歩くのは危険すぎる。人間というのは、何故これほどにも無防備な作りになっているのだろうか。ようやく違和感について考える暇ができた。肌は場所により温度が異なり、すでに何箇所か虫に刺された。体内は柔らかい臓器が水に浮いたようになっていて、不安定この上ない。このような気分の悪い乗り物を操縦しなければならないとは、実に不愉快だ。

 それでも、立ち止まっているわけにはいかない。早いところ異常の根源を突き止めなければならないし、このままでは僕の電源自体が切れるかもしれないのだ。

 異常事態には、こちらの連絡でミットライトが対処することになっていた。例えば今ならば、足の裏の痛覚を消去する、などの処置が考えられる。こんなことなら僕が直接いじれるようにしておけばよかったが、それだとデータ処理能力にも支障をきたし、こちらでの活動効率が悪くなってしまう。

 痛み、というのはロボットには感覚しにくいものだと言われてきた。僕らの場合、危険信号は純粋に情報として処理される。当然今でも僕本体はロボットなのだから、真実の痛みを味わっているわけではない。もし人間のような痛覚が存在するならば、僕もミットライトものた打ち回らなければならないだろう。それほどに僕らは痛んでしまっている。

 とにかく僕は、とぼとぼと歩き始めた。自分の創った世界の中で、僕はとても孤独だった。

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