第4話

 一万年も経つと、観ていた場所が海に沈んでしまった。水中にはうじゃうじゃしたものやひらひらしたものなど、見たことのない貝や魚がいるが、それらが現実世界においても目新しいものであるかどうかは、よく分からない。人間が行っていた化石の年代測定は実にいい加減だったことが僕らによって暴かれたが、かといって古代生物の謎に取り組もうなんてロボットもいなかった。よって、生物史の真相は誰も知らないままだ。

「どうだい、ヴィーレ、今日の調子は」

 いつの間に帰ってきたのか、お気楽なミットライトの声に僕は振り返った。いつも笑ったような形で固まってしまった口元を見ると、緊張感が緩んでしまう。僕らには恐らく必要などないのだが、どういうわけか「表情的なもの」に対する明確な認識が存在する。人間に無理やりインプットされたと言う者もいれば、便利だからだ、という単純な説もあった。どちらにしろ、おじさんロボットの口の形ぐらいで落ち着くというのはなんとも不思議だ。

「博打を打ちましたから。大失敗かもしれません」

「はっはっは。博打を見下したのはロボットだったんだけどねぇ」

 生きるか死ぬかに関わる実験なのに、いつだってミットライトはのんきだった。彼は消滅を恐れていない。あれだけ生き延びるための努力をしていたのに、いざとなればどうしようもないという覚悟ができている。ひょっとしたら、旧型は破壊への恐れが少ないのだろうか。

「ヴィーレ、あれはなんだい?」

 ミットライトが何かを見つけたらしく、ディスプレイの一点を指差した。それは地域カメラのウィンドウだった。地域カメラは、ある一点をリアルに再現し、映像として映し出すものだ。データ的に分布がわかっても、実際に様子を見てみなければ具体的な把握は難しい。分布データウィンドウで確認できるのは、大まかな生命体の分布図だけである。一見順調な発達を遂げているように見えるときも、カメラ画面に切り替えるととんでもないことになっているときがある。細菌数が正常でも、その極端な種類の少なさから幾年も経たずに荒地になることもあるし、植物の分布移動が激しすぎると思ったら、動物へと進化しかけた植物達が歩き回っていることもあった。もし人間が生きていたら小躍りしそうなデータだが、今の僕にとっては失敗でしかない。人間が、そして僕らがそうであったように、行きすぎた進歩は早急な破滅をもたらす。筋肉を手に入れた植物は、あっという間に世界を征服し、そしてあっという間に自滅してしまう。求められているのは、それぞれが控えめであり、絶妙にバランスが取れた自然なのである。

 だから、僕らが見つけたそれは、この時代にはあってはならないものに思えた。二本の太い足を、輝く分厚そうな表皮が覆っている。記録に残されたような緑やオレンジではなく、闇から這い出たかのような黒を身に纏っている。道理が合わない。小型の草食動物さえ見かけていないのに、突然大型恐竜が現れるなんて!

 これまで様々な失敗例があったが、これほど大胆なイレギュラーは初めてだった。いくら進化が突発的に起こることがあると言っても、ねずみが象を産むことはない。三倍体のねずみとか、首の長いねずみがやっとなのだ。突発的に遺伝子全体にわたって変異することもないわけではなかろうが、それでは生きていくのに必要な最低限の器官も失ってしまう。都合よく恐竜にまで変異して、なおかつ生きていくのに必要な情報だけは全て保存するなどということはまずありえない。

 が、現に僕らはそれを目にしている。あくまで仮想的な世界なので、一番考えられるのはデータ処理自体に誤りがある、ということだ。しかし遺伝子の話と同様に、突発的なバグが「動く恐竜」データを生じさせることなんてあるだろうか。3Dである上に動いているのだから、「絵の具をこぼしたらモナリザ(かつて人間が美しいと感じていた、陰気な女性の絵)になっていた」よりも奇跡的な確率である。

 正直な話、ミットライトのいたずら、というのが一番納得できる回答なのだが、あいにく彼にはそんな暇がなかった。昔なら外部からのハッキングにより、ということも考えられたが、ハッキングする主体が存在しない。

「たいしたもんだねぇ。博打は成功したんじゃないかい?」

 この驚くべき映像を目の当たりにしても、ミットライトの様子は平然としたままだ。驚きの反応が最初からインプットされていないのではないかと疑うぐらいに落ち着いている。

「冗談じゃないですよ。全く予想がつかない世界になってしまいました」

 僕は仮想主体を設定し、始点を主観カメラに切り替えた。これはデータ自体には全く影響を与えずに、自分の分身を送り込むような機能で、より臨場感溢れる影像を体験することが可能だ。地面の凹凸や風の影響、対象物のスピードや走行経路などを把握するのに役に立つ。

 仮想主体から見ると、森の木々は威圧的ですらある。彼等はただ、光へ光へと伸びているのだ。地表付近では光の足りない種子が新芽を枯らしてあえいでいる。ここは、老木たちのテリトリーなのだ。

 しかしそんな主たちをあざ笑うかのように、巨大すぎる動物は大地を闊歩する。データによれば、初期の恐竜はそれほど大きくなかったはずだか、今僕が目にしているそれは、最盛期の大きさを持っている。この存在は、完全に順序を無視している。そしてたった一点のカメラでも発見できたことからして、この星にはまだまだたくさんの恐竜が潜んでいるに違いない。なんてことだ。

 見る限り、この世界には恐竜の天敵となりそうなものは何もない。彼にとって一番の敵は空腹だろう。一体あのでかい体を維持するだけの食料が、どこにあるというのか。口許から時折見えるのは、鋭く尖った牙だ。彼は一体どんな対象を想定してあのような武器を生み出したのだろうか。

「小型哺乳類どころか、他の爬虫類も見かけないね。こんな滑稽な様子は初めて見たよ」

 さすがのミットライトもしばし見入っていた。僕はとりあえず、この時点を一度保存した。だいたいにおいて、こういう異常な状況が起こった後は急速な破滅が訪れる。しかしこちらがデータをいじってやれば、その破滅を避けられるかもしれないのだ。

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