第32話 熱中症にはご注意を④
日照雨さんに手を引かれ、1階の和室に連行された。
9枚の畳が敷かれた室内には水墨画の掛け軸や宮城県の伝統工芸品であるこけしが何個も立ち並んでいる。
「てことでその扉を引くと中に浴衣が入ってるみたいだからそれを着てみて」
日照雨さんは親指を立てて、
「というか今更だけど天空くん浴衣の着方わかる?]
「自分で着たことはないけど母親の着付けを手伝ったことが何度かある。それにネットで調べれば動画くらいあるでしょ」
「天空くんのお母さん浴衣着るんだ!」
「お祭りごととか好きな人だから。息子を置いて夫婦で毎年花火大会を楽しんでいるよ」
「へぇー仲良いんだね」
「まぁね――というかいつまでそこから覗いているんだ? 着替えられないんだけど」
僕は浴衣を手に持ったまま日照雨さんを見る。
「ん? あぁ、私を気にしないで着替えていいよ~」
日照雨さんは平然とした顔で言ってのける。
「ナチュラルに覗きを働こうとしないでよ……」
「えぇー天空くんのバキバキの腹筋を拝もうと思ったのに……」
日照雨さんはがっくり肩を落としたような表情をする。
実際には顔だけを襖の間から出しているから肩が落ちているからはわからない。
「まず僕の腹筋が割れている前提で話を進めるな」
「またまた~。私にはわかるよ~。天空くん、筋トレ――してるでしょ?」
ニヤつき顔で目を細めながら犯人を突き止めた探偵のように確信めいた声で尋ねてくる。
「……してないよ、別に」
「はいー、その不自然な間は図星の確たる証拠です! 今すぐ腹筋を見せなさい。いや、触らせて!」
襖を勢いよく開けてご飯につられた犬のような速さで僕に駆け寄ってくる。
「や、やめ……ろー!」
「いいじゃん。減るもんじゃないし!」
あちらこちらから伸びてくる日照雨さんの手から腹筋を死守する。
しかし、それ以外の僕の筋肉が犠牲になっている。
柔らかく暖かい――いや、熱い日照雨さんの手の感触が体中から伝わってくる。
あーもう! そんなべたべた触るな!
僕だって一介の男子高校生なんだぞ!
痺れを切らした僕は日照雨さんの肩をわしづかみ、引きはがす。
これ以上はダメだと理性が正常に判断してくれた。
「はぁはぁ、もう……やめてくれ」
「はぁはぁ……天空くんがそこまで嫌がるなら……」
お互い息を切らして、一定の距離感を保つ。
「じゃあ海に行こう!」
「はぁ?」
急な提案に思わず素の言葉が漏れた。
「海に行けば合法的に天空くんの腹筋を見ることができるし、砂に埋めちゃえば……ぐへへ……」
「そんなやましい顔している奴の誘いに乗るバカはいない」
「えぇー。美少女の水着姿が見れるチャンスだよ?」
「まぁそれに興味がないと言ったらウソになるね」
「へ?」
予期していない答えが返ってきたからか日照雨さんは力の抜けたような表情を浮かべる。
「僕だって男子高校生だから人並みには興味があるよ」
日照雨さんの顔が紅潮していく。
そして、自分の身を守るように両腕で自らの体を覆う素振りを見せる。
「あ、天空くんのえっち……」
「まぁ僕は『日照雨さんの水着姿』が気になるとは言ってないんだけどな」
「んなっ……!?」
「日照雨さんだって『自分の水着姿』とは言ってないよ?」
ぐぬぬという声が聞こえてきそうなほど悔しさを滲ませている。
「そこは察してよ!」
「気持ちは言葉にしないと伝わらないんだよ」
「いつもは察しが良い癖に!」
主導権は完全に僕が握ることとなった。
いつもと変わらない。
僕は心地よかった。
日照雨さんとくだらないやり取りができていることに安心している。
「ほら着替えるから出ていって」
「はーい……」
僕の言葉を素直に聞き、襖を閉める。
9畳の和室に1人。
いぐさの香りが鼻を抜ける。
畳も色あせることなく、綺麗な緑色に保たれている。
手入れがしっかりと行き届いている証拠だ。
浴衣を着ながら考える。
できれば勘違いであってほしかった。
だから頭の隅に置いておいたこと。
そんな僕の願いは届かなかった。
日照雨瑞陽の太陽が日に日に大きくなっていること。
存在感を増していること。
さっきもそうだった。
まるで彼女を焼き尽くすかのような脅威でさえ感じる。
稀に感情がその人自身を飲み込んでしまうことはある。
強い感情が生まれるほどの出来事に遭遇したとき、感情の振れ幅が大きくなり、自分でも制御できないほど感情は膨れ上がり、やがて自らを食らいつくす魔物となる。
それには何かしらの引き金が存在する。多くはトラウマ――心的外傷が生じるほどの何かに触れたとき。
だから日照雨さんにもきっかけがあるはず。
考えて。
考えて。
僕はまた気づく。
――考えても答えが出ないことに。
彼女の口から語られることがこれから先あるのか。
待ちたい。
けれどもう聞いてしまいたい。
そうか。
考えて考えてわかったこと。
それは結局自分のことだった。
僕は怖いんだ。
君の力になれていないことが。
君が僕の目の前から消えてしまうことが。
「ふぅ……」
心を覆う靄を払うように強く息を吐く。
独りは良くない。
こんなこと4ヵ月前の僕が聞いたら驚くだろうな。
いつの間にか独りが当たり前じゃなくなった。
早くこの孤独を終わらせたい。
日照雨瑞陽の太陽のような笑顔が見たい。
そんな想いを込めて帯をきつく締めた。
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