第31話 熱中症にはご注意を③
「到ちゃーく!」
「まぁ、わかっていたよ……」
目的地はやはり
考査期間中はほぼ毎日通い詰めていたから、来る途中からわかってはいた。
「日照雨さんの家って呉服屋でも営んでるの?」
「え、営んでないけど。なんで?」
「今から高い浴衣でも売りつけられるのかなって」
「そんな詐欺みたいなことしないよ!?」
じゃあ浴衣はどうやって準備するんだろう。
ここがわからない限り満点を取ることはできないんだな。
「とりあえず安心して。
そう言って日照雨さんはリュックから鍵を取り出し、慣れた手つきで鍵を開けて中へ入っていく。
「どうぞどうぞ」
日照雨さんに促され、玄関をまたぐ。
もう何度も来ているから驚くこともない。
家の広さにも匂いにもすっかり慣れた。
そのまま階段を上り、2階奥の彼女の部屋へ。
「じゃあ私は飲み物とお菓子持ってくるね~」
僕を部屋に残して日照雨さんはもう一度1階へ。
階段を勢いよく降りる音が聞こえる。
意外と物が少なくて綺麗にされている。
青を基調とした落ち着いた色の家具や寝具が目に入り、ホワイトムスクの甘い香りが鼻を抜ける。
これらが織りなす空間にも僕の体は適応した。
今更動揺することなんてない。
でも。
今日は少し意識してしまう。
どうしても思い出してしまう。
ここに初めて来た日のこと。
彼女の処方箋を見てしまったことを。
3連休が明けてからどうも日照雨さんの様子がこれまでと違う気がしてならない。
あれだけ花火大会に行きたがっていたのにも関わらず、みなと祭に行くことはなかった。
――みなと祭はもう先約があるんだよね。
あれは嘘だ。
僕に嘘を見抜く力はないけれど、あれだけは嘘だと断言できる。
日照雨さんは普段嘘をつく人じゃない。
なのに嘘をつくということは何か誤魔化したいこと――僕に知られたくないことがあるってことだ。
そして、それはきっとここで見てしまった処方箋が関係している気がしてならない。
心臓が少し速く跳ねる感覚がする。
不確定な情報に踊らされることほど無駄なことはない。
それは僕が一番わかっているはずだ。
他人の感情なんて所詮自分から見たら不確定なもの。
なのに――わかっているはずなのに……。
どうして僕の頭を真っ黒な
がちゃりと扉が開く。
「はいはーい。お待たせ~。勝手に選んじゃったけど天空くんはいつもの緑茶で良かった?」
「あぁ……うん。大丈夫だよ。ありがとう」
日照雨さんはいつも通りのテンションで僕に接してくれる。
それは僕に弱さを見せない強がりなんじゃないのか?
そんな勘ぐりをしたくなる。
「ん? 天空くん何か考え事してた?」
テーブルを挟んで僕の向かい側に座った日照雨さんがテーブルから身を乗り出して下から僕の顔色を窺う。
「ちょっとね。でも、どうやらその人は僕に何かを話してくれる気配がないから、僕にはどうしようもできないことなのかもしれない」
一瞬彼女の動きがピタリと止まり、瞼のみ上下する。
「そっか~。私で良かったら協力するからいつでも話してね」
身を乗り出していた体を元に戻し、いつも通りの笑顔を浮かべる。
僕は彼女の言葉を聴きたい。
僕は彼女がすべてを打ち明けられる存在でいたい。
だから――君から話してくれるときを僕は待つよ。
**
お互いに今日の授業で出された課題をこなした。
1時間くらい経っただろうか。
どちらかがやろうと声をかけたわけではない。
自然と勉強をする流れとなった。
これまで日照雨さんの部屋にはテスト勉強をするために来ていた。
だから僕が部屋にいる=勉強するみたいな意識ができているのかもしれない。
こういうのってパブロフの犬って言うんだっけ?
「ん~! よーし! じゃあそろそろ今日の本題に入ろっか~」
日照雨さんが体をぐっと伸ばし、両手を後ろにつき、身体を預ける。
「本題って浴衣でしょ?」
「そうそう。せっかく花火を見に行くなら浴衣着たいじゃん! それも2人揃って浴衣着てたらそれはもう――エモいよ!」
「エモいね……」
別に浴衣を着たくないわけではない。むしろ着たいとすら思っている。
最近は克服してきたが、僕はまずもって人混みが苦手だ。
そんな僕にとって夏祭りや花火大会というは天敵であり、避けてきた存在。
そのため、浴衣を着る機会など巡ってくるはずもない。
浴衣は日本の夏の特権。
それだけで夏と風情を感じることができる。
それに――浴衣を着ている女性は普段の3割増しで綺麗に見える。
浴衣に限らず和服は日本の女性の魅力を引き上げる。
「天空くん浴衣持ってないと思ったし、自分から買うってこともないだろうから私が用意しました。ちなみに私も浴衣を新調したのです!」
日照雨さんは頬をほころばせる。
それだけで嬉しさがひしひしと伝わってくる。
「私が用意ってまさか買ったの……?」
「のんのん」
ウインクをして人差し指を左右に振る。
「天空くん、そういうの嫌だろうなと思ったから買ってないよ」
よくわかってらっしゃる。
日照雨さんは続ける。
「だからね、天空くんにはうちに眠っていた浴衣を着てもらいます!」
「……は?」
眠っていた浴衣ってなんだ。
「とりあえず着てみようよ! 今日はそのために来てもらったんだから。ほら立って立って!」
日照雨さんは僕の腕をかぶを引き抜くがごとく力強く引く。
「わかったわかった……立つから引っ張らないで……」
日照雨さんは立ち上がった僕の左手を掴んだまま、階段を下り、畳が敷かれている和室へ向かう。
胸が飛び跳ねている。
原因はわかっている。
きっと浴衣を着るのが楽しいからだ。
決して――日照雨さんに手を引かれているからではない。
僕は自分に言い聞かせて今にも破裂してしまいそうな胸を右手で握りしめた。
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