第30話 熱中症にはご注意を②

 終わりのない問いを中断させるように予鈴が鳴る。

 日照雨そばえさんはそれを合図に体を起こす。


天空あまぞらくん」

 立ち上がった日照雨さんが僕を見下ろす。


「夏休み何もないって言ってたけど、七夕まつり一緒に行くこと忘れてないよね」

「あーそうだったね」

「え……忘れてたの!?」

 日照雨さんは僕の両肩に掴みかかり、勢いよく前後に揺らす。

 僕は特に抵抗することなく身を委ねる。


「冗談だよ、冗談。ちゃんと覚えてる。8月5日でしょ」

 僕がそう言うと日照雨さんの動きが止まった。

 僕は慣性の法則でもうひと揺れ。


「もうっ! からかわないでよ!」

 日照雨さんは腕を組んでぷいっとそっぽを向く。

 彼女の頭上の太陽が若干大きくなる。

「ってこんなことしてる場合じゃないんだよ」と言って、中庭の出入り口に小走りで向かい、そこで一旦立ち止まり、こちらを振り向く。


「天空くん、浴衣って持ってる?」

「いや、持ってないけど」


「よし、ならちょうどいいね」と日照雨さんは小さくつぶやく。


「放課後、中庭に集合ね!」

「また急な……」

「どうせ暇でしょ?」

「どうせとか言うな。暇だけど」


 えへへと悪戯な笑顔を浮かべる。

 悔しいが、よく似合う。

「じゃあ、またね~!」

 日照雨さんはひらひらと手とスカートを揺らしながら、いつもよりも急いで教室へ戻っていった。


 腕時計を見る。

「……戻るか」

 僕は立ち上がり、お尻のごみを払って中庭を後にした。


 **

 

 帰りのHR終了後、三階の教室から一階の中庭へ向かう。


 すると中庭へ続く扉の前に見慣れた姿を見つけた。

 彼女もこちらに気付いたようで手を振ってくる。


「日照雨さんが先に来てるなんて珍しい」

「今日はHRホームルームが早く終わったからね」


 日照雨さんは正面の昇降口玄関の時計で時刻を確認する。


「よし! それじゃあ早速行こっか――ってどこに行くか伝えてたっけ?」

「いや、聞いてない。けどどこに行くかはわからないとしても何をしに行くかなんとなくわかる」

「ほほーう。じゃあ当ててみて」

「浴衣を買いに行くんでしょ」


 日照雨さんは口角をニヤリと上げる。

「う~ん。90点!」

「浴衣の相場はわからないけど、持ち合わせなんて全然ないんだが……」

「うん。お金は心配しなくていいよ」

「心配しなくていいって……もしかしてあれか? 両親からもらった例の軍資金を使うってこと? それは気が引けるというか……」


 日照雨さんは眉間に皺を寄せながら人差し指を顔の前で左右に振る。


「天空くんの解答は90点って言ったでしょ?」

「あぁ……」

 後ろで手を組んで顔を覗きこんでくる。

 急に距離を詰めてくるもんだから思わず体をのけぞり、一、二歩後ずさりをしてしまう。


「私に付いてきて。残り10点分の解説をしてあげる!」

 日照雨さんは今にもスキップしそうな勢いで――いや、本当にスキップをしながら昇降口を出ていった。


 彼女に置いていかれないように僕を急いで靴を履き替える。


 昼休みに僕が抱いた違和感はただの勘違いなのだろうか。

 いや、勘違いで終わってくれたほうがいいに決まっている。


 小走りで彼女の背中を追いかけ、やがて隣に並ぶ。


 もうすっかり見慣れた彼女の横顔を見て少し安心する。

 そして、少しの高揚感を自覚する。


 日照雨そばえ瑞陽みずひは太陽のように笑う。


 それは当たり障りなく、何の変哲もない表現。

 だがこれ以上彼女を形容する言葉は見当たらない。


 そして、彼女の笑顔太陽は周りを照らす。

 陽だまりの真ん中に存在する。


 でも、もし。

 もしも、君がその自らの太陽に苦しめられているとするなら。

 僕は君にこの言葉を送ることはできない。


 僕はいつからか今以上を望まなくなった。

 人生を面倒くさいと思うようになった。

 それは自己防衛だ。

 期待するから傷つく。

 退屈から抜けだそうとするから傷を抉られる。


 そんな君の隣にいたいと思うのは今以上なのだろうか。

 そんな君と生きていきたいと思うのは今以上なのだろうか。


 僕の心はとっくに日照雨瑞陽の太陽に焼かれて溶かされているのかもしれない。

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