第28話 薄雲広がる栗花落⑤
☂
目を開ける。
人工的な明るさに包まれた見慣れない部屋が視界に入る。
そうだ。ここは僕の部屋じゃない。
「おはよう、天空くん」
この部屋の住人である
「あぁ……おはよう……」
僕は乾いた喉を震わせる。少し痛い。
目の前に置いてあったウーロン茶を口に運び、乾いた喉を潤す。
「随分とぐっすりだったね?」
「今、何時?」
日照雨さんはスマートフォンの画面を僕の顔の前に突き付ける。
19時13分。
「てことは1時間半くらい寝てたのか……」
「寝顔、可愛かったよ?」
からかうような笑顔を見せる。
「撮ってないだろうな……」
「……うーん? どうだろ?」
僕は日照雨さんのスマートフォンを強奪しようとした。
しかし、日照雨さんは僕の行動を予知していたのかのように素早く手を引き、大事そうに抱きかかえる。
「消して」
「それは聞けないなー。タダで宿を提供するわけにもいかないしね~」
宿泊料ってことかよ……。
「1時間半しか寝てないのに宿泊料とるのか」
「え、どういうこと?」
「休憩っていうシステムがあるでしょ」
「きゅ、休憩って、ま、まさかラブホテル!?」
「なんだわかってるじゃん。日照雨さんってもしかしてムッツリ?」
「そう聞かれて自分でムッツリっていう人いないよ!」
日照雨さんは顔を紅くしながら、勢いよくツッコんでくる。
どこかこの光景を客観的に見ている自分がいる。
僕と日照雨さんは仲良くなれたのだと。
冗談を言い合って、お互いにツッコみ合う。
世間一般的にみたら付き合っていると思われるくらいには。
今の僕はかつて僕が自分自身で雲と霧と靄で覆っていた天空陽葵なのかもしれない。
**
「今日はありがとね。天空くん」
「こちらこそ」
僕は靴を履き、玄関の扉を開ける。
日はすっかり沈み、街灯が夜道を照らしている。
日照雨さんも僕に続いて外にでる。
「送ってかなくて大丈夫?」
「僕を送った後の日照雨さんのほうが心配になるからいいよ」
「そっか」
若干の沈黙が僕らの間を巡る。
「また来てね」
「どうせ無理やり連れてくるんだろ」
「人を誘拐犯みたいに言わないで」
「まぁ、僕がいたほうが集中して勉強できるっていうならまたお邪魔するよ」
「それに……」
「それに?」
日照雨さんは首を傾げる。
僕は彼女から目を逸らして、道端の石を足裏で転がす。
「料理を振舞う約束をしてたしね。キッチン使っていいなら今度作るよ」
日照雨さんは目を見開く。
「それ社交辞令だと思ってた」
まさかの返答に僕は戸惑う。
そんな返しをされたら君が全く僕の料理に興味がないのにも関わらず、食べたいんだろ? と一方的に押し付けているようになるじゃないか。
「ふふ、嘘だよ嘘」
「へ?」
「天空くんがその約束を覚えてくれてて、しかも自分から言い出してくれたのが嬉しくて、ついからかっちゃった」
「そういうことか……」
安堵のため息が思わずこぼれる。
1人で舞い上がっていたわけではないようで安心だ。
「うん。とびっきり美味しい料理を期待してる!」
「そんな期待されても困る」
「大丈夫大丈夫。天空くんの料理に腕は私が保証するから!」
「食べたことないのにどうやって保証するんだ一体」
日照雨さんは相変わらず太陽みたいな笑顔を浮かべている。
彼女の頭上に浮かんでいる太陽は周囲が暗いからかより目立って見える。
「まぁ頑張るよ」
僕はそう言って日照雨さんに背を向け、歩き出す。
「天空くん!!」
僕が振り向くと、すぐそばに日照雨さんが駆け寄ってくる。
「花火」
花火?
日照雨さんはゆっくりと顔を上げる。
やがて僕と目が合い、その口が開く。
「花火一緒に見ようよ。だから8月の七夕まつりに一緒に行かない?」
もう花火が話題になる季節か。
七夕と聞いて多くの人は7月7日を思い浮かべる人がほとんどだと思うが、宮城県民はもう一つ候補がある。
それは毎年8月の上旬に執り行われる仙台七夕まつり。
仙台の七夕まつりは旧暦に合わせて3日間開催される。
仙台市の中心部のアーケード街が大きな七夕飾りで覆いつくされ、県内外から多くの人がやってくる。
そして、その七夕まつりの前夜祭として花火が打ち上げられる。
「いいよ。最近人混みに慣れてきたところだし」
「本当に!?」
日照雨さんの表情がまさに花火が打ち上げられ、夜空を色とりどりに飾るかのように明るくなる。
「約束、だからね」
約束。
これはただの僕の勘違いかもしれない。
けれど何かが僕の心に引っ掛かる――明確な意図を持って。
日照雨さんは『約束』という言葉に、その響きに他の人よりも特別な意味を見出いしている気がする。
何の根拠もないただの憶測。
けれど僕のなかの何かが僕に何かを告げようとしている気がしてならない。
だから僕もそれを無視できない。
僕はふと何気なく頭によぎった疑問を投げかける。
「7月のみなと祭りじゃダメなの?」
みなと祭りは
一瞬だけ。
そう一瞬だけ。
彼女の顔が曇った気がした。
それはきっと誰にもわからないほどのごくわずかな変化だった。
僕も気づかなかっただろう。
――"力"がなければ。
彼女の頭上にある太陽が消え、傘と雲が大きく彼女の頭上に浮かび上がった。
これも一瞬だった。
すぐにそれは太陽に取って代わられた。
けれど明確な変化だった。
逃がすわけがない。この二ヵ月間、日照雨瑞陽のためだけに僕の"力"を使ってきたんだ。
「みなと祭りはもう先約があるんだよね」
だから彼女の言葉が嘘であることも僕にはわかってしまったんだ。
「じゃあ、またね! 天空くん」
日照雨さんはいつもと同じトーンで別れの挨拶を告げ、小走りで自宅へと走っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます