第27話 薄雲広がる栗花落④

 早速僕たちは勉強を始めた。

 僕と日照雨そばえさんは向かい合って座り、お互いに自分の勉強を進めていた。


 僕は問題がひと段落するたびに彼女の様子を見る。

 どの瞬間を見てみても集中して問題に立ち向かっている。問題を解く手は度々止まっているが、わかないからといってすぐに解答を見ることはせず、教科書やワーク、そして僕にヒントをもらいながら解き進めている。


 やはり日照雨さんは諦めの悪い人だ。

 そこが彼女の良いところである。


 塾に行ったからって成績やテストの点数が必ずしも上がるとは限らない。

 結局はやる気があるかどうか。

 物事に取り組む姿勢が何よりも大事だ。


 僕はきっと彼女のこういう面を何度も見てきたんだろう。それも無意識に。

 だから彼女のお願いに対して『応えたい』と心から思っているんだ。


 もう一度自分のテキストに目を向ける。

 日照雨さんを心配する必要はなさそうだ。何かあれば彼女から聞いてくる。

 それまでは自分のことに集中しよう。


 **


「数学のワーク終わった~!」

 日照雨さんがペンを置き、ぐーと身体を伸ばす。

「お疲れ、まさかここまで集中して勉強できるなんて思ってもみなかったよ」

「なんかディスられてない!?」

「嬉しい誤算ってやつだよ」


 日照雨さんは唇を尖らせ、腕を伸ばしたままテーブルにうなだれる。

「あー私頑張ったよ。1時間半もほぼ休憩なしでさー」

「そうだな」

「わからなくても答え見ないでなるべく自分で調べて解いたよー」

「そうだな」

「間違いも多かったけどさー」

「そうだな」

「そこは『そんなことないよ』じゃないの!?」

「事実だから仕方ない」

「確かに」


 僕と日照雨さんの間に弛緩した空気が流れる。

 さっきまで自意識を弱めていた睡魔が僕を襲う。


「なんか天空くん眠そうだね」

 日照雨さんは上半身をテーブルに預けたまま上目遣いで僕の顔を窺う。


「昼休みにも言ったけど、寝つきが良くなかったんだ」

「眠いなら私のベッド貸すよ?」

「そっか。じゃあお言葉に甘えて……」

「え!?」

「え?」

 日照雨さんはベッドに向かう僕を声で制す。

「本当に寝ちゃうの……?」

「だって貸してくれるんでしょ?」

 日照雨さんは目をぱちくりさせている。


「に、匂い、嗅いじゃだめだよ?」

 彼女は顔を赤らめて伏し目がちにつぶやく。

 そして、彼女の頭上の太陽の輝きがより一層激しさを伴って燃え盛る。

 僕はそんな彼女の様子を見て、息を漏らす。


「冗談だよ」

「え?」

「冗談だって。初めての来た他人の家で、それも女子のベッドで寝るほど肝が据わっていないよ」

「だ、だよね~。もうっ! からかわないでよー」

 日照雨さんは胸を撫でおろす。


「それは君が僕をからかおうとするからだ。前にも言ったかもしれないけど、いつも日照雨さんの魂胆は僕には透け透けなんだよ」

「ぐぅ……」

 日照雨さんは頬に空気を含ませ、ぷくぅと膨らませる。

 まだぐうの音が出る余裕はあるみたいだ。


「でも、悪いけど眠すぎるからちょっと仮眠する」

「私のベッドで!?」

「いや、ここで突っ伏すだけだよ……」

「ですよね~……」


 僕は腕で額を支えて、テーブルに上半身を被せるように倒れる。


「じゃあ、私は勉強してるね」

 右手を上げて応える。

「おやすみ、天空くん」


 **


 ☀ 日照雨そばえ瑞陽みずひ ☀


 天空あまぞらくんがすぅーと静かな寝息を立てながら気持ちよさそうに寝ている。

 決して寝心地が良いとは言えない環境にも関わらず、眠りにつけるということはそれだけ天空くんは疲れていたということだ。


 二ヵ月前から話すようになり、一緒にいるようになった男の子が今、私の部屋で寝ている。

 そんな事実に私は少し――いや、かなりドキドキしている。

 体も熱い。これは思い込みではない。確かに体の奥から心の奥から熱がこみあげてくるのを実感する。

 その熱が血液とともに心臓から私の全身へと流れていく。


 その熱に私の理性が溶かされているのかもしれない。もしかしたら融点をもう通り過ぎてしまっただろうか。


 天空くんのいつもはかき上げられている前髪が重力に負けて彼の目元に陰を落とす。

 その光景がどこか懐かしい。

 彼はずっと前髪で自分の視界を閉ざしていた。

 自分と世界との干渉を許さず、隔絶していた。

 けれどGWが明けてから天空くんは前髪を上げて、自らかけていたもやを晴らしたんだ。


 それは間違いなく天空くんの覚悟。

 それは自分のための覚悟でもあり――私のための覚悟でもある。


 これは自意識過剰なんかじゃない。

 天空くんはそういう人だ。


 自分の"力"を他人ひとのために使おうとする。


 それはから変わらない。


 雨が降り続いていた私の心に傘を差してくれたときから。

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