少女に傘を差せ。
第16話 少女に傘を差せ。①
フードコートで昼食を取り、ここを後にする。
時刻は12時30分頃。
お昼時ということもあってフードコートを出る人もいれば入ってくる人もいて、ごった返している。
そんな人の波をかき分けて何とか外に出ることに成功し、奇跡的に2人分の空間が空いているベンチに腰をかける。
できることなら映画の時間までフードコートに居座っていたかったが、この混雑状況でそんなことをしてしまったら
「はぁ……お腹いっぱいだよー」
「上映中寝ないでよ」
「寝ないって!」
確かに昼寝をするには十分すぎる状態と気温ではある。ここがもう少し静かだったら僕もウトウトしてしまうな。
すると微かな重みを右肩に感じる。
「映画で寝ないよう……ここで寝ておこう……かな」
右に目線をやると
「ちょっ……何してるの……」
「ふふふ、恥ずかしい?」
日照雨さんはいたずらに笑って上目遣いで聞いてくる。
僕を枕にするつもりか。
「そりゃあ……こんな衆人環視のなかだぞ……」
くそ……動揺しているから恥ずかしいんだ。
このままだと日照雨さんの思う壺だ。
堂々と本でも読もう。
それに頭を休めることもできる。
いらない情報が今日は多すぎる。
文庫本を取り出し、開く。
羅列されている活字、行き交う人々の話し声、足音が目と耳に飛び込んでくる。それ以上に隣から聞こえる息遣いに僕の意識は持ってかれていた。本の内容はあまり頭に入っていない。
「
日照雨さんが目を閉じながら口を開く。
「意外と……ね。それは日照雨さんが僕に色々頼っているからでは?」
僕は文庫をぱたりと閉じる。
「あはは。確かにそうとも言えるね。でもさ、全部断ろうと思えば断れたと私は思うよ。頼られてその手を取るって意外と難しいことなんだよ」
その言葉に日照雨さんの気持ちが強く籠っている気がして、僕はどう返していいかわからなくなる。
いい加減な気持ちで言葉を繋いでいけないと思った。
僕は手持ち無沙汰になってしまい、腕時計を見る。
それを悟られないようにベンチから立ち上がる。
「そろそろ映画館行こうよ」
「うん、そうだね」
僕の眼を見て、日照雨さんは少しだけ笑ったように見えた。
「うぅーん、ふぅ……気持ちよかったなー」
日照雨さんは伸びをし、全身の筋肉をほぐす。
ったく、こっちの気も知らないで気持ちよさそうで結構なことだ。
「今度は天空くんが私の太ももを枕にする?」
「遠慮しておく」
僕はからかう日照雨さんをよそに映画館へ足を向ける。
「もうー! 恥ずかしがらなくていいんだぞー! このこのー」
肘で僕の脇腹を小突いてくる。
くすぐったりからやめて。
「ん? ねぇ天空くんあの
日照雨さんが僕の上着の袖をクイクイと引っ張る。
「どうしたの?」
「ほら、あそこ見て」
日照雨さんに促された方向を見る。
そこにはさっき1階で見た赤いワンピースの女の子。
しかし、周囲に家族がいる様子はなく、きょろきょろと周りを見渡している。
「あの娘迷子かな……?」
迷子。
そうか。あのとき頭のなかを覆っていた霧という名の違和感が完全に晴れた。
赤いワンピースにチャックの靴。
アナウンスがあったじゃないか。
――赤のワンピースとピンクのチェックの靴をお召しになった6歳の女の子が、サービスカウンターでお連れ様をお待ちです。お心当たりのお客様は、1階サービスカウンターまでお越し下さいませ。
あの娘は迷子になっていて、僕が見たときはお父さんとお母さんがあの娘をサービスカウンターで引き取った瞬間だったんだ。
だからお母さんは怒っていて、お父さんは疲れと焦りが見えていたんだ。
ということはもう一度迷子になっているということだろうか。
1回目は1階で迷子になってそのままサービスカウンターにたどり着くことができたんだ。
けれど今は3階にいて、サービスカウンターの場所もお父さんとお母さんの場所もわからず今にも泣きだしそうな顔で立ち尽くしてしまっている。
「あの娘大丈夫かな。ちょっと私行ってくる」
そう言って日照雨さんは少女に駆け寄っていった。
「日照雨さんも大概世話焼きだよ……」
僕も日照雨さんの後をついていく。
「大丈夫? お父さんとお母さんとはぐれちゃったのかな?」
日照雨さんは少女と目線を揃えるように少ししゃがんで話しかける。
「うぐぅ……うぅ……うん……」
少女は鼻をすすりながら答える。僕たちが来て少し安心したのだろうか、涙は引っ込んだように見える。
周囲を見渡す。少し人の目が気になる。
「ここは人多いからベンチに戻ろう」
僕は2人にそう声をかけ、日照雨さんは少女の右手を握る。
ベンチに日照雨さんと少女を座らせる。2人分のスペースしかないので僕は立ったままだ。
僕は日照雨さんを真似て少女と目線を合わせるように膝に手を当て中腰になる。
「大丈夫? 落ち着いた?」
こくんと頷く。
「どうしよう……。この場合ってサービスカウンターに行くのが確実だよね」
――まただ。
今、一瞬だけ日照雨さんの頭上に傘マークが浮かび上がった。
そして、すぐに消えて、晴れマークに取って代わられた。
やはり、偶然ではないのか。
「天空くん……?」
日照雨さんが不安をにじませた表情で僕の顔を覗き込む。
「あ、ごめん」
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。うん、サービスカウンターに預けるのが最適だろうね」
映画の時間も迫っている。
この娘のためにも早く送り届けてあげるのがいいだろう。
日照雨さんの不可解な感情の動きについてはまた後でだ。
「お姉ちゃんとお兄ちゃん、どっか行っちゃうの?」
少女が不安げな眼で僕らを見つめる。
「大丈夫大丈夫。すぐにお父さんとお母さんに会えるからね」
日照雨さんが少女の不安を和らげるように頭を撫でる。
「……やだ」
「やだ。お父さんとお母さんに会いたくない」
少女は首をふるふると振り、大きな声で否定する。
「どうして?」
僕は極めて優しい声を意識して少女に訊く。
「また怒られちゃうから……だからお兄ちゃんとお姉ちゃんにもいてほしい……」
さっきまでの控えめな小さい声で少女はつぶやく。
やはり1階で見かけたときは怒られていたのか。
僕と日照雨さんは目を合わせる。
「(どうする?)」
「(この娘が怒られないためには僕らが親御さんと話をする必要がある)」
「(理屈はわかるけど、私たちみたいな赤の他人が説得できるかな……。まず話聞いてくれる?)」
「(娘を助けてくれたことの恩義を感じてくれれば、交渉の余地はある――と思う)」
僕はふと少女がずっとワンピースのポケットに左手を入れていることに気付いた。
「ねぇ、どうしてずっとポケットに手を入れているの?」
少女はポケットから左手を出して、僕に掌を見せてくれた。
そこには百円玉が4つ。
そうか。わかった。
「うん。お兄ちゃんに任せて。絶対に怒られないようにするから」
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