第4話 出会いの日 快晴④

「教えてあげる。感情がわからないってことがどういうことか」


 日照雨さんの表情が先ほどまでの柔らかい表情に戻る。

 それに僕は少しだけ安心感を得る。


「じゃあまず天空くんに問題です。私たち人間は幸せだから幸せだって知る? それとも幸せだと知ることで幸せになる? どっちかな」


 体育座りをした両ひざの上に右の頬を乗せ、右手でピースをしながら僕に選択を迫る。


 幸せだから幸せだと知る。

 幸せだと知ることで幸せになる。


 一見同じように思えるが、その内実は異なる。

 上手く言葉にできないが、「幸せだと知ることで幸せになる」

 そんなことはきっとありえない。


「前者……だと思う」


 歯切れの悪い回答になってしまった。

 哲学的問答は苦手だ。


 日照雨さんは僕の答えを聞いて、ピースをしていた右手をぎゅっと握る。


「正解――流石だね天空くん」

 膝に顔を預けたままこちらに優しい微笑みを浮かべる。

その笑みは向けられた者を暖めるような作用があるのではと勘違いしてしまうほど柔らかい。

「二択だから流石も何もないと思うけど」

「いやいや天空くんは考えている顔していたから勘で答えてないってことはわかるよ。それにこういうのって考えるのが大事って言わない?」


 まぁ考えないよりも考えた方が自分の思考が整理される感覚はある。


「それでその質問と日照雨さんの感情がわからないとどう関係があるの?」

 早く本題に入りたくて、その先を求めてしまう。


「あはは。そんなに急かさなくても今から言うってー。急がば回れって言うでしょ?」


 日照雨さんは僕から視線を外して正面を向く。

 僕の視界には彼女の横顔が映る。

また――表情が変わる。

空から寒色の絵具が彼女の顔にムラなく塗られているような感覚。


 ゆっくりと深呼吸をする。

 そして――声を出すために小さくを息を吸う。


 僕の聴覚はそれを逃さなかった。


 ――今から始まる。

 僕は瞬時に聞く覚悟を決める。


「幸せだから幸せだってわかる。そう皆思っている。うん。だってそれが当たり前だしね。感情もねそれと同じなの。嬉しいから嬉しいと知るんだよ。でもね、きっと私は違うんだ。嬉しいと知ることで嬉しくなるし、悲しいと知ることで悲しくなるの。私の心はこれと同じなんだよ。私はその根本が自分でわからない。だから私は私の感情がわからないんだよ」


 それじゃあまるで君の感情は――


 日照雨さんは乾燥して固まった絵具で塗られたかのような笑みを浮かべる。


 僕の反応を待たずに彼女は続ける。


「私は私の感情がわからないけど、感情がないわけではきっとないの。だって私は笑うし、涙だって流すしね。でも、笑った次の瞬間には、泣いた次の瞬間には、どうして私は笑っているのか、泣いているのかそれがわからなくなるの」


絞られ切った喉から発せれる声。それは彼女の苦悩を何よりも明確に表明していた。


 感情の欠如ではない。

 


 自分がどうして笑っているのか、泣いているのかがわからない。それがどんな感覚なのかは僕には到底想像できない。


 小さい頃から感情が表に出る出来事があるから笑って、泣く。それは当たり前すぎて誰も疑いもしない現象。


 でも、僕の目の前にはそんな当たり前だと思われることでさえ、当てはまることのない人がいる。


 他人の感情がわからない。きっと僕以外の人にはそれが当たり前だ。

 推測はできても断定は絶対にできない。


 そして、僕にはそんな当たり前がない。


 彼女の気持ちがわかるなんてそんなことは口が裂けても言えない。

 けれど僕もある意味「当たり前がない」側。


 僕らがこうして出会うのは偶然ではなかったのかもしれない。


「運命」という使い古された表現。

 神様の悪戯とも暇つぶしとも言い表される運命それはこれまで一体どれだけの人の人生を狂わせ、そして――引き合わせてきたのか。


 僕と日照雨さんは生まれ持って神様の悪戯の標的になった者同士。


 それはやはり運命と言うほかないのかもしれない。

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