第三章 「売り上げ」を作るために

 母たちの味をビンづめにして売る


 内布家に初めてきたときからただごとではないと思っていたのが、お義母さんが作る「柚子味噌」と呼んでいた調味料だ。

 初めて食べたときにおいしさに驚き、「これはどうやって作るんですか」とつめ寄ったが、お義母さんは、「そんなの適当よ」というだけで長いこと教えてくれなかった。

 実家に帰ったときに、その柚子味噌を母に食べさせたら思った通り、「おいしい」とうめき、「作り方を教えて!」と、私と同じ反応をした。

 母の反応をお義母さんに伝えるとようやく、紙に材料と作り方を書いてくれた。すぐさま、試作をスタートした。

 麹と砂糖と醤油で、柚子を焚くのだが、レシピはシンプルなのに、柚子の水分量によって煮方を変えないと同じにならない。しばらく置いたものがよりおいしくなるが、時間差を経たあとの状態を作りながら見極めるのが簡単ではない。

 完成品はできていなかったが、これを販売すると決めた。

 材料は豊富にあるし、美味しいし、作るのが難しいのだけが問題だが、それはなんとかなるだろう。夫に加工場を作りたいと相談した。

「オレ、作るよ」

 あっさり言った。これまでの経緯を見れば言いそうなことである。

「トータルで、いくらくらいでできるの?」

 100万円くらいといわれることを覚悟していたら、紙にあれこれ書いて電卓をたたき、「15万くらいはかかってしまうかも」と不安そうに言った。

「それだけ? ほんとにそれだけ?」

「コンクリートと材木と、窓、ドア、冷蔵庫、流し台、ガス台、冷蔵庫に棚? 大きなものはほとんど中古で探せると思う。換気扇、あれだけは新品のほうがよくない?」

 耕作放棄地の開墾も続いていたので、加工場作りは開墾と数日おきに行うことになった。

 加工場を作ると決めた場所は、夫が建てた建物の車庫部分。屋根と柱は車庫のときのままで、床のコンクリートを新たに張る作業を私も手伝った。

 加工場の完成が見えてきたので、厨房器具を探し始めた。

 電話帳とネットで探して近隣のリサイクルショップをしらみつぶしに見て回り、結局、鹿児島のリサイクルショップですべてがそろった。最初に行った熊本の大きなリサイクルショップでは、二槽式シンクと二連コンロ二口つきガス台、棚つき作業テーブルの総計が15万円を超える金額だったのに、そこでは4万円ですべてが買えた。

安さの理由は、清掃がすんでないからだ。見たことのないレベルでぶ厚く固くこびりついた油汚れを私が一人で削り、洗い、ピカピカになるまで磨き上げた。もちろん人生初の大仕事だった。

 お義母さんの指導を受けながら試作を重ねた「柚子味噌」が、やっとそれらしくなってきたので、パッケージのデザインを考え始めた。初めて使った「イラストレーター」というソフトで文字をレイアウトし、近隣の村に伝わる手漉き和紙に印刷し、ビンに貼った。

 生まれて初めて自分の「商品」を店頭に並べたのは、錦町の道の駅だ。一本も売れなかった。自分の作ったものが売れるほうが普通じゃないと思っていたので、落ち込みもしなかった。

 そんなとき、近隣の友人宅に大勢人が集まる機会があったので、柚子味噌のビンづめを持参した。

 折をみて隣にいた男性に「ちょっと食べてみてくれない?」と差し出したら、

「うまいっ」

と、びっくりするような威勢のいい反応が返ってきた。関西から移住して間もない人だ。ぎょろ目を最大限に広げ、「どうやって作るんですか」と迫ってくる。

驚いている私の返事を待たず、「これ食べてみて」と彼は隣にいた男性に自分の手にあったビンを差し出した。一口食べたその人も、「うまい」と目を大きくした。その彼は関東から移住した人だった。

「ほんとに? ほんとにおいしいの?」

「おいしいですよ。これ売ってるんですか? おーい……」

 彼はビンを一緒に来ていた妻のところに持っていくべく向かっている。調子にのった私は、隣にいた女の人に二本目のビンを差し出した。

「食べてみてくれる?」 

 彼女は一口食べると、申し訳なさそうに、「あんまり・・・・・・」と言葉を濁した。地元生まれの専業主婦だった。やっぱりそうか、と思ったのは、前にも近所の、地元生まれの農家の主婦に食べてもらったところ、まったく同じ反応を返されていたからだ。

 桃やブドウを置いてもらったことのある人吉市の老舗温泉旅館に、ショップに置いてもらえないかと柚子味噌を持って行ったときは、「うちの料理長は、こんなのは柚子味噌じゃない。美味しくないからおけないと言っています」と言われていた。

 地元には受けない、地元外の人には激しく受ける。この差は何なのか。うちのお義母さんは球磨の生まれなので、地域による嗜好の差によるものではないはず。 

「ひょっとして、柚子味噌っていう名前のせいじゃない?」

と言ったのは、家族以外ではじめて味見をし、「うーん」と渋い声を返した農家の女性だ。

「このへんには柚子味噌って言う別の食品があって、それが柚子味噌のイメージとして固まっているから、それと中身が違うと、それだけでなんだか不満になるかも」

 なんと! そんなことだったのか。すぐに名前を変えた。同じビンに、新たにはりつけたラベルは、「柚子麹」。 

名前を変えたとたん、道の駅のスタッフから「柚子麹はいつ入るのか、とお客さんが聞いてますが」と在庫切れを知らせる電話がかかってくるようになった。 

 翌年、「黒麹」という調味料も作り始めた。材料は柚子麹とほとんど同じ。柚子の代わりにピーマンを使う。レシピは実家の母に教わった。

弟が母の作ったそれをお土産に持ってきた日は、編集者とカメラマン、デザイナーが遊びに来ており、みんなで昼食を囲んだ。弟が黒麹の壜詰めも食卓に置いたのだが、母の作ったそれが一同に大絶賛された。

 カメラマンが、「これ売っていたら絶対買う」と言ったとき、私の目は、きらりと輝いたと思う。

「本当に?」

「本当に!」

 ピーマンと麹のアレ、と家で呼んでいた、いつものお惣菜に「黒麹」という名前をつけた。柚子麹のパッケージのパターンをそのまま踏襲し、その日から二週間後に道の駅に並べた。作り出して三年後には著名な女性誌で紹介いただいた。

 柚子麹は二年ほど作ったが、難しいのはいつまでたっても変わらなかった。義母と同じように作れないことを、作るたびに悩んでいたら、家の柚子の木が遅霜で枯れて全滅してしまったので、これ幸いと作るのをやめた。最近、義母の作る理想の味に対するとらわれがだんだん取れてきたので、また作り始めるかもしれない。


  まずは打席に出てみる


 映画『西の魔女が死んだ』の中でおばあさんが銅鍋でイチゴのジャムを煮ているシーンを見て、「銅鍋でイチゴのジャムを作る人になりたい」と思ったときは、イチゴ農家の妻になるとは夢にも思わなかった。

DVDを借りた夜から三ヵ月後、イチゴが、「ジャムにでもなんにでもしてください」とばかりに目の前に積み上げられていく場所に私はいた。そうだ。銅鍋を買わなくちゃ。

「銅鍋を買おうと思う」と夫に言うと、

「銅鍋ならあるよ」。夫がテレビの画面を見ながら答えた。

「え、なんでそんなものがあるの」

「ジャムつくるため」

「まさかあなたがジャムを作ってたの?」

「いや、まだ誰も使ってない。でも、いつか使うような気がして、ネットで買っておいた」

「いつのこと?」

「五年前かな」

 夫と初めて会った日以来、いろんなことに驚いているが、これにも相当驚いた。私の銅鍋は、私がここに来るずっと前から私を待っていた。

 売れないイチゴを少しでも利益に変えること以外に、私がジャムを作る理由はない。映画を見たときは、趣味としてのジャムづくりを夢見たのに、人生はわからない。

 甘いものが特に好き、というわけではないのに、ジャムとはちみつが好きだった。よくリピートしたのは、フランスのエディアールのジャムだったが、鎌倉のコンフィチュール・ロミさんのジャムも敬愛していた。フランスに出張にいくときは、場所を移すごとに小さなジャムメーカーのものを土地土地で求めた。

 素材がシンプル、作り方もシンプル。究極にシンプルな料理だからこそ、ジャムには「才能」という素材が欠かせないと固く信じていた。そんな世界に自分が乗り出していくのは、畏れ多く、気の張ることだった。

 ジャムのレシピ本を何冊も取り寄せ、レシピと仔細たがわず作ってみたが、いくら作っても、「素晴らしく美味しい」と思ったことは一度もなかった。

 迷っているのは砂糖だった。多くの本によると、ジャムに使うのは、グラニュー糖がよいそうである。でも私は白砂糖をかなり長いこと使ってなかった。

 黒糖で作ると出来上がりの色がよどむのも悩んだ。白いというだけで、てんさい糖を考えたことがあったが、てんさい(砂糖大根)の栽培にたくさんの農薬が使用されていることが多いときくと二の足を踏んだ。もちろんさとうきび栽培でもたいていは農薬を使っているのだが。果糖も各種試したが、決定打に至るものに出会えなかった。

無農薬栽培された砂糖を使って高価なジャムを作ることは一度も考えなかった。売れ残りの果実をお金に変えるのがジャム作りの出発点。売れ残らせるわけにはいかない。 

 切り方、煮方、煮る時間、砂糖以外に何を加えるか。工程はシンプルだが順列組み合わせは無数にある。作るたびにデータを書き留めたノートが、三冊目に入っていた。それでも、これと思えるものは作れない。

 ようやく洗双糖に決めたのは、作り始めて二年目だった。なかなか解決されなかった悩みは、砂糖の比率だった。グラニュー糖より洗双糖はこくが強く出る。甘味が強すぎると感じさせることもある。素材の酸味や硬さは同じ果物でも、時期よって変わる。

火加減のコツをみつけるのにも時間がかかった。その感覚は強火、弱火といった文字では表し切れない。

 おいしいと思えるものができるようになった気はするが、それでも売っていいかどうか迷いが振りきれず、その後も試作の壜ばかりが棚に増えていった。

 迷える心を手紙に書いて、東京の友人アヤ子さんにイチゴと一緒にジャムを送った。「売ればいいじゃん、美味しいよ」とは、一年前から何人もの人に言われている。褒めてもらいたいわけではない。すると、期せず、カメラマンである彼女の夫に言われた言葉が突破口を開いた。

「イチローでさえ打率三割なんだから、三割でいいと思って出してみたら? 100%の人がおいしいと思うものじゃないとダメと思えば、いつまでたっても打席にも出られない。まずは出てみて、あれこれいわれて、それから始まる」

 その通りだ。分厚い雲がいきなり切れて、太陽が頭上に輝いた瞬間だった。

 夫の作ったラベルを瓶に貼った。夫は、太陽と土壌をシンボライズした絵を作り、「sun & earth(太陽と土)」という文字をいれてくれた。私の考えていることがなぜか夫はわかるのだ。

 

  自分の作ったものをお金と交換する  


 ルーキーの初打席は、熊本県庁の地階にある売店に決まった。近所の農家が月に一度出店している売り場の隅で、私のジャムを売らせてくれるという。850円にしたかったけど、間違いなく一本も売れないと思ったので一本650円で売ることにした。

 黒いカフェエプロンをつけて、イタリア製のポロシャツを着て、ゴールドの大きなピアスもつけ、マスカラとアイラインを久々に使った。以前、ブドウの直売所を開いたときに、「地元の人に見えん、アルバイトが遠くから雇われてきたごたる」と言われたのはネガティブな意味だったが、都会っぽい農家というラインは個性と開き直り、自分のままで突き進むことにした。

 そして開店。試食を勧めることは、まったく恥ずかしくない。消え入りたいくらい恥ずかしくなったのは、味見をした人が「美味しい」と言ってくれたときだ。最初は耳を疑った。

「すみません。もう一度言ってください」

「美味しいです。買います」

 本気で動揺した。お礼にジャムをもう一本つけたくなったが、必死で思いとどまった。お客さんが去ると、すぐに携帯電話をポケットからとり出し、夫に電話した。

「どうしよう。一本売れた」 

「よかったね、おめでとう」

 三本目までは、売れるたび毎回電話した。

「どうしよう。また売れた」

 二日目にはリピーターが現れた。買ってくれるのは、ほとんどが二十代か三十代の女性だった。

「昨日からショートの髪とゴールドのピアスが似合って、すてきだなと思っていました」

 息をのむほどにびっくりした。この人には聞いてもいいかもしれないと思って聞いた。

「このラベルどう思いますか」

「ちゃんと作ってるんだなってかんじがする」

 お礼を言うのも忘れ、目を見開くだけの私だった。

 最後の一本が売れたときも、すぐに夫に電話した。

「信じられない……。ジャムが全部売れちゃった」

 生まれて初めてお給料をもらったときも、生まれて初めて原稿料をもらったときもこんなに感動しなかった。どうしてここまで感動しているのか自分でもわからない。

 家に帰ったらもっと驚くことが待っていた。部屋のドアを開けると、机の上にスパークリングワインが置いてあった。

「ジャムが売れたお祝い」

 ワインを選んだこともない夫が私の「泡」好きを覚えていた。

100円単位の利益を積み上げることが実感にならない。こんなことをしてどうするのかと思うことがある。でも、お金じゃないのだ。「おいしい」って言われる時の喜びは。しあわせホルモンがシャワーのように吹き出し、全身を満たしていく。仕事をしている感覚はまったくなかった。趣味とも違う。それは「生きてるよろこび」とでもいうしかないもの。

 地元の観光地にある物産館にもジャムを置いてもらうことにした。最初の日は、全部売れ残る恐怖感でいたたまれず、ジャムを置くや否や急いで店を辞した。次に店に見に行ったときに、売り場のジャムが減っていた。それが何本なのか数えもしなかったが、帰りぎわ、車を駐車場から道に出してしばらくたつまで、シートベルトもせず、ハンドブレーキも引いたままだと気づかないほどドウテンしていた。

 ジャムの納品のために物産館に通うことが増えたので、ハーブティの販売も始めるなら今、と思い決めた。耕作放棄地だったあの「開拓地」で採取するよもぎとスギナ、種をぱらっとまいて生やしたカモミールでハーブティを作り、ジャムと一緒に納品したのは、5月の連休の少し前。果樹園の仕事に追われ、夫とともにやっと店に様子を見に行くことができたのは、連休も終わりに近づいた頃だ。店にもうすぐ着くという頃、車の中で夫に言った。

「どうしてあなたがここに呼ばれたと思う?」

「わからん」

「それはね、ハーブティがまったく売れてないという事実に直面したとき、ひとりではとても帰れないからよ。ショックで車が運転できないからよ」

 ハーブティの試作も一年以上やっていたが、満を持して、完成したと思ったから売り始めたわけではなく、怖がる自分をなだめなだめ行ったことだった。完成など目指したら、ジャムと同じでいつまでも売ることができない。

 夫を車に残して一人で売り場に行くと、なんと売り切れていた。車に戻っても、多くを語る気になれず、しばらく黙っていた。

「どうしてこんなに売りたいんだろうね。全部売れていたといってもマージンや経費引いたら2万円にもならないのに」

 ハーブティは連休の間、私が店に行けなかったため試飲も用意していなかったし、そのパッケージでは袋の中身を見ることもできなかった。

 野原で採取した草を600円と交換してもよい、とお客さんに思わせたのは何だったのだろう。

POPに書かれたコピーか、花のイラストのパッケージか、粗末なわりに高い価格か、籠にキャス・キッドソンのクロスを敷いて重ねいれたディスプレイか、連休でにぎわう売り場の空気か。 

 錦町の道の駅の売り場に同じものを二割ほど安くして並べてみたが、一個も売れなかった。

 何をやっても勉強になった。怖がる心に向き合う練習、勇気をだしてとにかくやっちゃう練習。ポジティブな感情、ネガティブな感情、どちらの感情にも心を開けわたす練習。本当の自由は、こんな経験の向こうにあると思っていた。


  一流レストランへの営業


 2011年、桃の収穫が始まる直前に、熊本、福岡、大阪、東京のレストランをリストアップし、すべて手書きで手紙を送った。

 このシェフの、このレストランで、うちの桃を使ってもらいたいというところを厳選した。手紙には、自分たちと農園と果物を説明し、こういう理由であなたにこの手紙を送りましたと書いた。

 一文字でも書き損じたら、全部書き直すので筆圧の高い、気合のみなぎる手紙になったが、この泥臭さこそ農家が送り出す「プレスリリース」においては、箔押しの便箋にふりかける香水の役目を果たすと信じた。

 手紙の発送が終わり、さて次の手は、と考えながらブドウ畑で袋かけをしていたら、東京の編集者から仕事を依頼する電話が久しぶりにかかってきた。テーマは私が昔から追っていること、メジャーな出版社で有名な媒体だ。どうしようか。久しぶりに東京に行く理由ができるのはうれしいような。返事をしあぐねていたら、日をおかず、別の東京の人から電話がかかってきた。  

 それは物産館にイチゴのジャムを並べているときだった。

 携帯電話から名前を告げる声を聞いた瞬間、あやうく叫びそうになった。話が終わって電話を切るや、その場で飛び跳ね、踊って喜んだ。昔、会社を辞めて独立した直後は、うれしい仕事の依頼が飛び込むたび、電話を切るなりしばらくキャーキャー叫びながら踊っていたのに、最後の頃はどんな仕事をもらっても踊るほど喜べなくなっていた。

 「桃を送ってくれませんか」と言われたのだ。あの、イタリアンの有名店、アクアパッツアの日高良美シェフに。車に乗り込むや、すぐに夫に電話した。日高さんが言った言葉を逐一、夫に報告した。

「案内を送ってこられるわけですから、おいしいんでしょうね」

「はい!」

「相当に自信があると」

「あります」

「ところで、何軒くらいにこういう手紙を出されたんですか」

「正直に申しまして20軒くらいです」

「どういうふうに送る相手をリストアップされたんですか」

「アクアパッツアさんのように、自分が行ったことがあるから使っていただきたいと思うところと、行ったことはないけれども新進気鋭の、使っていただけたら嬉しいシェフのお店にお送りさせていただきました」

「桃、たのしみにしています」

「はいっ、ありがとうございます」

 日高さんにはすぐに桃を送った。手紙がついたその日に電話をかけてくれるスピード感に応えたかった。また電話がすぐにかかってきた。

「満足しています。おっしゃる通り、風味がすばらしい」

 雑誌の仕事は結局しなかった。どう考えてもおもしろいのは、マスコミより桃売りだ。

 無理だろうと思いながら手紙を送った高名なシェフたちから、メールや電話で連日返事を受け取った。農家のヨメからこんな手紙をもらうとは、という驚きが間に挟まるからこその率の高さと思うが、営業成功率は四割を超えた。

電話やメールを受けるたび、飛び上がって喜んだ。それを見て夫が、「ヘンな動物がいるみたい」と笑った。

 中には桃の入手先は決めている農家があるが、お宅をためしてみたい、と電話してくれたシェフもいた。 

もう決めているところがあるので使えません、とわざわざ電話してくれた超有名シェフもいた。

 熊本のレストランで送ったのは、山鹿市にある「ビストロ・シェ・ル・コパン」。この店は年に数度のぜいたくとして私たちが休日のランチを食べに行く定番の店だ。

 桃を送った数週間後、桃の繁忙が一息ついたので、いつものように食べに行った。食後にシェフがテーブルに来られて、

「桃、美味しかったです」と言ってくださった。そして、

「鹿とか猪とか食べるんですけど」と、お話しが始まったので、ジビエの話に変わったのかな、と思っていると、

「それと同じかんじがしました。神様がくれたものだと思いました。人の手がつくった美味しさとは違う。野生の味がしました。こんな桃は食べたことがなかったです」

 うれしかった。「私もそう思います」と臆面もなく言った。自分たちが作っているのではない。自然が作ったものを届けているだけ、と思っていたから言えたのだと思う。

 あるときは、JAに持っていき損ねて桃があまっている、と夫が言うので、その場で本棚からレシピ本を引っ張り出し、著者である東京の有名パティシエに電話をかけた。そのシェフもいきなりの農家ヨメからの営業に驚いていたが、即座に「送ってください」と言ってくださり、桃を余らせずにすんだ。

 レストランに営業していることを話した熊本の友人から、そんなことをしてよく恥ずかしくないね、と言われたことがある。

「恥ずかしいって、何が?」

 きょとんとして、そんな風に言った自分を覚えている。

 農協への販売と、直送で、桃を売り切ってしまうのは造作もない。あえてシェフたちに営業し、買ってもらいたかった理由は、味覚のプロに夫の桃を食べてもらいたかったからだ。才能あるシェフの食卓に集うグルメに夫の桃を食べてもらいたかったからだ。

 熊本のはしっこの小さな農園の、少ししか作れない桃が、どんなにおいしいか、みんなに知らせてあげたい。思っているのは、願っているのは、それだけだった。


  「錦自然農園フルーツストア」開店!

 

 福岡、岡山、和歌山、静岡、長野、山梨、北海道……。名前を聞くだけで果物の名前が自動的に浮かぶ土地がある。このようなブランド力があるのとないのとで、果物の売り方はまったく違ってくる。

 ワインや果物など高価なものになるほど、産地ブランドは強い力を発揮する。広告代理店や歴史が作った知名度が信頼に直結する。信頼感と購買意欲は切り離せない。

 粗末な台に並ぶブドウを信頼する人は多くない。かたや、しかるべきブランド力をもつ百貨店の売り場で、化粧箱(箱代だけで一箱400円前後だってある)に入っているブドウへの信頼は、しばしばとても厚い。

 福岡が誇るイチゴの「あまおう」は、高級イチゴとして売り出すべく、徹底したブランディングが施されている。生産は福岡の農家に限定されており、どんな場末の売り場でも他品種を圧倒する高値で売られている情景が醸成する「あまおう=高級」のイメージ戦略は、パワフルな見かけとネーミングの相乗効果で大成功した。あまおうこそ「イチゴの王様」、「最も甘いイチゴ」と認識する人は食のプロでも多い。 

 一方の錦自然農園は、完全に無名。熊本の桃? 熊本のブドウ? 

「熊本でイチゴ作ってたの?」。

このせりふ、いったい何度聞いただろう。

 土地にブランド力がないなら、うちの農園がブランドになるしかない。

 農園にバリューをつける最もポピュラーな方法は有機JASの認定を得ることだ。これは定められた農薬、肥料のみ使用が許され、栽培過程が公正かつ安全に管理された畑であることを農水省が認定するもの。申請にはお金も手間もかかるが、有機JASの認定があることを条件に取引をする企業は多い。

 有機JASをとることを考え、夫が講習会に参加したことがあった。帰ってくるなり、もう行かない、と夫が言った。

「有機JASは、うちがとってもしょうがないね」

「どうしてそう思う?」

「企業相手に販路を拡大したいなら意味があるけど、それ、うちやんないから。これ以上面積増やさないし、収量ないもん」

 そのとおり。収穫量が少ない私たちが生き残る道はひとつしかないのだ。お客さんとまっすぐつながるネット販売。だから、言っている。今のウチの販売サイトは弱い。これでは無理なのだと。

 いぜん夫は、新たなサイトを作ることをかたくなに拒み続ける。理由はひとつ。

「これ以上きみが払うのが嫌だから」

 何十本かの苗も買ったし、何十メートルものネットやビニールも、鉄パイプも、加工場の材料費、内装費、いちいち覚えてないけれどかかる費用は全部私が払った。それが何? もういいでしょう。 

困ったときに電話する友人、アヤ子さんに電話した。

「うちのサイトを見て初めてうちを知ったと想定してよ、果物を買うとこまでいく?」

「いかないね。デザイン性が低いからちゃんと見る気が起こらない。最終的に信頼感がもてないから買わない」

 ほーらミロ。夫にそのまま伝えると、ついに折れた。作ろうよ、と説得を始めてから一年以上たっていた。

 あとは、どれだけ費用を抑えられるかだ。サイト制作に100万円支払った近所の農家の話を夫がしていた(夫の反対はこのイメージのせいかもしれなかった)。

 サイトイメージがあいまいなときに、多額の費用をかけるのは得策ではない。まずはぎりぎり最小限のものをつくり、そこから必要な改良を加えるのがいい。オープンしてからアクセスが増えるまでに時間がかかることを考えると、何をおいても一刻も早いオープンを優先すべきだろう。

 何社かに問い合わせをして熊本市に本社のある製作会社のアドシンに決めたのは、担当者がよかったからだ。

 専門用語を知らないので意図を伝えるのに四苦八苦したが、担当者は、私が何を知りたがっているかの把握が正確で、説明も的確だった。「それはまだおたくには必要ないでしょう」と、私たちの依頼を再三にわたり退けてくれるのも信頼がおけた。

 製作費は12万円。ラフデザインとコピーは私が書き、写真は夫が撮ったもの。更新するのは私の役目で、バナーも最小限ならページも最小限。

 ページイメージをはかるため、担当者がインタビューしてくれた。

「今のお客さんはどんな人ですか?」

 ブログの効果なのか、お客さんは微増を続けていた。お客さんがどういう人なのかは、いただく電話やメールや手紙から想像するしかないが、なぜか確信をもって私は答えた。

「センスと性格と頭のいい人が多くて、うちが作っている作物を評価して信頼して選んだ人が多いですね。安さで選んでくれている人はそんなに多くないような」

 夫が横で付け足した。

「安さで選んだ人もいると思うけど、そういう人は続きません。クレームして、すぐ去っていく」

 担当者が言う。

「楽天とかでお店を出しているところは、顧客対応がものすごくしっかりしているんですよ。そういうお店はお客さんがすごいですから、お客さんに鍛えられて売る方も成長していくんですね」

 ホームページ診断をやってもらった。うちの特長は転換率の高さだそう。アクセス数は一番多い夏で月に二百人だが、サイトの訪問者が購入する割合は十%を超える月が珍しくない。それが飛び抜けた数字だとは当時は知らなかった。

 転換率の高さは、ブログを読んで興味を持ったり、人に農園のことを聞いてまっすぐサイトに来る人が多いせいだろう。サイトの順位が下位過ぎて、検索してうちにたどり着ける人はほとんどいなかったはずだ。

 翌11月、私たちのサイト「錦自然農園フルーツストア」がついにネット上にオープンした。アクセス数は予想通り、これまでとたいして変わらない。まあ、しばらくはこんなものだ。サイトが認知されるには時間がかかる。


  無農薬っておもしろそう

  

 イチゴは壊れやすいから遠方に発送するのは向かないと夫は、初めて会ったときから言っていた。それをネットで販売するよう説得するのも一年がかりだった。

「そこまで言うなら、全部君がやってね」と言うので、直販をしている農家からイチゴを取り寄せてパッケージを研究し、業者に相談し、大量の箱を買うところまでは、すべて私がやった。もちろん人生初体験だ。

 一パック150円で夫のイチゴを売るのは我慢ならなかった。私がネットで全部売る。鼻息は荒く、一パックの価格を六百五十円にした。ところが売れ行きはまったくふるわず、イチゴは去年までと同じように、ほとんどが道の駅に持っていかれた。そこでも売れ残ったイチゴたちは、去年と同じようにトボトボとうちに帰ってきた。  

その半年後の12月。イチゴのネット販売の二年目が、新しいサイトのオープンとほぼ同時に始まった。

 緩やかな右上がりなんてものではなかった。いきなりサイトへの月間訪問客数が1500人になった。三ヶ月前の七倍。昨年の同じ月と比べたら二十倍の人が来ている。

 千客万来を喜ぶ気持ちはゼロだった。お客さんは来る。問い合わせは多い。だが注文を全部受けるほどの収穫がないから、イチゴの売り上げは月に10万円もない。相変わらず専業農家とは思えないジミな経営。

 ひとつだけ喜ばずにいられなかったのが、イチゴを召し上がったお客さんの反応だった。

「さっきUFOみた!」と電話するときもこういう感じかも、と思わせる声で電話がかかってきた。

「おいしいです。イチゴ、いま着いたばかりだけど、電話せずにいられませんでした!」

「イチゴにお人柄がでている気がしました。お会いしたことないけど、ブログで感じるお声とイチゴが似ている。イチゴに気が入っている、といったら変な感じですけど、気が入ってるのが ちゃんと伝わってくる」

 お客さんのほとんどがブログの読者であることは疑いようがなかった。初めて注文する無名の農園のイチゴを三ヵ月も待ってくれるのは心苦しいことだったが、うちの不器用さを理解してくれている。ものすごくありがたいと思った。

 「しようがないですよね。自然のものですから。また来年お願いしますね」

 心優しい言葉を受け取るほど、求めてくださるすべてのお客さんにイチゴをお届けしたいと思わずにいられない。

 夫の望む農薬を増やさない農法を続けながら量も作れる。そんなメソッドはないものだろうか。

リサーチを続けた。健康法と同じで、農業には山ほどメソッドがあり、指導者がいる。しかし誰もが健康になれる健康法がないのと同様、どこの畑でも無農薬栽培で多収量を可能にする農法はない。

それがあるなら農薬なんて手間のかかるものを高い金額を払って、厳しい経営状態のなかで、農家が買うわけない。

「無農薬で、すばらしい野菜やイチゴを作る女の人がおらすよ」

 よい食材を探すために農家を対象にした勉強会にも参加している熊本の友人に相談したら、そんなことを言った。

「その人どこに住んでるの」

 どうせ遠いところなんだろうなと思いながら聞いたのに、そのすごい女の人はなんと、隣町に住んでいた。

「農薬も肥料も使わんで、高い波動を持つ野菜や果物を作るとよ。彼女の生姜を食べるだけで病気が治る。彼女は竹の精霊と話ができて、精霊にお願いして猪がこんようにしとる」

 農家の「物語」にはオヒレが付きやすい。デマというほど悪意はないが、「神話」に祭り上げられやすい。 

躊躇しながら夫に話したら、「今から行こう」と作業中の手を止めた。教えられた番号にすぐ電話した。

 隣町に住むよしさんは、五十代で仕事を退職し、ひとりで農業を始めた人だった。通された部屋で彼女が言った。

「イチゴならあるよ」

「食べたい!」

 彼女が差し出したイチゴは、小さくて形も色も悪かったが今までに食べたよそのイチゴで、初めて美味しいと思った。食べながら、夫が黙って何度もうなずいている。残念ながら、動物の害にも、病虫害にも困っているし、苗づくりまでは慣行農法。無農薬栽培ではない。猪もきていた。竹の精のことは訊ねなかった。

 帰り道、夫には珍しいくらいしゃべり続けた。

「おもしろいな、肥料をやらなくてもできるって。もっと無農薬、無肥料の話聞きたいな」

 私があんなに言っていたときは無農薬栽培を拒絶したのに、とうとう自分から言い出した。

 よしさんに会って数日後、熊本で『奇跡のりんご』の木村秋則さんの講演会が予定されていることを知った。夫を引っ張って、講演会に行った。

 講演会では、「無農薬・有機栽培」、「無農薬・無肥料栽培」、「慣行栽培」、それぞれの方法で作った米の比較写真がスクリーンに映し出された。また、日本は世界で最大の農薬使用(面積当たり)の国だというデータが紹介された。

 私たちが期待していた栽培法の答えは得られなかったが夫は、「無農薬・無肥料で果樹栽培」という、変わり者しか手を出さない世界にやおら興味を持ったようだ。私のほうは、果樹の無農薬栽培を技術論で語れる人に出会いたいと強く思った。

 時は2011年の晩秋。夫が無農薬栽培に取り組みたいなら、私が探しましょう。その方法を、先生を。


  剪定指導を受ける


 Aさんを発見したきっかけが何だったか覚えていない。おそらく複数のウエブサイトで名前を見たのだろう。メールで連絡を取ってみると、二日後に熊本でAさんの農法の説明会だか勉強会だかが予定されているというので、夫婦で参加を決めた。木村さんの講演会から二週間もたっていなかった。

 ウエブを検索すれば、さまざまな農家や関係者がAさんの方法を紹介している。それでも、明確に「この方法がよい」と推奨する人はみつけられなかった。実験例が乏しく、成功例があるとはいっても少なすぎる。それなのに、私たちは説明会の間にこの農法をやってみると決めた。

「理論的に納得できる。あとはやってみて、本当かどうか試すしかないんじゃない?」

 夫が言いそうなことだ。説明会では驚きの声を二人で連発し続けた。常識と全部反対だった。

常識と真逆の栽培法を全部の作物で、全部の畑で試す専業農家は相当レアだと思う。夫はそもそも危険に鈍感。人生のスタンスは「死なないなら大丈夫」。

 日本ミツバチの蜜を採取する現場に立ち会わせてもらったときだった。夫は巣のすぐ傍らで、遠目には真っ黒な煙幕にも見える蜂がうなりを上げて飛び回るなか、素肌をさらし、笑みさえ浮かべ、蜂をみつめて微動だにしなかった。業者は作業を終えて場所を移すや、「こんな人、見たことない」と怖いものでも見るように夫を指さした。

 Aさんが指導する農法の特長のひとつは、有機肥料も化学肥料も使わないこと(例外は工場生産された酵素)。もうひとつは、植物ホルモンを活性させるために植物を地面と垂直(例外はある)に仕立てていくこと。

 農薬をどこまで減らすかの示唆はAさんからほぼ受けたことがない。農薬をただちにゼロにすることで果樹がどんなダメージを受けるかを、夫は農家になってまもない頃に経験していたから、まずは木そのものを強くしていこうとするAさんの方法は、夫には受け入れやすかったと思う。 

無農薬栽培は、木が元気になれば自然に実現されるもので、性急に進めることではないと、私たちは受け止めた。

 元農業技術の指導員だけあって説明が明晰だ。具体的な例とともに名調子を繰り広げながら、結果が出ていないことに関してはごまかさずそう教える。聞けば聴くほど、これまでの農業に関して知っていたことがオセロゲームのように、黒から白へ、白から黒へひっくり返った。

 肥料を作る時間や費用、散布する時間がいらなくなるので、無肥料栽培は農家を圧倒的に楽にするとAさんは説明した。肥料を使わない作物はとてもおいしくなるとも。 

 肥料は、農薬よりもずっと論客が多い印象がある。窒素、リン酸、カリウムという肥料の三大要素に近代農業は支配されている。個々の畑で土壌を精査し、不足成分を補う方法を支持する人は多い。適切に不足成分を補うことができれば、理論的にはどんな畑にもすばらしいみのりをもたらすことができそうだ。

「そんなことはさんざんやってきたけど、それじゃ結果がでらんと、農家も研究機関の専門家も言うとる」

 こう話すAさんの根っこには、常識としてまかり通っていることが農家を幸せにしなかったことを、嫌というほど見てきた憤りがあるように見えた。

 以後、Aさんには、年に少なくとも一回、多いときは三回農園に来てもらいながら理論と、剪定や整枝の技術を学んだ。

 Aさんからは元気な枝を残して元気のない枝や、上方に向かっていない枝を落としていくよう指導された。私のような素人にはAさんの方法のほうが理にかなっていると感じるが、剪定は長い年月をかけて改良が加えられ、バリエーションはあれど、ある種の完成をみている。Aさんのは、その伝統に真っ向から対立する方法だ。

 Aさんの剪定を全部の果樹に採用した初年度は、「こんなことはやめたほうがいい」と、夫を説得しにわざわざ来てくれる近所の桃農家があった。

「これが正しいか間違いなのかは、やってみないとわからないのでやっています」

 と夫は言った。同じことは販売サイトにも書いていた。

未踏の山を単独登攀している自覚はあったから、この冒険が地図をなくした放浪にならないよう、剪定の仕方が指導通りかどうか、Aさんに確認することは重要なことだった。

「剪定、カンペキだね」

Aさんが初めてチェックのために再訪したときだった。

「普通、ここで止められなくて、ここまで切っちゃうんだ。ここで止められるのがさすが」

 Aさんの予告通り、桃の木が季節を追うごとに元気になっていくのが私のような素人目にもわかった。近所の別の果樹農家が、

「内布さんのところの花の咲き方はすごい。よその畑と全然違う」

とわざわざ言いに来てくれた。

「いったい何をしたとや」

 聞かれるままに教えたが、次回Aさんを招いて広く人を集めて行う予定の講習会を紹介しても、参加するとは言わなかった。道の駅に案内のビラを貼り出して、講習会に参加する人を募ったが、一軒の問い合わせもなかった。

木が元気になるにつれ、桃の枝に茂る葉も見事なV字を描くものが増えた。それは木に勢いがある証とされる。ありあまる元気さを内側で処理できなかった木は、花を大量に自然落下させた。

 果樹栽培には摘花と呼ばれる花を手で落としていく作業があるのだが、Aさんに予告されたとおり、その仕事が省力できた。

「果樹は無農薬栽培が難しい? そーんなことありませんよ。だれが言ったんですか。葉物野菜を無農薬で作るほうがなんぼか難しい」

 初めて会ったときに言われたこの言葉は印象的だった。信用するのはまだ早い、と気持ちの手綱を引き締めるのは忘れなかった。農園のウエブサイトではAさんを紹介はしているが、「実験しています」という言葉を削除することはなかった。

「自然栽培のほうが水をやることをちゃんと考えんといけんよ」

「それはブドウでも、柿でもですね」

「そう。桃は収穫期でも一反あたり三トン程度までの水なら糖度に影響はないからね」

 Aさんによると、水は肥料の代わりと考えて十分な量を与えることが必須なのだそう。

「肥料をやらないと三年目までよくても、そのあと急激にダメになる」

「五年はなんとかなっても、そのあとから肥料を切った悪影響が出てくる」

 そんな言葉が他県から、ご近所から、次々聞こえてきた。私たちの冒険を遠くに住む人も、近くに住む人も見守っていた。剪定の季節になると、購入より栽培法への興味で販売サイトにアクセスする人が増えた。見学を希望する遠方の果樹農家の来訪も何度か受けた。 

 堆肥を与えなくなって五年目、激しい豪雨が毎日続いて近辺の桃がいっせいに味を落としたとき、「内布さんの桃だけ甘い」と近所の農家の友人が不思議がった。 

 この理由をAさんが説明した。

 肥料を与えられ土から吸収した窒素成分が植物体内に必要以上あると、植物は地中の水を吸い上げることで窒素分を流し出そうとする。だが、肥料抜きの植物体は不要な窒素分がないので、どんなに雨が降っても、もう必要量以上の水を吸い上げない。

 

 イチゴの冒険


 イチゴ栽培は、ランナーと呼ばれる新芽を摘み取っていくのが普通だが、Aさんはそのまま伸ばすよう指導する。垂直方向の植物ホルモンの流れを人為的に作るためだ。私たちはイチゴの畝上に張ったワイヤーから数百本の麻ひもをぶらさげ、そこに芽を結んで釣り上げた。

 肥料をやめて二年目、案内したイチゴハウスの中でAさんは目を輝かせた。

「すごい。このツヤはすごい」

 確かにうちのイチゴの果実はキラキラとした光沢を放っている。イチゴの花弁がしばしば八枚あるのも、ほとんどの葉がV字型に反り返っているのも普通ではないらしい。 

畝の側面を少し掘ると、輝くばかりの白い毛細のような根が現れた。肥料をやって育てた作物の根はこうならないとAさんが言った。でも、新芽の釣り上げに成果があるかどうかは誰にもわからない。だって私たちの畑が実験場なのだから。

「草を伸ばして切って、草を伸ばして刈って、その繰り返しが土の中のチッ素を減らしていくんでね。土の中の余剰の窒素が抜けたら植物の体の中でエチレン(植物ホルモン)が活性する。エチレンには殺菌、殺虫作用があるから虫はいなくなる。病気も減る。窒素が抜けるまで時間がかかるのはしょうがないよ。土づくりが必要と思われているのがそもそも間違い。エチレンが活性したら細根が育つし、細根は作物をおいしくするしね」

 Aさんがよく、「最近のイチゴは全くおいしくない。ここのは本気で美味しい」と褒めた。味のよい、ひのしずくという品種に限定して栽培しているせいも大きいと思う。味のよい品種には共通点がある。病虫害にとことん弱く、生産性が著しく低いのだ。

「ひのしずくは病気に弱かけん。いくらおいしくても、あれじゃあなあ」とぼやく生産者の声を何度聞いただろう。代々続いた農家の妻である友人はこう話した。

「それまでうちはイチゴがおいしい、とよく言われていたのに、ひのしずくに変えたとたん苗作りに失敗することが続いて、高設栽培(作業性を上げることを目的に、腰の高さの巨大なコンテナに土や肥料をいれて栽培する)にしたらイチゴがまずくなったし、弱くなった。どんなに農薬かけてもイチゴがだめになっていった。品種を変えんばよかったけど、JA部会のいう品種を作らんば買うてくれん。結局、農家をやめざるをえなくなった。借金だけ残った」

「JA部会のほうやめればよかったのに」

「できんよ。普通はそんなこと」

 最近の新しい品種は、電照装置の設置を前提に開発されることもある。農薬、肥料、電気代、油代。それだけの経費をかけても、イチゴの価格は昔ほど高くない。イチゴ栽培をやめる農家は多い。 

 古い品種のイチゴが病気にも虫にも強いのは、酸味が強いからだ。作物は一般に、酸味のあるものが病気や害虫に強く、農薬を最小にしやすい。昔の品種を選び、露地でゆっくり育てて晩春に収穫すれば、イチゴの無農薬栽培もそれほど難しくないといわれる。だが、そんなイチゴを求める人は、ほぼいない。

 低農薬のイチゴを熱心に探していたあるお客さんが、露地で作られた無農薬のイチゴを食べたと話した。

「香りはないし、ものすごくまずいの。いくら無農薬でもあれじゃあねえ」 

 実はうちでも古い品種を選び、露地栽培で苗を育て、完全な無農薬のイチゴを収穫したことはある。普段作っている品種の味と比較するせいであるのはわかっているが、私も同じことを思った。売り物にできるとは思えなかった。

 「新聞で読んだけど、台湾に輸出しようとしたら日本のイチゴの農薬規準がゆるすぎて今のままじゃ輸出できんって。台湾で認可されてない農薬も、日本のイチゴには普通にかかっとるって。なんでここまで使わせるんやろうな日本は」

 そう言ったのは、近所のイチゴ農家だ。

 農薬の中には劇物指定がされている薬でも、出荷の前日まで散布ができるものがある。

 収穫したてのおいしそうなイチゴを見て、「一個食べていいですか」と農家に聞いたら、「昨日農薬をかけたから」と食べるのをやんわりと止められた。知人だから止めてくれる。お店では誰も止めてくれない。

 

 ブレイク


 新しいサイトがオープンして半年目、2012年夏、桃の一ヵ月のネット注文が120万円になった。

東日本大地震の影響で「九州の農産物はバブルだ」という声が聞こえてきた2011年でさえも、桃のネット注文は一ヶ月20万円前後だったのに。

 関係があるかどうかわからないが、2012年は農園ブログを年間で300回以上更新した。アクセスカウンターをつけていないのでアクセス数は今も不明だが、同じくらいの頻度で更新しているもうひとつ書き続けていたブログは、ひところ一日のアクセスが2万を超えていた。このブログは農園からはリンクしていないが、ブログからは農園のサイトにリンクさせていた。

 どちらのブログからにせよ、ブログで農園を知ったことを伝えるお客さんのメールをよくいただいた。

 ブログやメルマガは、よく夜中に起きて書いた。その時間でないと時間がとれないからではなく、お客さんに伝えたい言葉が浮かんでくると、書きたくて仕方がなくなる。苦手なお金の計算や事務処理には、最低最小しか時間を使いたくないが、こんなことならいくらでもやっていたかった。いくらやっても疲れない。眠気もふっとぶ。

 それにしても2012年は、とんでもなく忙しかった。JA用の箱詰めに追われ、ネット注文用の箱詰めに追われ、運送会社が集荷に来てくれる時間に間に合わず、運送会社まで自分たちで荷物を運び込むのが日課になった。いくら時間があっても足りなかった。儲かってないから人を雇うなんて考えもしなかった。

 熊本に来てからの私は、東京での長年の無理が一気に噴き出したかのように、体調を崩すことが多く、販売サイトをオープンしたのは、手術入院から退院して間もないころだった。その後もたまにひどい貧血で寝込みはしたが、一日休めば復活するので特に気にしなかった。

 時間が足りない最大の理由は、ネット注文が激増しても、収穫した桃の過半数をJAに出荷するからだ。

「色と形は悪くても、美味しそうだと夫が感じる桃」をお客さんに、「色と形は美味しそうでも、夫は美味しくなさそうだと感じる桃」をJAに、という彼の線引きはとにかく固かった。

「なんでその桃がお客さんに送れないの? なんでそれをJAにもっていくの?」

夫が桃を選別している横で、何度火を噴く勢いで叫んだだろう。

「おいしくないから」

「送っていいよ。これもそれも、お客さんに送ろうよ!」

 すると夫は、泣きだす寸前の小学生のような目で私を見る。

「美味しくないってわかっているものをお客さんに送れって言うの?」

「美味しいってば!」

お客さんが大勢待っているというのに、長蛇の列をなしているネットのお客さんを待たせて、買い取り価格がうんと安いJAに夫が桃を出す理由はただひとつ。

「こんな桃では大事なお客さんに送れない」だ。

 夫と果物の質のよしあしを言いあったところで私に勝ち目はない。思案のあげく、「ワケアリ品」というこれまでなかったクラスの桃を売ることを思いついた。

 ワケアリというランクで出すならカンペキじゃなくてもお客さんに失礼にならない。夫も文句をいわないはず。

 とはいえ、夫があんなに慈しんでいる桃に「キズモノ」「ワケアリ」「B品」という蔑称を向けるのも納得できなかった。

「山育ちの桃って名前はどうかな」

 夫に言ってみた。

「ワケアリって呼ぶのは桃がかわいそう。それにワケアリ品なんて言われては、楽しくお買い物できない気がする。私なら買わない。でも、山育ちの桃って聞いたら、ふだんワケアリ品には見向きもしない人でもちょっと買ってみたくなるよ。サイトで説明はきちんとする。ワケアリ品だって説明するから、いいでしょう?」 

 その名前で売り始めてみると、「山育ちの桃」は予想をはるかに超える大人気を博した。

 正規品とどこが違うの、とよくお客さんに質問された。一番違うのは、夫の精査が省かれていること。美味しいかどうか夫が判断して箱に詰められているのが正規品。山育ちの桃はそれをしない。時間を節約したぶん、ばくちの要素が強いのがうちのワケアリ桃だ。

いずれにしても、うちの桃は、完熟で収穫するので、JAに出すには不利すぎた。JAもスーパーも完熟での出荷を求めず、早めにちぎった桃を求める(桃に限らず、多くの作物がそうだ)。

結局、ネットのお客さんとJAの両方をターゲットにしていると、誰にも買ってもらえない桃が山ほど残った。


感動も、クレームも


躍進の陰には友人たちの応援もあった。

友人で、フード・ジャーナリストの北村美香さんは、吉祥寺のギャラリーフェブのオーナー、引田かおりさんに桃を贈ってくれた。二人はおいしいものをみつけると贈りあう関係なのだそう。

桃を受け取った引田さんは、たいそう気に入ってくださり、以来、うちの果物を繰り返し注文されるようになった。寡聞にして、当時の私はまったく知らなかったが、引田かおりさんは、そのセンスのよさで多くのファンを持つ人だった。

引田さんご夫婦が、ブログや雑誌などでうちの農園を紹介くださるようになって、ある共通点をもつお客さんが急増した。それは求めてやまなかった、私と似た価値観をもつ人たち。人気のブランドのものだからよしとはしない。自分の感覚、自分のものさしを大切にする人たち。

桃への感動を伝えるお客さんの声が週を追うごと大きくなっているのは疑いようがなかった。 

 ある著名な料理家が知り合いの編集者と出版社の廊下で再会したそうだ。開口一番、

「最近すごくおいしい桃を作る農家を熊本で発見したんですよ」

 編集者が言うと、何も聞かず、料理家が答えた。

「知ってる。錦自然農園でしょ」

 この話を料理家から聞いたと言ってわざわざ電話してくれたのは、前出の北村美香さんだった。

 一日に新規のお客さんの数が五十人を超えた日が三日続いたことがあった。電話で注文してきた人に思い切って聞いてみた。

「どうやってうちのことを知ったんですか」

「友達がお宅の桃を食べてすごく美味しかったと電話してきたんです。これは買わなくちゃと」

 信じがたい思いで、別の人にも注文の際に同じことを質問してみた。なんと同じ答えが返ってきた。三人目に聞いても答えは同じだった。

 びっくりした。どこかのウエブサイトか雑誌で知らないうちに農園が紹介されたのかもしれないと思っていた(こういうことはたまにあって、いつもお客さんから教えてもらった)。まさか口コミがバクハツしていたなんて。

 うちの果物を必要としている人がいるのに、まだ出会えていない人たちがいる。教えてあげたい。そのために情報を送りだしたい。

伝えたい気持ちがとめどなくあふれて、がまんできずに、布団から出て、夜中にブログを書き始めるのは、お客さんが心の深いところから寄せてくれる言葉に毎日接していたせいが大きいと思う。

「なんで今まで気づかなかったんだろう。ずっと、おたくのような農園を探していたのに」

「もう何も食べられない状態だったのに、おたくの桃は食べるんです。目を開けておいしいって言ってくれました」

 農園の評判がじわじわと上がっていくにつれて、サイトの製作会社のスタッフが「ネットはお客さんが売る側を鍛える」と言っていた意味がわかりはじめた。

 電話口で泣きながら感動したと伝える電話をいただいた数時間後に、破壊力のある攻撃的な電話がかかってきた。果物に対してここまで言葉が出るか、と驚くような言葉を長時間聞き続けた。怒りの原因は他にあるのではと思うほどだった。

 発送日が同じで、同じランクの商品でも、受け取る人によって、受け取り方がしばしば真逆になった。

 「消費者センターに電話しますと」電話してきた人がいた。販売サイトにある「お客様のことば」がよすぎると怒る人がいた。支払ったお金を返せとメールや電話で言ってくる人たちがいた。私が謝り続けていると、きまって夫が後ろから怒鳴った。

「すみませんて言うな! 俺たちは悪いことしとるんか!」

 お客さんから、「まずいから全部捨てました」と連絡をいただくこともあった。注文した人ではなく、贈答された人から「まずい」と電話がかかり、一時間受話器を耳にあてていたこともある。

 そういう人はいるんだから、かまうな、と夫は繰り返した。夫が恐れるのは、私たちの気持ちが荒れて仕事に影響することだ。私たちは畑では口喧嘩をしない。勃発しかけると「畑から出て行って」と夫は私に言いわたす。

 一番きつかったのは、美味しくなかったと綴るメールを受信した翌日、その人から桃の残りが送り戻されてきたことだ。必死で育て、収穫までようようたどり着き、時間をかけて選別と箱詰めをし、送り出した桃がそこにいる。

 夫も私も箱に触る気になれず、運送会社が置いた場所から三日間、動かすこともできなかった。結局、箱ごと畑のすみで夫が焼いた。ひどい気分だった。

 口にあわない産物を生産者に送り返した経験を武勇伝のように話す人に会ったことがある。その行為は戻される側には、「大切に育てた娘が嫁ぎ先から突き返される」に等しいこととは、思いもしないのだろう。

 「やっぱり××(百貨店の名前)で買えばよかった」という言葉もよく聞いた。同時に、有名な高級フルーツ店で買うより、デパートの特選品とされるものを買うより、うちの桃やブドウがずっとおいしいというお言葉もまた、よく聞かせていただいた。

「たまたま桐の箱に入ってデパートから送られてきた桃も同じ時期にあったが、家族はお宅の桃にしか手を付けようとしなかった」

 こんな言葉は、イチゴやブドウや柿に対しても、何度も聞かせていただいた。

 ある日、レストランへのお手紙営業が功を奏して繰り返し注文をいただいていた東京の一流レストラン三軒から「桃がおいしくない」と電話が入った。

 これにはさすがに青くなった。

 もしも彼らと同じ日に送った桃が全部おいしくなかったとしたら、買ってくれたお客さんたちは今頃どんな気持ちでいるだろう。

夫は、「まずいっていう人は必ずいるんだから、君が気にすることじゃないよ。客の反応に神経質になっていたら果物なんか送れない」と平然としていたが、同じ日に三軒のレストランからクレームを受けて、ほっておけるわけがなかった。

 「桃、まずいですか?」と電話などしたら、お客さんがせっかく楽しんでいるのに水をさしてしまうのは間違いない。夫は、「それは君のエゴでしょう。絶対しないでね」と釘を挿した。

 とはいっても、お客さんの中の最も高い比率をしめる層は、「まずくても黙っている人たち」。私が聞いてあげなければ。意を決してシェフ三人と同じ日に送った、関東に暮らす三人を選び、メールした。

「今回の桃はどうだったでしょうか」

 三人から次々に返事がきた。メールを開くのが怖かった。だが、三人が三人とも、

「いつもと同じように楽しんでいます」

「メールをもらって恐る恐る食べてみましたが、いつものようにおいしいですよ」

「なんの問題もないです。いつもありがとうございます」

 どういうことなのだろう。考えてもわからないのでもう考えない。

 

 完璧じゃないのはあたりまえなんだよ


 敵意や怒りにどう対処すればいいのかわからなかった。電話が鳴るのも怖いし、メールボックスや販売サイトの評価コメントを開くのも不安で、気持ちが休まらないと夫にこぼした。

「いったい何が不安なの?」 

「怒られること」

「誰が怒るの? 俺しかおらんでしょ。おれは怒らんし」

「そうじゃなくて。わかってるでしょう?」

「完璧じゃないのはあたりまえなんだよ」

「え?」

「どこからも文句の出ないようにしようと思うから企業がつくる加工品は、添加物をいっぱいいれなくちゃいけない。果物は農薬や肥料をやまほど使わないといけない。そういうの作らなきゃいけないって思ってないから。文句がくるのもありだよ。あたりまえだよ。完璧じゃないから、もっとがんばろうと思うんでしょ。そういうことはあるんだ、とわかっていればいいんだよ」

 近年、「返金補償」というのが化粧品や健康食品などの通販で行われているのも、世間にクレーマーを増やす一因になっていると感じる。「満足できなかったらお金を返します」とネットに掲げる農家の販売サイトを見たこともある。 

 こうしたことは、商品に自信があるからやっているわけではなく、クレーム対応をより効率的に行うためのものではないかと思っている。

 うちもそれをすれば一時間も説教されることもなく、クレーム処理の労力も八割がた軽減されるのかもしれない。だけど絶対しない。覚悟もなく買って人のせいにする人がうちのお客さんにならない方法を考えるほうが楽しい。

 失敗しても人や環境のせいにできない状況が好きだ。ネットで夫をみつけたときも、Aさんの異端の栽培方法を採用したときも、誰の推薦もなかった。星はひとつもついていなかった。

 前の年、早生桃のちよひめを送って、「俺はいつも千疋屋の桃、食べてるからさあ」という渋い感想を伝えてくれたアートディレクターの友人(彼には無料でフライヤーやジャムのラベルのデザインをしてもらっており、ささやかなお礼に果物を送っていた)に、翌年は前年の桃とは特長が正反対の晩生の桃を送った。即日電話がかかってきた。

「桃、旨かったからワインを送る。遠慮しなくていいから何でも欲しいもの言え」

 食べ手の桃の好みがわかっているだけで、相手の反応はかくも一変する。

 以前、小さなビストロを一人で切り盛りするオーナーシェフにインタビューしたとき、

「オーダーのときに、これ美味しいですかと聞く人がいる。お前さんがこれまで何を食べてきたか、何を美味しいと思っているかを知らないんでわかりませんって言いたくなる」

 と笑い話に聞いた。今や、昔よりずっとその意味がよくわかる。グルメ評論家が正しいのでも、素人や玄人が下す星の数が正しいのでもない。人の嗜好は、それまでその人が食べてきたものの蓄積が作るのだ。

「あなたが何を食べてきたか言ってみたまえ。あなたがおいしいと思う桃を送ってあげよう」

 ブリア・サヴァラン(『美味礼賛』の著者として知られる伝説的グルマン。「あなたが何を食べているか言ってみたまえ。あなたがどんな人か言ってあげよう」の名言で知られる)風に言ってみたいかと聞かれたら、答えは断固としてノーだ。

 料理人でさえ桃の品種ごとの個性を無視して、晩生(七月後半以降)の桃のねっとり感のある食味のみを過大評価する人は少なくない。

ワインのソムリエのように桃を使用目的や好みにあわせて選んであげればいい、という考えのほうが親切なのだろうが、どの桃にもその桃の個性とおいしさがあるのをわかってもらいたい気持ちが私たちには強い。

 自然の味を生産者が自在にコントロールできるかのような言い方をする販売者や食関連の書き手も多く、誤解を広めるのに一役かっていると感じる。

 鹿児島で無農薬栽培の三年番茶を栽培、加工している川上寛継さんと話したときのことだ。 

「農薬をなるべく使わないということにひかれた人がお宅の果物を買うんでしょ?」

 と川上さんに聞かれて私は言った。

「そういう人が多いですが、そうじゃない人もたくさんいます。農薬をここまで減らすことがどれだけ大変か言わないこちらもいけないんでしょうけど、理解されてないと感じることはしょっちゅうです。減農薬という言葉がカバーする幅は広いので、減農薬をうたう果物はざらにあります。買う人にとっては普通の果物です。なんだか気持ちがしんどくなる時があります」

 わかってくれる人にあうと、ふだん言わない愚痴が噴き出してしまう。川上さんが言う。

「土地の若い人が、在来種の野菜を種から採取して苦労して栽培して売っているんですが、昔ながらの品種というのは、今の、おいしさを追求して改良された作物を食べなれている人からすると、まあ、言ってみればおいしくないんですね。買った人が、おいしくないとかそういうことを言ってくるそうですよ。でもねえ、私は思うんですけど、体が求めているものは舌がおいしいと思うものとは違いますよ。おいしさって最近は、いろんなものを加えて作ることができますからね」

「関東の、あるお客さんから聞いたんですが、話してくれたその人は、はっきりは言わないけど、おそらくうちの桃をまずいと思ったんだと思いました。でもその家の子供が、ふだんはお皿に出してあげても食べないのに、てっきり桃が嫌いなのだと思っていたのに、うちの桃に限っては自分で皮をむいて、見たことのない勢いで食べていたそうです。これと似た話は、何回かお客さんから聞きました」

「子供は本能が生きているから。日本は戦後豊かになったということになっているけど、食べ物が外国から入ってきて味覚はどんどん変になった。一部の人が儲かるように作られたものがおいしいものだってことになって、新聞もテレビも本当のことは言わない。誰も自分で考えないし、自分で判断しない。何を食べるかは大事なことなのにねえ。人から聞いたことを判断材料にして食べることを最初にした人間は、“アダムとイブ”のイブだって言ってる人がいましたね」

 ネットで産直していた農家が、産直をやめることは多いとお客さんから聞いたことがあった。その時は、どうして止めるのか想像もつかなかった。今はもちろんわかる。

 逆にこんな農家もある。その桃農家に注文して桃を十数軒にお中元として送ったら、ほとんどの贈答先から「中が真っ黒で食べられなかった」と言ってきたそうだ。びっくりしたその人は購入した桃農家に電話したが、電話に出たその家の主婦らしい女性は、電話を切るまで「はい」を機械のように繰り返すだけで、謝罪も説明も弁済も一切しなかったらしい。

 そんな顧客対応ができるのは、ネットで販売していないからだろう。ネットで買うお客さんはそんな状態をほってはおかないはず。インターネット販売は、電話やファックスによる販売とはまったく違う。

 

 情報をまき散らせ


「桃はそういう商品なんですよ。桃だけが、ここまで? というほどクレームが多くて、そのクレームも激しい。桃は特別なんですよ」

 農産物の宅配で著名な会社に勤めていたことがあるフード・ジャーナリストの手島奈緒さんが遊びに来た。

「どうして桃だけ?」

「桃は食べる人の思い入れが全然違うみたい」

「スイカやバナナやリンゴでは、まずいと思ったところで、そこまで怒らないということ?」

「広報担当はものすごくたくさんの桃の情報を商品と一緒に客に送ります。お客さんは桃のこと知らないんですよ。知らないから文句いってくる人がほとんど。やってみたらどうですか。食べる側に知識が入るだけでだいぶ変わると思う」

 そうだったのか。早く対処しなければ。客が増えれば、クレームはますます増える。桃に同封する案内をこしらえるのは急務だった。

 二○一三年は、桃のネット注文だけで 三百万円を超えた。販売サイトへのアクセス数も、初めて月間で二千人を突破した。

 文章が長すぎると読まない人が多くなるので、言葉の絞り込みは必須だ。最初に作ったのは「桃の品種」に関する説明だった。

桃に世界中で何百という品種があることを知る人はまずいない。スーパーでは「白鳳」「白桃」などの文字がよく書かれているが、これは正確にいえば、品種名というより、品種の系統名。

 晩夏に出回る白桃系と白鳳系の早生の桃は、見かけも味も違う。白桃しか食べてこなかった人が、一部でしか流通していない早生の品種「ちよひめ」(小さめで、淡泊な味わいが特長)に初めて接すると、「この小さな、味の薄い桃はなんだ!」と居丈高に怒りだす(実際よく聞いた言葉だ)。

 無知こそ、傲慢の温床だ。自分の顧客対応に対する無知、顧客対応の不備をそのままにしていた傲慢を知った。

 桃の箱に説明書きを同封しはじめた効果は大きかった。文字情報が桃と一緒に手元に届き、やっと桃に品種があることを認識してくれた人もいるようだった。いうまでもないが、ネットではちゃんと説明している。読まずに注文する人が多かっただけだ。

 「美味しいと思う桃は人によって違います。自分が去年何を食べたか覚えておいてください」

 品種の説明書きの冒頭にそんな言葉をおいたのは、自分たちを守るため、怒りに任せて電話してくる人を減らすためだったが、思わぬ効果が派生した。いろいろな品種の桃を食べたいと思う人が増えたのだ。

 「錦自然農園が作っている全品種の桃を食べてみよう倶楽部」と銘打ったコースを作った。続いて、「桃&ブドウ☆全七回!新鮮フルーツを夏じゅう送って!コース」も作った。両方とも価格は高いが予想を超えて人気を博した。

 通常、季節の果物のおとりよせはシーズンに一回買えばおしまい、という人も多い。それを突破して何回も買ってもらうために桃の「三回コース」、「四回コース」も作った。三回コース以上の複数回配送を選ぶ人は全体の3割に迫り、以後年々比率を高くしていった。それは必然的にお客さんとのコミュニケーションを密にしていった。

 イチゴを何回か受け取っているうちに、桃の季節になり、桃を何回か受け取っているうちに、ブドウに、柿にと季節が動き、やがてまたイチゴの季節がめぐりくる。

 こうしてお買い上げ回数が増えることは、私が発信する農園と果物についての知識をお客さんに蓄積していただくことにつながった。私たちの農園が世間の平均的な農園とほど遠く、

「ごめんなさい、この間の長雨で桃が劣化して、もう桃が送れなくなりました」

「柿がダメでした。ご注文いただいたのに送れません」

「イチゴに虫が大発生して、もう発送できません」

 こんなことばかり、年中言っている信じがたい農園だということを浸透させていった。

仕方ないとあきらめてくれる人が大部分だったが、この人たち年が越せるのかしらと心配してくれる人も、いい加減にしてほしい、あんたたちが悪いんだろう、と怒りをぶつけてくる人ももちろんいた。

しかしマイナスでも欠点でも、自分たちの不完全さをそのまま知ってもらうことは重要なことだった。私たちに関するネガティブなことをいくら知ってもなお、「おたくのが食べたい」と、望んでくださるお客さんだけが買ってくださることが私たちの究極の望みだったから。

 注文を取った桃が送れなくなったとき、返金する代わりに、次のブドウか柿かイチゴに代えて、シーズンが始まったら優先的に送るのはどうでしょうか、という提案をするようになった。

 最初はそんなあつかましいことはできない、と思っていたのに、迷いを突破したのは、ときに数十人のお客さんに返金の手続きをする手間はあまりに膨大、振込み手数料だけでバカにできない金額になったからだ(言い忘れたが、「注文が三百万円を超え」ても、桃が足りなくてキャンセルをたくさん出すので、売上はいつも注文をとった数字よりずっと低かった)。

 桃だけ買っていたお客さんが、そうやってお送りさせていただいたイチゴやブドウや柿を気に入り、通年のおつきあいになっていくケースは、年を追うごと増えていった。

 

 おいしいとかおいしくないとか


 桃の価格を少し高くした。他サイトより安いという理由で選ぶ人が多いと感じたからだ。そういう人はクレームでわかる。

「うちのおばあちゃん、こんな汚くて硬い桃、とても食べられないといっています」

 そんな連絡を受けた生産者が言うべき言葉はなんなのか、さっぱりわからない。私に言えるのはこれくらいだ。

「申し訳ありません。その桃は、固くて表面が汚い桃なんです」

「じゃあそういう桃だって書いておけばいいじゃないですか」

 硬いと言う人もいます、汚いと言う人もいます、甘くないと言う人もいます。そういう言葉を次々書き足した。電化製品の取扱説明書に「猫がおしっこをかけると壊れます」と書いてあったと何かで読んだが、「書いておけばいいじゃないですか」とお客さんに言われたのだろうか。

 無肥料栽培の果実は硬くなる傾向があることを知ったのは、無肥料にして何年かたってからだった。

たいていの桃は、太陽を同じ期間受けても、肌が美しく保てるように、光を通さない袋で袋をかけることを後年知った。ウチは太陽光を通す袋をかけているので、夏の終わりに収穫する品種の桃は肌が汚い。私たちはそう思ってなかったが、お客さんにいわれて、自然のままは「汚い」と思われていることを知った。

 桃の栽培のプロセスを詳細に書いたものを果物の箱にいれて送っていた時期もある。どれだけふつうの栽培では農薬が使われているか、そしてここまで農薬を削減して桃を作ることがどれほどレアなのか、リスキーであるかを書いた。イラストつきで手書きで書いた。

「こっちのほうがターゲットを絞るからいいと思います。こういうものを受け入れる人だけがお客さんになるといいですね」

 そう常連のお客さんから言ってもらったのも忘れられない。しかしまだ私には遠慮があるらしかった。お客さんたちから、

「低農薬栽培のたいへんさをアピールするのが足りない」

「この桃のすばらしさは健康的な食生活に気を配る人にこそ伝えるべきなのに、そういう方向のアピールが足りない」

 という内容のメールもご親切からよくいただいた。メルマガなどで、どんなにクレームに泣いているかをこぼしているので見るに見かねてのことだと思った。

 過激な人の激烈なクレームに連日往復ビンタされ、ほとほとお客さんとコミュニケーションすることが嫌になって、販売サイトに「うちの桃はおいしくないです」と書いたこともある。さすがにそれはうちの桃に失礼な気がして、後日消した。お客さんがメールをくださった。

「本当にたいへんなんですね。サイトを見ているとわかります」

そんな時期、友人が地元でイベントを開いた。準備不足による進行上の問題が起こり、友人は都会から移住してきた人たちに厳しく責められたらしい。「イベントを起こすなんて二度としない」と友人は辛そうに話した。

友人の失敗を責めたてた人たちは、都会でこれまで、責めたり責められたりする経験を人一倍してきたのかもしれないと思った。逆にいえば、私が人の失敗をそこまで責める気になれないのは、責められても冒険をやめようと思わないのは、これまでたくさん許してもらったからではないか。中には許されたことに気づかなかったことさえあったかもしれない。思いついた瞬間、運転中だったが突如、感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、涙が滂沱とあふれた。 

この気持ちは決して忘れないで、農園の仕事を通して広く世の中に返していこうとこのとき決めた。

 

  そっちが頑張るから俺も頑張る

 

 自然が落としてくれるものを手のひらで受け止め、何も損なわないように箱に詰めて送りだす。やっていることはそれだけのはずなのに、その作業はエンドレスで続く激務だった。

 「美味しくない桃をお客さんに送らない」。

 そのためだけに、収穫の最盛期ともなると夫は、午前一時に起きて仕事を始めた。

 「JA用」の桃の箱づめを朝六時までし、六時からその日発送する「お客さん用」の桃の収穫を開始する。

「JA用」は正午すぎに選果場に運び込む。家に戻るや五時過ぎに運送会社のトラックが桃を迎えにくるまで、時計をにらみながら必死の形相で「お客さん用」の箱詰め。

 私はといえば、収穫と発送のヘルプに、パソコンでの受注業務と伝票づくり、果物に同梱するレターの更新、ブログやSNSの更新、メルマガの発送。それにくわえ、桃のジャム作りがあった。

桃のジャムは、作るのはとても楽しいのだが、やることがありすぎて、すべてを一日で終わらせるのは不可能。毎日何かがやり残され、明日にまわされた。

 夜、布団を敷こうとしてシーツを広げて体を布団に近づけたとたん沈没、朝までその姿勢で熟睡したこともある。愚痴を言う暇も、座る暇もなく、立ったまま食事をするような日々に、近所の農家の友人がお昼ごはんを二人分差し入れてくれたことがあった。

 夜十時を過ぎてもうろうとしながらジャム作りから戻ってきたら、すでに二十時間起きている夫が夕食を作って待っていてくれたこともある。

大変な日々ほど感動メーターが降り切れそうな瞬間をお客さんが、友達が、夫がくれた。そうだ、シェフもくれた。

 あと二時間で運送会社のトラックがくる! 目を吊り上げて段ボール箱と格闘している最中に、東京・恵比寿のイタリアンレストランのシェフである、今ではミシュランも認めるタクボさんから電話がかかってきた。

「おたくの果物は難しいんですよねえ」

 開口一番にそういわれて、とっさに「ああ、まただ」と思った。

「おいしくない」

「送りますといったあとで、送れませんと言ってくる」

 と、レストランのお得意先が減っていき、今やほとんど残っていなかった。そう言われるのだな、とハラを決めていたら、

「難しいんですよ。味がきれいすぎて、それ以上なにかする必要がないものを、どう料理すればいいのか悩むんですよ」

「そうなんですか?」

 瞬間、違う時空に吹き飛ばされて、お花畑に降り立った気分だった。

「こんなにクリアでピュアなものをわざわざ料理する、ってかんじがするんですよ。おたくのイチゴもおいしいんですよ、イチゴだけで完全においしいのに、どう料理しろっていうんだってかんじ。おたくの桃は、北村さん(タクボさんは、前出の北村美香さんの紹介)も書いてましたが、まるごとかぶりつくのがいちばん美味しいというのが結論です。だからねえ、何とあわせるのか本当に毎回悩むんですよねえ。柿はようやく攻略できたんですけど桃はねえ」

 日々クレームにさらされていると、警戒警報がいつも小さく鳴っている。

 昔はどんな桃でも、夫が捨てたのを拾っても(なんでこれがダメなのか知りたくて食べた)全部感動し、美味しいと心から思いながら食べることができたのに、いつしか判定しながら食べる癖がついてしまった。タクボさんが言ってくれるような言葉を、私も思っていたのに、もはやそんな言葉は私の内側から湧いてこなくなっていた。

 セレクトからもれた桃を、人が三十人以上集まっていた友人宅に泊りに行った日、土産として持参した。ふだんならジャムにする数百個の桃を、夫がすべて車に積みこんでいるのを、「誰も食べないよ、まずいんだもん」と言いながら、積んであった桃の半分をわざわざ車から下して数を減らしたのは私だ。

 ところが友人宅で部屋の隅に桃の箱を置いてとたん、桃はものすごい勢いで皆の腹に収まり、いくつもの顔が「本当においしかった」と真顔で私たちに言うのだった。特に男たちにその率が高く、何年か後でさえも「あの時の桃」の話をしてくれる人もいた。人の嗜好って本当にさまざまなんだなあと改めて思わされたできごとだった。

 さまざまな人の心に応援され、包まれ、許されていることのありがたさが、持ち切れないほど大きく感じられたある日、

「私たち、めちゃくちゃ運がいいよね」

 とパソコン作業の合間、ふと振り返って夫に言ったことがある。すると夫が言った。

「運? 俺はめちゃくちゃ頑張っとるけどね」

 続いて夫から、思いもかけない言葉が飛んできた。

「そっちが頑張るから俺も頑張る。そっちがそんなに頑張ってなかったら、俺はほどほどでやる人間だ」

 そうか、私は頑張っているのか。でも、どうして私は頑張っているのだろう。初めてそんなことを考えた。

お金のためじゃないことは確か。年収160万円では夫が農業を続けていけないからもっと稼がなければという考えが頭にあったのは最初だけだった。

 そうだ。夫に将来、たどりつきたい夢を聞いたのだ。熊本に来て間もないころ。

「夢? そんなこと考えたことないよ」

「今考えて」

「食べたらしあわせになるフルーツをつくりたい」

「じゃあ、早く紙に書かかなきゃ。書くと現実になるってことは実証ずみなんだから」

 彼の言葉を書いた紙は今も寝室に貼ってある。おかげで私は、買ってくれたお客さんが「しあわせになっているか」を気にするようになった。

 私が人生を渡る唯一のツールにしてきた瞑想は、自分の内側を見ることだ。なのに私は、他人の心の上がり下がりに一喜一憂する不安定な人になってしまった。買う人の気持ちになりすぎて、夫と口論する熱血漢になってしまった。


 うちから買わなくても・・・・・・


 初めて、超お得意様ともいえる人が現れたのは、私が熊本に来て一年目の秋だ。Bさんとしておこう。

 Bさんは地方都市に暮らす専業主婦。いつもおいしいお取り寄せを探しており、一度に十万円分のイチゴを購入されたりした。イチゴを直販しはじめた初年度でもあり、直販のお客さんはその方しかいなかったともいえる。

 「お宅のブログを読むのが毎日の楽しみなの」とおっしゃり、ブログの内容にすぐに反応して電話をくださったり、高価な贈り物が届いたりした。やがて、「あのブログはよくないから消したほうがいい」と言われるようになった。

 桃の季節になり、初めて桃を送りだした翌日、電話がかかってきた。

「おいしくないわねえ。イチゴはあんなにおいしいのに、桃はなんだかねえ。そりゃあスーパーで売っているそこらの桃とは全然違いますよ。香りもいいし、ジューシーだしね。でも、甘くないのよねえ」

 やっと切れた電話を手にしたまま呆けている私に、夫が笑いながら尋ねた。

「今度はなんだって?」

 夫にBさんから言われたことを話した。 

「送った品種は早生の桃で、糖度の高さを評価する七月後半以降の桃とは全然違うんよ。甘くないって? そういう桃なんです、って言っときゃいい」

 ブドウの季節になると、Bさんの電話はさらにヒートアップした。

 「ブドウを種なしにする必要なんかありません」とBさんは主張する。オーガニック好きで、ネットからの情報収集に熱心なBさんの最大のこだわりポイントがこの話だった。

 ついに夫が、横から私の受話器を奪った。それから短くない時間、会話は続いていた。電話がやっと終わったときは心底ホッとした。夫がBさんと何を話したのか、もう尋ねなかった。Bさんからの注文も電話も、その日を境にぷっつりと途絶えた。

「君がはっきり言わないからいけないんだ」

 もっともだ。けれど、はっきり言うのが一番むずかしい。

 ブドウを種なしにするには、ジベレリン処理という薬品処理が必要だ。それは種をなくすだけでなく、うちのブドウのような、定植後の年数が短い若木には開花期に花が落ちてしまうのを防ぐ意味もある。木が成長しきった、年月を経たブドウの樹ほどそれは必要でなくなるが、一般的には粒を大きく太らせるのにも役立っている。

 うちのブドウに関して言えば、品種によってジベレリン処理をしないブドウもあるものの、大部分は行っている。ジベレリン処理の有無は、栽培方法の選択、品種の選択、木の樹齢や樹勢その他によって決定される。私やお客さんが口をはさめる話ではないのだ。

 「うちから買わなくても、いいんじゃないでしょうか?」

 私の小さな頭には最初からそれしか浮かばないが、Bさんを傷つけるのは間違いないから、言えない。

 できる限り農薬を使わず、無肥料栽培で、完熟収穫することは、私たちたちには高いハードルだ。力不足で少ない量しか作れない。その少ない収穫は、本当に求めている人に買ってもらいたい。クレーマー予備軍が、うちから買わないでくれたら、私たちはやりたい仕事がもっとできる。 

 結局、むやみに販売サイトに人を集めることが間違っているのだ。無限にいる「お客さん未満の人」をすべて「お客さん」に変えようと奮闘する販売サイトはいくらでもある。それをウチがするのはいけない。危険だ。錦自然農園が好きな人だけが買ってくれるサイトにするにはどうすればいいのだろうか。次に考えることはそれだと、前からなんとなく思っていた。

 うちの桃は、栽培方法のせいかどうかわからないが、似ている桃が世間にあまりない。

「こんな桃初めて食べた!」

 怒りをこめ、激情的にその言葉をぶつけられ、しおしおと小さくなる日がある。

「こんな桃初めて食べた!」

 一言たがわぬ同じ言葉を、驚きに満ちた元気な声で伝えられる日もある。夫は言う。

「おいしいと思うひとも、おいしくないと思うひともいて、あたりまえなんだよ」

 私と似た価値観を持つ人だけがお客さんになってくれる方法は何だろう。


 桃の精、山の神


 私たちが意図的に隠していること。デリケートなことなので、あまり人にさらしたくないこと。それが私たちと似た価値観をもつ人を引き付ける磁石になるのかもしれない。その磁石は、私たちの果物に反発を感じる予備軍を立ち去らせるかもしれない。そう思ったから、友達にも話したことがないことをお客さんに話してみることにした。

 2013年の桃の注文受付を告げるメルマガは、思い切ってこんな書き出しにした。


みなさま、こんにちわ☆

桃の袋かけが始まりました。

一万個以上の袋をかけても、収穫して、発送できるのは何割かです

台風がきたり、病虫害が発生して労がすべて無駄になる可能性もこみで袋をかけます

袋をかけてるときはそんなこと考えません。目の前の桃を追いかけるのみです


桃の季節になると起こる不思議なことがあります

まだ実が小さい青い時期からそれは始まります

ほんのときたま、園主から、すんごく強い桃のいい匂いがするのです

彼が手にしている焼酎の水割りが匂いの元かと「これ桃のチューハイ?」

と聞いたこともあるくらい。

市販のそれって香料強いでしょ。それくらい匂いがするのですよ。

おきているとき、寝ているとき、いろんなシチュエーションで起こります

桃の収穫期にはいると、桃の香りがふわっと一瞬漂うことは

桃の木がない場所にいても起こります。

私たちはそれを「桃の精」だと思うことにしてます。

慣れてしまってもう驚かなくなりました☆

イチゴ、ブドウ、柿ではそれが起こりません。


 匂いがしたからといって、桃の精まで出すことないんじゃない? そんな荒唐無稽な話は不愉快だ、そう思う人もいたと思う。この話はかなりの勇気をもって書いた。

 私たちを嫌いになる予備軍のお客さんに去ってもらいたい、私たちと接点をもつお客さんにもっと私たちを理解して欲しい。そんな意図で起こした最初のアクションだった。  

桃の精の話がどう受け止められたのかは、この後、時間をかけてゆっくりわかっていった。驚いたことに、何人もの人が、何年も前に書いたことを、「あのときは衝撃を受けました」「いまだに忘れられません」などメールで教えてくださった。

 同じ時期に映画「カンタ・ティモール!」を私の単独主催で自主上映した。東ティモールの独立までを描いたドキュメンタリー。キーになるのが島で信仰されている山の神だ。

 お客さんからその映画のことを教えていただき興味を持った私は、すぐに製作者と連絡をとり、たった二週間の準備期間を経て、近所のホールで上映した。都会にいたらこういうことは絶対にしない。田舎では行動しなければ見たい映画も見ることができないから自分でやった。

 反響は想像以上だった。友人たちが協力してくれたおかげで、上映はつつがなく終了、中には目を真っ赤にして「ありがとう」と走り寄ってきた人もいた。

 その夜だった。家に帰ってパソコンから受注サイトを開くと、注文がふだんの十倍来ていた。急にお客さんが増えることはたまにある。「メルマガを出した直後」か「影響力のある人が宣伝してくれた」のどちらかだ。その場合、祭のような注文ラッシュが数日続く。しかしその時は、たった一日だけの飛びぬけた激増で、前日も翌日も平常通り。こんなことは前例がない。注文者の住所は、北海道から沖縄までほぼ全国にわたっていた。

 映画の製作者に上映させてもらったお礼とともにそれを伝えたら、「この映画の上映会を主催した人に、こういうことはよく起こるようです」と驚いている風でもない声が返ってきた。

 どういうことだと思うかと夫に聞いたら、「ティモールの神様がお礼にしてくれたんだろう」と平然と言った。

 それをブログに書いた。へんなことを言う農家が嫌な人は去っていくだろうと意図はもちろんあった。

 「金色の風景の話」もシェアした。

朝、目が覚めた直後のこと、窓辺に立った夫が、「ああっ、あれはなんだ!」と大声をあげた。飛び起きて窓辺に行くと、風景が金色になっていた。

 太陽光を受けて風景が色づくのとは違い、どの方向も、目に見える全風景が、金色のフィルターをかけたようだった。原発か何か爆発したのかも、テレビをつけてみよう、と夫が言い、二人でテレビの前に急いだが、ニュースにはなっていなかった。

 先の、ブドウの種にこだわったお客さんから「あのブログは削除したほうがいい」といわれて素直に削除したことは、どこかでひっかかり続けていた。 

 利口でも、上品でも、正しくもない私を露呈する文章がどこかの誰かの癇に障ることは、しょうがないことなのだ。それを限りなくゼロに近づける努力をしていたのが昔仕事で書いていた文章。それはもうしたくない。

 うちのブログやサイトから違和感を受け取る人が、うちの果物を買って食べても、おいしいと思わないはず。実際、私が買い物をするときも、サイトがしっくりこないときは購入を控える。とくに食べ物はそうする。

 好みに合うとか合わないとかは、クリックする前にサイトが教えている。その感覚を無視して、人のつけた評価を重視して選んでいるとろくなことはない。自分の感覚を信じる。自分で決断する。これをすると失敗もするが、いつか必ず、本当に欲しいものにたどり着ける。

声の大きな人、多くの人が賛同することが正しいと感じる癖は自分を弱くする。自分より他人が正しいように感じる人になる。そんなことを繰り返すうちに、自分が本当は何が好きで、何をしたかったのかわからなくなる。私がそうだった。

 

 片道七時間かけて桃を買いにきた人


 2014年の夏、夫は就農以来はじめてJAに桃を売らなかった。

 私が熊本に来て五回目の夏。夫が桃を作り始めて十二年目。やっと夫の気持ちがそこにいたったのは、その前年のできごとに押されたのかもしれない。

 2013年、近所で開かれた小さなマルシェで桃を売ったのは、その時期の桃の質が総じてよくなかったせいだ。具体的にいうと、味が悪いのでネットのお客さんには送れない。表面が汚すぎてJAにはとても買ってもらえない。

 まあそんな桃なので、マルシェでもたぶんほとんど売れない、とふんでいた。ところが、実際にマルシェに出すと、ものすごい勢いで売れた。買った桃をその場で食べ始める親子づれが続出した。地面に座り込んで、果汁をしたたらせながら夢中で食べている子どもの姿が呼び水になり、買った人が次々にその場で食べ始めた。食べ終わった人は、持ち帰るためにまた買いにきた。

 桃は、店を開いて一時間足らずで売り切れてしまった。桃を車に詰め込めるだけ詰め込んでさらに二回往復した。

 それでも、私たちの判定が間違っていた、まずいと思っていたその時期の桃が、実はおいしかったのだ、なんてことは思わなかった。

 ネットのお客さんの攻撃性にこりている。またアレコレの対応に面倒な思いをするなら、質の落ちている桃は、顔の見える人、目の前でお金と交換できる人だけに売るのが無難と考えた。

「うちに取りに来ていただける人にだけ、売ります」とブログに書き、販売サイトでは「在庫切れ」にした。反応してくれるのは近所の人、と疑わなかった。するとなんと、片道七時間以上かけて車を走らせ、桃を買いにきた人がいた。

「それはそれは遠いところから。ご旅行でいらしたんですか」

「ええ、まあ」

「お泊りは人吉で?」

「いえ、今から帰ります。桃を買えたので」

「えっ? 桃を買うために? まさか、それだけのためにわざわざいらしたんですか?」

「はい」

 桃を手にしてうれしそうに帰っていくその方の車を二人でいつまでも見送った。

「往復14時間」

「うん」

「どうしてこんなことしてくれたんだろう」

「もうほかの桃は買えないから、って」

「言ってくれたら送ったのに」

「ねえ」

「あなただよ。もうネットには出すな、って言ったんだよ」

「だねえ」

 夫と笑いあったが、胸のあたりに広がった温かいものが数日たっても消えなかった。

 剪定の指導をしてくれているAさんが来たときも、「桃食べさせてよ」と言ってくれたが私の返事は、「まずいですよ」だった。

「これもらっていい?」

 そう言いながらAさんは早くも、夫が桃の選別の果て、廃棄する桃として取り分けた桃の箱から一個を拾っている。

「え? ああ、そんなの拾わないで! もっといいのを食べてくださいよ」

と言って私が走り寄るのもかまわずAさんは水道に向かい、手早く洗うや桃にかぶりついた。

「うまい!」

 大きな声が聞こえた。

「今年食べた桃でいちばんおいしい」

 Aさんの食べた桃がたまたまおいしいのかも。Aさんの手にある桃にナイフを刺し入れて、夫も私も一片ずつ食べた。やっぱりおいしくないと思ったので聞いた。 

「この桃がおいしいですか?」

「今年はどこの産地も気候がひどいから美味しくない。よその桃食べたんかい。食べてみんさい。どれだけここのが美味しいかわかるから。自分のだけ食べてまずい、言うとったらダメよ」

 先の、遠方から桃を買いに来てくれたお客さんがくれたメールの内容を覚えている。

「帰りの車の中は桃のいい匂いでいっぱいで、しあわせな気持ちで帰りました。あとしばらくは桃が冷蔵庫に入っていると思うとしあわせいっぱいです」  

 「食べた人をしあわせに」したいと願いながら、そうできる機会を自分たちでつぶしていた。わかってくれる人がネットの向こうに大勢いて待ってくれているのに、わざわざ、そうでない人に波長をあわせていた。

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