その日——孤児をかかえていった人物、シエナは、人目のつかない道を選んで足早に自宅へと向かった。人通りの多い地区の外れにある雑木林を少し進むと、そこに古い一軒家がたっており、これがシエナの帰る場所であった。玄関の扉へとたどり着くまでに、ひどく荒れた道を歩いていかねばならないこの建物が、元来普通の住処であったとは考え難いにせよ、シエナは軋む扉の鍵をあけて入っていった。

 かかえられていた子供はといえば、眠ってこそいないものの疲れた様子で、周囲を見まわすでもなくこのくたびれた中年に身を任せ、その腕から椅子へと降ろされるまでそうしていた。家自体はそれほど広いわけではないが、ソロキドスの一般的な住居とくらべればいくらか部屋数のあるほうで、古ぼけてあちこち軋みさえしなければ大国的な文化を思い起こさせる建物である。広間の中央にある二脚の椅子の片方に、殆ど横たえるようにして子供を座らせると、シエナは息を整えてから子供の前に膝をついてかがみこんだ。ここまで駆け足に来たからなのか、あるいは何かそれ以外に切迫させられることがあるのか、薄らと汗をかいているらしく、前髪がわずかに額にはりついていたが、本人は気に留める余裕もないように自身を見つめる子供の目を見据えた。

「きみ、話せるか。名前は?」

 その後に続いたのは会話ではなく、沈黙であった。子供は、眼前にある困惑した様子の中年の顔を、ただ大きな瞳でとらえて見つめるばかりであり、それ以外には何も意思らしい意思を表してみせることはない。それで、この衰弱した孤児が言葉を失っているか、もしくはそもそも学んだことがないのかもしれないが、いずれにせよ言語での意思疎通は不可能であるらしいと理解するのにはじゅうぶんであった。おぼつかない態度でしばらく視線をさまよわせたのち、シエナは、わかった、とだけ誰にでもなくつぶやくと、まったく無意味ではあるが、そこで待つようにという指示を手振りで伝えることを試みてから、台所のほうに入っていった。

 事実、わずかでも言葉をおぼえていて不自然でない年齢ではあったが、この小さな子供は約三ヶ月ほどただ一人でソロキドス国内を歩き回っていたのであり、その経験と時間は言葉を奪うのに必要以上のものであったといえる。古びた埃のにおいがするとはいえ、その骨ばったあざだらけの身体を、ずいぶん久々にやわらかな布地の椅子へと預けられたことは、確かに子供を安堵させていた。自分を包んでいる外套に首までうずめ、時折視界で漂っている埃を眺めて静止している。

 少し待ってからシエナが再び広間に戻ってきたとき、その両手にはパンと水があり、それはすぐに子供へと差しだされた。シエナにとって、これは紛れもなく初めての試みであり、そのことがいくらかの無理解を生じさせていたし、また冷静さを取り戻すにつれて、この決断の重大さが正確に認識され、尋常ならざる切迫がもたらされていたこともあって、子供が差しだされた食事を喜ばない理由に思い当たるまでそれなりの時間を要した。

 パンのちぎられた小さなかけらが口の近くまで運ばれれば、子供はそれを食べようと唇を動かすのだが、しかし咀嚼することは難しいらしく、そのまま力なく吐きだしてしまう。それほどまでに衰弱していると助けることも叶わないかと、シエナの頭にはまずその焦りがよぎったが、しかし水のほうはなんとか飲みこんだところを見て、やっと、噛み砕かずとも摂取できる栄養を用意しなければならないことに考えが至ったのであった。シエナはあわてて台所に戻り、いくらか残っていたスープを温めて皿にとってくると、震える手をおさえながらスプーンでそれをすくって差し出し、ようやく子供に食事を与えることができた。

 ここまでのことで既に、あるいはシエナ自身ですら予感していたかもしれないが、今後の生活があまりに不器用でおぼつかない、困難の多いものとなるであろうことは明白だった。それでもこの二人——つまり、すべてが異なる境遇で、殆ど共有されない意思を持ち、言語の隔たりすらある二人——にとって、このとき唯一一致していたのが、安堵という感覚であったことは、わずかな希望を残していた。


 それからの数日——このことはわざわざ記述するまでもないだろうが、シエナは子供が目覚めている間、彼(※1)の介抱をしていなければ落ち着かなかった。それまでの孤立した生活に比べ、どちらが良かったとかいうことではないが、少なくともずいぶん慌ただしくなったことは確かである。子供もこの不器用な中年の与えるものを特に拒みはしなかったし、ただその力がなかっただけだともいえるが、いずれにせよ食事や排泄、睡眠のすべてが彼に委ねられた環境であることを認識したうえで、それらを受容していた。

 しかし、シエナのそういったやや的を射ない努力が、不慣れながらも無駄でなかったことは、たった数日の間でも徐々に明らかになっていた。相変わらずその外見は痩せこけていたし、弱々しかったが、固形物を咀嚼して飲みこむことができるようになり、疲れた表情もいくらかましになっていた。シエナが子供の身体についた汚れを拭いたり、洗ってやったりしたおかげで、あざなどの怪我を除きその外見が小綺麗になると、柔らかくくせのある巻き毛や、花のような青い瞳、整った眉と、ずいぶん端正な容姿をしていることがわかる。それがシエナにとっては、この何ら生い立ちを知り得ない孤児の、生みだした親の顔を想像させる唯一の判断材料だった。

 とはいえ、彼が健康上何ら懸念のない同年代の子供とさして変わらない程度に回復するためには、当然のことではあるが、より多くの時間が必要であり、それは子供がしょっちゅう眠りにつく様子から見ても明らかなことであった。それを始終見ているのであるから、シエナの振る舞いも本来の聡明さと落ち着きを取り戻しはじめ、相変わらず常に目だけは離さないようにしていたが、やがて子供の一挙手一投足にやたら反応することも控えられるようになった。

 無論、わざわざ説明するまでもなく、シエナに子供を育てた経験などなかったし、まして孤児を家に招きいれたその日、彼には誰か他人の生命をあずかって保護するための用意があったわけでもなかった。そうなると、否が応でも直面せざるを得ない現実的な課題について考えるのに、子供の世話をしている以外の時間を殆どすべて費やさねばならなかった。特に困惑させられたのは、言葉による意思疎通が不可能であることで、たとえばこの子供をシエナが呼ぼうとしても、本人から名前を聞きだすことができないのであるから、呼ぶことにすら困難がともなうという具合だった。それでもシエナは何度も根気強く名前を聞こうと試みたが、得られたのは声の出し方なら思い出せるらしいということだけで、とうとうこの子供に言葉が通じることは諦めねばならなくなった。

 シエナはずいぶん長いこと葛藤していたが、ついに名前のない状況に耐えかねて、子供に「サルーズ」という呼称を与えておくことにした。







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(※1 …… 作中、前述の人物を指すときなどはすべて「彼」で統一しています。これは、登場人物に性別がないためです。「あの人」の意味に限られる表現であって、性別を示すものではないことにご留意ください。)

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