RTP暦7XX年某日、ニオシア市街

 RTP暦7XX年某日、金鉱産業によって栄えていた北国の帝国属州都市、ニオシアは陥落した。

帝国の力そのものであった軍団旗は、今や戦場の空に別れを告げていた。今では、天翔ける竜帝、自由と解放の使者たる天帝オトナスの気高い御御足によって地に塗れるところとなったのだ。

絢爛な装飾によって帝国の地域支配を象徴づけていた都市議会でさえも、他ならぬ帝国の技術を学んだ竜族による激しい包囲攻撃によって、見る影もなく崩れ去っていた。

家々は燃え、価値ある物品はどさくさ紛れに分捕られ、死体がそこらに転がっていた。

ユースティティアー

秩序の女神は去り、今では混沌こそがこの町をその手中に収めているのであった。

しかしそれは、おれたちポテトン人にとって悪いことではなかった。ニオシアにおける帝国の敗北は、おれたちにとって新しい未来への希望が拓かれたことを意味していたのだ。


******


 おれは天帝の支援要請に応えた義勇兵の一人として、家屋がくすぶる臭いのいまだ香る広場に立っていた。

議会の瓦礫の上でなされた天帝の演説はとうに終わっていたが、広場は今もニオシアの新たな征服者たちと興奮冷めやらぬ群衆とで満たされていた。

天帝が宣した言葉はかつてない時代の到来、帝国という一極のみを軸に回る世界の終わりを予感させるものだった。

彼女が帝国支配の残骸で出来た壇上で見せた振る舞いは、帝国上流の政治家のそれに限りなく近かった。だが彼女は、間違いなく帝国人ではないのだ。


 もっとも、戦勝の目出度い雰囲気だけがこの場を支配している、というわけでもなかった。

たむろする竜族の中には戦闘員――歪な出来の弩を大事そうに抱えるものから、甲冑をまとった凛々しい竜騎士、果ては蒼い翼を持った天帝の近衛兵まで――も混じっていたが、どれも気が気でないようだった。

それもそのはず、帝国軍の主力は一応郊外で撃退されてはいたものの、今回交戦した部隊が単なる先遣隊に過ぎないことは明らかだったからだ。

おそらくそう遠くない将来、彼女たちは態勢を整えた機動野戦軍と再び対峙することになるだろう。そしてそれは、おれたちポテトン人にとっても同じことが言えた。

天帝は間違いなく有能な指導者であり、兵が命を預けるに値する指揮官だ。

けれども次なる戦闘を避けられるか、そしてそれにおれたちが勝てるかについては甚だ疑問だった。


 とはいえ一兵士に特に何ができるでもなく、おれは何となく広場にうずまく人々を眺めていた。

目に映るのは竜族、同族であるポテトン人、商魂逞しいオークの行商人、場に似つかわしくない魔族の少女――もしかしたら「帝国市民」の奴隷にされていたのかもしれない――、ともかく皆無造作に、目的なく、ただ広場をうごめいていた。

そうしてきょろきょろしていると、おれの目は一人の人間のもとにとまった。金髪に青い目、筋骨隆々の高い背丈、伸び放題のひげに、バカみたいに大きな斧!

消去法に頼るまでもなく、おれには彼が北方人であることがわかったのだった。


 北方人!北海彼方に住まう獰猛な戦士にして、情けを知らない残虐な海賊たち!

ここニオシアのような北国に住まう民であれば誰でも、北方人の海賊が悪い子を攫いに来る、と父母から聞かされて育つものだ。

実物をお目にかかれる機会はあまりなく、おとぎ話の登場人物のようにさえ思われる人々、それがおれにとっての北方人だった。

その彼らとおれはどうしてか共に同じ戦列を組み、あの帝国に対して戦い、そして、勝った。

まったく、これが運命のいたずらでなければ何と言えるのだろう?

ここまででもうお分かりだろうが、おれは彼に話しかけてみようという気持ちになった……果たして言葉が通じるかはともかく。

 

******


 近づいてみると、北方人は何かを眺めていた。

その視線の先を追ってみれば、紫色の翼を持った竜人の娘がどうしてか爪で岩を引っ掻いているのだった。

「あれは何をしているんだ」

「石碑に名を刻んでるそうだ」

よもや言葉が通じようとはあまり思っていなかったので、自分から話しかけたくせ、おれは少し戸惑った。

「一体誰の名を」

「やられた連中だとよ」

戦死者の記録。共に肩を並べ戦い斃れていった戦友たちの顔が頭の中をよぎった。

おれと同じ村からやってきた若者たちのうち、どれだけが生き残っているのだろう。

「これからも増えるだろうな」

「みな大広間へと導かれるといいが」

おれには意味の分からない返答だった。


 言葉に詰まったおれは、話題を変えることにした。

「おれはポテトン人だ。プリングルズのアーデルバートという。俺も戦列に加わった、自前の盾と剣を持って戦ったよ」

「ポテトン人」

北方人は横目でぎょろりとおれを見た。

「見たところ戦士らしくはねえな」

「志願兵なんだ、おれも天帝陛下と一緒に戦いたかった」

言い終わったころには、北方人の目線は竜人のほうに戻っていた。

「何のためにだ」

「自由のために」

俺は北方人からの反応を待たず、続けて言った。

「あの中におれの名が加わることになっても、自由のために死ねるなら後悔はない」

「そうか」

無感動な返事が返ってきた。竜人はせっせと作業を続けている。紫色の竜は他の竜と比べて動きが何か忙しい。

石に刻まれていく文様の意味はおれにはわからないが、爪で引っ掻くに適した形となるとああなるのだろう。

「おい、あんたの名前は」

「名前?」

声色には上ずったような調子が混じっていた。

 

******


 彼の得物、彼の顎髭のように出っ張った刃の大斧に両手をやるまで少し間を置いて、彼は再び口を開いた。

「おい、まぬけな百姓のせがれ。よく覚えておけ」

想像もしなかったような答えだった。

「俺たちは闘うために戦ってるんだ。根っからの人殺しなんだよ。てめえのお友達じゃあねえ」

北方人の戦士は、俺が予想していた素振りなど全く見せないままに言い放つ。

「てめえのどたまに俺の斧の刃がめり込んでねえのはな、単にあのトカゲ女の金払いが帝国のそれよりマシだったからってだけに過ぎねえんだ」

おれは文字通りに閉口した。瞬き一つせずおれを見据える北方人の青い瞳は、こうして正対してみれば、とてもおれたちと同じ人間のものとは思えなかった。

「わかったなら、土産でも持ってさっさと家に帰るんだな」

なすすべなく北方人が顎で示した方向へと向き直ると、色とりどりの翼を持った竜たちが、かつては「帝国市民」のものだった品々をせわしなく運んでいるところが見えた。

「人殺しの名前なんぞ覚えたところで、てめえにゃ何の得にもならねえんだ」

おれには北方人の方を向くことができなかった。

風が吹き付けてくる音が聴こえる。

力強い風だ――しかしその目指すところは、おれが帰ろうとする場所ではありえなかった。

――あるポテチ人義勇兵の回想より


20.6.8 初稿 初版公開

21.12.24 修正

21.12.30 第二版公開

22.4.10 カクヨム公開

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