皇国世家および列伝
帝国がいつものように麻のように乱れた時の話である。
追い出された皇族の1人が、山脈に囲まれた地で、開拓をはじめた。
「この大地には可能性がある。ここを新たな故郷にしよう」
これが皇国のはじまりである。
キギョクははエヒタナハ出身の皇族であるが、あるものから
『死んでも主人の門を離れぬ番犬のようなもの』
と、酷評され、あるものには
『闇弱にして大業を立てるものではない』
と、言われた。
実際、エヒタナハを防衛しようというときに、怯えて味方と思い込んだ敵を内部に招き入れてしまい、小さい館にまで追い詰められた。食料は残っており、徹底抗戦を主張するものもいたが、キギョクは
「これ以上、人民に苦しみをあたえたくない」
と、降伏した。
こうして、家族と一緒にエヒタナハを追放され、へき地に移された。皮肉なことに、かれの息子が、皇国を興すことになる。
キギョクの息子は、名をゲンといい父母とともに暮らしていたが、とても皇族の暮らしとは思えぬもので、父は野菜を育て収穫、母は草鞋やむしろをつくり、それらを売って生計をたてていた。
ある日、かれらの家に刻人の一行が訪れた。曰く
「あなたの息子のゲンさんをわが姫君ルジュールさまが一目ぼれしたそうです。つきましては、息子さんとお付き合いさせてほしいのですが」
土地の権力者に請われては、否応もない。ゲンは以後この地にある刻人のもとで暮らすこととなる。
かれらは、帝国の一連の混乱をチャンスとみて、方々に兵を派遣した。ゲンも敵将を破り、また反撃も防いだ。そのため、ゲンの地位は向上する。
ここで活躍したのが、カンショウという老将で、つねに先陣を切って敵を討ち、その勇猛ぶりを轟かせている。
その後、皇帝マクシミリアンの即位のとき、その正当性の薄さを利用して、皇国として独立し、自ら君主となった。しかし、直後におこった共和国との戦いで、ゲンは目を患って療養中なのをおして出陣し、大敗したあげく、手術の傷が裂けて目玉がとびだし、撤退中に死去した。ルジュールの悲嘆のあまり病死し、皇国はかれらの子ども、幼いヘイローが継ぐことになった。
カンショウはキギョクの代から仕えていたもので、得意の弓で敵将を倒し、帝国軍を打ち破る等の活躍で知られていたが、ヘイローは「年寄りは役に立たないわ」と言って重用されなかった。カンショウは憤激して、帝国軍が攻めてきた際、突撃してはなばなしく戦い、矢傷をおってしまう。
「ごめんなさい、カンショウ」
と、謝るヘイローに
「75まで生きれば不足はありません」
と、答えて、そのまま息を引き取った。
コウタツは帝国に仕えたブンニャクの甥であるが、年齢はコウタツが6歳上だった。ゲンに軍師として仕えていた。
ある戦いでゲンが周辺諸侯を気にして引こうとしたとき、積極攻撃を進言、思い直したゲンはついに敵将を打ち取った。また、別の戦いでゲンが食料部隊を先行させて、押しおせた敵部隊を一斉攻撃で破ったのを、はじめ味方が慌てて退こうとしたのを、かれだけが策を察して引き留めている。
以降も活躍したが、皇国が独立しようという声が高まったとき
「功名を極めたからと言って、帝に反旗を翻すのはおかしい」
と、いった。そして、痛憤のあまり10日後に死んだ。
ジャズは皇国のこの時期の芸術を代表する彫刻家である。かれは皇国はおろか大陸において少数しかいないドラゴニアンと呼ばれる獣人であった。そのためか生涯、日常に必要な食糧を始めとした物資を買いに行く以外は工房にこもり、作品も亡くなるまで外に出すことは少なかった。
その作風は初期の具象的ないし擬人化抽象的なものから、幾何学的または構成主義的な抽象彫刻となっていくが、『虚空』というテーマが貫いている。それについてかれは「空間の明け渡し」と呼んでいた。
代表作は『球形の明け渡し』『からっぽの箱』。
惣社保憲は皇国に宮廷魔術師として仕え、その道の第一人者として知られていたが、かれの名の知られぬ娘は『惣社保憲娘集』という歌集を書いた。
その序文で彼女は
『冬でも、桜は心の内で乱れる、夏の日にも、心の内は雪が暗くなるくらい降って消えるものだ』
と、つまりは心の内に見えるものを描くのが創作であると書いている。
その理論にのっとり彼女は
『わたつみに風波高し月も日も走り舟して冬の来ぬれば』
や
『わたつみを波のまにまに見渡せば果て無く見ゆる世の中のうさ』
という歌を詠った。
これらの歌の作者は後代では『読み人知らず』とされ、惣社から当該の歌集が発見されてはじめて作者が惣社保憲の名前も忘れられた娘だと知られるようになった。
エカテリナはもともと皇国軍で看護にあたっていたが
「わたしも戦うにゃ」
と、武器を取って戦い、少尉にまでなった。しかし、帝国との戦いが続く中、23の若さで戦死したという。
チュウは対帝国の義勇兵として知られていて、というのも象に乗って戦っていたからである。
「子供のころから寝食をともにして、一心同体にゃ」
とは、本人が語っていたことだ。
帝国軍は彼女を捕らえた際、残酷なことに彼女が乗っていた象に彼女をふませた。享年23。
皇国に臣従した諸侯のうち、ターボというものが頭角をあらわし、かれの指揮で帝国と一戦まじえることとなった。帝国軍が川を渡ろうと見た諸将は
「渡りきる前に攻撃すべきです」
と、提案したが、ターボは
「そんな卑怯なふるまいはできません」
と、その提案を退けた。
それを聞いた参謀のイクノというものは
「ターボどのは戦争というものを知らぬ」
と、呆れた。
結局、正々堂々帝国が陣を整えるのを待って攻撃したところ、敗北してしまった。
さて、件の敗北を契機に、帝国や共和国との戦力の差を痛感したヘイローのもとで宰相を務めていたゼンノというものが、皇国の体制を一新しようとした。
つまり、いままでは帝国時代からの諸侯の盟主という立場であった、ヘイローの立場を諸侯の上に皇としようというのである。
こうして、皇国のシステムを変えようとする会議が開かれることになった。諸侯も事態が悪化してるのに気づいており、会議は円滑に進む。
こうして、ゲンを初代皇とし、ヘイロー自らは2代目皇とした皇国が誕生することになった。
さて、皇国の首都は標高2100ほどの高地で、世界的に有名なお茶の産地として知られている。ここは標高も高く、帝国時代から避暑地として発展していた。そしてお茶輸送と避暑客用にこの世界初の鉄道が作られる。いわゆる『トイトレイン』と呼ばれるそれである。トイトレインと呼ばれる理由は、そのオモチャのような姿である。連結しているのは多くて3両程度、1両の定員は多くても28名。実際に乗車してみても
「ちゃんと走るかにゃあ」
と、思わずにはいられない可愛らしい鉄道だ。
主要駅であるトドマと皇国首都の距離を30分以上かけてノンビリと走るため、景色や等の列車に乗るのを楽しむための観光用としての役割もあった。
皇王ヘイローは文筆家としても知られ、例えば皇国で編纂された『帝国から皇国までの歴史』の祖父キギョクの項はかれ自ら執筆している。
また、『帝国属州の諸相』というパンフレットや『統治論』『儀典について』という著作もあった。
皇国の戦争ではこんな悲劇もあった。ある日、子どもたちがそこらへんに転がっていた弾薬類で遊んでいた。2名の少年が庭で榴弾に火を点けて、木材の束に投げた。そのとき、たまたま家のドアが開いて、少女が出てきた。彼女は炸裂した弾薬の破片は心臓に受けて即死した。
ヘイローの治世が続くに従い、皇国社会は階層化していき、獣人やドラゴニアン、かれらと交わった刻人は一括して『亜人』と呼ばれ差別されていく。かれらは追い立てられ、ガーディブと呼ばれる港町を中心に寄り集まり、1部は自衛のために武装化していくことになる。
このうち、ドラゴニアンは帝国での迫害から、境域開拓団帝国支所に勤めていたセンポという外交官が皇国へのビザを発給するという奇策で逃れることができ、帝国から皇国へ来たものの、皇国でも居場所がなく流浪して、ガーディブにたどり着いたという。
やがてこの地域の住民でヘイローに仕えるものもでてきたが、かれらは独立独歩で傲慢なところがあった。
たとえば、ヘイローがガーディブに視察に来たとき、みな平伏した。しかし、カズサというものはウマの上で一礼したのみであった。御付きの家臣が
「なんたる無礼、ウマから下りたまえ!!!」
と、注意すると、カズサは
「公私ともにじぃさんのころから、オレん家はウマから下りて礼したことなんかねえよ」
と、ついにウマから下りなかった。
ヘイローに仕えたかれらは『亜人兵』と呼ばれ、皇国との戦争に亜人兵ありと言われるまで活躍した。
亜人兵を率いていたのはコンゴウというもので、誠実で公正無私であったという。
コンゴウが幼いとき、遊んでいてヘイローの家臣と逢ったときに、ヘイローは家臣がたって軽く一礼しただけなのを聞いて
「礼は老少によって区別してはならない、敬意はどんなものにも加えねばならぬ」
と、叱った。家臣は
「いえ、わたしはキチンと挨拶しました」
と、弁明する。ヘイローはますます怒り、コンゴウに
「このものが言ったことはホントウのことか?」
と、訊いた。コンゴウは
「はい、その方のおっしゃった通りです」
と、答えた。ヘイローはコンゴウが家臣をかばうのを見て感銘を受けて、愛用の剣をあたえた。
長じてコンゴウは凶作の年にあえば民に施すものを多くし、自分は倹約した。昼のみしか食べず、夜は灯りもなかった。ある人は
「大過の非難はあるかもしれないが、1000年に1人の存在であろう」
と、言った。
さて、ヘイローの功績の1つに新界市の共同統治制がある。
新界市は皇国南部にある亜熱帯気候の港街で、もともとの領主から資源財団のジャーティンというものに割譲することで成立、発展した地域である。この地に目を付けたヘイローは
「ここはわたしたちの土地でもある。いっしょに統治しない?」
と、提案した。ジャーティンは利にさとい商人だったので
「わかりましたニャ」
と、返答。ここに共同統治制新界が誕生したのである。
この都市は、皇国の領土でありながら、独自の行政や法がある特異な交易都市として発展することになっていく。
その体制を造るために派遣されたのがコンゴウで、かれはガーディブと新界という2つの地域の統治する代官となった。
あるとき、ヘイローが言った。
「棍棒でも槍でもよいから、全ての国民が使える武器を持たせよ」
すると、役人はなにを思ったか、鉄パイプに銃剣を付けたものを皇国領の各地に配布。さすがに
「これはいくらなんでも」
と、すぐに配布は終わったという。
やがて、ヘイローは病になった。後継は2名。シリウスとベガである。ヘイローはベガを愛していたが、結果としてはシリウスが皇王となった。
しかし、天は2つ存在してはならない。シリウスとベガの関係性から、悲劇が起こるのは必然であった。
そのような不穏な状況の中、コンゴウに子どもが生まれた。かれに子どもは4名生まれるが、3番目の子どもだった。子どもは女の子。幼いころからボンヤリしていて
「得体のしれない
と、周囲で言われていたが、不思議と戦争ごっこは得意で、コンゴウは
「大人になったら、1軍の将になるかもしれん」
と、呟いたという。
名前はメトロノーゼ。
ヘイローの病は癒えたが、皇王の座をシリウスに譲ったままで、隠居の身分として活動することになった。具体的には皇国にある神殿への参拝、逆に神官を自分の邸宅に招いたりなどである。その際にはベガを同席させている。ベガは『若君』という地位で呼ばれていた。当然がれだけに与えられた地位で、ヘイローの偏愛がうかがえる。
シリウスは孤立していたかというと、そうではなく、こちらも取り巻きを形成していた。その中に徳元というお坊さんがいて、かれはコンゴウの義父で、メトロノーゼたち兄弟の義理の祖父であり、師父だったものである。かれとコンゴウの長男でメトロノーゼの長兄であるリュウレンがシリウスの懐刀として信頼されていたという。
さて、このような緊張関係が続く中、2月ほどで病が再発し、ヘイローは亡くなった。急な死であったが、大まかな権力や制度は移譲出来ていたので、混乱はない。こうしてシリウスの親政が始まった。
一方で、ベガも『若君』というような特典こそなくなったが、凋落したかというと、そうでもない。ようするに皇王一族の一員へ戻されたということになったのである。例えば、シリウスはワザワザベガのために新しい邸宅を造っている。また、6年間で両手にあまる回数、行動している。
「いつも、お連れくださり、ありがとうございます」
「はは、かしこまらなくて良い、飲め呑め」
と、シリウスは排除するような素振りを見せず、ベガも、皇王の座を狙う素振りを見せなかった。本心はともかく、蜜月の関係であったろう。
ところが、その6年目の終わり、ベガは突然出奔、帝国に亡命しようとする事件が発生した。背景としては、帝国東部の反グラリス派との連携にベガが反対して、皇国で孤立しつつあったのがある。
結局、亡命は失敗、ベガは寺院へ幽閉される。
そして、かれに仕えた近臣はあらかた粛正された。
幽閉から1年ほどしたある日。ベガのもとにメトロノーゼが現れた。
「ベガさま、あなたを討てという命により参上しました」
と、そう言われたベガはメトロノーゼに問う。
「わらしは兄になにか悪いことをしただろうか?」
「いえ、なにも」
「そうか」
と、ベガは哀しそうに微笑んだ。
ベガの死によって、皇国は帝国の反抗勢力から、別の国家となる第一歩を歩みだすことになる。
編注:皇国史を巡る記述はここで終わっている。これは筆者がシリウス親政以前と以後を別の国家とみなしたと考えられる。
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