幻想大陸三国志
帝国本紀および列伝
これはまだ帝国に何度めかわからない混乱がおこってて、その影響が皇国や共和国、学園都市といった帝国外にも波及するかもしれないといわれてたころの話だ。
ある老いた男が、川辺でボンヤリしていた。どうやら川をポッポポッポザブンザブンといく蒸気客船をながめているようだ。
「どうかしたのですにゃ?」
と、話しかけられたので、ふりかえると、洋服を着た黒猫だった。
「ええ、世を憂うことしかできないわが身をかえりみて、ウンザリしているのです」
と、男が返すと、黒猫は我が意を得たりとばかりに喋りはじめた。
「にゃらば、私が貴方を帝にしてあげましょう。貴方と私で世を安んじるのですにゃ」
「帝に?しかし、私にはその力もありません」
「まずは、私と弟子たちが貴方の家臣になりましょうにゃ。いずれも武は一騎当千、智においても知略縦横の連中ですにゃ」
「なんと、それなら千人力です」
男は、まるで若返ったように生気が戻った風であった。
これが、帝国の現帝室のはじまりである。
当時の皇帝は幼帝でとても統治できる状況ではなく、チゼンというさんぞくあがりのものが実権を握っていた。それを憂慮したコウイ将軍が幼帝を救おうとクーデターをおこし、宮中で乱戦となった。しかし、チゼンが幼帝を誘拐してしまい、以後歴史上から姿を消す。コウイは心労のあまり倒れ、そのまま死んだ。
この混乱の中、星斗という猫が
「まだ帝の大叔父の時康さまがおられます。お呼びしましょう」
と、提案し、宮中に残っていたものたちも了としたので、時康が即位することになった。
かれは平和な世ならば
『きみがためはるののにいでてわかなつむわがころもでにゆきはふりつつ』
という歌で知られるマイナーな文人としてのみ名を残しただろうが、運命の変転で帝位を継いだのだった。
時康は結局、都の混乱を治めてすぐに崩し、それ以後の帝国の再建は次代土御門に託されることとなる。享年65歳、即位3年の治世であった。
土御門は時康の次子で、その在位の間、民生と人材登用をはかり、父が再建しようとした国家の土台を固めた。また別荘を公園として一般開放した(入口に『すべてのものを尊重するものによって、すべてのものに捧げられた楽しみの場』と刻まれていた)のをはじめ、公共事業にも力を尽くした。
性格は陰険なところがあり、弟たちを虐めたり、借金しようとした時に断ったものを処刑したりする1面もあった。
たとえば
「7歩歩く間で、詩を作れ。さもなくば殺す」
と、弟に命じ、その弟は見事に作ったというエピソードがある。
文人としても知られ
「文章をつくるということは、国家を治めることにかかわる事業であり、万世不朽の偉業である。生命はかならず終わってしまい、栄誉栄華もその限りがある。この2つは免れ得ぬものであり、文章の永遠とはくらべものにならない」
と、言っている。
6年の治世ののち、崩した。享年40。
そのあとをついたのは、土御門の息子高倉だが、乳母の実家である比企家の当主高能が実権を握っていた。かれは土御門のおこなっていた親族の排除を推進し、それがために領主や騎士層から憎まれていた。かれらは
「奸臣比企を討て!」
と、結束して高能を暗殺し、高倉は在位2年で退位した。あとを継いだのは。時康の娘から生まれたマクシミリアンである。
高倉自身は、イタズラや遊ぶことが好きな少年というくらいしか特徴がなかったのだが、政治の力学はそんなことは関係なく動く。いずれは排除される定めであった。結局退位から1年後に亡くなった。
公式発表では、イタズラで滑石を使って誰かを転倒させようとしたが、自分が転倒してしまい、そのときの傷がもとで死亡したという話である。享年9歳。
かくして帝位についたマクシミリアンではあるが、その治世は苦難に満ちたものであった。
その正当性の脆さが、皇国と共和国の名実ともなう独立をもたらしてしまい、それを討伐しようにも、諸侯は彼の命令を無視したり、反逆したりと混乱が再びというありさまであった。
そもそもマクシミリアンは時康の血をひいているものの、スラヴァという共和国との境にあった獣人の都市の出身であった。そしてマクシミリアンは市長をつとめたこともある猫の名士と時康の姉から生まれた。いつの時代もこの種の属性は問題になるものだ。かれは
「耳付きの皇帝」
と、さげすまされていたのである。それはマクシミリアンにとって、治世をつうじて正当性や権威にこだわり続けなければならないということを意味していたのである。
さて、マクシミリアンは以上のような不毛な努力をしていたことよりは、インスブルクという避暑地の発展に尽くした一面もあった。インスブルクはかれのもとで軍事的な拠点でしかなかったところから、帝国の文化の中心地の1つになったのである。
ともあれ騒擾はやまず、内憂外患の極みのなか、かれは崩じた。マクシミリアンは在位30年と先の3代より長く帝位にいたが、それはいままで帝国にあった歪みが表面化した時代であった。かれは死の床で
「わたしの成したことはすべてむだであったか」
と、述懐したという。
かれの残した宿題は、あとを継いだタイシンに残されることになった。享年69。
タイシンの治世、帝国は重要な変化をおこしていた。中央集権から地方分権に舵をきったのである。ブンニャクというものが、こう献言した。
「もう、この国は単一の政治機構で動かすことはかないません」
「では、どうすれば?」
「地方を領主や自治体に任せ、その上に帝がいるようにすれば、最善とは言いませんが次善であると思います」
「よし、そうしろ」
結果的にこの政策によって、領域国家としての帝国は帝都近辺のみを治める地方政権になったが、周囲の地方領主や自治体(かれらの中には帝国の1地方でありながら国を名乗るものもいた)の上に権威として君臨する形になったことで、現在まで続く帝国と帝室が出来上がったのである。
しかし、この制度を作った功労者であるブンニャクとタイシンとの関係はだんだんと悪化していった。理由としては、タイシンの寵臣であるバブシや珠洲島直隆との対立があったとされている。
ある日、タイシンからブンニャクに食事が贈られた。食器のふたをとったところ、なかにはなにも入っていない。
「死ねということにゃか」
と、タイシンからのメッセージを受け取ったブンニャクは、毒をあおって自殺した。
ともあれ、かれの生み出した新たな形の帝国は5代タイシンから、6代ビルゲ、7代幼帝継までの三代にわたる安定、『平安の治』を謳歌することになる。
ただし、安定といってもそれは帝都近辺のことで、たとえば秋月国からの移民が集まった峨座では徐々に民族主義的な運動がたかまり、あるいは南西のビスカイア地域ではサビノという耳付きによるビスカイアナショナリズムが誕生する。それらはまだ小さな動きに過ぎないが、『平安の治』以降に本格化する問題に端緒であった。
サワラトは帝国の幾度の戦いを生き抜いた名将であった。
ある日のことジェイムズ某と立ち合うことになった。2人とも剣の名人であったので、多くの観客がつめかけた。かれらは互いに相手を警戒して隙をうかがっている。と、サワラトがジェイムズが面に打ち込み、ジェイムズは受けた。観客にはそう見えたが、ジェイムズは
「まいりました」
といって、退いた。観客がフシギにおもい
「あなたは受けたのに、なぜ負けを認めたのですか?」
と、ジェイムズに訊くと
「面は受け止めたが、その次に胴に1撃が入ったのです。そして、それは受け止めることはできませんでした」
と、返した。観客たちは達人の剣技に驚嘆した。
将としては、皇国との戦いで、別動隊を率いてからめ手から皇国軍を破ったりしたが、功にはやって待ち伏せにあい戦死したという。
九條鼎は生前は6代ビルゲの側近の中でも目立たない1名としてかろうじて知られていたが、今日では作家、評論家として知られている。キッカケは貧乏貴族であった時期に見入りのいい仕事として様々な雑文を書いていたという。
処女作は『レイトンコートの怪事件』で、いわゆるミステリーである。
以後多重解決もの『毒入り饅頭事件』倒叙もの『殺意』をへて『試行錯誤』を最後に小説から遠ざかる。
評論家としては、辛口でそれらは『九條鼎評論集成全5巻』にまとまっている。
また来訪者がもといた世界から持ってきた書物の収集としても知られており、かれの収集した書物を集めた『九條文庫』は来訪者の文化を知るたまの重要な資料となっている。
タイシン帝の御代のこと、皇国軍15000がサンネクレール砦に攻めてきた。城主は留守で、かれの夫人が60の兵力で守ることになった。
彼女は囲まれる前に出撃して敵陣を突破し、近隣から援軍を集めた。そして空になったサンネクレール砦に侵入した皇国軍を駆逐した。
タイシン帝は
「もし自分が皇帝でなかったら、この夫人になりたいものだ」
と、称賛した。
モザはワカツの北東にあるコメ所ノトールで活躍した教育者である。
帝都の大学で文学士、心理学博士号を習得した彼女は、地元ノトールで教育者として新しく設立されたノトール大学臨床心理学准教授にまでなった。
また、ボランティアとして活躍し、とくにタイシン帝までの混乱の中、子供のメンタルケアや配給につとめた彼女は
「ボランティアキャンプのおっかさん」
と呼ばれた。
彼女は帝国における女性の社会進出のパイオニアの1人と言われた。
マクシミリアンの娘であるマウドは、タイシン帝の時代、帝位を奪おうと、悪戦苦闘した。
とくに、脱出の名手で、あるときは棺の中に死体になりすまして、あるときは白いベッドシーツをかぶり、牢獄から脱出したという。
彼女はタイシンの治世のうち20年近く戦えたが、その理由は資源財団の協力があったからだといわれる。
初代ワカツ領主は
『故郷の川、山のふもと
天はテントのように司法の草原を覆いつくし
天は蒼く、草原は果てしなく広がってる
風が吹き、草の穂が垂れると、ウシやヒツジを見るのである』
と、いう詩が知られる詩人である。
またかれは、彼反皇帝派との戦いで3倍の敵を相手にしたとき、援軍を待とうという意見に
「いや、敵は油断してる。チャンスである」
といって、見事敵を破った勇将でもあった。
さて、タイシン帝には即位前から気に置けない友人が2人いた。即位後、かれらはそれぞれの立場から、タイシン帝を支えることになる。その友人の名前は早秀とチケゾウという。
早秀は同時代の人に
『天下の重人』
『平生一義神妙の仁』
『執政之器』
と評される人物だが、絵画や詩歌を良くしたくらいの事績がなく、かれの活躍は君臣関係の潤滑油だったり、交渉事の裏回しのような『記述せざる』事柄だったのだろう。その重要性はかれの危篤時、タイシン帝が
「もってのほかである」
と、狼狽したことからもうかがえる。詩人としては
『諸仏無増処、衆生又不滅』
『ことし又命の露のそめいだす座のもみじを人や見られん』
という、独特の死生観を感じさせる作品で知られる。
対してチケゾウは戦争で華々しい活躍をしていた者で、マウドとの戦いで戦功をあげていた。しかし、ブンニャクと対立し、結果的に追い落としてしまったことで、後世の評価を落としてしまう。しかし、タイシン帝と一心同体ともいえる忠義を尽くしていた。
さて、長年の戦火の倦み始めた帝国をみたタイシン帝は、早秀やチケゾウと計って主要な敵国である皇国や共和国の和平を模索する。
後世あまりのグダグダぶりに『帝国のウィーン会議』といわれるイベントの始まりである。
この和平会議は帝国・皇国・共和国の3国に、境域開拓団・資源財団の2団体や秋月国をはじめとした国家内国家がおのおの集まり、てんでばらばらの主張をしたあげく、現状維持という結論?を出したのだが、このときトーマスという猫と最上茂里という来訪者が、学術目的に限った自治都市というシステムを提案し、それは承認された。
これが、学園都市というシステムが大陸に認知され、諸勢力の1つとして台頭していくことになる。
さて、トーマスという猫は、帝都で商いをする商人であった。また最上静の門弟のの1人であり、パトロンとしても知られている。若いころは行商のためあちらこちらに冒険して、その道中に師と出会ったという。また、11歳にして上司の妹に誘惑したとかされたとかいう逸話で知られる色男で、弟子仲間に
「皆を愛しにゃさい。しかし、あるがままを愛しにゃさい」
と、語っている。
その商才のために
「最上よりトーマスが優れている」
と、そういう世評もあったが、トーマスはそれを聞くたびに
「ハシゴをかけても、天にはもどれにゃい。先生こそまさに天のような方にゃ」
と、反論したという。
こうして最上静、最上茂里父子を援助したかれは、茂里を全面的に支援することで学園都市を創設した元勲の1匹になったのである。
ある日のこと、トーマスは兄弟弟子のフランというものを訪ねた。ご無沙汰を詫びるためである。富豪であったトーマスは豪華な蒸機馬車で従者を従え、雑草をかき分けて、フランの侘しい住まいを探し当てたのである。フランはボロボロの衣服で出迎えた。
「あにゃたは病気ですかにゃ」
と、あまりにヒドイ恰好を見たトーマスは訊いた。フランは
「わたしの聞いたところでは、財のないものを貧、道を進んで行うことのできないものを病といいます。わたしは貧乏ではありますが、病気ではありません」
と、胸を張って答えた。
トーマスは恥ずかしいという風に立ち去った。生涯、そのときの言葉をはじていたという。
ある日のこと、タイシン帝は皇国との交渉に当たっていた外交官諏方にこう書き送った。
『近衛兵トミーを解任し、交代させてはどうかと考えている。かれを帝都に送り返すように。皇国での2期にわたる滞在のあとでは、クセの強さはすでに十分矯正されたであろうし、われわれも帝都にそのような立派な家臣が必要であるので』
タイシン帝はその晩年、執拗な咳に苦しめられた。毎日欠かさず飲むといいとされた新鮮なヤギのミルクも、さほど効かなかった。
タイシン帝は、お見舞いに来た法律家の貴族に、自分の置かれている状況をこう説明する。
「わたしは自分の胸を相手に、たちの悪い訴訟を戦っているところだ。この争いは、最終的にどちらが勝利するのかわからない」
やがて、病が悪化したタイシン帝は重体となって、諸侯が集まった。なんとか意識を取り戻したタイシン帝は、看病していた女性に尋ねた。
「今、涙するものを目にしたか?」
「はい。わたくしは多くの方が、とりわけメイトランド卿が号泣する様子を目にしました」
「わたしは、自分がそれほどの涙に値する存在であると思えない」
と、タイシン帝は返答した。
ビルゲ帝は老年になって帝位についたので、後継者教育に大きな期待がかけられていた。教育には湧き上がる熱意が求められた。そのためか、帝国内でそういう熱心な教育が盛んになった。そうした教師たちの熱狂にビルゲ帝はこう言って水を差した。
「重責をになう立場にある学長や教師は、青少年に害を及ぼすと思われる行為、すなわち頭をごついたり、殴打やつき飛ばしたり放り投げたりするようなことを、中止すべきである」
音楽が長い歴史を経過し獲得したもの。それにバリトン歌手のフェルナンというものは直感的に思いついた。かれは『フィガロの結婚』を演じては当代きっての声楽家で、それにくわえてビルゲ帝がかれに好意的であった。
フェルナンはビルゲ帝に特別手当を懇願した。ビルゲ帝は言った。
「なにを思いついたものか。キミはすでに、わたしの廷臣の誰にも与えられてないほどの手当を得ているではないか」
「ならば陛下、廷臣たちに『フィガロの結婚』を演じさせてみられますように」
しばらく考えて、ビルゲ帝はこう返答した。
「一理あるかもしれぬ。しかしそれ以外の使い道はあるまい」
神官のミカッチは神官長の帝都への到着に合わせて帝都にあるすべての神殿の鐘を打ち鳴らし迎えようとしていた。そこでミカッチは、ビルゲ帝にそれを打診してみた。神官長が帝にとって招かざる存在であるのを知っていたのだが。
ビルゲ帝の返事はこうであった。
「しごく当然である!神官長を迎える栄誉礼では、われわれは互いにその礼砲を打ち鳴らそうではないか!」
共和国への進軍の途中、ある下級兵士がひどく不機嫌な様子で周囲を眺めていた。
ビルゲ帝は、かれは望郷の念にとらわれているのかと思って、そう尋ねる。
「いいえ」
と、その兵士は率直のこう返した。
「部隊の全員が故郷にいられたなら、どんなに良かったか、そう考えているのです」
幼帝継の母はムチに手を伸ばした。頑固者であった継は、たびたびいたずらを企んでいた。それは反抗以外のなにものでもない。かれの家庭教師カタリナは宮廷の養育係とともの懇願した。皇太子がムチでお仕置きされるなど前代未聞だと。それに対して母はこう返す。
「わたしもそう思います。これを最後に、ムチ打ちは止めることにしましょう」
ドラゴニアンと呼ばれる種族は一般的には獣人とカテゴライズされるが、それというのもかれらが
かつてはオールドロードという小さな都市に暮らしていたが、刻人と獣人両方から迫害され、2度反乱をおこしたものの、鎮圧されたあげく、離散してしまった。
離散後は、大陸全土で商人や傭兵として活動し、文章や音楽を始めとした芸術にも才能を発揮したという。
かれらの内、モーシェというものに率いられた一団は、オーグルに小さな都市を作り、オールドロードへ帰るまでの仮宿とした。
あとを継いだキュロスというドラゴニアンによって、帝国から自治権を得ることができ、その次のサンチョは皇国との戦で活躍し『ドラゴニアンの大王』と呼ばれる。
さて、ドラゴニアンは大陸に住まう種族の中では少数であるため、ゲリラ戦を得意というかせざるえなかったのだが、エフライムという少年があるムング族から
「これをキミに授けようにゃ。仲間たちを助けるにゃ」
と、来訪者や他獣人に一時的に変化する秘術を与えられた。エフライムは友人たちといっしょに情報をあつめたり、工作活動をするようになった。そのために、ドラゴニアンは商人や傭兵としてますます重宝されたのだった。
これがいわゆる『
ドラゴニアンの特異性としては、いわゆる先見者の存在がある。かれらは世界の滅びを幻視する、警告者であり、それゆえにドラゴニアンからも迫害されるさだめであった。
代表的な先見者にエルシアというものがいる。彼女はある日こんな出来事を見た。天空に雲と火の輝く輪が回転し、その中に4つの生き物らしきものがみえる。それらの頭上に王座があり、そこから声が聞こえた。
「これを食べよ」
見ると巻物が差し出されていた。悲哀と悲嘆の文字がいっぱい。彼女はそれを食べ、街のカベに刻んだ。それはオールドロードから追放されるという予言であったという。
幼帝継が8歳で死去したとき、当然のことながら跡継ぎは決まっていなかった。東国から招聘することも検討されたが、トウニというドラゴニアンが、ビルゲの隠し子という娘を連れてきた。名をグラリスという。当然のごとく反対があった。
あるものが
「トウニさん、あなたが先見者であることを証明してください」
と、雨を降らすことが出来るか対決することになった。
まず対戦者が犠牲動物を捧げ、必死に祈るが降らない。次にトウニが同じことをすると、天から火が降ってきていけにえを燃やし、次に雨が降る。
結局グラリスが第8代皇帝として即位した。
しかし、生まれも定かではない皇帝の即位は、帝国に混乱をもたらすことになる。
東国から始まった皇帝僭称運動、すなわちグラリスが皇帝を僭称したものであると指弾した運動はやがて
『われこそが真の皇帝である』
という、あまたの皇帝僭称者と後世言われるものたちとそれに乗じた諸侯同士が争う状況までに悪化した。
結果として、帝国東方はなかば別の国となってしまい、グラリスといえば帝都近辺の維持すら危ういという有り様であった。
そのために、帝国軍で皇帝に従う九條貞家が北方、皇城高経と東雲憲顕がワカツに派遣された。少しでもグラリスの統治できる勢力圏を確保するためであった。
しかし、命じられたかれらも反復常なきものであり、たとえば九條定家は自分の利害で僭主側について、同僚の芹沢国清を攻め滅ぼしたりした。皇城高経はプライドが高く、グラリスから名刀『切丸』の上納を求められても
「これはわれらの家宝です。渡せるものではありません」
と、拒否したという。
一方で帝都で活躍していたのは、ビルゲ帝のころから仕えグラリス帝のときに家宰職についたボロクル、同じく親衛隊長アシュラル、トウニの弟子であったヴァンアーブル師といった面々であった。
しかし、かれらとてグラリスに忠実という訳ではなく、生涯にわたって裏切らなかったヴァンアーブル師すら自分の意見が受け入れられないと、隠遁してしまうというほどだった。
ボロクルにいたってはグラリスを保護していたドラゴニアンの寺院を燃やしてしまうようなグラリスに対するあからさまな犯行をする始末。
またそれにつれて、社会秩序も悪化し、その中のいくつかのものは義賊と呼ばれ、民衆の人気を集めた。
当時の貴族珠洲島言経の日記にはこう書かれている。
『盗賊スリら10名とその子1名が釜茹でとなり、同類9名が磔となった。帝都三条の河原でそれは行われていたので、身分の上下なく集まった。そこであるものが子どもを頭上に掲げ
「これを見よ」
と、それを救おうとした。集まったものは喝采したという』
ともあれ、グラリスの帝国はかれらあっち行きこっち行きする問題児たちによってなんとか運営されていくことになる。
ここで、家宰について少し。
家宰は文字通り家のアレコレを差配する者で、この世界においてはいわゆる執事のような役職である。皇帝の家にも当然おり、世が平和なら家の中を仕切るくらいでさして力はないのだが、乱世でかつ家臣たちが相争う状況では、皇帝は身近なかれらに支えてもらう必要が出来、結果として家宰の権力が増大することになった。そして、グラリス帝のときに家宰であったボロクルのような存在が生まれるようになる。
ボロクルはもともと帝室の近臣として仕えた家の出身らしいが、祖先で確実に実在したとされるのは、タイシン帝に仕えたかれの祖父モロソフからである。モロソフはタイシン帝の時代に家宰まで出世するほど活躍する。
かれの職務はタイシン帝の命令や恩賞を諸将にいきわたらせる、1言でいうと
『タイシン帝の意思を実現させる』
という仕事であった。
以降、その地位はモロソフの一族で世襲され、ボロクルが5代目である。
混乱を多少でも収拾するため、ワカツ地方の新城に戸沢盛政が派遣されることになった。さして力のない小貴族であったが、巧みな政治手腕が買われたのである。
盛政の腹心である猫ロクエモンが先に新城に入って、敵勢力の駆逐や懐柔に活躍した。後に入った盛政は
「どうだ、大丈夫か?」
と、訊くとロクエモンは
「安心して下さいにゃ、平らにしたので、あとは種子を植えるだけですにゃ」
と、返した。盛政はホッとして、施政を開始した。
新城は、以降皇室の直轄として、北方経営の拠点となる。
国が乱れると、民も乱れる。皇帝直轄領で飢饉が迫っているというので、代官が
「自ら節約して、施すのはこのときだ」
と、自分の乏しいふところから、民を施した。また、たまたま領内の裕福なものが、食料を買って、これを無利子で5年払いで供与するというので、50ほど金を出し、それをもらった。帝国政府はそれを聞いて、褒賞を与えたという。
また、あるケチがいた。あるとき隣のものが来て、
「カナヅチを貸してくださいにゃ」
と、言ってきたのでケチは
「クギは鉄か木かにゃ?」
と、訊いた。
「鉄です」
と、返答がくると、ケチは小首を傾げ曰く
「お安い御用にゃが、外に貸してるからにゃい。すまぬにゃ」
と、言った。隣のものは帰ると、妻に
「多分鉄で鉄を打つと痛むのがいやにゃろう。ケチらしい」
と、グチると、妻も
「仕方にゃいね、家のぼろいカナヅチを使うにゃ」
と、返した。
また、こんなこともあった。
ある寂れた屋敷に隠居がいた。この隠居、虫を食べることを好み、朝夕掃除をしては、毛虫、蜘蛛、トカゲ、ヒキガエルと虫と認識したものはなんでも食べた。
だからだろうか、この屋敷にハエ一匹いない。皆隠居が食い尽くしたのだ。たわむれに
「カやノミもとってくれにゃいかな?」
と、言うものもいた。
あるものが
「にゃんでそんなに虫を好んで食べるんですかにゃ?」
と、訊くと隠居は
「世の中には人肉すら食うもんもいる。それに比べりゃ、虫なんてお上品なもんだ」
と、答えた。
さて、この動乱が徐々に混迷していく過程で、にわかにキーパーソンとなった者がいる。名前を川島利長という。犬頭の獣人であった。役職は資源財団の帝都代理官。
本来なら雑伝で紹介すべき存在(編注:実際利長の事績は雑伝で書かれている)である利長をなぜここで紹介するかといえば、まずはかれの祖先、具体的には父親について書かねばならない。
そもそも、川島家はワカツ地方に移住した刻人が現地の獣人と交わり豪傑となったものの子孫でだった。『豪傑』とはこの場合、中小部族の有力者を指す言葉である。その豪傑の中に泰というものがいた。かれは一族が帝国によって処刑されたり、戦場のチリとなってしまったために、一族の長となり、帝国軍で頭角をあらわした。そのころ、ワカツの帝国軍に岳という有力者がおり、泰はかれを
「兄い、兄い」
と、慕っていた。しかし、帝国の混迷の中、岳は暗殺されてしまい、泰がその地位を継ぐこととなる。
転機となったのは、帝位争いに敗れた皇族が、ワカツ地方に逃亡してきたことにある。宝炬という名の皇族は、泰をはじめとしたワカツ地方の諸侯によって推戴され、帝位についた。
泰は摂政として宝炬の治世を動かしていくことになる。
帝都を占拠している対立皇帝と歴然とした兵力差があることが分かっていた泰は、軍を再編するために、 周囲の刻人や獣人を積極的に勧誘し、また形骸化していた皇帝を中心とした体制に回帰することで、これ以降の帝国における皇室の地位を確立することが出来た。
泰は6名の子どもを成し、ワカツを中心にかれの血脈は広がっていった。
その中に皇族の護衛を生業としていた川島というものがおり、これが川島家の始祖である。
タイシン帝のころ、川島家の当主は犬千代というものであった。
若いころにこんなエピソードがあると、かれから聞いた家臣が記している。
『犬千代さまはお吸い物を食べると、いつもお腹が痛くなる。どうしてですかと訊くと、むかしタイシン帝がお吸い物を臣下に振る舞うということがあった。タイシン帝は犬千代さまの前に来ると
「こいつはわたしの秘蔵っ子でね、ある戦いで敵の勇士を討ち取って首を上げた。わたしはこいつを指差し、犬千代はこういう手柄を立てたよ、皆も負けずに頑張れ、と采配すると勇気100倍、味方400くらいで敵4000くらいという兵力差で勝ったんだ」
と、笑いながら言うと、周囲のものは給仕もふくめ
「それはあやかりたいですな」
と、争ってお吸い物をくれるので、食傷して、あげくお腹が痛くなるそうだ。このことは目撃したヴァンアーブル師もたびたび話していたし、ボロクルさまも犬千代さまの前で語っていた』
というように、勇猛果敢ではあったが、そういう軍人にありがちな粗忽さで、タイシン帝に嫌われてしまい、しばらく暇を出された。当時は学殖豊かな賢者として知られ始めたヴァンアーブル師の元に身を寄せた犬千代は、そこで学び、性格が落ち着いてきた。ここで、かれはある気づきを得る。のちに寓話風にこう書く。
『われわれがつぎのようなものたちを突然失うと考えよう。1流の物理学者50名、1流の科学者50名、要するに科学者や芸術家、職人が5000名を失ったと考えよう。
これらのものたちはもっとも本質的に生産的なものたちであり、真にわれわれの社会の精華である。われわれは今日競争相手となっている連中に対してたちまち劣った状態になってしまうだろう。
もう1つ別のことを考えよう。皇太子や貴族、わたしのような地方領主を同じ日に失うという不幸があったとしよう。帝国にとってなんの支障も生じないだろう』
数年して許された犬千代は、伝来の領地の主として、帝国政界に復帰した。
その後は大過なく、特筆することのない日々が続いたが、グラリス帝の時代に入り、皇城高経とボロクルが対立する。ボロクルは犬千代に使者を派遣。使者が持ってきた書状には
『明日の合戦に、裏切って欲しいのですが、あなたの性質ではそれは無理でしょう。そこで明日は中立になってください。それだけで、こちらは安心です』
と、
書かれていた。犬千代は
「裏切りは勘弁してください。言われた通り、中立を保ちましょう」
と、返信した。
結局、この合戦で犬千代はただ静観しただけだった。皇城勢が合戦に敗れ、総崩れになると、犬千代は根拠地に引き上げる。
敗走した高経は8名ほどを従えて、犬千代の屋敷に立ち寄った。取り次いだ部下に
「高経さまの手勢は少ないです。ここで討てば、ポロクルさまへの忠節をしめすことになりましょう」
と、提案されると犬千代は怒って
「なんということを。作法を知らぬのか!!」
と、𠮟りつけた。やってきた高経が
「犬千代どの、負けた。恥ずかしいわ」
と、言うと、犬千代は
「合戦の習い、やむおえないことです。わたしはごいっしょできませんが、ワカツにもどり、再起なされませ」
と、勧めた。高経は
「おかゆをくださりませ」
と、所望したので、犬千代は自ら作って持ってきて、高経は食べた。
そうして辞去しようとしたとき、高経は
「あなたは前々からポロクルと友人であったから、今後はわたしに対する義理を捨てて、家の安泰をはかりなされ」
と、言ってまた去っていった。それを見て犬千代は涙を流したという。
翌日、ポロクルが従者1名を連れて屋敷の門の前で
「犬千代どの、ポロクルが来ましたぞ。お会いしましょう」
と、大声で叫んだので、犬千代は出てきて
「面目ない。今は自害したい」
と、言うと
「いやいや、そんな用事できてないよ。わたしたちは年来の仲良しだ。それを水くさい。この状況だ、悩むのもあることだ。わたしに恨みはないし、あなたもそうだろう。高経を滅さんとしたのは帝国のためだ。今まで通り付き合おう。道案内を頼む」
と、笑いながら返した。
このとき犬千代の奥さんはポロクルに
「冷飯があるなら、食べたいですにゃ」
と、冷飯を食べたのち
「利長くんは、お母さまを守りなされ。犬千代どのは戦上手だからいっしょに行くことになる。忙しいからこれで。終わったらまた会いましょう」
と、言って立ち上がると、奥さんは
「あなたも行きなさい。このあたりは敵もいない、安心しなさい」
と、利長も同行させた。
それから3日して、炎上した屋敷の中で、高経は妻ともども自害した。これの子どもは女子ばかりだったので、皇城家は甥の義重(僧侶になっていて、法名は円喜)が継ぐことになった。高経の所領は犬千代が預かることになった。
かくて、権力を手中に収めたポロクルだが、その絶頂は短く、3年ほどして諸将が謀って、かれを弾劾する。グラリス帝も了としたことにより、ポロクルの運命は定まった。かれは護送中に同行した一族ともども暗殺されたという。
犬千代は、この混乱の課程で円喜に高経の旧領を返す。自領も帝国に返還し、隠居用の小さな土地と屋敷で、妻と暮らし、自伝や考えたこと、日々のこもごもを記しながら過ごしていたという。
1年ほどして、犬千代は病に倒れ、当時は協定のために東奔西走していた利長も駆けつける。犬千代は利長に
「天下を平らかにするために、尽くせよ」
と、遺言した。のちに妻が戦装束を持ってきて
「あなたは、戦いで人を殺して、亡くなった後が怖い。この戦装束を着てください」
と、泣きながら言うと
「乱世の習いで戦で殺したことはあっても、理不尽に殺したことはない。なんの罪があろう。もし地獄に行ったとしても、その地獄を征服してくれよう。心配するな」
と、返してそのまま絶息したという。
さて、ここでヴァンアーブル師と同門の友人であり、犬千代や利長の思想的支柱となったシャルルという猫について少し語ろう。
シャルルは帝国東部の裕福な家庭に生まれ、幼少時に父が亡くなり、その遺産で色々な学問を身につける。その中で若いヴァンアーブル師を始めとした友人を得る。
ところが、実家に帰ったときに、反グラリス派の義勇兵に徴用されてしまう。命からがら実家に帰還したものの、このときのことを
『文明社会を野蛮状態まで転落せしめた』
と、書いたほどトラウマになったようである。
さて、かれは昔先生の1名に
「イカダに乗って海に行こう。わたしについてきてくれるのは、シャルルかな?」
と、言われて
「わーい、やったにゃ」
と、喜んだので
「シャルルは勇敢だね、でも材料は調達できないだろう」
と、先生はいったという。おそらく先生はかれのもろもろが見えていたのだろう。
さて、この時点での反グラリス派の支柱は静海という僧侶で、かれとその一族が反グラリス派の中核軍団であった。
静海は一代の傑物で、皇国や共和国にも影響力を持ち、大陸の戦乱はかれを中心に回っているといって良かった。
この影響力は帝国にも及んでおり、ポロクルのようなタイプの廷臣はその代表といえよう。
このようなムーブメントにシャルルは違和感を持っていたようで、実家に籠もってひたすらものを書いていたようである。このような状況にありがちなことであるが、かれは自分自身の書いたものが世界を変え、その名前を悠久の歴史に刻まれることを信じて疑わなかった。
かれの理論を語ると、今まで書いたものと同量必要になるので、なるべく要約すると
『世界には、引力のように感情にも「情念引力」というものがある。つまり、それらが社会を成立も崩壊も可能にする法則である。これを正しく共同体に組み込むと、1つの調和へ向かっていくことになるのだ』
と、いうことになる。
今も当時も理解されていなかった。
この時期の話である。
シャルルが珍しく街に出ると、広場がガヤガヤしていた。シャルルは近くにいたものに訊いた。
「にゃにがあったんにゃ?」
「おう、政治家が暗殺されてな、公開処刑になったんだが、それがとてもそういうことやんなさそうな少女だってんで、みな集まってるのさ」
シャルルがのぞき見ると、ちょうど終わった直後で、少女は首だけになっていた。それを見たシャルルは吐き気を覚えて、その場を去ったという。
さて、このように世を捨てたシャルルにも川島父子のような少数の読者かつ支持者を持つようになった。しかし、そのような読者とシャルル自身の意識の違いは如何ともし難く、シャルルはかれらすら遠ざけて、孤独な晩年をすごしたという。
しかし、かれの構想自体は利長をはじめとした協定の運営者に1部とはいえ受け継がれていくのである。
さて、グラリス帝の腹心にシュイというものがいた。
かれは山のような書類仕事をたちどころに片づける能吏で、それゆえに重宝されていた。グラリス帝の側近の中でもっとも近くに仕えていたので、あらぬウワサを立てられ、蓄財を蔑まれていた。しかし、グラリス帝の手足をしてまめまめしく仕えていたかれは、それゆえ佞臣とも忠臣とも評されている。
いわゆる帝の近臣の中には珠洲島、柏木といった時康帝以来のものたちが貴族化し、世襲して独自の権勢を持っていた。そのためタイシン帝以降の帝はその権勢を削るために、友人や新しいものを近臣としたのである。シュイもグラリス帝に見出されたそのような1名であった。
さて、そのシュイに、利長がある提案をしたのは、グラリス帝の臣下たちが、権勢を求めて、破滅したり、隠遁せざるを得ない状況になって、あらかた退場した時期である。
「にゃに、皇国や共和国の独立を認めよと?」
「はい、ことこの期に及んでは、かれらの独立を認め、それをもってかれらの助力を得る以外に東部の諸勢力と戦うことはできません」
「しかし、それではにゃあ……。帝国と同格ににゃってしまう……」
「だからです」
と、利長は意気込んで身を乗り出し言う。
「かれらを独立させることで、新しく国際的な同盟関係を作り、大きくなりすぎた帝国をスリム化しつつ、大陸の秩序を再編成するのです」
「でもにゃあ……」
逡巡するシュイに利長はさらに畳みかける。
「これは、あなたの地位だけではなく名誉も得ることが出来るチャンスです。尊敬を得るために、今こそ決断するときだ」
「ううむ、そうかもにゃあ」
と、シュイは満更でもないという風に、首を傾げる。
こうして、利長のアシストもあり、グラリス帝とシリウス、バドは集まって会談をおこない、皇国と共和国を資源財団や境域開拓団と同格の外郭組織として承認することになった。
つまるところ、この協定は以後の大陸世界の形を確定したのである。
編注:この協定は種々の揺らぎや諍いをはらみつつ、グラリス帝崩御まで存続した。
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