賊飯
北緒りお
賊飯
休むと言うには寝ても寝ても具合悪さが積み重なり、悪寒と脂汗に翻弄されながら寝床でもだえていた。
三人の布団をひいてしまうと床が見えなくなる部屋のなかで、この男ともう二人の男が同じように苦しんでいたのだった。
木々が芽吹く頃がいくらかすぎて、少しは暖かく、日差しが強くなるとやや暑く感じる時期であった。渓谷の間を縫うようにして走る街道、といっても、獣道に毛が生えたような商人や旅人が近道をしようと通り抜けるのにできあがった道ではあるが、そこに数件の飯屋が並んでいる。道の山側を削り、小屋をいささか立派にしたような建物を店として使っていた。十人も客が入ればいっぱいになるような店の奥に、店の男のための部屋があった。
店と同様に男が三人寝るのには窮屈であったが、文句を言えるような境遇でもなく、丸太になった心地でその部屋で寝起きをしていた。
横になるだけでやっとであったが、飯に困ることもなく、寝るところもあるだけでもありがたかった。
この店は街道を行き来する人の腹を満たすのにちょうどよく、味に特段工夫があるわけでもなければ、丁寧に作っているわけでもなく、味の濃い食べ物に合わせ、一膳の飯と汁を出すだけであったが、ほどよい場所に構えていると言うだけで日銭が入ってきていた。
この街道を行き来するのは、商人や役人、それと賊であった。商人と役人は二度も三度もここを通るものはおらず一期一会であるが、賊はこのあたりに出没する野犬同様、見たような輩がうろつき、夜になると姿を見せ始め、獲物を見つけると闇から手を伸ばし引きずり込み<仕事>をするのであった。
店の男達は、この賊達が<仕事>をするのに必要な腹を満たすため、ここの店を押しつけられたのであった。
「おい、この飯屋もなくなったら後はどうするんだ」
賊を束ねている頭領はやや不機嫌そうに取り巻きに言う。
賊達がこのあたりをねぐらにするまではいくらかは店もあり、人の流れももう少し多かった。しかし、賊が出るというのがあたりに広がると、人の流れはまばらになり、やっていけなくなった店は次々と畳んでいったのだった。
しまいには一件もなくなり、自分たちが腹を満たす場所も消えたのであった。
これ幸いと主のいなくなった飯屋に賊がたまるようになり、残されていった鍋と釜で自分たちの食い物を作るようになり、いつのまにかそれは慣習として定着すると、何かの勘違いで店として飯の代金を取るようになった。
見よう見まねで炙ったり煮たりしただけの食べ物である。だが、その雑味と粗暴な見た目に対して「これで銭取るのか」とでも言おうものなら、調理器具を荒々しく握りしめた人相の悪いのが奥から出てきて、飯の勘定以上の銭を取られることになるのだった。
この店を知っている商人や旅人はこの店を避けて通る。不運なのか、天に見放されたからなのか、間違ってこの店に入ってしまった者は、追い剥ぎ同然にすべてを取られるのであった。
店をやるめんどくささはあるものの、賊が来れば飯の代金は取れ、そうでない者がはいれば<仕事>をし、やりたいようにやっていたのだった。
狭い部屋の中で熱と悪寒の渦に飲み込まれ悶絶しているのが、その三人なのであった。
「ああ……」
「うう……」
「……!」
言葉などはほとんどなく、うめき声とかろうじて少し残っている力でいらだち紛れに壁に拳をぶつけてみたり、かかとでたたいたりする音だけが響いた。
眠るなどと言う穏やかな時間はなく、体の奥にしつこく根を張る具合の悪さと熱のだるさから逃れるために無理矢理眼をつぶって意識を無くす。そして、しばらくすると寒気や吐き気で目を覚まし、はいつくばって土間まで行き、空っぽの体の中からこみ上げてくるのを絞り出すのであった。
どれぐらいそれを繰り返したかはわからない。
寝ては這い出て、戻っては意識を無くし、悪寒にたたき起こされ、また這い出る。
飲んでもすぐに出てしまうのはわかっているが、少しの水を口にして、戻る。
おかしい。
男は自分の体の中で起きていることだけではなく、なんとなくの不安のあるおかしさを感じた。
眼をつぶり、深いと倦怠から逃れるために眠りの沼に潜り込もうとしたが、この違和感が気になり、まんじりともできなかった。
なにがおかしい?
目をつぶり、耳を澄ます。なにも聞こえない。
外からは風が吹いたのか木々の葉がこすれあう音がし、鳥がさえずる声も聞こえる。けれども、聞こえないのであった。
うめき声もうなされて出てくる息の音も聞こえない。まるで一人でいるかのように静かになったのだった。
「おい」
だれに問うわけでもなく声を出してみる。誰も返事をしない。試しに隣の布団に寝ているのをたたいてみる。反応はない。
もう一人には足で蹴ってみる。反応はない。
最初にたたいた奴の布団を寝たままの姿勢でめくり、そして拳でたたいてみる。
「なんか言えよ」
布団と言うには貧相な布切れを剥がしてたたいてみると肉が肉を打つ音はするが、うんともすんともなにか言うわけでもなく、ひんやりとした感触のみがその拳に残ったのだった。
男の体から力はすっかりとなくなっており、弱った体では手や足をのばすのがやっとであったが、それでも執拗に反応を見ようとしていた。
わかっていたことではあるが、いくら叩けど反応することはなく、冷たくなった骸にあたる音だけが部屋の中に響いた。
この部屋の中には、布団と骸、あとは自分だけであるというのに気付いた。
今までの悪寒とは違う寒気におそわれていた。熱で朦朧とした頭の中の奥の方で「俺もこうなるのか」という考えが沸き、おとなしく寝ていてはいられないとの恐怖と、こうならないように逃げたいという衝動におそわれていた。
男は一緒に寝ている奴らには一切の情はなく、ただただ押しつけられた店を動かす手足の一つぐらいにしか考えてなく、ほかの二人もほぼ同じような考えであった。店の作業をしているときは、互いに「おい」とか「こら」としか呼ばず、互いに互いが寄せ集めであることを自覚し、そしてそうしていたのであった。
「このまま、こいつらと同じように朽ちるのか」
熱でまとまったことは考えられず、ただただどうやってこの苦しみの渦から抜け出すかということしか頭になかった。
そもそも考えるのは得意ではないが、意識が濁った泥水みたいになっている今は、頭の中に浮かんでくる事柄の輪郭は崩れ、薄ぼんやりとした印象の固まりでしかなかった。新しく考えるなんてことはできず、今まで見聞きした風景をさまようだけなのであった。
その目的は、どうやって生き続けられるかという悪足掻きなのである。
浮かんでくる風景は、最近の<仕事>であったり、頭領がなにやらを捕らえている様であった。
頭領の手下となるまで、経を唱えるなんてことはしたことがなかった。大人になり、好き放題に生きていく中で経を読むような場面というのには出会ったことがなかったのである。
賊の頭領というのは、そこにたどり着くだけあって、気も荒ければ腕力も強かった。ちょっと気に入らないことがあれば、周りにいる者に火の粉が飛び、殴られるなんてことは日常茶飯事であった。
清廉でもなく、正しい道を歩いているわけでもない頭領が唱える経というのは、ほぼ自作に近いようないい加減なものであったが、新しい手下が入ると、とりあえず読経らしきことをさせていたのだった。
もちろん、手を抜く者もいれば、こんなことをするのはばからしいと刃向かう者もいる。そういう者には情け容赦なく痛めつけられ、骸になった者は見せしめとしてさらされたりもしていた。慈悲なんて言葉はなく、非道であり、ならず者である。人間が持ち合わせている盾と矛をわかりやすく並べたようだった。
どうにかして生き延びたい。
その一念だけで経のまねごとをしてみる。体が重いのもあり、口ごもるようにして読経しているかのような声を出す。頭領がやっている節に会わせそれっぽい音を出し、読経らしきうなり声を出していた。自分が読む経の中で、自分の悪行を思い出しては、それを振り払うこともできず、やったことを静かに振り返るのであった。
街道を馬子がやせ馬をつれて歩いていた。
馬は自分の体を支えるのがやっとなぐらいにしか力が残っていないのだろう、平坦な道なのにも関わらず息も絶え絶えに歩かされていた。
男の店の前を通ったところで、その馬の運命は変わってしまった。
馬子がどこに連れて行こうとしていたかわからないが、少なくともましな終わりかたになっただろうが、仕入れに行くのがめんどくさいと考えていた男には、ちょうどよい獲物ぐらいにしか見えなかったのである。
泣いて逃げていく馬子を追いやると、馬を無理矢理に川縁まで連れて行く。
男が痩せ馬を捌き始める頃には、その体には打ち身やかすり傷、噛まれた跡などで満身創痍そのものの姿となっていた。
調理場に立っているからと言って、馬ぐらいの大きさの動物の命の火を消して食材にするために捌くなんてことはやったことはなかった。酒の話の中で誰かが言っていた「馬を捌くなんて簡単なこと」というのを鵜呑みにして、やろうとしたのが災いの元であった。
恐れて暴れる馬を押さえつけながら、その命を消そうとした。
いくら痩せ馬と言えども、一人で押さえつけられる大きさではない。川沿いに生えている木に馬の首にかかっていた縄をくくりつけ、その動きを制しようとした。それだけでも何度もはねとばされ、蹴られそうになり、ひずめの先が男の太股を強く打ったしていたのだった。
やっとの思いで刃の先を馬に刺そうとしたところでも、大木のような胴体で体当たりされ、はねとばされる。そして、どこが急所かも和からぬままに、めっぽうに刃を突き刺しては、馬に暴れられ、徐々に弱らせてしとめたのだった。
材料として使える程度に切り分けが終わる頃には、己の馬のかわからない体液で全身が濡れていたのだった。
翌日から、客に出されるようになった。処理も適当であれば、料理もいい加減である。
味が悪いだけであれば我慢すればよいが、なにか悪いものが混ざり込んでいたのであろう。腹を下すものや、食べたものを吐くものが続出した。
臭みや処理の悪さをごまかすために、味噌や香りの強い山菜でそれらしい味にし出していた。食べた客と言えばこのあたりの賊である。そんじょそこらの客に比べて頑丈であろう賊の腹を壊すのだから、よっぽどのものが混ざったのだろう。しばらくすると、客は途絶えた。賊はこぞって寝込んでしまったのである。
もちろん、それはこの男も食べている。
読経は続いている。
「どうにかして、どうにかして」
神とやらがどこにいるか見当もつかないが、手を合わせ一心不乱に読経のまねごとをしている。
「いやだ、どうにかして生きていたい」
それだけの一念で拝み続ける。その相手はどこにいるのやら見当もついていないままであった。
寝床から見上げる窓から柔らかな光が射し込む。
その光は優しく膨らみ、神々しくこちらを照らしているような気がする。
男は懸命に「どうにかして、どうにかして」と念じながら唱え続けていたのが功を奏したのかと感じた。
しつこく体を襲う悪寒は消え去り、なにやら心地の良い暖かさが体の内側から沸いてきたような気がしていた。
だんだんと自分の体が消えていき、光の中に混ざっていくような穏やかな快感に包まれながら、読経のために合わせていた手から力が抜けていく。
「どうにか……」
部屋には静寂だけが残った。
賊飯 北緒りお @kitaorio
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