殺す理由
「さようなら」
その一言の後、包丁がわたしの心臓を貫いた。
浅い夢から覚めた俺は静かな朝焼け前の街並みを窓から見渡す。鳥の鳴き声と新聞配達のバイクがいそいそと走る音。風が草木を揺らして川の水を叩く。
金環日食みたいな朝と夜の境目で彷徨う月が朝日から逃げて、宵の終わりは群青の淡さへとそこから白金の夢うつつな空へと世界が闇を追い出し月を捕まえる。
右に見える家々の所々で電気がついており、もう起きているのかと感心する。それは俺の母親も同じようで、一階から物音が慎重にまるで怖がるように森の中で土を蹴り枝を弾く感覚が俺に現実を告げる。
「今日もまだ人間は足掻いてるんだな」
左は自然に侵略され、右側では人間が懸命に足掻いている。
人間の創造物の溜まった街と自然の数多が本来の姿を取り戻そうとする廃虚な自然。
この世界はいずれ終わる世界なんだと、俺はそう考えた。
「嘘つき」
そんな怒号が耳を打撃して思いっきり後ろへと押されて無様にこけてしまう。痛いと思って顔を上げた時には俺に怒号を浴びせて突き飛ばした子は走り去っていた。
「また
憐れみの声に尻もちをついたまま振り返ると俺を見下ろしていたのは
少しだけ青みかかった黒髪の一束が耳の横を垂れて胸元に滑る。
「私のこと変な眼でみないでよね」
「見てねーよ。てか、泣かせたって……俺は何もしてないのに」
「涼は誰にでも優しすぎるのよ。だから勘違いさせて「嘘つき」って言われるの」
「そんなの知らないってか優しくないし、それに理不尽すぎるだろ?」
「涼がそうだと思ってても、涼と相手の子は違うのよ。彼女から見た涼は自分にだけ特別で涼が言ったかわいいも似合ってるも、その全部が彼女にとって好意を抱いてくれていると一緒だったの」
そう言われても、あの子の容姿や頑張りを褒めただけ。優しさなんて特別なことは何もしていない。確かに紗耶香の言うことはもっともかも知れないけど、やっぱり俺にはわからない。呆れる紗耶香は手を伸ばして俺を立たせる。
「いつまで座ってるのよ。さっさと立っていくわよ」
「あ、うん。そうだった。今日か……」
立ち上がった俺に紗耶香はこう告げた。
「ええそうよ。——涼が私を殺す日よ」
いつか世界は終わりを迎える。どれだけ愛おしい人がいても、どれだけ大切なことがあっても結末は変わらない。みんな離れ離れになって違う何かに生まれ変わる。運命だとか宿命だとかはよくわからないけど、もしも来世を願えるのなら、俺は紗耶香と共に生きたい。多分これだけだ。
世界が終わる前に俺は紗耶香に包丁を突き付ける。
「もしも、私が涼を忘れてたら」
「俺が思い出させる」
「じゃあ、涼が私を忘れてたら」
「紗耶香が頑張ってくれ」
「そこは忘れないよって言うとこでしょ」
「いいんだよ。だって、そうしないと俺と紗耶香は繋がれない」
「…………」
「好きだよ、紗耶香」
「ええ、私も好きよ涼」
だから——
「さようなら」
好きだから離れ離れになりたくない。世界が終わった時、宇宙とかの因果で二度と会えなくなるのは嫌だ。共に生きて共に愛して共に過ごして共に死ぬ。
いつか世界は終わる。その前に愛を囁こう。とびっきりの純愛を。
俺は紗耶香の胸を包丁で貫いた。噴出した生暖かい血と冷たくなって呼吸が小さくなり、衰弱して死んでいく姿。
それを見届けてから俺も自分の包丁で貫いた。
「さようなら、またね紗耶香」
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