第21話 第五章 決戦⑤
境は、校舎の廊下をひた走る。いつもなら、大勢の生徒が談笑しながら歩く場所は、今や鬱蒼と生い茂る森と化していた。ここに足を踏み入れて幾ばくの時間が経過したが、相変わらず現代の建物とファンタジーな森の融合といったアンバランスな組み合わせに、まるで慣れる兆しが訪れない。
「待て、ボッチ」
逃走者の姿は、葉に覆われ見えないが、足音だけが存在を伝えてくれた。
境は追いかけながら、教室の様子をうかがう。ツタに覆われたドアや窓は見えにくいが、辛うじて机にうつ伏せで倒れる生徒たちの姿を確認できた。しかし、生きているのかどうか、そこまでは断定できるものではない。
「答えろ! 学校にいる生徒たちは、無事なのか?」
「うん、殺してない。オラの敵は、調律者だけだから」
境は、ズキンと感じた胸元を手で押さえる。
(間違えるな。惑うな。超越種で良い奴がいるなんて幻想なんだ)
荒々しく目の前の枝を切り裂き、境は立ち止まる。
この直線の廊下は美術室や備品室につながり、右手には上下階に通じる階段が見えた。
ついさっきまでここらで聞こえていたはずの足音が途絶え、風も吹いていないのに、木々は揺れ動いている。……どうも嫌な予感がした。
「……ハ!」
足元にツタが絡み、無様にも引きずり倒される。
次々とツタは押し寄せ、胴体に足に、手に絡んだ。
こんな予感など当たっても何も嬉しくない。境は、その気になれば、身の丈を超える岩さえも投げられる怪力を活かして、無様にツタを引きちぎってやろうともがく。しかし、ゴムのような柔軟性と鋼の如く頑丈さを、このツタは兼ね備えているらしい。伸び縮みするだけで、まったく切れそうにない。
「んだよ、このツタ。頑丈すぎだ」
悪態をつく境。そんな彼に謝罪するように、ゆっくりと廊下の床に穴が開き、そこからボッチが現れた。
ボッチの瞳は涙に濡れ、何度も頭を下げながら、ポツリポツリと呟く。
「ごめんな。でも、ゼウが教えてくれたんだ。調律者は、超越種を根絶やしにする気だって。それは本当か?」
「ああ、本当だ。……少なくとも僕はそう思っている。君らなんて最低だ」
「どうしてそんなこと言うんだ?」
「理由があるからさ。……そうだな、せっかくだ。ちょっとした昔話を教えてやるよ」
興味深げに、ボッチの瞳が揺れ動いた。
境は、抵抗を止め、刀を消し、ゆっくりと全身の力を抜く。頭に飛来する苦い鮮血の記憶。普段は強引にでも蓋を閉じているが、あえて今だけはそれを直視する。
「僕が小さかった頃、友達が一人できた。昔はさ、調律者としての力をうまくコントロールできなくて、よく物を壊していたんだ。
遊具やゲーム機、果ては車まで。そんな破壊者に友達なんてできるはずはなく、フヨウ以外の子供とは、特に馴染めなかった。でも、新しくできた友達は、こんな僕にも優しくってさ。ほんと、大親友だと思っていたんだよ」
境は、歯を食いしばる。遠い昔の記憶は、まるで目の前で起こったことのように鮮明で、過去と呼ぶにはあまりにも生々しい。
声が震えていく。ここから先の話は、語るだけで身が引き裂けそうになる。しかし、語ろうと思う。目の前にいる同級生が、恐るべき存在であることを再認識するために、今は痛みを欲する。
「でも、そいつはさ。僕を裏切った。「僕の両親が君の両親と会いたがっている。だから、一緒にピクニックに行こうよ」って笑顔で僕と両親を誘い出し、隙をついて僕の親を殺した。
何度も何度もとっくに死んでいたのに、何度も父さんと母さんの体を長い爪で貫いて、高笑いした。俺は、何もできなかった。
知らなかった。本当に色々知らなかった。超越種があんなにもおぞましい存在だなんてこと。どれだけの力を持っていても、恐怖で心が震えてしまえば、身体は何も動かせないこと。
……勉強になったさ。だから、僕はあの日以来、特訓と狩りに明け暮れる日々を送っている。僕が普段やる気がないように振舞うのは、自分を制御するためにわざとやってるのさ。こうでもしないと、僕は身体を壊してもそのまま特訓と狩りだけに精を出すだろうからね」
淡々と紡がれる言葉は、およそ感情らしき色を帯びていない。――だが、境の顔は、端正な顔が歪むほど怒りを表現していた。
「この僕の口調はね、あの悪魔の口調なんだ。忘れないように、ずっとこんな喋り方で生きてきた。虫唾が走るよ、正直。でも、心地の良い気持ち悪さだ。おかげで僕は目的を見失わないで済む」
「きょ、境。そんな事情があったって知らなくって、その」
ほんの数瞬、ツタの拘束力が緩む。
「馬鹿が!」
境は幽玄刀を再度召喚し、ツタを切り裂いた。あっけに取られるボッチ。その顔は、教室でよく見かける顔だ。
境の手がブルリと震えるが、憎悪の効果は偉大かな。脱力していた体を瞬時に緊張させて起き上がった境は、躊躇なくボッチの腹部に刀を突き刺した。
「が、いった」
「騙されない。僕は、いいや俺は、もう間違えない。御三家の奴らを、フヨウを守る。だから、死ねよ」
刀を引き抜き、血が噴き出す。真っ赤な血と鉄の臭いが、辺りを汚していく。
よろめくボッチ。境は止めを刺すべく、血に濡れた顔を拭い、大上段に刀を構える。
境の心は涙を流しているが、濃厚な殺意が血潮に混ざって手を動かす。
ボッチと話した他愛のない話、一緒に帰った帰り道、彼からもらった牡蠣の味。そんなことばかりが頭をよぎるが、徐々に腕は必殺の軌道を描き始める。
「……そっか。境はだからそんなに泣きそうな顔してばかりだったんだ」
「あ?」
「学校でいつもやる気のなさそうな顔している境はさ、実は嘘ついているって思ってた。だって、ぼんやりしているように見えたけど、時々瞳が潤んだりしていたから。
あの怠惰の表情は、涙を必死にこらえるための演技なんだって。そんなの悲しいじゃないか。だから、オラ、少しでももっと楽に生きられるように手助けしたくって、でも馬鹿だからよくわからなくてさ。――思いついたのが、差し入れを持っていくことだった。
ほら、一年生の時の体育祭覚えてる? 牡蠣を差し入れたら、境は心底おかしそうに笑ってくれて嬉しかった。その日の夕暮れ時、茜景色の中で楽しそうに話す境は、年相応に見えたよ。あ、オラ、これでも結構年上だから」
「うるせえよ」
境は、拳を握り締め、ボッチの頬を殴った。
「騙されない、絶対に」
「……そっか。そんなに辛かったんだな」
「この」
境が振り下ろした拳を、ボッチは躱した。
しまった、と己が軽率な動きを境は恥じ、反撃を受けることを覚悟する。――けれども、頭に感じた感触は痛くもなく、ただひたすらに優しかった。
驚いて頭の上を見ると、ゆっくりと境の頭を撫でるボッチの手が視界に入った。
「オラ、境の両親を殺したヤツを許せねえ。一緒に探すの手伝ってやる。友達だからな。なんか、調律者を誤解していたみたいだ。やっぱり境は調律者だったとしても、ちゃんと心があるんだ。だったら、きっとオラたちは分かりあえる。友達は調律者、超越者関係ない。心が繋がっているから、友達なんだ」
「あ、ああああ」
境は、ボッチの手を振り払い、刀の柄を握り締める。もうたくさんだ、と呟いた彼は、刀を突き出そうとした。
だが、境の手をほっそりと白い手が握り締め、止めた。
「やめて」
「フヨウ」
境の傍に、フヨウが立っていた。彼女は息を切らし、濡れた体を震わせている。押せば今にも倒れてしまいそうなほど疲弊しているのが、青ざめた顔を見て分かった。しかし、刀を前に動かせないほどに、フヨウの手には力強い意思が宿っている。
「放せよ。コイツを殺さないと」
「ねえ、境。自分さえも騙せない嘘は辛いよ」
「……じゃあ、超越種を許せってのか?」
「境、私が何も言わなくても、本当は気付いているんでしょ? 答えをあなたは持っているはず」
フヨウは、慎重に境の手を離すと、今度は背後から彼を抱きしめた。――ああ、暖かい。境の瞳が僅かに涙に滲む。小さなその感触は、いつも境を支えてくれたものだ。
いけない、いけないが……徐々に戦いの緊張感で凍えていた体にじんわりと熱が広がっていく。こんなに気が抜けてしまっては、敵の攻撃に対処できない。
「境、ここに敵はいないよ」
「いるじゃないか。ここにボッチっていう敵が」
「違うよ」
「違わない。もう信じねえよ。超越種に心を許してはいけない。もう、大切な人を失うかもしれない。――お前が死んでしまうかもしれない」
「馬鹿にしないで。超越種に殺される私じゃない。だって、私、イレーゼをぶっ殺したから」
「え?」
ギョッとした境に、ニッコリとした笑みを彼女は投げかけた。
「ファーストに勝てるのがあなたの嫁ですもの。死ぬ心配をする必要はないよね」
「……あ、でも、親父だってファーストを殺せる人だったけど、死んじまった」
「大丈夫、私もっと強くなるから。それに、あなたが守ってくれるんでしょ? だったら、問題なし。ほら、落ち着いて」
フヨウの手が、境の胸に置かれる。ほっそりと小さな、けれども頼りになる手だ。境は、その手に自身の手を重ね合わせ、体温を手のひらで感じた。
「あ、あああ」
ポロリ、と暖かいものが、境の瞳から零れた。目の前にいるボッチの輪郭が歪み、それはポタリポタリと地面を濡らす。
「泣き虫だなー境は。でも、これで誤解は解けた感じか?」
「ええ、そうね。……酷い傷。どこかで治療しないと」
「んん、いちち。でも、唾でもつけとけば治る―」
「駄目に決まってるでしょ。んーそうね。ミラさんに相談しましょう。彼女ならきっと力になってくれる」
「えー、オラあの人苦手なんだよねー。あ!」
「ボッチ?」
フヨウの問いに、ボッチは答えない。代わりに彼は、口から大量の血を吐き、それからバッタリと倒れた。
響き渡るフヨウの悲鳴。
ボッチの背後に、手を鮮血に染めた男が立っている。細身の長身をロングコートに包み、整った顔と白髪がどこか人間離れした雰囲気を醸し出している。
鋭い双眸は、ボッチを見下ろし、口からは感情のない無色な言葉が吐き出された。
「ハア、つまらん。調律者如きの甘言に騙されるとは。お前は能力が凄まじいが、頭の方がよろしくない。俺の駒になれないなら死ぬがいい」
ゼウは、血に濡れた自らの手を舐めた。
「お前、何している?」
境は、涙を拭い、刀を手に取った。地面に伏したボッチから、血が溢れていく。記憶の中で倒れ伏す両親の姿とボッチが重なる。
動悸が高まり、頭がグワングワンとした。
「ん? 見ての通りだが。裏切り者を処分した」
「……ああ、なるほど。お前にとって、自分以外は駒なわけ?」
「そうだ。貴様のように誰かを信じようとするから裏切られる。初めから己だけを信じれば、裏切られる心配は無用だ」
境は、刀を正眼に構えた。
「お前、つまらない奴だな」
「そうか? そんな奴を相手にしているわりには、貴様の顔は苛立ちに歪んでいるぞ」
「そっか。……フヨウ、ボッチをミラのところに連れていけ。僕はこのクソッたれを殺す」
「うん」
フヨウは、ボッチを担ぐ。ゼウは、すでにボッチに興味がないのか、邪魔をする様子もなければ、視線を向けることもない。
フヨウは、涙をグッとこらえ、強い口調で言い放つ。
「結婚するんでしょ。死ぬんでも結婚してもらうから。だから、無事に帰ってきて」
「……なあ、それ死亡フラグって奴じゃない?」
「知らないの境? フラグは折るためにあるのよ」
不敵に笑い、フヨウは去っていった。
まったく、なんて頼もしいことをいう人だろう。やっぱり、彼女以外に自分の嫁に相応しい女はいないだろう。境は、じっくりとフヨウの言葉を噛みしめてから、ゼウを睨んだ。
「情けない男だ。女の尻に敷かれおって」
「フヨウの尻に敷かれるなら本望だ」
「ふう、俺様とお前との格が、そのセリフで分かろうものだ。さて、そろそろ楽しいお話は終わりだ。後は殺戮の中で語らうとしよう」
「……僕は初めからそのつもりなんだが」
馬鹿にしたような笑い声が、二人の口から飛び出す。
後はそれっきり、斬撃と雷撃が支配する世界が訪れた。
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