第20話 第五章 決戦④
「なんだよこれ」
学校に辿り着いた境とフヨウは、汗を拭うのも忘れ、立ち尽くした。
赤土のグランドに、真っ白の校舎、それが境の知る護世高校の光景だ。しかし、グランドは木々に覆われ、数多のツタが校舎の壁に張り巡らされ、森の中にいるような錯覚に陥る。
「たぶん、ダイダラボッチの化身の能力だわ」
「だろうな。まだ会ったことがねえが、どんなクソ野郎なんだか。まあ、ひとまず行くしかない」
境を先頭に、二人は森の中に足を踏み入れる。
「ん?」
――まず、感じたのは甘い匂いだ。それは森の隅々まで行き渡っている。
視線を巡らせれば、大人三人分ほどの太い幹を持つ木が複数生え、びっしりと色彩豊かな花が地面を覆うさまが見てとれた。
幻想的で、この世の景色から乖離している。世界のどの森とも似ても似つかないここは妖精の森みたいだ。境はフヨウを伴って歩く。地面は凸凹しているうえに、柔らかい箇所、弾力がある箇所、硬い箇所と様々であり、歩きにくい。
「んだよこれ。フヨウ気を付けろよ」
境は後ろを振り向いた瞬間、フヨウの体を引き寄せた。
「何!」
「棘だ」
先ほどまでフヨウがいた場所に、巨大な棘が刺さっている。
どうやら木の幹に生えている強大なツタの先端から発射されたらしい。そのツタは蛇のような動きで境たちに殺到する。
境はフヨウから離れ、刀を振るう。数多のツタは、境の刀が届く距離に入った瞬間、青臭さをまき散らしながら切り裂かれていく。境は少しずつフヨウと一緒に後退し、活路を見出そうと思考を巡らせた。――だが、突如地面に穴が開き、二人は飲まれてしまう。
「どわあああああ」
「プハ! な、水?」
穴の底は水が溜まっていた。水深は腰の辺りで、広さはグランドとほぼ同じくらい。上を見上げれば、巨大なツタが穴を塞ぎ、その隙間から光が漏れ落ちている。光源はあって意外と明るい場所だが、二人の顔は苦虫を噛み潰したように暗い色が見え隠れしていた。
「閉じ込められたのか。おい、出てこい卑怯者が! あんまりウザイとこのまま寝るぞ」
「寝るな」
「ウ! ちょっと戦闘中に殴るのなくない」
「アハハ、仲が良いなー」
間の抜けた声が聞こえ、穴の壁面が崩れ落ちる。そこにいる人物を見た瞬間、二人は心臓が嫌な音が鳴るのを確かに聞いた。ありえない、きっとありえるわけないんだ。頭に浮かんだある可能性を否定するように声をかけた。
「お、おい、ボッチ。お前、何でここにいるんだ? 妙な連中に掴まっちまったのか?」
「今、助けてあげるわね」
ボッチは、泣きそうな顔で首を振り、それから頭を下げた。
なんだ、その動作は? まるで、謝罪しているようだ。なんの謝罪だ?
ありえない、だって彼は……。大切な友人だ。高校になって初めてあった少年。いつも底抜けに明るくて、最高のムードメーカーとしてクラスの皆を和ませてくれる。
境は首を振って、さらに問いかけようとした。だが、ボッチの方が一歩早かった。
「ごめんな、オラ、人間じゃない。ダイダラボッチなんだ。さっき、ゼウに教えてもらったんだけど、オラが学校に通っていたのはスパイとして役立てるためなんだって」
彼の声は震えていたが、それでもしっかりと二人の耳に届く。
境は、力の限り拳を水面に叩きつける。派手に水柱が上がり、雨のように降り注ぐ。一同の顔は、涙に濡れたように水滴だらけになった。
「なあ、騙してたのか?」
「そ、そんなつもりはなかった。だって、オラは学校に趣味として通っていたんだ。でも、ゼウはオラに盗聴器とかつけて、常に境の様子を探っていたんだって」
「……で?」
「え?」
「で、お前は俺とフヨウを殺すのか?」
暗い響きを持って、その言葉は空間に染みた。
ボッチは、顔をぐしゃぐしゃに歪め頷く。そんな悲しそうな顔は、これまで見たことがない。
「たぶん。だって、お前らはオラの敵だろ? 無慈悲に殺すんだろ。それは嫌だ。オラだって生きてるんだ。死にたくない、だから、だから殺しちゃうかも。
生きる為に、身を護るために、他の生き物を殺すことは、自然界じゃよくあること。……残念だけど、人間界もそうだった」
「……なんだよ。お前も僕を裏切るのか」
境は、水面から飛び上がり、ボッチの胸倉を掴む。
「君を僕は友達だと思っていた。変な奴だけど、優しい奴だって。なのに、よりにもよって超越種かよ。……だったら仕方ない。もう僕は騙されない。お前らを信じて、両親を殺されたヘマはもうしない」
「そ、そうなの?」
「黙れよ」
感情が境の表情から抜け落ち、冷たい瞳でボッチを見据える。彼は、怯えたようにその瞳を受け止めた。
「フヨウ、コイツは僕が殺す。ちょっと待ってろ」
「境、ボッチだよ。本当に殺すの?」
「……もう間違えない」
境は、ボッチの顔面を殴り、それから上空に向けて投げ飛ばし、自らも跳躍した。
「境、待って!」
「あんたの相手は私だよ」
「ハ!」
フヨウは、正体不明の一撃を咄嗟に受け流した。
水柱が立ち上り、サアア、と雨のように降り注ぐ。
ボッチが先ほどまでいた横穴に、イレーゼが立っている。相変わらず妖艶な女だ。艶のある赤毛は羽毛のように柔らかく、厚ぼったい唇に赤いルージュをひき、猫のような瞳がフヨウを挑発的に睨む。
「あんたのその小賢しい武術は、水の中だろうと役立つのね」
「不意打ちしかできないあんたと違って、私は優秀ですから」
「馬鹿にして。その余裕を消してあげるわ」
イレーゼは、長いロングコートを脱ぎ捨てる。上半身には赤い水着を身に着け、豊満な胸が強調されていた。女性であっても羨むスタイルの良さだが、フヨウの目が奪われたのは下半身である。艶のある鱗、大きな尾ひれ、魚に似た見た目。人は彼女を見れば、口をそろえて言うだろう。――人魚、と。
「その姿」
「ああ、これ? 似合うでしょう。私の真なる姿。小娘、気を付けなさいね。水辺にはセイレーンがいるのよ」
「……そうか。セイレーンは、半人半鳥あるいは半人半魚の姿と言われている。水はあなたの独壇場ってわけ」
「そうさ。あんた、死んだよ」
イレーゼは、横穴から水面に飛び込むと、高速で泳ぐ。縦横無尽、水というフィールド全てを活かして、フヨウを翻弄する。まさに水を得た魚。
すれ違いざまに叩きつけてくる尾ひれを、フヨウは懸命に捌く。
両手を平手で構え、最小限の動きで受け流すさまは、無駄を極限まで消した武の英知といえた。――だが、相手が悪い。当たるのは時間の問題に思われる。
「ク、うっざい女」
最小限の動きとはいえ、水に浮きながらの動作は体力を遠慮なく奪っていく。イレーゼの攻撃を捌くたび、身体が重くなっていくのを感じた。
(ええい。だったら、これでどう?)
祈るような気持ちで、フヨウは腰のウエストポーチから小さなカードの束を取り出した。
「爆弾? 無駄よ私には」
「違うわよ、あわてんぼうさん。これはね、こう使うの」
フヨウはカードを水面にばらまくと、「起動」と命じた。
その一言で、水面に浮かんでいたカードたちは、次々と連結し、最終的には小型のサーフボードのような形となる。
「よっと。んー、乗り心地は悪くない。どう? 試作の水上ボードよ」
「な、なぜ水戦用の装備を持っている?」
「どんなことも想定するのが、長の補佐を務める者でしょ? あなた、そんな程度もできないの? ゼウが可哀そうね」
「だ、黙れ」
イレーゼが、水面を滑り迫る。
フヨウは、ポーチからボールのようなものを取り出すと、次々と円形型のプールと化している水面に投げ入れた。
プカプカと浮かぶそれらを、イレーゼは器用に避けながら接近する。きっと彼女は、機雷だと思っているに違いない。
「ほら、チェックメイトよ」
イレーゼは、最後のボールを躱すと、身をよじり鋭く尾びれを叩きつけてくる。岩盤さえ壊す死なる一撃は、フヨウの儚い顔面に目がけて飛んできた。当たれば、フヨウの顔はザクロのように真っ赤になって悲しき死骸となるだろう。――だが、
「遅い」
フヨウの体が消えた。否、消えたと錯覚できるほど高速で水面を移動したのだ。
フヨウは手元のスマホを操作して、ボールの磁力をオンオフする。それにより、磁力が生じてるボールへ、磁力を帯びたボードは引き寄せられ、高速で移動できる。
「な、爆弾ではない?」
「あら、どうしたの? 水はあなたの得意な場所じゃないの? 昨日食べたマグロのほうがあなたより上手に泳ぐでしょうね」
「馬鹿にするな、小娘!」
二人の女が、水面を滑る。
彼女たちは、時に激しくぶつかりあいながら、必殺の刻を油断なく探りあう。
「ああもうじれったいわよ。人間のくせにぃいい、う!」
イレーゼが、鋭く尖った爪でフヨウを殴りつける。しかし、彼女はフワリとそれを受け流すと、その勢いを利用して壁に投げつけた。
「……ああああああああああああ、クソッたれの小便垂れのビッチがぁあああああ。あんたはこれでぶっ殺す。男どもに嬲られて死ね」
(まさか歌?)
フヨウは、ぎくりと顔をひきつらせた。
「やらせない」
イレーゼに伸ばした手は、空を切る。
「アハハ、これでしまいよ」
――飛ぶ、赤き超越種は天高く舞い、天女が如く、清らかな顔で息を吸う。
フヨウは、額から冷や汗が流れたのを強く感じた。
(歌われたら、学校の皆が操られここへ飛び込んでくる。そして、女である私は操られないけど、動きが鈍る。……宣言通りの嬲り殺し。ああ、考えろ。私ができることは? ……あ、ある。でも、ええい、ままよ)
船乗りたちを誑かした美しき魔物が、今まさにその真価を発揮しようとする。
「やらせない!」
フヨウは、水に濡れた亜麻色の髪をかきあげ、天に向かってテイザーガンを構えた。
ぐらつく足場に標準はブレ、狙いは定まらない。
「♪―」
「そこ!」
引き金を引いた。
「あ?」
二本のワイヤーは、空に昇る龍のように突き進み、イレーゼの腹部に突き刺さる。
ワイヤーは、超越種さえも動きを封じる雷撃を走らせ、イレーゼの筋肉を硬直させた。
「あ、あがあああああああああ」
「私が改良した特殊テイザーガンよ。雷と踊りなさい」
激しくのたうち回る雷撃にセイレーンの娘は得意だった歌を奪われ、無惨にも渦を巻くように落下する。
フヨウは、テイザーガンを投げ捨て、拳を握りしめた。
イレーゼがビクビクと身体を震わせながら、水面に浮いている。彼女の真っ赤なら髪が放射状に広がり、ユラユラと揺らめく。
――炎のようだ。
フヨウはそう呟き、それが皮切りとなってゼウ・リベがもたらした死と悲しみの光景を、頭の中に思い浮かべた。痛く、痛く、辛い。身体のあちこちが擦りむけていたが、どの傷よりもずっと血の光景は痛覚を伴って胸に染みていく。
「思えば、人を汚染兵にするのはゼウのせいだけど、汚染兵になった人が、良いようにゼウ・リベの言いなりになっているのは、あなたのせいじゃない。
……人を惑わしてばっかのあなたは考えたことある? 汚染兵にされた人は無念だったろうな。普通に暮らしてたのに、ラジコンのお化けにされちゃって。マジで最悪……ケジメつけさせてもらうから。ごめんなさいはなしね」
フヨウは、サーフボードを操作する。水面を滑るように板は進み、イレーゼの胸倉を掴んだ刹那、壁に投げつける。
「ほら、行くよ」
壁からバウンドしてきたイレーゼの鳩尾に、サーフボードの勢いを乗せた膝蹴りを放ち、続けざまに、側頭部に肘、脇腹にフック、顎に掌底、目つぶしをしてから、喉に蹴りを叩きこむ。
「が、は、い、たい」
「あ? 舐めんじゃないわよ。私、怒ってるんだから」
フヨウは、スマホの画面を二度タップ、それからリズミカルにトトン、と五回タップした。
「ほら、これ見て? あんたの死刑場よ」
サーフボードが半分に割れ、それがみるみる変形していく。鋭く鈍く光る先端。それは、巨大な棘だ。プカプカと浮かんでいるが、三角錐の下。つまりは棘の底の部分から棒が飛び出し、地面にぐっさりと刺さり、固定された。
「いや、何するの? 刺しちゃうの? 駄目よ、し、し、ぬうう。ゆる、して」
「私達人間がそういっても殺してきたのがあんたたちでしょうが!」
フヨウは、全身のバネを使って跳躍すると、空中で体位を入れ替え、力の限り敵を蹴り飛ばした。絶叫を木霊させながら、イレーゼは天を仰いだ。神に救いを求めるように手を伸ばして――。しかし、ここに神はいない。彼女の腹部に深々と棘が突き刺さり、口から大量の血をまき散らした。
「は、あああ。ぐ、ぐふうう、嫌、こんなところで。ゼウと一緒に、生きたい。もう、独りぼっちは嫌」
「……」
フヨウは、水面に飛び込み、手首に忍ばせていたナイフを抜き放つ。
「プハア。……遺言は終わり?」
「助けて、何でもするから」
「そう、じゃあ汚染兵になった人を元通りの人に戻して」
「それは、できない。ゼウが、戦闘能力を高めるために、自身の血の他にキメラやクラーケンなんかの遺伝子情報も仕込んじゃったから。元の遺伝子を侵食し、融合するからどうしようもない。
ねえ、勘弁してよ。わ、私はただ歌で私たちの命令を聞いてくれるように仕向けただけなの」
「あっそ。なら、汚染兵の動きを止めるように、歌で命じなさい」
「そ、それならできる。だから、だから。――うう、くううう。ま、待って。それは、できない」
イレーゼは、恐怖で綺麗な顔をぐしゃぐしゃに歪めていた。血に濡れ、汗と涙にまみれ、見るも無残である。だが、瞳だけは爛々と美しき光を湛えていた。
なぜ、こんな輝きを放っているのだろう?
フヨウは不思議に思って首を傾げたが、あることに思い当たり頷いた。なんのことはない。この女も愛に生きる女だったのだ。その光は、フヨウにも手に取るように理解できるものであった。
「殺しなさいよ。私が歌であの兵隊どもを無力化したら、戦力が減って、ゼウが死んでしまう。あの人が死ぬくらいなら、私が死ぬ」
「へえ、そんな人間らしい感情があるんだ」
イレーゼは、血走った目でフヨウを睨む。
「馬鹿にしないで小娘。私の愛は、本物よ。恋愛すらしたことのない小娘にはわからないでしょうけどね」
「……」
イレーゼは、自らの赤毛を手で払いのけ、露出させた細い首をフヨウに差し出した。
細く血の通った生き物の首だ。しかし、躊躇するには、イレーゼの罪はあまりにも軽くなかった。
フヨウは、ナイフを握り締め、速やかに刃を赤く染め上げる。鉄の臭いが噴き出し、透明だった水が赤に汚染されていく。
清楚で人形じみたフヨウの顔は、苦虫を噛み潰したような様子に変じたが、それも僅かな時間に過ぎない。彼女はサーフボードの上によじ登ると、仰向けになり、天に腕を突き上げた。手にはまだ、首の肉を裂いた感触が残っている。
「分かるわよ。だって、私結婚するもの。あなたのことは嫌いで、好きになれないけど……その心だけは理解できる。まったく馬鹿ね。戦いなんかしないで、ゼウと一緒にひっそりと暮らせば良かったのに」
チラリ、とイレーゼの顔を眺める。恐ろしき魔性の女は、あらゆる男を操り、心を独り占めにしてきた。だが、最期は思い通りにならない男を想って死んだのだ。それが幸か不幸か、決めるのはイレーゼ自身だ。
誰ももう答えを問うことはできない。しかし、安らかな顔で眠るその顔を見れば、答えは出たも同然である。
フヨウは、血にまみれたナイフを投げ捨て、それから「馬鹿ね、ほんと馬鹿なんだから」と呟いた。
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