第19話 第五章 決戦③
剛は、彼らしくもない優しい微笑みを浮かべ、インカムを投げ捨てる。
どこかのアパートの屋上。剛はそこに着地した。境の指示通り、パラシュートで脱出はできた。しかし、彼の顔に喜びの色はない。部下は八名が死んだ。その中には、己が兄妹も含まれている。
(ああ、我が弟よ、妹よ。兄より先に死ぬ奴があるか)
耐えがたき喪失の痛み。その精神的な苦痛に加え、物理的な痛みが彼の顔を皺だらけに歪めている。
ズキズキと、足と腕が痛む。片足はあらぬ方向へ曲がり、利き腕は真っ赤にはれ上がっていた。これでは、敵に見つかれば、あっという間に蹂躙されてしまうだろう。――もっとも、すでに遅きに失した心配ではあるが。
「へ、へへへへ」
耳障りな声が、剛の鼓膜を不愉快に震わせる。周囲には、無数のセカンドクラスの超越種と汚染兵が立っていた。これらが、散華した部下たちであれば、どんなに良かっただろう。
「いかんな。心が弱っている」
「あ? 何言ってんのコイツ?」
「疲れてんだよ。おい、オッサン、楽になりたいだろ? 俺らが殺してやるよ」
――囀るな。
静かに、重く、沁みるように、剛の口から発せられた。超越者たちは、ポカンとした様子であったが、言葉の意味が頭に染み込んだあたりで激しい怒りとなって発火した。
「楽に殺してやろうと思ったけど、やーめた」
「惨く殺してやろうぜ」
「フ、ハハハ。愚か者が。貴様ら如きに殺されるほど落ちぶれてはいないわ。ああ、構えい。この老兵、貴様らを殺して、あの世へ旅立った家族の供物にしてやるぞ」
剛は、懐から小刀を取り出すと、左手で器用に鞘から抜き、ゆるりと構えた。顔には憎たらしいほど強気の笑みを、心には磨き上げた戦士としての強さを持って、剛は敵に相対する。
超越種と汚染兵は、不敵な男に不快感をあらわにする。負傷していても彼らはきっと容赦はしないだろう。一斉に、恐るべき敵がなだれ込んだ。
「さあ、始めようか」
不利だから諦めるのではない。不利であるからこそ戦士として努めるのだと。
己が鉄の意思を、剛は刃のきらめきをもって表現す。
轟音に混じって、鮮血が空に舞った。
※
世界は、敵意だけが満ちているんじゃないか、と境はふと思った。そう思うのも無理はないだろう。
見渡す限り、敵、敵、敵。風景は、殺気で埋め尽くされている。ひたすらに刀を振るい、切り捨ててはみるが、数が減る兆しは感じられない。
無事に着地したとはいえ、敵の真っただ中なのだ。当たり前の歓迎ではあるが、深くため息を吐きたくなる。
境は肉薄してきた汚染兵の頭蓋を、真っ二つに切り裂いた。
「クッソ。嬲り殺しか」
「坊ちゃん、誤ってワシのことを斬らんでくださいよ」
「おい、僕がそんな失敗するわけないだろ。お前こそ、注意しろ。フレンドリーファイアが笑えるのは、ゲームの中だけだ。あ、ゴーン後ろ!」
コウモリのような翼をもつ汚染兵が、ゴーンの頭目がけて飛翔する。一瞬、反応が遅れたゴーンは、額から汗を垂らした。が、いらぬ心配である。凄まじいフヨウの蹴りが、コウモリの頭を破砕した。
「ナイス。だが、ちょっと掠ったぞ」
「ちょっとくらい我慢してくださいゴーン。だいたい、敵陣でおしゃべりするのがいけないんです。貸しにするんで、今度調理器具奢ってください」
「え、調理器具ってなんでまた」
「境に料理を作ってあげるんです。ついでに、ゴーンのも用意してあげますよ」
「ほう、そいつぁ、楽しみにしないと」
ああ、やはりコイツらは頼もしい。疲れが心に染みる甘味料みたいだ。境は二人を見て、頬を緩ませる。
――ブウウウウ。
境の懐が震えている。場違いなスマホの振動に、境の緊張はさらに緩む。画面をロクに確認もせずに出ると、柔らかな女性の声が聞こえた。
「私よ、ハルエです」
「ハ? 今取り込み中なんだけど」
「フーン、せっかく電話したのに酷いわ。あのね、あなた護世高校の学生さんだったでしょう?」
「ま、そうだけど。それがどうした?」
「今、ニュースを見てたんだけど、占拠されたみたいよ」
ハ? と間抜けな声が境の喉から零れた。
「占拠って、テロリスト?」
「たぶんゼウたちよ。チラリとカメラに映ったから」
境は、舌打ちをした。
「やられた。これが狙いか」
「境?」
「学校が占拠された。今日は平日だから学生が大勢いる。……たぶんだけど、ゼウは、クラスメイトを汚染兵に変える気かもしれない。僕を苦しませる手としては優秀だよ」
「そんな。早く行かなきゃ」
フヨウの顔が青ざめた。境の顔も同じような色に変じる。
まったく、状況は悪くなる一方だ。
彼はよく回る頭で打開策を考える。だが、何の案も出てこない。すでに王を取られたような状態で、どのように状況をひっくり返せば良いのだろう。
何はともあれ、まずは学校へ行かねばならない。学校がある方角へ視線を向けると、無尽蔵に敵が密集し、行く手を阻む。境はこの時ほど、ゼウの首を切り裂きたいと思ったことはなかった。
「クッソォオオオ」
「ねえ、境君」
「黙ってろハルエ。あんたと話している暇はない」
「待って! あのね、少しだけ助けてあげる」
通話を切ろうと動いた指が止まる。
中立であるハルエが、調律者の手助けをすることなどほとんどない。この前、ゼウ・リベの情報をくれたのは、例外中の例外と言って良い。一体、どういう風の吹き回しだろう。
眉間に皺を寄せた境は、考え込む。その瞬間、頭に孤児院の子供たちの姿が思い浮かんだ。
「ああ、なるほどね。孤児院にもゼウ・リベの連中が現れているのか。だから、手助けしてくれるってことかい?」
「わー流石ね、境君。話が早くて助かるわ。実は私の孤児院の周りに、ゼウ・リベの子たちがいっぱいいて、子供たちを怖がらせているの。ちょっとお仕置きしないとね」
ゾクリ、と境の背中に寒気が広がる。言葉は相変わらず柔らかいが、強烈なプレッシャーが、スマホ越しからでも感じられたのだ。
「あ、そう。えっと、具体的にはどう助けてくれる?」
「今どこ? え? ああ、あの大きなタワマン近くね。分かった、そこから学校に続く道の敵を掃討してあげる。えい」
「はあ? 何をする……」
境の言葉は、そこで止まってしまった。
なんと神々しく、現実味のない光景なんだろう。
緊張感のない声が聞こえたとほぼ同時に、空から無数の光弾が降り注ぐ。
雲の切れ間から差す、光のカーテン。それは、慈悲の欠片もない死への片道切符だった。
光に触れた瞬間、超越種と汚染兵は消し炭となって風に吹かれていく。不思議なことに、仲間や逃げ遅れた住人たちがその光に触れても、全くの無傷であった。
あまりにも一方的な暴力は、抗う気力さえ根こそぎ奪うようだ。呆けた顔で、敵は自らの死を受け入れる。
「嘘、だろ」
「ほら、ファイトファイト」
それだけ言い残し通話が切れる。かかってきたのも突然なら、切れるのも突然だ。境は唖然とした様子で、スマホを見下ろし諦めたようにため息を吐く。
考えても仕方ない。道が切り開かれたのであれば、それを喜ぼう。
境は、フヨウとゴーンを見つめ、走り出した。
「僕とゴーン、フヨウの両名は、占拠された護世高校に向かう。他の人員は、街の住人の救出と敵の殲滅に専念せよ」
境は命じながら、学校へ続く道をひた走る。敵はおらず、朝の通学よりも快適な道のりであった。――しかし、歩みは止まってしまう。
※
「坊ちゃん、あれはまさかぁ」
百メートルほど先に、ブラックスーツ姿の女が立っている。彼女は楽しげに笑いながら、境たちに歩み寄ると、拳をギリギリと握りしめ言った。
「待っていたよ。あの恐ろしき攻撃にはヒヤリとしたが、ああ、どうにか凌げた。面白い、実に。君らと戦い終えたら、龍神に戦いを挑むのも一興か。……その前に、まずは君たちと再びまみえた喜びを噛みしめないと。んー、良いね。さあ、戦おう。準備はできているだろう?」
長い黒髪が風に巻かれた麗人。包帯で片目を隠しているが、間違いない。スラリとした体形に、整った細い顔。恐るべきアマテラスの化身、ひまわりが眼前に立ちふさがっている。
「お前、もう戦えるまで回復したのか」
「ああ、なんとか。うーん、狭間 境。君はなかなかの戦士だが、僕が戦うとゼウがかわいそうか。あー、そこの娘と狭間は、通れ。そこな男。あの時、ビルの屋上から僕を撃った男だな。あなた様は残って僕と戦ってもらう」
「何を勝手なことを。僕らが一斉にかかれば、すぐに通れるさ」
「クフフ、自分さえ騙せない嘘は意味がないからやめておけ。僕は君ら三人が相手でも、簡単にはやられない。僕としては、君ら全員と戦うのも楽しいから良いけど、時間がないのだろう? ならば、こちらの言う通りにするしかなかろう。これはな、楽しい戦いを提供してくれるあなた様方への慈悲だよ」
「テメエ」
「坊ちゃん」
ゴーンは、マイファのタバコを口に咥えて、火を灯した。
「行ってください」
「ゴーン、お前」
「なーに、このゴーン。お二人の結婚式を見るまで死ねないですよ。大丈夫、ワシに任せて。フヨウ、しっかりと坊ちゃんをサポートしろ」
ゴーンは、フヨウの頭に手を置き撫でた。
「ちょ、ちょっと。タバコ臭い手で触らないでください」
「ハハハ、スマンスマン。おお、そういえばちょっと前に、未来のお嫁さんとか冗談で言ったが、その通りになっちまったな。言霊ってヤツかな」
「ゴーン……」
フヨウは、ギョッとした顔でゴーンを見る。彼は泣いていた。まったく、どうかしている。少しでも緊張を緩めれば、刹那にこちらの首を跳ねる敵対者がいる状況で、ゴーンが思い出すのは境とフヨウとの思い出だ。
涙に喜びが装填されて、目から発射されていく。悲しみの涙じゃないぶん、心地が良い。
「この年になると、涙もろくていけない」
ゴーンは、涙を拭い、それから銃を脇のホルスターから引き抜いた。
「ゴーン、死ぬな、生きろ。当主代行の命令は絶対だ」
「はいよ、坊ちゃん。ゴーンは、命令を破ったことないでしょ? いつも通りこなしますよ」
境は、ゴーンの肩を叩き走り出す。フヨウは、ゴーンに抱きついた。
「私、ゴーンのことお父様よりお父さんって思ってます。だから、死んだら駄目ですよ」
「……馬鹿もん、嬉しくて銃の標準が鈍るだろうが」
フヨウは、微笑し去っていった。
「感動的だね。でも、謝らないよ。僕は戦いを望む。それだけが生きがいだ」
「分からないね。お前さん、アマテラスの記憶と能力を引き継いだといっても人間だろ? この世界の人間として生きる気はないのか?」
「グモンだね。そもそも僕にとって、どこの世界に生きているなど、もうどうでも良いんだ。戦いだけが僕の生きがいさ。……前世は神と言う役割に準じるだけだった。でも、いまや僕は力はあれどただの人間。ならばこそ、自由気ままに生きてみたいと思ってね」
ヒマワリは、花が咲くように笑った。戦場に咲く花、そんな感想が、ゴーンの頭に残響した。
「あれま、チャーミングに笑うじゃねえの」
銃声が鳴る。始まりは唐突に。ゴーンの早撃ちは、目にも止まらない神速だ。しかし、敵は神そのもの。炎で銃弾を瞬時に溶かし防ぐなど、簡単にやってのける。
「凄いねあなた様は。スナイピングだけじゃないのか」
「そりゃそうだ。調律者という超人の補佐を務めるんだ。ただの銃好きのオッサンじゃねーのさ」
ゴーンは、脇のホルスターに銃をしまい、レッグホルスターに収まるリボルバーに手をかけた。
「ワシを見くびるなよ。神だろうがなんだろうが、動かなくなるまで鉛玉ぶち込めばいいだけだ」
「……ああ、素敵だよ。ワクワクするじゃないか」
ヒマワリは、恍惚とした表情で薙刀を召喚した。
構えるは刃と銃。交わすはぎらついた視線。
ほぼ同時に、両者は動き出した。
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