第18話 第五章 決戦②

「突撃、開始」


 境の命令によって、入り口のオートロック式のドアが爆破される。


 壊したドアは、境たちの屋敷から一キロしか離れていない高層ビルのものだ。


 高級志向のタワーマンションらしく、エレガントな装飾が施されたエントランスが境たちを出迎えた。この煌びやかさを、騒々しい足音が踏みつぶしていく。


 境は、イヤホンに手を当て、厳格な声音で命じた。


「剛、お前らも突撃を開始してくれ」


「了解」


 剛が指揮する第二部隊は屋上から突入を開始。それにより、下と上から同時に制圧する予定だ。超越種の反撃を許さないように、制圧は激流の如く激しく速やかに行われる。


 エントランスとエレベーター、階段の入り口で構成された一階は、人っ子一人いなかった。ひまわりが情報を漏らしたことをゼウ・リベは当然知っているはずである。だからこそ、かなりの反撃を予想していただけに、これは拍子抜けと言わざるを得ない。ならば、各居住スペースがある二階から上はどうであろうか?


「クリア」


「こっちもクリアだ」


 部下たちの報告により、一階と同じ感想を境は胸に抱く。


 境は、隣を歩むフヨウとゴーンに問うた。


「妙だ……。敵の姿がない」


「そうね。どの部屋ももぬけのから」


「やはり、逃げちまったんじゃないですか?」


「その可能性はもちろん考慮したよ。でもさ、ゴーン。ひまわりが僕らに情報をもらして、何十日も経過したわけじゃないんだ。きっと逃げたとしたら、バタバタしていたはずなんだ。でも、こんな大きなマンションの住人全員が、何の痕跡もなく短時間で逃げれるもんかい? ん?」


 境は、インカムを手で覆う。


「ごめん、聞き逃した。なんて?」


「境様、外をご覧ください。汚染兵とセカンド・サードクラスの超越種が、マンホールや空から現れました」


 境は、左手のドアを開け、窓にかかったカーテンを開けた。ベランダ越しに見える光景に、境は愕然とする。


 景色はまるで、あらゆる色のペンキをぶちまけた画用紙だ。道路や家の屋根など、視界に入る一面が敵に埋め尽くされている。


「なんだよこの数! 汚染兵をこんなにどうやって用意した? 行方不明者の数と照らし合わせてもこんなにいないはずだ」


 境は、ひまわりが嘘をついた可能性も考え、少数精鋭で突撃部隊を構成し、残りはバックアップ部隊としてビルの外に配置した。


 そのバックアップ部隊と敵との間で、戦闘がすでに始まっている。


「坊ちゃん。あれだ、あれ! 昨日の件ですよ。ほら、この街の郊外に不審な大型トラックが何十台も走っていて、そんでそいつらに警察が職質をかけたら、逃走した事件があったじゃありませんか」


「ああ、報告を受けている。逃がした後、どこに行ったか分かってない……まさか、この街以外からも人を集め、それを汚染兵に仕立て上げたのか? なるほど、すでに僕らを殺す準備は完了していたってわけだ」


「……まずいわ。境、このままじゃ袋小路よ」


「確かにな。でも変だ。包囲しているなら、なぜこのビルに攻撃してこない。壁ごとぶち抜く攻撃ができる奴はいるはず」


 あ、と境は言葉を漏らした。嫌な予感が、槍のように境の心を突き刺す。足元から火であぶられるような焦燥感。理由は分からないが、百戦錬磨のカンが警報を鳴らしていた。


 境は、己が感覚を疑ったりはしなかった。すぐさま、大切な部下を逃すべく、大声を張り上げる。


「まずい! 総員、このビル内から退却しろ。屋上に近い奴は、屋上から小型パラシュートで飛べ。罠だ。間違いなく建物が倒壊するほどの爆薬か何かが設置されている」


 境は、部下に指示を出しながら、入り口を目指す。


 まるでそのタイミングを計っていたかのように、けたたましい音が鳴り、次々と防犯シャッターが下りる。


 クソ、クソ、僕は踊らされている。後悔の言葉が心を苛む。しかし、慚愧の念に耳を貸している余裕はない。


 境は、先頭を走りながら、シャッターを切る。しかし、とてもじゃないが間に合わない。その確信にも似た予感に急かされるように、境は周囲にいた部下に叫ぶ。


「クッソ。お前ら僕にしがみつけ」


 部下が境の胴体や腕、足にしがみつく。暖かな感触。絶対に、この感触を置き去りにしない。


 境は走る。調律者としての力は偉大であった。どれほど人間を運んでいようと、速度が減じる様子はない。


 右のドアを蹴破り、玄関から廊下、廊下からリビング、そしてベランダの窓を蹴破り、欄干へ足をかけ、空を舞う。


 弾丸のように宙を進む境たち。その背後で――チ、チ、カチリ、とビルの壁に埋め込まれた爆弾が連鎖的に爆発した。


 まず感じたのは爆風、次に熱、最後に爆音。視界はグルグルと回り、爆風によって身体はより遠くへ飛ばされていく。


「皆、離すなよ」


 八階からの大ジャンプに加え、爆風によって高度はさらに上がってしまった。この高度で落ちれば、ただの人間は死んでしまう。


 境は、手足に力を込め、部下たちの命を手繰り寄せた。しかし、ああ、しかし。右足にしがみついていた感触が、スルリと消えてしまった。


「境様、我らが敵を討ってください」


「ああ、ああああああああ」


 確か、右足を掴んでいた部下は、千葉家の者だ。名は勇知といった。寡黙な二十歳そこそこの男で、真面目だった。あまり話したことはなかったが、彼の寡黙さを境は好ましく感じていたのだ。


 でも、もう彼はいない。境の卓越した耳が、何かが地面で潰れた音を捉えた。


「き、きっとだ」


 境は、宙で身をよじり、何とか地面へ足を向ける。爆発の勢いはようやく収まっていき、放物線を描きながら、道路が迫っていた。


 死なせない。絶対に死なせるものか。


 境は、足から着地し、地面を滑りながら膝のクッションを上手く使って勢いを殺す。靴の底が削れ、焦げた臭いが鼻をくすぐる。


 眼前には、住宅の外壁が見えた。あれにぶつかるわけにはいかない。


 ――止まれ、止まれ、これ以上は嫌だ。


「止まれってんだよおおおおおおお」


 二メートル、一メートル、数センチ。境の身体は止まった。目と鼻の先に、外壁の汚れが見えた。


 やけに激しく心音が聞こえる。落ち着け、落ち着けと境は己に言い聞かせながら、身体にしがみ付いていた部下を地面へ降ろした。


 部下は皆、蒼白の顔がお揃いであった。境はぐるりと全員の無事を確かめる。怪我をしている者もいるが、命に別状はなさそうだ。


 はぁああ、と境は長く息を吐き、それからフヨウの肩に手を置いた。


「ありがとう、境」


「あ、ああ。でも、勇知は死んでしまった。……あああああ、ちきしょう。……そうだ。第二部隊! おい、剛。第二部隊は生きているか!」


「境様」


「剛、状況は?」


「申し訳ございません。数名の反応がロストしました。私はなんとか着地はできたのですが、爆風のせいでバランスを崩しましてな。動けそうにない」


 フヨウは、境の手を握った。フルフルと、その手は震えている。


「お父様」


 剛は、荒い呼吸を吐きながら、力強い声で言った。


「フヨウ、何と情けない声か。お前の父は、この程度では死なん。だから、為すべきことをしろ。私はまだ、お前のウエディングドレスを見ていないぞ」


「あ、……はい」


 フヨウは涙をぬぐい、頷いた。

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