第17話 第五章 決戦①
――静謐、時々少しだけ騒がしく。それが、狭間家と御三家が住むお屋敷の古めかしい廊下の特徴であった。しかし、今日ばかりはその特徴を忘却の彼方へ追いやり、忙しく走り回る人々で廊下は埋め尽くされていた。
武器を運ぶ者、医療セットを確認する者、作戦項目をタブレットでチェックする者。作業内容に違いはあれど、皆必死である点は一緒であった。
ピンと張り詰めた緊張感は、言葉を口から零すことさえ拒んでいるよう。皆、手足の忙しなさに反比例して、無口に己が作業に没頭する。
屋敷には、総勢三百人ほどの精鋭がいる。御三家の当主とその家族・親族たち(養子含む)、そして狭間家当主によって構成されたそれらの一団は、超越種に立ち向かう時、どのような組織よりも勇敢さと鉄の意思を持って敵を撃滅する。
「並べ」
境が、よく通る声で命じた。
総勢三百名が、横十列、一列十名の形で中庭に並ぶ。
黒のワイシャツと長ズボンに、白い羽織を翻し、境は壇上に立つ。
「聞け、僕らはこれから敵地へ赴く」
空間に広がっていく当主代行の声。
普段は、境にやる気のない当主代行と半ば本気で発言する者もいるが、彼ら・彼女らは知っている。境という男は、本気になれば誰よりも不撓不屈の魂で敵を屠る強者だと。
強い決意を秘めた瞳、怠惰の欠片も見られない険しい表情。……境の顔を見れば、これから行われる戦いが如何に重要であるかがうかがい知れる。ゆえに、皆気を引き締めるのだ。
「ゼウ・リベは、人間を兵士に変え、使役するという大罪を犯している。絶対に許すわけにはいかない。……ところで皆は、戦いは好きか?」
問いに対して、ざわめきが起こる。
「か、考えたこともない。使命ですから」
「怖いですけど、仕方ないものです」
「俺は好きだぜ。むかつくあいつらをぶっ飛ばせるから」
境は、手を挙げ沈黙を促すと、しれッと発言した。
「僕は嫌いだ。だって、めんどい。戦う時は死ぬかもしれん恐怖と身体の疲労に悩まされ、怪我をしたらその痛みにしばらく苦しむ。ああ、嫌だ嫌だ。めんどうくさいランキング堂々一位受賞だよ」
ガクッと境以外の全員が肩を落とした。さっきまでのシリアスな雰囲気は何だったのか?
「境様。代表がそのようなありさまでは、士気が下がります」
「さっきまでカッコ良かったのに」
「表情だけかよ」
「終わったな。俺たちは負けたよ」
「ハア、戦い前に言うなよ」
「空気読めよ」
言われたい放題である。境は、拳を振り上げ、腹の底から大声で言い放った。
「黙れ! 良いか、本音を言うことは悪いことじゃない。建前、そんなのが大好きなのは結構だが、建前に飲まれて自分を見失うのはなしだ。
皆、戦いに対してどう思うかなんて皆の勝手だ。でも、これだけは肝に命じろ。戦わなきゃ、世界にとってめんどうな事件がたくさん起きる。超越種の手によってな。アイツらを殺すのは、止めるのは、僕ら調律者側の人間がすべき使命だ。
世界は回っていくこれからも。でも、自然に回っていくためには、超越種の横暴は許しちゃ駄目だ。居場所がなくなった彼らは不幸かもしれない。それについては同情できるかも。……でもさ、違うだろ。居場所がないから、居場所がある人たちから奪うのか? それは侵略者だ。
上等だよ。僕らの敵は、空からやってくる宇宙人じゃなくて、過去からずっといるカビ生えたボケナスどもだ。居場所を奪われたくないなら戦え。僕らはここに生きているよって叫ぶために、拳を振り上げろ」
水を打ったように静まり返る。が、次の瞬間、ドッと歓声が沸く。
拳を振り上げ、境の名前を呼ぶ。我らが代表は、超越種を前に退かない、勇敢なる調律者だと胸を張っていえる。まるで、そう口にするような熱狂ぶりである。
「出撃だ! 教えてやろうぜ。居場所を奪い取るのは楽じゃねえぞってさ」
境は後ろを振り返り、入り口に向かって歩む。
彼の少し後ろに控えていたフヨウが先導して中庭の入り口を開き、境の後に続く。
彼女は、紫と水色が入り混じった服を身に着けている。忍者のような衣装の服だが、境とおそろいの白い羽織のおかげで、ドレスのような華やかさも加わり、より幻想じみた美しさを放つ。
その可憐な姿に嫉妬してなのだろうか?
規則正しく鳴る足音に混じって、
「あの灯火家の娘、ちょっと美人だから調子こいてるよね」
「まあ、ファーストクラスの単独撃破なんてできっこないから、そろそろクビじゃない?」
といった声が聞こえてくる。
フヨウは、目を閉じ涼しい顔で歩む。昔からこういった陰口を囁かれることは多かったが、ここ最近は超越種の血を入られた件もあって激しさは増す一方だ。
(この程度、気にする価値はない。戦い前に集中を切らす方が問題だわ)
そう何度も心の内で言い聞かせていたフヨウは、前を向いていなかった。ドンと境の背中にぶつかってしまう。
「ちょっと、何で廊下で止まってんの?」
「フヨウ、せっかくだからここで言っておく」
境は後ろを振り返り、懐から小さな小箱を取り出した。
「皆も聞け。僕はフヨウを嫁に選ぶ」
「……え」
フヨウは、呆けた顔のまま固まってしまう。
何を言われたの? え、嫁っていった?
困惑するフヨウの脳は、まともに考える機能が停止してしまった。だが、何故だかわからなかったが、心臓が早鐘を打ち、顔がみるみる赤くなっていく。
そんな彼女に構わず、境は箱の蓋を開けた。
シルバーの指輪に、小さな紫色の宝石が煌めく。それは、婚約指輪だ。
「フヨウ、僕の嫁は君以外にはありえない。結婚してくれ」
「……え? 夢? 寝ぼけてるの私」
呆然としているフヨウを置いてきぼりに、世界は時を刻む。
境は、指輪を箱から取り外し、フヨウの左薬指につけた。
指輪の冷たい感触と境の暖かな手の感触。それがジワリと彼女の心に広がっていく。夢、というにはあまりにも生々しい感触は、現実そのものだ。否定しようにも、一向に感触は消えず、現実味が増していくばかり。
「フヨウ、返事を聞かせてほしい」
「嘘、だ」
「本気だ。他の奴がどれほど反対しようがどうでも良い。僕は君にイカレている。君がいない世界に用はない。僕にとって君は、生きる為に必要不可欠な存在だ。それはそう、自分の心臓よりも」
周囲から反対の声が聞こえる。
嫉妬、超越種の血が混じったことで生じた差別。理不尽な声は、攻撃的だ。
調律者として考えるならば、もしかすると境の選択は間違いかもしれない。だが、彼は周りの声には耳を貸さず、一途にフヨウの返事を待っていた。
「だ、だって。私まだ、倒してないよ。こ、このままじゃ死刑を待つだけの罪人なのに」
「そうだな。だから、婚約なんだ。君がファーストを倒して、周りの奴らが何も言えなくなったら、その静けさの中で結婚しようよ」
「……私で良いの?」
「君じゃなきゃ嫌だ。妥協じゃなく、完全に僕だけの独断と偏見で選んだ。立場とか一切考慮してない」
「後悔しない?」
「君と結ばれない後悔はあっても、結ばれた後悔はない。根拠はないけど、自信だけはあるんだ。どんなに君と歩む道が困難でめんどうだったとしても、僕は君を選ぶ」
フヨウの瞳から涙が零れた。その涙には、愛が溶けている。涙の源泉には、これまで境を想い続けた純真なる少女の真心があるのだ。
言葉が……出てこない。独白をすれば、フヨウは何度も境からプロポーズを受ける夢を見た。目を開けた時、その夢が幻想だと知って、どれほど幻滅しただろう。
でも、夢じゃない。夢じゃないんだ……。
人にはそれぞれ夢がある。お花屋さんになりたい、大金持ちになりたい、有名になりたい。
どんな夢も追いかけるだけの価値があるだろう。……実を言うと、フヨウの夢は、境のお嫁さんになることだ。
恥ずかしくて言えない。そして、叶わない可能性も高いと思っていた。でも、こんなにも突然に夢が実体を伴って現れた。人はそれを青天の霹靂と呼ぶ。
フヨウは、声を詰まらせながら、境に問う。
「私、あ、あの、ファーストクラス、た、たお、倒せると思う?」
「もちろん。余裕だろ? もしかして、自信ないのか」
「じ、自信?」
ファーストクラスの単独撃破。調律者でしか成し得ないであろう偉業。頂は遠い……ハ! 何を馬鹿げたことを。いつも相手にしている超越種を一人倒すだけだ。それだけで、夢が最高の形で叶うのだ。
フヨウは涙をぬぐい、震える唇で笑みを形作った。雲がかかったような夢への道は、青天の霹靂によって示された。ならば、あとは踏破するのみ。
「ある。あるに決まっている! 撃破するまで死んでも死なない。だ、だって、あなたを、私は愛しているから。ずっとお慕い申し上げております」
フヨウは、青空に色彩豊かな花びらをバラまいたように笑った。怖いとか辛いとか言っている場合じゃない。愛が足を進めるのだから、他の感情は置いてきぼりで構わない。
フヨウは、また涙を零す。境が指で涙を拭ってくれる。たったそれだけのことで、フヨウの全身は幸福の鳥肌を立たせた。
彼女は、世界一愛しい人間の手を握り、深く噛みしめるように頷いた。
「結婚します。私をもらってください。わ!」
境は、フヨウをギュッと抱きしめ、それから唇を重ねた。
接した体からは互いの体温が、重ね合わせた唇からは柔らかさが感じる。――初めてのキスの味は、蕩けるように甘美だった。
周りからは、怒号が沸き起こったが、二人は気にすることなく体を離し、それから入口へ向かって歩み始める。
「あ、そうだ」
境は怒りに顔を震わせる面々に、言い放った。
「もしフヨウが敵を討ち取れなかったら、婚約は破棄だ。そして、誰が僕の嫁になるかは、お前らが好きに決めて良い」
「な!」
「もっともフヨウが失敗することはありえない。可能性があるとすれば、お前らが邪魔をした時だけだ。もし、そんなことをすれば、その家の者は全員、狭間家との関係を断ち切り、僕の権限で処刑する。僕らはこれから、厄介な敵を倒しに行くんだ。よけいな利権争いで、互いの脚を引っ張るようならぶち殺すぞ」
シーン、と静まりかえる。
フヨウが、「ちょっと、脅してどうすんのよ」と境を叱るが、彼は意に介さない。
ゴーンがやれやれと、口を開こうとした時、先に灯火 剛が発言した。
「その心配は無用に存じます」
「貴様、剛殿。お主の娘が嫁になりそうだからと」
「いいえ、それは違う千尋殿。我らは、超越種討伐のプロである。プロは仕事に対して妥協をしないからプロなのだ。余計な感情で敵に隙を与えるなど、プロとは呼べない。
まさか、千尋殿はプロではないのか?」
千尋は、苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んだ。
「別に私の娘がファースト単独撃破できるとは、そもそも思っちゃいない。邪魔する必要さえないのだ。だが、もし撃破できたのならば、その時は素直におめでとうと言おうじゃないか。
頑張った人間に対して、拍手を送れない人間は人としてなっちゃいない。私たちは、そんな情けない集団かね」
「……父様」
あっけに取られた顔のフヨウに、剛は少しだけ微笑んだ。
「我が不祥な娘よ。私には立場がある。それは鉄よりも固く、山よりも重たいものだ。軽んじるわけにはいかない以上、お前の幸せを全力で応援してやることはできん。だからこそ、自らの幸せは自分で勝ち取れ。そうすれば、私は灯火家当主としてだけでなく、お前の父親としてお前におめでとうと言ってやれる。……甘えるな、勝ち取れ。おめでとうと言わせて見せろ」
「……はい」
ああ、フヨウは知らなかった。嬉しいって感情はこんなにもカラフルなんだと。先ほどまで感じていた嬉しいとは、別の感触を伴う嬉しいが、彼女の心を満たす。
知らず、誰かが拍手をした。それはさざ波のように広がり、屋敷を揺らした。
しがらみも不満もあったのかもしれない。だが、御三家と狭間家は、敵を討ち取るがため、出陣する。
今日の空は、青く澄み切っていた。
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