第13話 第三章 邂逅④
「ちきしょう」
境はがっくりとボウリング場の椅子に座る。結果として逃亡はあっさりと失敗した。
正直、こんなことをしている暇はない。フヨウの命綱となる極上の獲物を見つけなければならない。だが、当のフヨウ本人が参加を希望したのだ。
(ま、息抜きは必要だよな。女は強しってやつ?)
騒がしいボウリング場内は、学生と定時で帰れた会社員で賑わっていた。どこのレーンも埋まっており、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。もちろん、境のクラスメイトたちも。
「ダイナマイトサイクロン投法―、シャアアアアアアア」
「嘘だろ。このリーゼント野郎、ストライクだ」
「ガーターだろそこは」
「ウォォォォォォォォォ、燃えてきたったぜえええええ!!!!!!!」
クラスメイトたちの盛り上がりようは、他の追従を許さないものであった。例えるなら、祭りの会場をいくつも集めて、ついでに花火を打ち上げまくったかのような熱狂。
遠くでボールを磨いていた従業員は、注意をするべきかどうか迷いに迷っている様子で境のクラスメイト達を眺めている。その瞳とかち合う境。従業員は、眉間に皺を寄せ、「うるせぇよ」と暗に告げていた。
(おい、そこのスタッフ。僕を見るな。僕は、こいつら発狂者どもとは違う)
境は、視線を外し、ひどく冷めた目で、同級生達を観察する。
「境、そんな顔しないで。ちょっとくらいやる気だせば?」
境の横に座ったフヨウが、飲み物を差し出してくる。
肉合うサイダー(商品名)。境の大好物だ。
「お、サンキュー。よっし、ん、ん、ん、プハー、最高。もう帰りたい」
「もうふてくされないで。どうせあいつらを探すためには、街に出なきゃならないでしょ」
「おっと、その話はこれで話す」
境は、ハンドサインと目で内緒話を繰り広げる。
(キメラの拠点で見つけた資料によれば、敵のリーダー格は四人いる)
「そうね。たぶん私が単独撃破しないといけない相手は、その四人のうちどれかでしょうね」
(拠点は複数あるらしいから、簡単にはいかない。でも、警察の力も使って捜索するからそれほど時間はかけないつもりだ)
「なにしてんだー」
ボッチが、二人にグイッと顔を近づける。
思わずのけ反る二人は、愛想笑いで誤魔化す作戦に出た。
「……宴会芸だ」
「え?」
「そう、宴会芸なの。私と境の親戚連中が集まって宴会するから、ちょっと驚かせたくて。境が喋らなくても、彼が思っていることを私が理解できていたらエスパーっぽくて凄いでしょ?」
ボッチは、首をかなり傾げた。
「ん? どうして二人の親戚同士が集まって宴会するんだー? 二人は夫婦なのか」
「ふ!」
「ちょ、違うわよ」
「えー、そうなのか? でも、境が喋らなくても理解できるってことはー、以心伝心なんだよな。それって、仲の良い夫婦だけができるヤツじゃない」
「う」
「あ、その」
境とフヨウ、互いに仲睦ましく顔を焔のように赤く染め上げた。
いたたまれない。気まずい空気が空間を侵食する。
二人は、同時に立ち上がった。
まず先に動いたのは境。彼はサイダーを一気に飲み干し、「飲み物なくなったから買いに行くぜぇええ」と、気持ち悪いくらい陽気に言い放つ。
一方のフヨウは、「電話してくる」と両手でバラの頬を隠し、ボッチから背を向けた。
「てれるーなー。安心しろ、オラがどっか行くよー。かなりお漏らししそうなんだー」
よほど我慢をしていたのか、ボッチは逃げるようにトイレへ駆けこんだ。あまりにも慌ただしく去っていくものだから、二人は呆気にとられた様子だった。
フヨウは、少しだけ笑みをこぼすと、椅子へちょこんと座り込む。境もそれに習う形で腰掛け、チラリチラリと彼女を盗み見る。
――喧騒が僅かに遠のく。
別段、いつも通りの、けれども少し気恥ずかしい二人だけの時間。
境は、唾をゴクリと飲み込み、考えもまとまっていないのに、「あ、あのさ」と上ずった声で話しかけた。
「ちょっと黙って」
「あ、すいません」
「そういう意味じゃなくて。ほら、あそこ」
彼女の瞳が、スウと細められた。何かを注視している時の目だ。境は頷くと、彼女が指差してくれた場所を見た。
――ザワザワ、と騒がしい。
その場所は、境たちのいる第八レーンから最も遠い第一レーンの近くにある受付だ。このボウリング場の受付はスピーディーな対応が売りで、滅多なことでは混雑しない。しかし、その強みが錆びてしまったように、大勢の人が集まり騒いでいる。
「なんであんなに人が集まってるんだ? 芸能人がいるとか」
「違うみたい。なんか、争ってない?」
その言葉を裏付けるかのように、怒号が聞こえた。
「おい、なんだよどっか行けって?」
「だから、ここは俺様が買い取った。従業員と客はとっとと消えるが良い」
「そうよ。私達の場所になったから、消えなさい」
「そんな無茶苦茶な話があるかよ」
「オーナー、本当なんですか?」
「む、むう」
騒ぎの中でも、男女の二人組が特に目立つ。
白髪の男は、細身の長身でロングコートを着こなし、その男の肩に頭を乗せている女は、露出の激しい服装で男性の視線を引いている。
「ねえ、境」
「ああ、まさかだよな」
白髪の男は、槍のように鋭い双眸を光らせ、境と目を合わせるとニヤリと見下すように笑った。
――ああ、間違いない。境は、その好ましくない瞳をよく知っていた。
「ああ、おい、済まなかったな。買い占めの話はなしだ。騒がせてしまって悪かった。謝罪の代わりに、この店のスタッフには俺からチップをやろう。そして、喜べ。この場にいる客どもよ。おごってやる。好きなだけ遊びに興じるなり、飲み食いするなりすればいい」
先ほどとは違った種類のざわめきが、場内に満ちた。
傍観者に徹していたクラスメイト達は、「俺たちもおごり」「マジかよ。ピザ一人で食べて良いのか?」「えー、太るかもしれないけど、パフェいっとく?」と浮かれた様子になり、中には小躍りするリーゼントもいた。
「何のつもりだアイツ?」
「おい、そこのお前」
ゼウは、境を指差す。かなりの距離があるはずだが、それでもゼウの声はよく聞こえた。
本当に、気に食わない奴だ、と境は拳を握り締める。
「ご指名だ。フヨウ」
「わかってる。ごめん、皆。私と境は、用事ができたから先帰るね」
ええー、と肩を落としたクラスメイトに頭を下げ、二人は歩き出す。
浮かれた周りと相対的に二人の顔は、鋭く戦士の表情へ変化していく。
※
「ここだ」
ゼウと女が二人を誘った場所は、ボウリング場の屋上だ。
凍える夜空と相反するように、真っ赤な夕日が燃え尽きるように地平線へと沈みいこうとしている。
境は、白い息を吐き、手に幽玄なる刀を出現させた。
「ハ! もうやる気か」
「黙れ。一体なんのつもりだ。僕たちがお前らを探し出し、殺してやろうと思っているのは理解しているんだろ」
「フン、ガキが。戦はただ巣にこもってばかりではいかん。時に大胆に前へ打って出なくてはな」
背筋が凍る冷たい風が、四人の身体を掠めていく。眼下に見える街は、先ほどまで夕暮れの紅に染まるルビーの輝きを放っていた。しかし、どこからともなくやってきた分厚い雲が、夕映えの街の色彩を奪っていく。
これは、自然の現象ではなく、強烈な個がもたらした現象である。天蓋に手を向ける者が一人。――名をゼウという。オリンポスの神々を支配する最高神ゼウス。その血を継承せし、偉大なる超越種。彼は、神の血を引く者として相応しき不遜さを持って、境たちへ告げる。
「さあ、用件は簡単だ。貴様らを殺す。まどろっこしいのは抜きだ」
「そちらからやってくるなら好都合だ。フヨウ、ここで決着を付けよう」
「ええ、そうね。私が援護、っつう!」
「あはーん。あんたは私が相手したげるわ」
凄まじい蹴りが、フヨウを吹き飛ばす。それを追って、派手な女が飛翔した。
「フヨウ、グ!」
「そら、よそ見している場合ではないぞ」
空を走る黄色の閃光を、刃が切り裂いた。
睨み合う調律者と超越種。また、雷鳴が轟いた。
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