第6話

 空路は遼太郎に雪城咲夜との空き教室での事の次第までを掻い摘んで話した。

 勿論、空き教室での詳細は大部分をぼかしたが。


 対して遼太郎は、その話を羨ましがる訳でも笑う訳でもなく、至極真面目に聞いていた。

 雪城咲夜がただの変態であったならば、空路は彼にこんな風に放課後にわざわざ尋ねて来て話す事無く自分で解決しているだろう事が分かっているからこその対応である。


「空路との接触全てにおいて共通する指への接触及び執着……雪の女王様もまた、難儀な闇を抱えているものだねぇ……それでどう?エロかった?」


 訂正。そんな真面目じゃないかもしれない。


「やめろ思い出させるんじゃない……うごご、何か指に違和感があるような……」

「何言ってるんだい空路キモチワルイぞ」

「急に突き放すなよおい」


 空路をからかってケラケラと笑う遼太郎に空路はため息をついて、話を元の路線へと戻す。


「それで遼太郎、お前はどう見る」


 空路の質問に遼太郎は一度コーヒーを啜ってから少しばかり目を細めて答えた。


「空路、人が何かに意図的に触れるという行為はだいたい大体、好奇心から来るものと精神の安定を図る時に使われるものがある。あと例外としてはその感触と記憶が結びついている、とかかな。いずれにせよ、人が何かに触れるという行為はそれほどに警戒心が薄れてしまった時、という事だよ」

「好奇心、精神安定、それと記憶か……」


 遼太郎の回答を聞き、空路もコーヒーを啜ってからポツリと言葉をこぼした。

 そして思い返される雪城の言動と行動。


 答えを絞るには未だ不揃いなパーツ達は、明確な形として揃うには程遠いがそれでも空路には一つだけ朧気に捉えているものがあった。


「百鬼、お前の言葉を借りるとすれば精神の安定に近いような気もする。一番近い言葉で言い表すとすればあれは性的欲求に近しい何かだ」

「性的欲求……?空路にも遂に春が来たかな」

「馬鹿言え、あんなものが春であってたまるか軒並み花枯れるわ」


 春といえばもっと暖かく鮮やかなものであれと空路は心底思った。空路からすれば雪城とのあんな関係は、春のイメージとは程遠いドロドロとした暗く重いヘドロである。


「とりあえず、現段階じゃ何とも言えないな」

「そうだねぇ」

「少し探ってみるとするか……」


 空路は残りのコーヒーを飲み干し立ち上がる。

 「邪魔したな」とだけ言って立ち去る空路の背中にヒラヒラと手を振りながら、遼太郎は面白い玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべる。


「さしずめ、幼馴染絵里ちゃんにライバル登場ってとこかな?」


 遼太郎はコーヒーに使った器具を片付けると、鞄から一枚の紙を取り出して、化学室の端っこでイヤホンで音楽を聴きながら本を読む空路と同レベルの目つきの悪さの少女、骨喰 詩白ほねばみ ししろ先輩へと歩み寄る。


「せんぱーい!」


 遼太郎が詩白の前で手を振ると、彼女は煩わしそうにイヤホンを片方外して顔を上げた。


「……なんだ」

「僕、暫く来れないかもなのでよろしくです」

「月末のレポートは」

「はいどうぞ」

「お前……まぁいい。行け」

「どうも〜」


 ヒラヒラと手を振りながら化学室を出ていく遼太郎を半眼で睨みながら、詩白は彼が渡したレポートへと目を向ける。

 四月に入部して初めて出されたレポートは序論本論結論と構成がしっかりしており、はっきり言って詩白自身のレポートより読みやすいまであった。


「いやアイツ入部して一週間ちょいだろ?レポートも出せたらでいいって言ったつーかそもそもやる時間が……才能って怖っ」


 詩白はやめだとばかりにレポートを放った。

 因みに研究内容は高校入学前にやったものであり、それを後は纏めるだけであったので遼太郎的にはそこまで手はかかっていない。


「レポートの書き方教わろうかな……」


 上級生としてのプライドとの葛藤を頭の中で繰り広げながら、詩白はボヤいた。



 ◇



 一方、化学室からそのまま昇降口へと向かった空路だが、自身の下駄箱がある場所に寄り掛かる雪城によって下校を阻止されていた。


「あの、ちょっと退いてくれないかそこ」

「嫌よ。そうね、私の家まで一緒に帰ってくれると言うなら退いてあげても良いけど」

「お前ん家何処だよ」

「やだ、私の家を知ってどうするつもりなのかしら。下校中に人気の無い道で……不埒ね」

「くっそめんどくせぇ……」


 空路は家の方向次第では直ぐに解散出来るかもしれないと思って雪城に聞いたものだったが、あらぬ疑いをかけられた挙句に変態扱い。

 空路が重い重い溜息を吐くのも道理である。


「大体、いつからそこで待ってたんだお前」

「私ぃ、貴方のことずうっと待ってたんだよっ」


 突然の萌え声に二人の間の空気がピシリと凍る。

 この空気と空路の反応にキョトンとしながら不思議そうに首を傾げる雪城だが、首を傾げたいのは空路の方であった。


「……なんだ今のは」

「こういうキャラは男ウケがいいと聞いたわ」

「キャラ作りには遅いと思うんだが」

「それは貴方の認識の問題よ……ひいては記憶を捻じ曲げればいい話だと思うの」


 サラリととんでもない事を言い出した雪城に、空路は無意識に一歩後退りをした。


「お前が言うと冗談に聞こえないんだが」

「ほら、私って橋を捻じる系の魔眼持ちだから」

「黒髪ロングしか合ってねーよ」


 雪城による連続ボケにツッコミを入れた空路がいい加減にしろと溜息を吐くと、雪城はニマニマと嬉しそうにその顔を眺めた。


「貴方、ちゃんと会話できるのね。評価が一段階上がったわ。喜びなさい」

「何で上からなんだよ……つーか退け」

「だって上だもの。退かしたいのなら私と一緒に帰ってくれる?」

「ちっ……一緒に帰るからそこを退いてくれ」


 空路がそう言うと雪城は軽やかに一歩、そこから横に退いた。

 雪城の機嫌の良さに怪訝な顔を浮かべた空路だったが、いつまでもここで油を売る訳にも行かない為に下駄箱から靴を取り出して履く。

 その間も雪城はニマニマと空路の事を眺めていたが、彼はその視線に気付かないふりをした。


「よし、行くか」


 空路が靴を履き終えて顔を上げる頃には雪城は普段の、否、入学最初の冷ややかな顔に戻っており、その目を空路に向けていた。


「何だ、じっと見つめて」

「自意識過剰よ……さ、私の家は右からでも左からでも行けるけれど、どっちから回るか貴方が決めていいわよ」


 そんな謎の選択権を与えられても。

 空路は少しだけ悩み、校門の方へと視線を向けて目を細めると、直ぐに表情を戻して口を開いた。


「左で」

「その心は?」

「左方向に行きつけの和菓子屋がある」

「……それだけ?」

「他に何か?」

「いえ、何でもないわ」


 空路には雪城が何が不服なのかは分からなかったが、とりあえず行く方向の承認は得られたようなので、そちらの方へと足を運ぶことにした。

 空路と雪城は横に並んで歩くが二人の間に会話は無く、何とも気まずい空気が流れている様に感じているのは空路だけなのか。

 彼がチラリと横を見ても雪城本人はさして気にした様子はなく、普段通り澄ました顔を前だけに向けて歩みを進めている。


(しかし、似ても似つかん)


 彼女の顔を見て思い起こされるは昨日の放課後に見せた恍惚とした、まるで餌を前に腹を空かせた肉食獣のような、それでいて年相応の恋する乙女のようなあの表情。

 今の氷のような雰囲気の彼女とは雰囲気がまるで違いすぎて、あの日のアレは別人であったと言われた方がまだ信じられるぐらいである。


「……さっきからちらちら見てるのバレてるわよ。視姦かしら、やっぱり変態なのね」

「まて、誤解だ」


 そういえば、妹が女性は視線に敏感とか言ってたな。なんていう記憶を今更ながらに掘り起こしながら空路は直ちに雪城の言葉を冷静に否定した。


「いえ、恥じることは無いのよ。だって相手が私だものしょうがないわよね私だもの」

「お前なんで二回言って……っておい」


 空路が呆れながら言葉を返し終わる間もなく、雪城は突然に足を止めて、空路の手をその白磁の指で絡めるように握った。

 そのまま雪城は空路の方に体を向け、もう片方の手で空路の胸元にそっと触れた。


「……貴方」

「勘違いするな。俺だって少しぐらい緊張してる」


 雪城は小さく「そう」とだけ返して体を前に向け再び歩みを進める。

 何故か空路の手を握ったまま、雪城は彼の心臓の鼓動の感触の残像を、じんわりとその手に感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る