第5話
「いや、誤解だ」
「……まだ何も言ってないんだけど」
絵里は何も言ってはいない。
あくまでも口では、だが。
現に目線は冷えきっており、彼女の足は静かな怒りを込めて空路の足をグリグリと踏んでいる。
「で?ダウナー系歳上お姉さんと別れた次は清楚系人気黒髪美少女って訳?」
「人聞きが悪いぞ……第一、アレとはそもそも付き合ってない」
「ふん、どうだか」
空路の否定も聞く耳を持たず。明らかに不機嫌な絵里は不満気に鼻をひとつ鳴らすと、頬杖をついて空路の顔をじっと睨みながら口を開いた。
「それとも何、また何かやらかすつもりな訳?」
「またとはなんだ人聞きの悪い」
「私の中学校生活をアンタらがぶっ壊したのを忘れたとは言わせないわよ」
逆に返されたそれについては空路は口を噤まざるを得ず、彼は気まずそうに目を逸らした。
彼女が言っているのは十中八九、自身と百鬼の二人で犯したあの大事件だろう。
長い為に今回は割愛するが、あれが二人の関係性に決定的な罅を入れたものと言っても過言ではないものであるのも事実である。
それがたとえ、誰かを救うためだったとしても。
その救済は、幾多の同窓の屍の上に成ったものであるのだから。
空路は過去の少しの階層の後、ゆっくりと口を開けて言葉を発する。
「……あれは結果論だ」
「あっそ」
そんな空路に対して絵里は簡素な返事でそれだけ言って空路を踏んでいた足を離す。
そして弁当の袋を持って立ち上がると、そのまま足は出入口の方向へ動いた。
その様を黙って眺め、彼女からは話を聞けそうにないなと空路が諦めたその時、絵里は僅かに後ろの空路へと視線を寄越して立ち止まった。
「これは女子の私からの個人的な目線なんだけど」
「あぁ」
「……雪城さん、相当外面厚いわよ」
絵里は空路にそれだけを言い残して足早に空き教室を去った。
『外面』、という情報は他人の感情の機微に敏感な絵里だからこそ気づいた部分だろう。
雨音が嫌に響く空き教室で、空路は絵里に聞いて正解であったと薄く笑った。
(さて、気になるのは……雪城が俺に接触したのはこれで三回目って事、しかも全て指に触れている)
空路は襟元を軽く触ると、絵里から遅れて弁当箱を持って空き教室を出て教室へと向かいながら雪城咲夜について少し考える事にした。
◇
教科担任の先生から放たれる中間テスト関連の重要単語等のアレコレを聞き流しながら、空路は横目に捉えている『雪城咲夜』という人物について考える。簡単に言えばプロファイリングに近いものだ。
(雪城咲夜。
肉体、精神共に女性。背丈は平均やや上。容姿は言わずもがな整っている。そして成績は文武両道。
まるで完璧を体現したような女。
ただ気になるのは、その在り方についてだ)
空路は視線をチラと雪城の方へと向ける。
彼女は後ろからの僅かな視線に特に気づくことも無く、氷を思わせるような冷淡な顔でノートにペンを走らせていた。
だからといって特に今、彼女の機嫌が悪いわけでもなく、長年染み付いたものだろうか。
彼女、雪城咲夜の無表情の時の顔は決して人を寄せ付けぬ冷淡なあの顔なのだ。
(人の顔にはその人間の生き方が出やすい。
しかし雪城は人付き合いという点で見れば極めて良好。あの初日の絶対零度のオーラはどこへやらだ……絵里の言葉をここで当てはめるなら、それが厚い外の面ということになるのだろうか)
空路の考える通り、雪城は初日のあの雰囲気は数日したところでいつの間にか霧散し、誰にでも分け隔てなくいい顔をしてその地位を築いている。
しかし鉄壁の孤城は健在なようで、今まで何人かその笑顔に騙され下心を持ち、又は彼女の存在をステータスにせんと画策した下卑な男たちその全てはごめんなさいの一刀で切り伏せられたらしい。
しかも噂によれば、振られた男には『他に気になる人が居るんです』との彼女の追撃があったとか。
今はその気になる人とやらに捜索網まで敷かれている始末。ご苦労なことである。
「それじゃあ次の式は……おい、雪城どうした」
数学の担任の発言によりクラスの視線が彼女へと一点に集まる中、空路は口端をバレない程度に持ち上げた。
(初日のストーカーはある日を境に出現しなくなった。思い当たる節は無いが些細なものまで挙げるなら雪城に消しゴムを拾われた日だ)
「少し頭痛が……天気が悪いとこうなんです。保健室に行ってもいいでしょうか」
「一人で行けるのか。誰か一緒について行くか?」
「いえ、大丈夫です」
雪城は付き添いを付けようとした数学担任の言葉を断り、こめかみを押えゆっくりと立ち上がる。
整った顔を少し歪ませて淑やかに教室を出ていく様は、美人薄命という言葉を彷彿とさせた。
そんな様子を冷めた目で眺める空路は、手元の米粒程度の機械を転がしながら脳内でさらに推理を進めていく。
(最初は袖口についたこの盗聴器に思い当たる節が無かったが、今朝の移動教室の他に前に図書館で偶然同じ本を手に取ろうと手が触れたことがあった)
その時は、『偶然ってあるんですね』なんて言って甘酸っぱい青春の一幕として終わった訳だが、今思えば本をひとつも持たずに空路の伸ばした手にだけ触れて帰った彼女の挙動はどう考えてもおかしい。
(俺の場所をわざわざ割り出して俺の手にだけ触れるあの挙動……これ以上無闇矢鱈と関わってくるのならそれ相応の対応をしないとな)
雪城が保健室に向かった後、空路はその機械にボソボソと何かを喋ったかと思えばその機械にボールペンを突き刺した。
パキリとした音が少しばかり響いたが、数学教師の声に掻き消されて誰に聞かれることは無かった。
しかし、代わりに廊下で女子の悲鳴が若干響いたらしい。
◇
「それで、こんな人気の無い所に女子生徒を呼び出して何の用ですか青天目君」
「語弊はあるが間違って無いところが辛いな」
場所は昼に居た空き教室。
雲はすっかりと晴れ、西日が指すこの場所で空路は放課後この場所に来るように言った雪城と向かい合っていた。
「盗聴器についての否定はしないんだな」
「その事についてなのだけれど……耳は痛いのはまだ飲み込むとして、あれ結構高いのよね」
「それは……悪い」
それを言われると日は完全に空路の方であり、彼は気まずさに目を逸らした。
流石に壊すことは無かったかと空路が後悔した所で、盗聴器だったあの破片は今頃他の燃えるゴミに混じって復元も回収も不可能である。
空路は一つ咳払いをして気持ちを切り替える。そして改めて雪白へと視線を向け、単刀直入に彼女の真意を聞くことにした。
「お前、俺に接触した目的はなんだ」
「貴方ならば、私の内に湧く衝動を受け止めてくれるかと思ったのよ。……他者に関心が薄い貴方なら、私が何をした所で何か思うことも無いでしょう?」
「それは事によるし、別に他者に関心がないわけじゃない」
雪城の弁に空路は予防線を張って否定するが、雪城はその言葉にクスクスと笑うだけであった。
「登校初日にクラスメイトにあんなに冷たい声を発する貴方が何を言っても説得力は無いわね」
「聞かれてたのか……」
雪城の言葉で思い出すのは空路の口から漏れた「うわぁ……」というあの言葉。彼はまさかバッチリ聞かれているとは思っていなかった。
「話を戻しましょう」
両手をパンと叩き雪城が言う。
この瞬間に会話の主導権は雪城へと移った。
「盗聴器もバレてしまったのなら、恐らく私が貴方のことをストーカーしていたのも意図的に貴方の指に触れて居たのもきっとどちらとも気づいているのでしょう?」
「まぁ、な」
ストーカーの件は半信半疑であったが、まさかこうもサラリと言われるとは空路は思わなかった。
そんな空路の心境なぞいざ知らず、雪城は一度息を吸って溜めると、意を決したように口を開く。
「単刀直入に言うと、私は貴方の指を食べたいの」
その言葉を聞いた瞬間、空路は幾分か冷めた目で自身の手を握って数歩後ずさった。
「何だその性癖。他のお前のこと好いてるやつにやれよ。喜んでやってくれると思うぞ」
「嫌よ、あんな虫けら以下のゴミ共。私の事を性処理道具か付加価値にしか思ってないもの。それに比べてあなたからは私に対して下卑た視線は感じないし、指は綺麗だし、顔もまぁ及第点ね」
「褒められても何にも嬉しくねぇ」
今この女に何を言われても鳥肌しか立たない空路だが、雪城はそんな様子を知ったことかとばかりに言葉を続ける。
「貴方がカーストの下へ甘んじるのを知った私は直ぐにカーストの上に登るために行動をしたのよ?全てはあなたに拒否権を無くすため……ついでに言うけど私は武道にも精通しているから、貴方ぐらいなら直ぐにねじ伏せられるわよ」
なんだその謎努力と危ない脅しはと、訝しげというよりはゴミを見るような目で雪城を見る空路を尻目に、彼女は足元のカバンから何かを取り出す。
「盗聴器、盗撮用スマホ、録音機、あとは物的証拠としての女性用下着ね。安心して、指を犯させてくれる代金としてちゃんと着用済みよ」
「言い方も悪化してる上に安心できる要素がどこにも見当たらないんだが。不安しかないんだが」
空路が引きつった顔で一歩後退れば、雪城は嬉々とした顔で一歩距離を詰める。
「貴方はもう初めから詰んでるのよ?」
「ぐっ……」
強硬手段に出れば真っ向からねじ伏せられ、クラスメイトに彼女がなにか言えば社会的な死、恐らく今録音しているスマホも粉々に砕かれるのだろう。
「あら……?そのポケットのスマホも後でデータ消させててもらうわね」
「さらっと思考を読むな」
完全な詰み。
空路は重い重い溜息を吐いて、ゆっくりとその場に腰を下ろした。……変に抵抗するよりは被害は少ないと信じて。
「……とりあえず覚悟だけ決めさせてくれ」
「良いけど、早くしてね?」
そう言ってニコリと微笑む眼前の雪城が、空路には死神が悪魔か何かにしか見えなかった。
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