関係の変化
僕と石崎さんの奇妙な関係が続いてから1週間が経った。
その間石崎さんの色んな話を聞いたし僕のことに関しても色んなことを話した。
石崎さんの家庭内事情は複雑で両親両方から暴力を受けているらしい。それが始まったのは彼女が小学生の時、親が離婚をしそうなほど喧嘩をし、そのはけ口として彼女に両方の親から暴力を受け始めたという。それが高校生までずっと9年間続いているという。暴力の内容は様々でタバコの日を押し付けられたり、家に入れて貰えなかったりとどれも酷いものばかりだった。
その事実を聞いて僕はそれが同じ人間がしている所業とはとても思えなかった。この世にそんな人間が存在していていいのかと、自分の知らない世界でそんなことが起きているのかと本気でそう思った。なんて声をかければいいのか分からず、口から声が出ない場面もあった。
僕はというと高校生に入って2年間ずっといじめを受けていることを語った。何もしていないのに。彼らを怒らせるようなことは絶対にしてないのに。何故かいじめの標的が僕になっていた。彼女と僕の話を合わせると人は何かを標的にしないと生きていけないという事だ。
誰かを狙わないと。遠ざけないと。自分の拠り所を作れないそんな哀れな生き物なのだと僕と岩崎さんの意見は一致した。
「岩崎さんは自分の環境を変えるとしたらどんな風に変えたい?」
ふと、興味本位で聞いてみた。
「環境?うーん親を殺したいかな。あれがいなければ私がこうなることは無かったし。柊くんは?」
「僕?僕はいじめをする人たちがいなければなんでもいいかな。せっかく頑張って高校入ったのに勿体ないし。」
「そっか。確かに勉強頑張ったもんね。私は滑り止めだけど。」
嫌味かこいつ。頭いいのはこの1ヶ月で分かったけどこうも対面で言われると来るものがある。
「頭いい人は言うことが違うねー。さすが学年一位は言うことが違う。」
少し冗談混じりに言うと岩崎さんは笑いながら
「勉強しかやることないからね。そりゃ遊んでたり中途半端にやってる人には負けないよ。」
と真剣な顔つきで言った。
家庭内事情を知ってるだけに重く受け止めてしまう。
「流石です。頭も上がりません。」
深深と頭を下げて言った。今の会話でふと気になったことがあったので聞いてみた。
「え?今の話がほんとだと遊びに行ったことないの?」
純粋な疑問だった。
「友達なんていないのにあると思う?勉強しかしてないよ。」
重たすぎる…今すぐここから逃げ出したい。
「え、じゃあ僕とどっか行く?時間だけはあるし。」
「え?いいの?」
石崎さんは目を輝かせながら言った。彼女にとって誰かとどこかに行くという行為は未体験のものなのだろう。
「え、出かけるくらいいいけど、どこか行きたいところとかあるの?」
「んー、どこ行けばいいか分からないから柊くんにおまかせするよ。」
出かけたいって言ってたのに人に決めさせるのか…
「無難なところだとカラオケとかジャンクフード的なもの食べたりとか?」
「私歌える歌ないよ?聴いてるだけだし。」
聞いてるだけなら歌えるだろ…カラオケのなんだと思ってんだこいつ…
「カラオケって聴いてる歌を歌う場所なんですけど…」
「じゃあ歌えるかもしれない。ほら私完璧だから。」
ほんとはこいつ…自分のこと実は大好きなんじゃないか?と思えるほどに自分のことを自慢したげな笑顔だった。
「じゃあカラオケにしようか。今からでも行けそうだけどどう?」
「いいね。じゃあ今から行こう。」
そう言って奇妙な関係が続く僕達は自分たちの居場所である屋上を飛び出して初めてカラオケに行った。
カラオケに着くと本当に来たことがないんだなということが分かった。デンモクのやり方も知らないしドリンクバーが無料であることも知らなかった。
「マジで何も知らないんだね…」
「だってほんとに来たことないし、初めてだし、」
少し困ったような顔をして彼女はボソボソと呟いていた。
「そんなに困らなくても良くない…?」
「いやほら、私完璧主義者だから知らないと恥ずかしいじゃん?」
「その性格は何とかしないと完璧主義者になれないと思うけどね。」
最大限の皮肉を込めて言った。
「私はこの性格を直す気はないよ?この性格があって私があるんだから。この性格じゃないと私じゃないよ。」
確かに一理ある。自分の性格のことを考えると幼少期の頃からこの性格を続けているとそれが自分として確立しているのでそこを崩すと自分がいなくなるような感覚は分かる。
「その気持ちは分かるよ。自分の性格を。考え方を変えるのは難しい事だよね。」
「そう。性格を変えるってことは今まで生きてきた自分を否定すると同義だと思ってるから。だから性格を変えたくないの。」
真剣な顔付きで真正面からその言葉を言われた時、僕はその言葉の重みを感じとった。同時にいくら暴力を振るわれようとも耐えてきた彼女の意志の強さがそれなのだと悟った。
「カラオケに来たんだし、そろそろ歌わないと勿体なくない?」
話題をそらすために必死に出た言葉がそれだった。
「確かにそうだね。じゃあこれ歌おうかなー。」
さっきと変わっていつものような雰囲気に戻った彼女は教えた通りデンモクを操作し始め、曲を入れた。
「あ、これ最近流行ってるやつだよね。」
「そうそう。Jkの流行りはすぐに変わっちゃうから常にチェックしてるんだよー」
変なとこで真面目だよな…そう思いながら彼女の歌を聴いていた。最初はたどたどしかったが慣れて来ると彼女も音程を合わせるようになりラストのサビからはほぼブレがないレベルでその曲を歌って見せた。そして何より声がとても綺麗だった。透き通っているような声で何より心に届くようなずっと聴いていても飽きないそんな歌声だった。
「どうだった?初めてにしては結構できたと思うんだけど?」
彼女は勝ち誇ったような顔をしてこっちを見ていた。
「めっちゃ綺麗な声だった。冗談抜きで。」
心から思った言葉をそう言うと彼女は手で顔を隠しながら
「えっ、いやその、ほ、ほら、やっぱり私って完璧だから!このくらいできて当然だよね!」
と耳まで真っ赤にしながら言っていた。褒められることに慣れていないのだろう。10分くらいその状態が続いていた。
「ほ、ほら柊くんも歌いなよ!まぁ私は越えられないと思うけど?」
と煽るような口調で言われたので僕も最近流行りの曲を入れて歌った。
結果は普通の点数で特に特出するべき項目もなかった。
歌い終わると彼女は真剣な眼差しでこう言った。
「柊くんって普段喋ってる時は気づかなかったけどいい声してるよね。私その声好きかも。」
言われた言葉の意味が分からなかった。人とカラオケに行った中学の時でさえそんなことは言われたことは無かった。急にそんなことを言われると恥ずかしくて死にそうになる。
「そんな冗談はいらないよ。褒めたって何も出ないよ?」
そう言って誤魔化すのが精一杯だった。
これ以上長い言葉を口から出すとにやけてしまいそうなのがバレてしまう。そう思いながら短い言葉で終わらせた。
「冗談じゃ無くて本気で言ってるんだよ。具体的にどこが良かったか言おうか?」
彼女は真剣な顔付きでそう答えた。
これ以上言われたら僕の心が耐えられない。
「遠慮しておきます…」
そう言いながら僕はデンモクを彼女に渡して口を閉じた。
こんなやり取りがしばらく続きカラオケを出ると夕日が沈みかけるくらいの時間になっていた。
「結構長い時間居たね。柊くんは家どこら辺?」
「僕は駅から反対方向だからこのまま真っ直ぐ行くだけだね。岩崎さんは?」
「私は一旦駅の方戻らないといけないから。ここでお別れだね。うちそろそろ帰らないと親がうるさくてさ、」
今までの目に光があった彼女とは打って変わって急に目から光が消えた。
「そっか、大変だと思うけどまた明日屋上で話聞くよ。」
これしか言葉が出てこなかった。なんて声をかければいいか分からなかった。
「うん。ありがとう。柊くん今日は楽しかったよ。非日常みたいな初めて見るもの、触るものばっかりでとっても楽しかった。」
彼女にとって今日の体験がどれほど今までにした事の無い経験でどれだけ楽しかったか声を聞いていてわかった。
「カラオケなんて良ければいくらでも付き合うし、他にも行きたいところがあるならこれからも行こう。岩崎さんが楽しめるなら僕もついて行くからさ。」
「ありがとう。じゃあまた明日ね。」
そう言って彼女が歩いていく後ろ姿を見えなくなるまで見ていた。彼女にとって自分は非日常の一部なのだとそう言って貰えたのが少し嬉しいと思った。すっかり夕日が無くなった帰路を歩きながらそんなことを思い、僕は家に向かった。
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