第26話 もういらっしゃっていますよ

 下層に降り立った俺を待っていたのは、これまでの階層と違ってほとんど明かりがない薄闇の迷宮だった。

 脱走防止のためか、より通路は複雑となり、罠まで設置されている。しかも罠はちゃんと機能しているようだ。

 果たしてこんなところに本当に人が住んでいるのだろうか。


 蛇男から聞いたところによると、ここ下層を根城にしているのはたった二つの組織だけだという。


 一つ目は世界的な暗殺者集団。

 各国の王侯貴族が主な顧客らしく、彼らの力で歴史が変わったことも一度や二度ではないという。


 もう一つは世界の闇市場を支配する闇商会。

 嘘か本当か、世界のありとあらゆる地下経済を彼らが牛耳っているそうだ。


 そしてこの二つの組織はいずれも都市総領の直轄なのだとか。


「ふむ、一体その総領とやらはどんなやつなんだ」


 と、そのとき微かな殺気を感じて、俺はすぐに思考を中断して意識を外へ向けた。


 直後、柱の陰から飛び掛かてくる人影があった。

 突き出されたナイフを回避し、その腕を取る。


「っ!?」

「そりゃ」


 相手の勢いを利用しつつ、腕を捻って投げ飛ばす。

 地面に叩きつけられて一瞬白目を剥くその人影だったが、痛みに苦しむ間もなく、即座に自由な手で反撃しようとしてきた。その腕には鉤爪のような武具を装着していた。


「無駄だ」

「っ!」


 その前に腕を踏みつけ、封じてやる。


 それにしてもなかなかの手練れだ。

 痛みを支配することにも慣れているし、殺すことに躊躇がない。俺には通じなかったが、殺気や気配の隠し方も上手かった。

 恐らく暗殺者だろう。


 そして襲撃者は一人だけとは思えない。

 あれだけ派手な方法でこの階層に降りてきたのだから、確実に俺のことを警戒し、集団で襲い掛かってくるはずだ。


 しかも気配を断つのが上手く、地の利があり、なおかつこの暗闇。


 ……めんどくさい。


 俺の目的はミラを助け出すことだ。

 暗殺者たちと戦うことではない。


 俺は地面を蹴った。

 緑魔法で風を起こして追い風にしながら、猛スピードで走り出す。

 この速度に付いて来れるやつはいないはずだ。


「「「っ?」」」


 案の定、俺が通り過ぎるときに息を呑む気配がそこかしこから伝わってきた。


 ちなみに先ほど襲い掛かってきた人物を抱えて走っている。

 手足に黄魔法で作った鉄の枷をはめているので身動きは取れない。


「~~~~~~っ!?」


 口も鉄のマスクで封じ、悲鳴を上げることができないようにしている。







「さて、ここなら大丈夫か」


 暗殺者たちを撒くことに成功した俺は、トイレの個室に身を潜めていた。


 連れてきた暗殺者を便器の脇に転がし、鉄のマスクを取る。


「叫ぼうとしても無駄だぞ。その前に喉を潰すからな」

「~~っ!」


 俺の殺気を浴びて、不運な暗殺者の肩が跳ねる。

 幾ら訓練で鍛えていようが、恐怖を完全に抑え込むことは難しい。


「別に命を奪おうってわけじゃない。最下層への行き方を教えてほしいだけだ」


 と訊いてみるが、答えてくれるとは思っていない。

 拷問しても簡単には口を割らないだろう。


 魅了魔法を使うか。

 いや、恐らくこのクラスの暗殺者相手には効かないな。

 もっと強力なものでなければ。


「インスレイブ」


 隷属魔法だ。

 これにより従属させられた者は、主人である俺の命令に従わざるを得ない。


 相手の心身を魔法で縛る荒業なので、後で解除するにしても、後遺症が残る可能性がある。

 なのであまり人間に対して使いたくはなかったのだが、仕方がない。


「教えてくれ。最下層にはどうやったら行ける?」


 暗殺者は震えながら首を左右に振った。


「……わ、分からない。教えられていないんだ。ボスなら知っているかもしれないが……」


 またこのパターンか。

 まぁ予想できていたことだが。


 最下層には総領とその側近しかいないという。

 そしてその側近の一人が暗殺者集団のボスであり、時々、下層にある彼らのアジトに姿を見せるそうだ。


「だったらそのアジトに連れていってくれ」

「わ、分かった……」


 トイレを出る。

 そして彼の案内を受けて辿り着いたのは、かつては看守たちの宿泊区画として使われていた場所だった。


 近くまで来たら連中に見つかってしまうのは当然だ。

 しかし少し前からこちらを監視する気配を感じているものの、襲い掛かってはこない。

 罠か、あるいは戦っても無駄だと理解したのか。


 食堂らしき部屋に入ると、そこに一人の男が待ち構えていた。


「いらっしゃい。随分と暴れてくれているみたいですねぇ」


 目が細く、面長で、中肉中背の男だ。

 一見すると優男といった印象を受けるが、こんなところにいるやつがその印象通りの人間であるはずがない。


「ボス……」


 隷属させた暗殺者が、俺の横で唇を震わせる。


「なるほど、あんたがボスか。だったら総領とやらがいる最下層への行き方を知っているはずだな」

「ええ、もちろん知っていますよ。教えるかどうかは別問題ですが」

「まぁ、最悪、教えてもらえなくても構わないが。そのときはまた穴を開けるだけだからな」


 俺は地面を殴るような動作をした。

 こいつがボスなら俺がどうやって下層に降りてきたかぐらい把握しているだろう。


「いやいや、それは困ります。特殊な建材で作られているので、修復するのも大変なんですよ」

「だったら早く総領とやらを連れてこい」

「はは、心配しなくても、総領ならもういらっしゃっていますよ」

「なに?」


 そこでようやく気が付いた。

 いつの間にか俺の手足に細い糸のようなものが巻き付けられていることを。


 直後、俺はその場で逆さ釣りにされていた。


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