第10話 運が悪かったら死ぬかもしれないけど

「これからあなたたちにはこの子と戦ってもらうわ」


 魔物調教師と思われる女試験官、エリウスが楽しそうに言う。

 要するに実際に魔物と戦う様子を見て、合否の判定をするということだろう。


「こ、こんなデカい魔物と……?」

「どうやって戦えってんだよ……」


 受験者たちは怯えたように後ずさった。


「大丈夫よ。殺してしまわないようにって、しっかり命令してあるから。……運が悪かったら死ぬかもしれないけど、まぁ冒険者に危険は付き物だしね?」


 女試験官はやけに嬉しそうな顔で、ワザとらしく怖がらせるようなことを付け加えた。


「ボーア、準備はいいかしら?」

「ブフーッ、ブフーッ、ブフーッ!」


 ボーアと呼ばれた猪の魔物――パワーボアは、初見の人間が多数いるからか、随分と興奮しているようだ。


 ……大丈夫か?

 ちゃんと躾ができているようには見えないのだが。


「じゃあ、二次試験スタートよ」


 と、女試験官が宣言し、パワーボアの身体を叩いた次の瞬間だった。


「ブフォッ!」

「え? ちょっ――」


 突然、パワーボアが暴れ出したかと思うと、その太い鼻面で器用に女試験官を投げ飛ばしてしまった。

 彼女は地下訓練場の壁に叩きつけられ、気を失ってしまう。


「「「は?」」」


 いきなり試験官が従魔に攻撃され、受験者たちが唖然とする。


「ブフォォォォォォーッ!!」


 パワーボアは後ろ脚だけで立ち上がると、自由を宣言するように大きな雄叫びを上げた。

 そして勢いよく前脚を地面に叩きつける。

 その衝撃だけで建物が激しく揺れた。


「ど、どうなってんだよ、これ!?」

「ちゃんと躾けてるんじゃなかったのかよ!?」


 受験者たちは悲鳴を上げ、パワーボアに背を向けて一目散に逃げだそうとする。


 だがそれは最悪の判断だ。

 魔物の多くは逃げようとする相手に猛然と襲いかかる性質を持っているし、大抵の場合、人間よりも足が速い。

 そのためまず逃走は成功しない。


 どうしてもこのパワーボアのような魔物から逃げたいのであれば、最初の突進をどうにか回避し、その後に逃走を試みる方がいい。

 そうすれば幾らか成功の確率は上がるだろう。


 案の定、パワーボアは真っ先に背を向けた受験者たち目がけ、一気に走り出そうとした。


 ザンッ。


 まぁその前に俺が首を斬ってやったが。


 パワーボアの巨体が倒れ込む。

 切断面からは大量の血が溢れ出て、地面を赤く染め上げていく。


「ちょっと!? 何してくれてるのよぉぉぉぉっ!?」


 甲高い声が耳朶を打った。

 振り返ると、先ほどパワーボアに吹き飛ばされたはずの女試験官が血相を変えて駆け寄ってくるところだった。


「ボーア、大丈夫!? って、どう見ても大丈夫じゃないし!」


 もはや虫の息となったパワーボアを前に、彼女は真っ青になる。


「気絶していたんじゃなかったのか?」

「あれは演技よ!」

「演技?」

「従魔が調教師の命令を無視して急に暴れ出したときに、どう対処するかを見るつもりだったの! その方が緊迫感があるし、何より受験者たちの慌てふためく様子が面白いし快感でしょ!?」


 この女試験官、なかなか捻くれた性格をしているな。


「ねぇどうしてくれるのよ!? ここまで調教するのにどれだけのお金がかかったと思っているの!? これからその分をしっかり稼ぐつもりだったのに!」


 ヒステリックに叫ぶ女試験官。

 心配しているのは従魔の命より金のことらしい。

 酷い調教師だ。


「人のこと言え――なんでもないデス」


「賠償……そう、賠償してもらわないと!」

「そんなこと言われてもな。だいたい受験者にやられることを想定していなかった方が悪いだろう」

「ていうか、ボーアは危険度Aの魔物なのよ!? 受験者に倒せるはずないんだけど!」


 その認識が甘かったと言っているんだが。


「まぁなんにしても、治療すればいいだけの話だろう?」

「は? 治療? 見ただけで分かるわ! 完全に致命傷よ! 治るわけないじゃない!」

「これくらいなら普通に治せると思うが」

「そこまで言うならあんたが治してみせなさいよ! たとえハイポーションだって無理に決まってるわ!」

「ふむ、じゃあやってみよう。――パーフェクトヒール」


 うるさくて仕方ないので、俺はすぐに治癒魔法をかけた。

 すると見る見るうちにパワーボアの傷が塞がっていく。


「ブフー?」


 パワーボアは何事もなかったかのようにむくりと起き上がった。


「もう大丈夫だぞ」

「ッ!」


 俺を見た瞬間、パワーボアは物凄い勢いで後ろ向きに走り出した。

 バックでも意外と速いんだな。

 そのまま訓練場の外壁にお尻から激突し、ぶるぶると身を震わせている。


 どうやら俺のことを怖がっているらしい。

 殺されかけた相手だから仕方ないのかもしれないが……ちゃんと治してやったのに。


「嘘……治った……? い、今の、治癒魔法……? しかもあんな傷を一瞬で治すなんて……」

「それより試験の方はどうするんだ?」

「はっ。そ、そうね……ボーア、今からまた戦えそう?」


 女試験官はそう問いながらパワーボアへと近づいていく。


「ブフォーッ!」


 するとパワーボアはまたしても興奮したように暴れ出した。


「ちょっ、ちょっと落ち着きなさいっ! 演技はもういいのよ!」

「ブフォーッ! ブフォーッ!」


 懸命になだめるも、パワーボアが落ち着く様子はない。

 それどころか再び鼻先で彼女を攻撃した。


「ぎゃっ!? ど、どういうことよ!?」

「ブフォーッ! ブフォーッ!」


 どうやら自分のご主人様の本性に気づいて、言うことを利かなくなってしまったようだ。


 いずれにしてもこれでは試験の続行は不可能だろう。

 パワーボアが彼女を攻撃している隙に、巻き沿いを食らうまいと受験者たちはこっそり訓練場から出ていった。

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