第47話 そろそろ孫の顔を見たいものだ

 フェイノットの田舎町。

 その西側に広がる畑を、エバンズは時折垂れてくる汗を拭いながら黙々と耕していた。


 長年この町を護る自警団の団長を務めていただけあって、五十を過ぎた年齢ながら、熊のような立派な体躯をしている。

 今でも魔物の討伐などの手伝いをすることがあるにはあるが、基本的には畑で作物を育てながらのんびりとした日々を送っていた。


「ふぅ。こんなところか」


 土の様子を確かめ、満足そうに頷く。

【上級職】の《剛剣士》だけあって腕力に自信がある彼が耕した土は、しっかりと柔らかくなっていた。


 それでも最近、少なからず衰えを感じつつある。

 特に身体の回復が遅くなっていて、若い頃のような無理が利かないのだ。


「私ももう歳だな」


 そうしみじみと呟く彼には娘がいた。

 比較的遅くにできた子供だったが、気づけばすでに二十歳。

 結婚していておかしくない年齢である。


「そろそろ孫の顔を見たいものだが……」


 同じ町に住むレオンの家で花嫁修業を始めたと聞いたときは、ついに娘もその気になったかと思ったが……生憎と未だに結婚の報告はない。

 相変わらず剣のことばかり考えているのだろうか。


「せっかく母親に似て美人に生まれたのだから、もっと女の子らしく育ってほしかったのだが……中身の方は私に似てしまったせいだろうか」


 親の願う通りにはなかなかならないものである。


 と、そのとき足元から微かな振動が伝わってきて、何事だとエバンズは顔を上げる。


「地震か? この辺りでは珍しいな。……ん?」


 彼は西方に広がる平原の向こうに、見慣れない物体を発見した。


「なんだ、あれは……?」


 岩、だろうか。

 しかしあんなところに岩なんてなかったはずだ。


「それに……だんだん大きくなってきている?」


 まさかこっちに近づいてきているのだろうか。

 いや、岩が動くはずもない。

 きっと気のせいに違いないと思い、目を擦ってから改めて見直す。


 ……明らかに大きくなっていた。


「それに、この振動……」


 ずん、ずん、ずん、と規則的な揺れ。

 まるで、何か巨大な生物が歩いているかのような……。


 信じたくはない。

 あんな巨大生物が存在しているなんて。

 そして真っ直ぐこちらに――町に向かってきているなんて。


 しかし現実は非情だった。

 やがて彼の目が、はっきりとその正体を捉える。


「ま、ま、ま、魔物だぁぁぁっ!?」


 鍬を放り捨て、彼は全速力で町へと走った。






 ――その頃、レオンさん家。


「アレルちゃん、なかなか帰って来ないわねぇ。せっかくライナちゃんが戻ってきたのに」


 にこにこしながら溜息を吐くのはレオンの妻、ファラだ。


「……剣と魔法を習得しただけでは飽き足らず、今度は魔物調教師だなんて……まったく、あいつはどこまでやれば気が済むんだ……」


 エバンズの愛娘、ライナが呆れた様子で呟く。

 その隣で、レオンの娘、ミラがぼそりと、


「……きっと雌豚に会いたくなくて出て行ったです」

「何か言ったか?」

「雌豚はダンジョンで死んでいればよかったのにと言ったです」

「誤魔化すどころかもっと酷い悪口を投げてきたぞ!?」


 睨み合うライナとミラ。


「ご、ごほん」


 ピリついた空気の中、咳払いしたのは一家の大黒柱、レオンだ。

 大黒柱と言いつつ残念ながら最も立場が弱いのだが……それを象徴するかのように、彼は恐る恐る口を開いた。


「ま、まぁ、アレルのことだ。きっとそのうちちゃんと帰ってくるだろう、うん」


 と、そのときだった。


「た、た、大変だぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 家の外からそんな大声が聞こえてきた。

 どすどすという足音が近づいてきたかと思うと、家の中に大柄の男が駆け込んでくる。


「お父さん!?」

「エバンズさん?」


 驚く一同に、真っ青な顔をしたエバンズが叫ぶ。


「大変だっ! そ、そ、そっ、外にっ……」

「お父さん? 落ち着いてくれ、何かあったのか?」

「外っ……外にっ……」


 よっぽど焦っているのか、まったく要領を得ないので、


「とにかく外に出てみましょう」


 ファラがそう皆を促した。


 そうして外に出た彼らの目が捉えたのは、町の西方に忽然と現れた巨大な岩山だ。


「山?」

「あんなところに山なんてありました?」

「や、や、山ではないっ! あっ、あっ、あれは魔物だっ!」


 エバンズが後ろから叫び、皆が息を呑んだ。


 確かによく見ると、それは徐々にこちらに近づいてきているようだった。

 それに合わせ、地面が振動している。


「……まさか」


 小柄な身体で背伸びをしながらその魔物を見ていたレオンが、何かに気づいたように目を見開く。


「神話級の魔物、ベヒモス……?」



    ◇ ◇ ◇



「町が見えてきたな」


 ベフィの頭の上に立ちながら、俺は故郷の街並みを見渡す。


「よし、この辺でいいぞ。これ以上近づくと大パニックになるだろうからな」


 ベフィが歩くとそれだけで地震が発生する。

 家屋が倒壊する恐れもあった。


 と、そのとき。


「ん?」


 町の方からこっちに向かってくる人影があった。


「父さんと母さん? それにライナも」


 なんだか随分と慌てているが、何かあったのだろうか?

 俺は手を振った。


「おーい」


 すると俺に気づいたらしい。

 三人は立ち止まると、ぽかんとした顔でこちらを見上げてきた。


「ただいま」

「「アレル!?」」

「アレルちゃん!?」

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