第32話 こんなに息が続くはずねぇよ

 俺は緑魔法で空気を生み出し、呼吸をしていた。

 鍛えているのでこれくらいの水圧は問題ないし、恐らく何時間でも潜っていられるだろう。


 俺が死んだフリをしているとは知らず、リヴァイアサンは口を開けて呑み込もうとしてきた。

 だが先ほど体内で暴れ回ったのが堪えたようで、すぐに思い直したらしい。


『お前なんか、食べる価値もないや』


 そんな言い訳をしながら尻尾を叩きつけてきた。

 俺は海底に激突する。


 興味を失ったのか、リヴァイアサンはそのまま去っていこうとした。

 もう俺の方は見ていない。


 よし、今だ。

 俺は青魔法を使って海水を操り、猛スピードで動いた。

 そしてリヴァイアサンの尾部と胴部のちょうど境目に(といっても見分けは付かないが)、あるものを発見する。


 穴だ。


 排泄孔である。


 俺はその中へと身体を滑り込ませた。

 細長い蛇身とはいえ、それでも横幅は五十メートルを超えている。

 穴の大きさは幅二メートルくらいあるので、人間が余裕で中に入ることができた。


「……臭いな」


 覚悟してはいたが、やはり鼻が曲がりそうなほど酷い悪臭が漂っている。

 まぁ仕方がない。

 なにせ排泄物が出る場所なのだから。


「さて、反撃だ」


 俺は口から呑み込まれたときと同じように、今度は排泄孔の壁を斬りつけた。


『~~~~~~~~~~~~っ!?』


 容赦なくどんどん攻撃していく。


『いぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? いだだだだだぁぁぁぁいっ!』


 ふむ、口の方でやられたよりも痛がっているな。


『ななななっ、なんなのっ!? あっ、あいつの死体がないっ!? もしかして、今度はボクのお尻の中にっ!?』


 気が付いたようだ。

 そして再び青魔法で水を作り出し、俺を排出しようとしてくる。


 だがここは先ほどの口部よりずっと狭い。

 当然ながら流せる水量にも限界があり、肉壁に手刀を突き立てて身体を固定した俺をなかなか押し流すことができない。


 作戦通りだ。


『いだいいだいいだいいだいいだいぃぃぃっ! なんで出ていかないのさぁぁぁっ!?』




    ◇ ◇ ◇




「神話級の魔物と単身でやり合ってやがるだと……?」

「ば、化け物かよ、あいつ……?」


 巨大な魔物と戦う青年を、船の上で呆然と見つめる船員たち。

 かなり離れているとはいえ、それでも船は先程の余波で大きく揺れている。

 未だ手足を縛られたままなのでどこかに捕まることが難しく、さっきから甲板の上を何度も転がっていた。


 一方、ロープや手すりなどに必死にしがみ付きながらも、目を輝かせているのはアレルが助けた人たちの中でも、男の子を中心とするグループだ。


「お兄ちゃん、すごいや!」

「いけいけ~~っ!」


 興奮した様子で拳を突き上げ、応援の声を飛ばしている。

 彼らからしてみれば、まさに物語の英雄譚を目の当たりにしているようなものなのだろう。


 さらにそこへ黄色い声援が混じる。

 こちらは妙齢の女性たちだ。


「アレル様ぁぁぁっ!」

「頑張ってぇぇぇっ!」


 ちなみにそんな周囲の状況など意に介さず、甲板の上で長い胴体を折り畳むようにして寝ているのはベヒモスである。


「すぴー」


 と、そのときだ。

 甲板から悲鳴が上がった。


「お兄ちゃん!?」

「アレル様ぁぁぁぁぁっ!?」

「おい、あいつ喰われちまったぞ!?」


 アレルがリヴァイアサンに呑み込まれてしまったのである。


「や、やっぱ人間が敵う相手じゃなかったんだよっ!」

「やべぇぞ! 次は俺たちが……」


 自分たちが餌食になる番に違いないと、恐怖する船員たち。

 しかしその直後、


「いや待て! なんかリヴァイアサンが苦しみ始めたぞっ?」

「口から吐き出した!? 見ろ、あいつ無事だぜ!」


 大量の水とともに、アレルがリヴァイアサンの口の中から飛び出してくる。


「よ、よかった……お兄ちゃん……」


 一瞬安堵した彼らだったが、


「海に引き摺り込まれちゃった……っ!?」

「こ、今度こそお終いだっ!」


 やがて静かな海が戻ってくる。


「あ、上がってこないよ……」

「お兄ちゃん、死んじゃったの……?」

「あ、あの兄ちゃんがそんなに簡単に死ぬかよっ!」


 子供たちは無事を祈るが、いつまで経っても海面に上がってくる気配はない。

 リヴァイアサンとともに海に沈んで、すでに十分以上が経過していた。


「はっ、こんなに息が続くはずねぇよ。もう死んでるだろうな」

「そんな……」

「てか、この様子だとリヴァイアサンもどっか行ってくれたみてぇだな! 助かったぜ!」


 悲しむ女子供を余所に、船長が歓喜の声を上げた。

 甲板の上を何度も引っくり返ったせいで服がボロボロになっている。


「ついでに邪魔者もいなくなったぜ! はははっ、残念だったな、お前ら! あいつさえいなけりゃ、予定通り奴隷行きだ!」

「「「っ!」」」

「おい、とっととこの縄を解きやがれ!」


 船員たちは互いに協力し合い、手足を縛っていた縄を解いていく。


「ん? 終わった?」

「って、まだこの化け物女がいやがった!」


 ベフィが目を覚ましたらしい。

 目を擦りながら欠伸をする彼女に、船員たちが慌て出す。


「狼狽えるんじゃねぇ! ちょっと力が強いってだけで、所詮は女だろうが! 全員でかかりゃあ怖くねぇよ!」


 船長が怒号を飛ばして叱咤する。

 一方そんな彼らのことなど気にもかけず、ベフィは甲板の端まで歩いていった。

 そこには怯える女子供がいて、


「お、お姉ちゃん……お兄ちゃんが、死んじゃったよぉ……」

「ん? 死んだ?」

「魔物と一緒に……海の中に……」

「生きてる」


 ベフィが海面を指差す。

 すると海の底から巨大な影が上がってきた。


「っ! まさかリヴァイアサンがっ?」

「いや、なんか様子が変だぞっ?」


 海面に姿を現したのは確かにリヴァイアサンだった。

 しかしそのちょっとした島ほどもある身体はただぷかぷかと浮いているだけで、動く気配はまったくない。


 その巨体の陰から、ひょっこりとアレルが顔を出した。


「よし、〝調教〟成功だな」

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